第3話 龍神様・後編(神社から消えた神)

「じゃあ、闇龗くらおかみは何処に? もしかしてダムの底?」

「可能性はあるな。龍神様の正体は高龗たかおかみ闇龗くらおかみか」

「山頂に高龗たかおかみが居て、今はダムになっている中腹には闇龗くらおかみが祀られていたのね。そして集落には?」

「おそらくどちらも。山頂から流れる水が──高龗たかおかみ闇龗くらおかみがひとつになって集落に恵みを与えていたんだろう」


 そう言いながらも長谷部の顔はどうもすっきりしていない。


闇龗くらおかみがダムの底に居る限り、集落は水不足に悩むということなのかな。旅館のご主人、ここ数年って言っていたよね。そしてダムが出来たのは五年前」


 鮎子の言葉を聞きながら、長谷部は再び小さな看板を見つめた。鮎子はその横顔を黙って見ている。


「一文字しか書かれていないように見えるな。龗としか書かれていないのか? 此処が山頂に近いから、俺は高龗だと思ってしまったが、本当は違うのか?」

「でも龗って一文字の神様は知らないよ」

「──本当の名前を書けないということか」

「え?」

「それとも、すげ替えられたか」


 長谷部はそう言うとジャケットのポケットからスマホを取りだしたが、すぐに「圏外だ。検索が出来ない」と苦笑してスマホをしまった。

「何を調べたかったの?」

「古事記では迦具土かぐつちを斬った剣の柄についた血から生まれたのは二柱。でも日本書紀では三柱だった気がした。闇龗くらおかみ闇山祇くらやまつみ、そして闇罔象くらみつは


 長谷部はそう言うと、拝殿の前に立ち二礼二拍手一礼をする。二拍手の音は山々にこだまして、そのとき一陣の風が吹き、周囲の木々がざわめいた。

 まるで何かが目を覚ましたかのように。鮎子も同じようにご神体である山に挨拶をした。


 心の中で「此処でなにがあったのですか」と尋ねてみたが、響いてくるものは何もなかった。しかし一礼をして目を開けたとき、拝殿のきざはしの上に何かが落ちているのに気づいた。


 それは黒と白が混じった丸い石だった。鮎子の親指、第一関節くらいの大きさの石。


「ねえ、この石、最初から此処にあった?」

 鮎子は指をさして長谷部に尋ねた。長谷部は怪訝な顔をしてその石を眺める。

 そして鮎子を見ると

「でかした。もしかしたら少し変化が起きるかもしれないぞ」と面白そうな笑みを見せ、その石を手にした。


「え、持ち帰る気? それはやばいんじゃない?」

 神聖な場所にあるものを持ち帰るのは禁忌にあたる気がしたので鮎子は慌てる。だが長谷部は「いや。これは俺たちに与えられたものだよ」と言って、その石をジャケットのポケットに入れた。


 車に戻り、先ほど訪れたダム近くにあった龍神社に向かう。神社と呼ぶには躊躇われるほどの小さな祠。そこで二礼二拍手一礼をした二人は顔を見合わせた。

「で、どうするの?」

 鮎子が聞くと、長谷部はにやりと笑い、

「こうする」と言って、その祠に持ち帰った石を置いた。


 ことり、と置いた音がして、次の瞬間突風が鮎子と長谷部を襲った。思わず二人は互いを受け止め合う。

 風の流れに自然と見上げたその上空に、黒い雨雲が出来ているのが見えた。


「車に戻るぞ」

 長谷部はそれだけ言うと、鮎子の手を取って走り出した。なにが起こったというのだ? 鮎子にはまだ理解出来ない。だが長谷部はこうなることを何処かで予想していたかのように、迷いなく車を目指している。


 車に乗り込み、助手席に座った鮎子がシートベルトをしている間に長谷部はエンジンをかける。

「なにが起こったの?」

「まだ分からない。でも俺たちは此処の住人じゃないから出ないと」

 長谷部はそう言うとアクセルを踏んだ。


 バックミラーに映る空がどんどん黒くなっていく。鮎子は後ろを振り返った。雲一つない青空だったのに、今は低い雲が立ちこめて、空を黒く染めていく。


「山頂に居たのは高龗たかおかみではないのかもしれない」

 長谷部はそう言いながらハンドルをさばく。

「どういうこと?」


十拳剣とつかのつるぎの柄についた血から生まれたのは闇龗くらおかみだ。高龗じゃない。だいたい、タカオカミなんてどこから出てきたんだ?」


 そう言われて鮎子は古事記と日本書紀に書かれていたことをぼんやりと思い出す。確かにイザナギが迦具土かぐつちを殺して生まれた神々の名を連ねるシーンにタカオカミという名は出てこない。


