災厄

「アマリ。お前のが決まりました」


 先日のある夜更けの刻。アマリの暮らす離れに、両親が揃って訪ねて来た。最後に顔を合わせたのはいつだったか覚えていない。

 次に会う時は、が来た事を告げられるのだろうと、覚悟していた。幼少は神々や一族の昔話を寝物語として乳母から、物心ついてからは自分の生まれ持った責務と宿命を、礼儀作法や教養の師範に説かれている。


 どこぞの神の伴侶となるか、その一族のにえとなるか。いずれにしろ、二度とこの屋敷、やしろや両親、弟妹達の元には帰って来られない。先に旅立った姉が、そうだった。


「……どちらの神の方の元へ、でしょうか?」


 確か、姉の御相手は、稲荷いなり様だったろうか…… 幾月ぶりにアマリは回想した。『物静かだが聡明な方』とだけ聞いていた、姉の婚姻の結末を彼女は知らない。あえて知らされなかったのかもしれないが、哀しさを感じつつ、あまり気にならなかった。

 異能の力が強くなった、物心がついた頃、本堂から離れた『施し』を行う一室に一人置かれた。それから十年程、侍女が衣食住の世話に来るだけの暮らしに変わり、親姉弟と疎遠になったからだ。

 他の姉弟妹も家族の関係、情というものが希薄だったが、そんな扱いをされたのは自分だけだった。そんな処遇に戸惑い、疎外感と孤独感にさいなまれていた。


妖厄神ようやくじん(厄病神)です」


「……⁉」


 様付けすらしない、神に対する称とは思えない呼び方。両親だけではなかった。この人族の間では、皆、彼の事を似たような概念で見て、呼んでいる。

 そして今、そんな立場に置かれる者に、彼らは自分の娘を差し出そうとしている。長年隔離されていた世間知らずのアマリでも、とんでもない状況だということは判る。

 唖然とした面持ちを隠せない彼女に、今度は父が語った。


「この役目は、お前にしか果たせない。アマリ。頼む」

「解って頂戴。これは貴女の宿命です」


 幼い頃と変わらず、形式的な言葉でしか語らない父と、神妙な形相で迫るように乞う母。自分も姉と同じ道をゆく事を予期はしていたが、さすがに両親の意図がせず、困惑した。


「父様、母様…… ですが……何故……?」


 尊巫女みことみことしての威厳を忘れ、無意識に声が震えていた。その神の元にゆく事は、伴侶にされる道は絶たれるという、酷な事実を意味していたからだ。


 妖厄神――『禍神まががみ』の類とされ、他の神々とは異なる立ち位置にいた。その名の通り、人族の地に神出鬼没に現れ、あらゆる不運、災厄を誘発させる力を持つ。その度に多くの人族や生物が滅し、不幸になるため、人族から当然忌み嫌われ、死神並みに恐れられていた。

 とはいえ、妖怪に値する存在ではないので、神々の間でも扱いに困り、煙たがっていたのだ。同じ種族には、疫病神、貧乏神などがいる。恐ろしい疫病を流行らせたり、獲物ターゲットの金品財産を奪い、徐々に貧困に陥れる力を持つ。

 それでも神の名が付く族にいるのは、彼らの能が驚異的であり、一理でまかり通るからなのだ。しかし、その非情で傍若無人な所業から、『人族を伴侶にするなど有り得ない』『そんな怪異な者に太刀打ちできる巫女などいない』と見られ、今までどこのやしろも、なかなか尊巫女を出さなかったのだ。


「あの一族に対抗できる尊巫女は、他におらんのだ」

「贄となり、貴女が鎮めて頂戴。この為に力を使いこなし、鍛えてきたのです」


 父母の説得は、解るようで解らない。自分の異能は、そんな脅威な力に対抗できるとは、とても思えなかった。


「そんな…… 私には、無理です……!」

「今まで人族の方々の治癒の為に使って来ましたが、本来の貴女の力は、生命萌芽ほうが……自然再生なのです。逆風となり相殺され、彼らの力を少なからず抑え込む事ができるでしょう」

