蓮華灯籠

 それから数日間。アマリは荊祟への贈り物の事ばかり思案していた。裁縫は得意なので、何か作ろうかとも考えた。しかし、よこしまな物ではないとはいえ、相反する異能を持つ者の念がこもった品など、持ち難いかもしれない……と諦めた。

 自分と彼の間にある抗えない隔たりを今更ながら痛感し、少し悲しくなる。


 ――『悲しい』? 私は、彼と、もっと仲を深めたかったの……?


 悩みに悩んだ結果、礼として神楽舞かぐらまいの一つを披露することにした。魂鎮たましずめ――鎮魂の舞だ。悲しみに落ちた生物全てを慰め、また召された魂を鎮める為、尊巫女の慈悲を込めて舞うという奉納の儀式が人族の界にはある。

 災いを誘発する厄神に、そんな舞を披露するのは痛烈な皮肉か、挑発にも思えた。が、何も持たず無知な自分が、あえて自らの手を汚す酷な務めを背負う彼に出来る事は、これ位しかない……と考えたのだ。


 話を聞いたカグヤは、面食らいながらもそんなアマリの頼みを聞いてくれた。髪を巫女結びに結い上げ、荊祟から貰った鼈甲べっこうかんざしを、花冠はなかんむりの代用として頭部に装着する。

 この屋敷に巫女装束や神楽鈴かぐらすずがあるはずもなく、以前与えられたあけぼの色の小袖に月白げっぱくの羽織をまとい、鈴の付いた藤色の扇子を手にするという、独自の仕様になった。


 ――尊巫女の正装で無い格好…… しかも、妖厄神ようやくじん様から頂いた着物で舞を披露するなんて、母様が知ったら卒倒されるわね…… きっと仕置き部屋に入れられて……


 過去の出来事が脳裏に再生され、能面から般若はんにゃに変貌した母が現れる。怖れる像を慌てて振り切るが、アマリの奥底に深く刻みついた。





「荊祟……いえ、長様。今宵、お呼び出しなど致しまして、誠に失礼つかまつりまする。大層なものではございませぬが、貴方様ヘの御礼の意を……捧げとうござりまする」

「なんだ仰々ぎょうぎょうしい。礼は要らぬと、あれ程申したのに……意外と頑固だな。お前は」


 迎えた当日の黄昏時たそがれどき。荊祟の都合をカグヤに伺い、あの石造りの庭園に彼を呼び出したのだ。開口一番、尊巫女らしい振る舞いを見せるアマリに、荊祟は苦笑する。

 彼女の格好を一見いっけんし、何かを舞踊するつもりなのだろうと気づいたが、あえて触れなかった。自分が贈った花のかんざしや着物を身に着け、いつになく一生懸命な様子が、やけに可笑おかしく……微笑ましい思いだった。


「改まってどうした? 厄ばらいでもするのか」

「ち、違います‼」


 焦ってつぶらなを目一杯見開き、慌てて否定するアマリの素振りに、ぶは、と荊祟は吹き出し、くっくっ、と喉を鳴らした。そんな彼を、アマリは軽く睨む。気を許してくれたからだとわかってはいても、悪い冗談を言う厄神に憤慨したのだ。

 だが、からかうような琥珀の瞳に、仄かな光が灯っているのに気づいた。かつてなく穏やかな優しい眼差しで自分を見ている荊祟が、今までとまるで別人のように感じる……

 自身の感情の機微に疎いアマリでも、ようやく自覚していた。今の彼ヘの想いは、ただの好意や尊敬の念ではない。前よりもずっと切なくて、激しくて、知られたら死にたくなる位に恥ずかしい……

 赦されるならずっと傍にいたい。この方の事を知りたい。自分だけを見ていて欲しい…… そんな欲に溺れ切った、弱く、愚かしい激情――


 ――こんな想いを抱く資格なんて、私には無いのに……


 そんな動揺を覚られないよう、努めて冷静に、アマリは説明する。


「魂鎮めの舞でございます。貴方様とこの界の皆様、そして…… あらゆる世の方ヘの……慰安の意を込め、奉納いたします」


 後半の言葉と神妙な物言いに、荊祟は彼女の意を察した。以前、独白した自身の責務、過去、思いが過り、なんとも言えない動揺が身体中に走る。

 自分の力により破壊され、失われてしまった、人族の界の自然の富、尊き生命…… 出来る事なら暴挙や脅威に頼って、過ちを知らしめたくはないのだ……


 鋭利な眼を見開き、驚きつつも許容したかのような彼を確認し、アマリは扇子を持つ腕を振った。チリ……ン……シャラ……チリン……と小さな鈴が鳴り、辺りに儚くも涼やかな音色が響く。

 厄界ももうじき春を迎えようとしているが、もう陽が沈みかけている。頼りなげな儚い陽光だけが仄かに射し込む、紫紺しこん暮明くらがりに包まれた庭園は、どこか心もと無い。黄昏時などという美しい印象ではなかった。どちらかといえば、逢魔ヶ刻おうまがどき――向かい側の林から、邪鬼や魔物が今にも飛び出してきそうな妖しさがある。

 そんな空間の池のほとりに、アマリの月白の羽織が、ひらり……ひらり……と広がり、はためく。しなやかに、ゆるやかに、手にした藤色の扇子が宙を舞う度、薄紫の花弁はなびらが踊り降るようだった。