 古事記ではクラオカミとクラミツハだったことを鮎子は思い出す。そうだ、そして日本書紀ではこの二柱にクラヤマツミが加わる。


「俺たちは下手に知識があるために、水に関する神は龍神、そして龍神は貴船神社。貴船神社と言えば高龗。そんなふうに思考が出来上がっているんだ。だけど、貴船の奥宮、あそこにも高龗が祀られていると云われているけど、本当の祭神は闇龗という説もある。本宮と奥宮、最初はどっちだ?」

「もちろん奥宮よね」

 鮎子が答えると長谷部は頷いた。


「神が依るところは山深いところが多い。行けない人間も居るから参拝しやすいように、遙拝できる場所に拝殿が築かれる。それがいつしか本宮になり、もともと神が依るところは奥宮と呼ばれる。だとしたら本筋は奥宮だ」

「山頂に闇龗かもしれないってこと?」


 鮎子がそう言ったとき、バックミラーに水が押し寄せているのが見えた。

「え?」

 思わす振り返り、後部座席からの景色を見るが、そこには押し寄せる水は見えない。

 だが、バックミラーには山頂から大量の水が押し寄せ、ダムを崩壊させ、決壊した水が流れてきているのが見える。鮎子の思考は沸点を超えたかのように吹き上がって混乱している。


「俺にも見えてる。見えてるからこそ、これに巻き込まれたら終わりだ」

 長谷部はそう言うとアクセルを踏んだ。


 押し寄せてくる水の壁。スピードを落とさず走る長谷部の車。

 どちらがより鮎子の命を奪う可能性が高いのだろう。鮎子には分からないが、長谷部と共に此処を脱したいという気持ちの方が強かった。


 昨晩泊まった集落が見えてきた。そして其処にある神社も。

 長谷部の車は神社を通り越し、県道に向かってスピードを出す。県道まで出れば、そこは現世うつしよ。其処までは水は来ない。そんな気がした。


 バックミラーに映る世界は押し寄せた水に呑まれていた。

 車は県道に入る。長谷部がホッと息を吐いた。最初の赤信号で停まり、やっと二人は顔を見合わせた。


「まだ、ちゃんと解決はしてない気がする」

「高龗が何者か、だよね」

「ああ。もしも高龗が闇罔象くらみつはを指すのだとすれば、何故名前を変えられたんだろう。それがまだ分からない。でも俺たちは疑問を持つことが出来た。闇龗が本質だって思うこともね。だからダムの底に居た神は起き上がることができたのかもしれない」


「たいていの神様は眠っているね。今の私たちがその神の本質を見失ってるから」

「政府の都合の良いように祭神を変えられた神社もたくさんあるし、パワースポットなんて言われて騒がれて祀りあげられ、表面的な御利益を変えられた神もたくさん居る」

 長谷部はそう言って苦笑しながら鮎子を見た。


「ま、ひとまず無事に戻れて良かった。ミラー越しとは言え、あんな光景見たのは初めてだから焦った」

「うん。私も初めて──見えない世界でも、そこではいろいろ起こってるんだね」


 *


 数日後のニュースで、訪れたダムが決壊したことを知った。建設工事の不手際がクローズアップされている。水が殆どなくなったダム内の映像が映し出されていた。


 その中に鮎子は見つけた。石の鳥居を。無意識にテレビのリモコンを手にすると録画ボタンを押した。そのニュースが終わったあと、録画した映像をじっくり見てみた。


 鳥居の周辺には朽ちた建物が見えた。拝殿や本殿は木造だったのだろう。だから鳥居よりも朽ちているのだ。

 此処にも神は居たのに……映像を眺めていて気づく。画像は粗いが、この周辺の石は、鮎子が見つけた石に似ていた。黒と白が混じった丸い石。


 まだ分からないことは多々ある。古事記と日本書紀に書かれた神の数の違い。高龗は何者なのか。


 だが、あの日、神は確かに鮎子と長谷部に何かを伝えた。

 この夏、あの集落はどうなるだろう。水不足は解消するのか、それとも今までと同様に水不足に悩むのか。


 近いうちにまた訪れてみたいが……長谷部はどう答えるだろう。

 あの押し寄せる水が見えてしまったから、やめておこうと言うだろうか。


 高龗たかおかみ闇龗くらおかみのことを調べている限り、これからもあのような不思議な現象に遭遇するような気はする。

 心の何処かでそれを臨んでいることに鮎子は気づいていた。



 <了>



 *****

 夢の中では神社に押し寄せる大量の水がすごく印象的でした。逃げながら美しいとすら思えました。

 水の夢はよく見ます。空を流れていく水を制御するような夢も見ているので、いつか構想がまとまったら描いてみたいです。高龗と闇龗は本当に不思議な神で、分からないことだらけです。龍(蛇)なんだとは思うんですけど、火の神から生まれてるので製鉄も絡むのかなーなんてぼんやり思ってみたりもしてます。

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玉響 (たまゆら) の夢 七迦寧巴 @yasuha

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