「……‼」


 知らずにいた真実に、アマリは絶句した。ならば、何故、今まで一人きりで隔離されていたのだろう。最初から贄となり死ぬしか無い宿命だったなら、それまで両親や弟妹と過ごしたかった。

 例え希薄な間柄でも、独りきりで離れに籠り、『仕事』や教養、芸事の稽古にばかり費やして暮らすよりは、ずっと良かった。少し位なら、日々の楽しみも得られたかもしれない……


 茫然自失状態になり、目を臥せて黙り込んでしまったアマリを見て、父母はいつも通り彼女が従い、受け入れたと思ったらしかった。


「神界への『輿こし入れ』は、次の新月の夜になります。支度はこちらで進めますから、貴女は今まで通り……頼みますね。――アマリ」


 駄々っ子を宥めるような口調の最後に、言い聞かせるよう念を込めた母の言葉が、普段動かない彼女の心をえぐった。

 完全に固まってしまった娘を満足げに見やりながら、父母が離れのふすまから出て行く。後を追いかけ、問いかける気力は……湧かなかった。


 アマリは『甘利』とも書く。利益を甘んじる、最上位にするという意味の名だ。彼女が産まれた時、祈祷師きとうしが重々しい口振りで、こう予言したらしい。


『このわらべはやがて尊巫女となり得るが、極めて稀な力を宿している。有り余る富をもたらすか、手に余る災いをもたらすかは……貴殿方次第でございましょう』


 それを聞いた両親や親戚は、喜ぶ一方、畏怖いふを覚えたという。そこで決まったのが、娘を上手く飼い慣らし、一族の為に利用する事だった。

 その事実を知ったのは、僅か数年前。屋敷に仕える下女の立ち話を、物陰で偶然聞いた時――


「お気の毒ね。いくら未知の能をお持ちだからって」

「けど私、時々あの方が怖いのよ。温和で楚々そそとしていらっしゃるけど……何を考えてるのか……」

「姉の日向ヒナタ様も大人しい方だったけど、もっと利発でいらしたものね」

「――しっ! 誰か……奥様の耳に入ったら……」


 会話の内容全てが胸に刺さり、アマリの視界を消した。それまでの違和感、絡まりが一気にほどけ、そのまま崖下に引き落とされ――信じてきた人、信条、自分自身……全てが崩れ、壊れた瞬間――



 ……どのくらいの時が経ったかわからないまま、ふらり、とアマリは離れの庭園に出た。深夜の初冬の空。この小さな庭が、彼女の唯一の外の世界だ。

 『施し』の仕事を始める時、依頼者にどんなに乞われても絶対に叶えてはいけない、幾つかの叶えられない事柄を、厳しく教えられた。


 『死者の生還』『心を操る』『金品財宝などの富を与える』


 どれも倫理に反していて、アマリへの負荷も多大で、命に関わるからだと聞いた。その時は、これは親の愛情なのかと嬉しくなったが、今では、それすらも信じられない……


 庭の生け垣に、ちらほらと紅白の花が咲いている。世話は庭師が行っているが、季節の花を観賞する事は、限られた中の趣味の一つでもあった。

 今は山茶花サザンカが見頃で、多く植えられていた。宵闇の中、赤と白に浮き上がるように咲く、雅やかで艶やかな姿がアマリは好きだった。


 ――せめて、一度だけでも、薄紅色が観たかったわ……


 山茶花には桃のような薄紅色もあるが、此処ここは紅白のみだ。植えてもらえないかと庭師に申し出てみたが、尊巫女としての印象イメージの為、巫女装束に使われる紅と白だけ植えるよう、奥方様に頼まれているから……と申し訳なさそうに言われた。

 薄紅色の山茶花の花能はなぢからは……『永遠の愛』。時折、特に女性の依頼者に望まれるが、アマリの異能では叶えられない事だ。


 ――そうだったわね。かなわない、のよね。何もかも

 ――『愛』が、何かもわからないまま、死ぬのだから……


 闇夜に浮き出る紅白の花の前で、れ切っていた瑠璃のを、独りにじませた。

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