 荘厳華麗――という言葉があるが、今の場は荘厳『優麗』という表現の方がふさわしいな……と、荊祟は唐突に感じた。自身の立場を忘れずにいられない程、目の前の舞――いや、彼女自身が発しているオーラに……魅了されている。

 この想いは何という気持ちで、どんな名を持つのか、どう扱えば良いのか、厄神の自分にはわからない。ずっと見ぬ振りをしていたのだ。

 やるせない苛立ちまで伴い、億劫に感じながらも、それすら何故か大切にして隠しておきたくなる――そんな不可思議な感情は……


 刹那、彼女の身体から淡い光の玉が、ふわり、ふわり、と浮かんでは宙に飛ぶ。池の水面、足元に落ちる刹那せつな、それは姿形を変えた。京紫と白の混じった丸い花――蓮華草レンゲソウだった。庭園のあちらこちらに落下しては、ぽつり……ぽつり……と、薄紫色にともってゆく。

 いつの間にか宵に落ちていた、蒼黒そうこくに染まる空間に灯り、咲いてゆくそれは、まるで花の灯籠とうろうのよう――


「……⁉」


 動きを止めたアマリは、自身と辺りを交互に見渡す。驚きで茫然と立ち尽くした。ずっと花能はなぢからとして召喚した事しかなかった為、今起きている現状がわからない。自分の意思に反し、身体から出てくる美しい花達が不気味にさえ感じた。

 助けを求めるように、荊祟の方を無意識に向いたが、彼も驚いたように辺りを見回している。

 ……何も決められず、選べなかったはずの自分が、彼と出会ってから変わり出し、今までの自分でなくなってきているのには気づいていた。が、こんな異例な状態は初めてで、どうしたら良いのかわからない――


 ――……止まらない……どうしたらいいの……⁉


 途方に暮れたアマリは背中を丸め、頭を抱えた。


「おい、まさか、お前また無茶を……⁉」


 花能を使ったと誤解した荊祟は、焦って近づく。


「……‼ 大丈夫です‼」


 必死の形相で、アマリは否定し、制止した。


「――生気は、使って……いません」

「どういう、事だ……?」


 茫然とした荊祟はそろりと、足元の薄紫の灯に、反射的に腕を伸ばす。


「……‼ 駄目だめ‼ 触らないで下さい‼」


 彼女の勢いに驚き、また拒否された事に少しショックを受けた荊祟は、動きを止めた。そんな彼を泣き出しそうな顔で見つめる。アマリは錯乱状態に陥っていた。

 この花に触れたら伝わり、ばれてしまうかもしれないと危惧したのだ。今、自分が何を思っているかを――


 ――知られたくないのに。知られてはいけないのに。軽蔑されてしまう。困らせてしまうだけ――‼


「どうした」

「ごめん、なさい。申し訳ありません……! ごめんなさい! ごめんなさい……!」

「おい……⁉」


 涙混じりの掠れ声で、アマリは詫び続ける。自分の顔がどんどん熱くなり、火照ほてってゆくのがわかった。きっととんでもなく見苦しい振る舞いをしているだろう…… 今すぐにでも消えてしまいたかった。


「何があった⁉」


 屈んだまま見上げたアマリの白い頬が紅色に染まり上がっている。そんな顔を隠そうと、扇子で必死に覆っている。荊祟が贈った薄桃の着物が、砂利がぶつかり合う耳障りな音と共に、じりじり、と自分から逃げるように遠ざかっていく。


 そんな事態が、彼に追い討ちをかけた。鼓動が暴れ、速まり、喉奥が詰まる――


 ――何故、逃げる? 去っていくのか? もう会わないつもりか……⁉


 荊祟の胸の奥底に、苛立ちを伴う焦燥が爆ぜた。激しい衝動が稲妻のように貫き、背を突き立て、前のめりに全身が動かされる。


「――落ち着け」


 細い手首を掴み、身体全体で被さるように彼女の動きを止めた。胸元に彼女の顔を押し付け、抱き締めるように抑え込む。

 アマリの意識は、彼方に飛んだ。現状を把握できないまま、自身に起きている事が、現実なのか夢なのか……判別できなかった。曖昧あいまいに揺れ動く思考の中、重く絞り出したような、掠れた低音が――響く。


「大丈夫だ」

「……⁉」


 一息ついた後、観念したように荊祟は告げる。自身の奥深くに隠していたモノを見せ、差し出した。


「――多分……俺も、今……似たような事を、思っている」


 それを何と呼ぶのか、人族は名付けているのか、神族で禍神である荊祟にはわからない。初めは『罪無き哀れな生物』を保護し、生かしておくだけのつもりだった。いつからだろうか。そんな愛玩あいがん対象でしかなかったこの人族の女を次第に乞い、求め止まなくなってしまったのは……

 一方、アマリにも、一つだけ確信している想いはあった。生まれたばかりで拙く、ひりつく痛みを伴う温かなおもいが、互いの身体にしがみつく芯に芽吹き、息づき始めている――


 “あなたは 私の苦痛を 和らげる”

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

厄咲く箱庭 〜忌神と贄の花巫女 佐保彩里(旧・伏水瑚和) @coyori_F

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画