始まりの審判 9/大量殺戮

 ここ野営地、明け透けの天幕の中、グルたち討伐部隊によるエルフ族抹殺の報告を待ちくたびれたゾマンが気分良く酒を呷っていた。


「うはははは! 見事だ〜、がははは!」


 配下のホブゴブリンが下品な踊りを披露し、ゾマンは腹を抱えて笑う。

 暇を持て余したゾマンは大いに酒に酔うと、余興として配下へ芸を強要させていた。

 そのご機嫌なゾマンを囲むように、どっかりと地面に座込み酒を酌み交わし気炎を揚げるトロールたち。

 もはや大規模な宴会となっており、遠征に来た緊張感はとうの昔に無くなっていた。

 

 その末席では、今回の遠征が初めての若いホブゴブリンが緊張した面持ちで振る舞われた酒を呑む。

 ゴクリと喉を鳴らし、酒の余韻と共に徐々に緊張から解放されていくのが自分でも分かった。

 ふぅと胸の奥から最後の不安を吐き出すように小さく息を吐き、恍惚とした表情で日常的に飲むものより質の良い酒の味を楽しみながら不意に空を見上げた。

 快晴の空には小さな白い雲が二つ三つ浮かび、風と共にゆっくりと流れていく。

 戦う必要がなくなり安堵する気持ちと虐殺に加われなかった口惜しさが彼の胸中に渦巻いていた。

 そんな気持ちを忘れるように酒を飲み込み、漫然と青空を眺めていると、何やら視界に光るものがはいってきた。

 チカチカと眩しい光に思わず目を瞑り顔を背ける。なんだったのかと光った空へ視線を戻すと――。


(空にぽっかりと穴が開いてる……⁈ いや、穴じゃない、まるで黒い満月が浮かんでいるような……)

 

 空中に固定されたように微動だにせず、それは浮かんでいた。

 全ての光を飲み込み、何処までも純然たる黒。

 完全たる真円である漆黒の球体。

 その異常な光景に若いホブゴブリンは、アングリと大きく口を開けて右手に持っていた酒を溢す。


「ぐががが、勿体ねぇな。なんだ? もう酔ったか?」

「ギャハハハ。酔うのはえーな!」

 

 近くにいた同族の者たちが若いホブゴブリンの異変に気付き、大きく口を開けた間抜けな姿を笑う。

 しかし、馬鹿にされても動かない若いホブゴブリンの視線につられて、同じように空を見上げると――。


「おっ、おい……」

「なんだ…… あれ……」

「どうし…… う゛あ゛」


 発せられた呟きを中心として、徐々に動揺が伝播していく。

 初めて見る異様な光景に言葉も出せず、皆がポカンと口を開けて漆黒の球体を見上げた。

 やがてゾマンを含めた全てのトロールとゴブリン・ホブゴブリン達は、空中の球体を立ち上がって不思議そうに眺めていた。

 それまで快晴だった空はいつの間にか太陽が顔を隠し、漆黒の球体に引かれたかの如く、どんよりとした今にも泣き出しそうな暗雲が立ち込めていた。


 中空へ固定されたかの様に微動だにしなかった漆黒の球体が、突如としてグニャグニャとその形を変える。

 動揺する者、呆気に取られる者、恐怖する者。

 見上げていた魔物全ての視線が集まる。

 そして次の瞬間、爆破するかの如く漆黒の球体から無数の黒い棘が伸びた。

 

 見上げている魔物たち。

 その眉間、肩、胸、腹…… 体に黒い棘が突き刺さる。

 

 ドスドスと鈍い音を立て棘に貫かれた者達は、体を痙攣けいれんさせる。。

 突き立てられた棘は槍ほどの太さを持ち、突き刺した魔物達からエネルギーでも吸い取るようにドクドクと脈打つ。

 それは無慈悲な黒い鼓動、命を刈り取る一つの生命体のように見える。

 驚き、混乱、恐怖……。

 黒い棘に突きされた仲間の姿を目の前にし、先ほどまで狂宴を楽しんでいた魔物たちはパニックに陥ることとなる。


「「「「――うわああああああああああああああああ⁈」」」」


 誰かが叫び声をあげると呼応して大絶叫となり、恐怖に駆られて我先にと逃げ出す。

 一番最初に漆黒の球体を見つけた若いホブゴブリンは、仲間の死を間近に見て、へたりと腰を抜かしてしまう。

 何が何だか、訳がわからない――。

 しかし、漆黒の棘に貫かれ仲間達が死んでいくのだけは分かる。

 彼はガタガタと震え、股間を濡らして叫び声を上げることしかできなかった。

 

 もう一度空を見上げると漆黒の球体の上にいつの間にか一人の女の影が浮かび上がっている。

 両手を大きく上げて、まるで万歳をしているような姿勢……。

 

(なんだ? 何をする気だ……?)

 

 その姿に何かをする気なのは間違いないと本能が告げる。

 そう感じても尻餅をつきながら二歩三歩と後退りしかできない。腰が抜けて走って逃げることは出来なかったのだ。

 伸ばされていた鋭い棘は巻き戻されたように元へ戻り、漆黒の球体ははち切れそうなほどに膨張する。

 膨張が限界に達すると金属が擦れるような嫌な音を立てて、ひと回りひと回りと大きく成長した。

 何度か耳をつんざく空気を軋ませたような嫌な音を立てると、球体の周囲には黒き雷が纏いだし禍々しく成長を終える。

 全ての動きと音が止んだ時、女の影、無情にもその手は振り下ろされる……。


「【インフェルノ・ダウン】……」

 

 無音の中、女の言葉が微かに聞こえた。

 その途端、ついに内圧が限界を超えて超高熱のエネルギーが爆ぜるように一挙に解放された。

 あまりの熱量に、全てが真っ白な世界に包まれる――。


「あああ……」

 

 若いホブゴブリンは、目を閉じていても白き世界に飲み込まれ、空から降り注いだ爆炎にその身を瞬時に焦がした。


    ◇

 

 円を描くようにトロールやゴブリン達の死体が炭化して転がっている。

 その中心には、烈しい力が大地に衝突してできるクレーターのように大きく抉られた場所。

 盛大に窪みオレンジ色に焼けた大地。

 煙もまだ上がるその場所に一人静かにデルグレーネは佇む。

 

 エルフの隠れ里でグルたちを撃退し、そのままゾマンの本営まで飛んできていた。

 遥か上空にて様子を伺うと、こちらに気がつく様子はなく、彼らは宴会に興じている。

 人を殺しにきているのにお気楽な連中だなと、彼女にしては珍しく感情的な思いが巡った。

 まあ、何方にせよ好機を見逃す手はない。

 車座になっている魔物達の真上に移動し、何も気がつかないゾマン達の頭上で魔法を発動したのであった――。

 

 彼女の周りはまるで時が凍ったかの様に全ての動きが止まっている。

 ただ左手に持つ『モノ』から血が大量に滴っており、実際には時が動いている事を感じさせた。

 

 デルグレーネの魔法攻撃により、本営約百名のうち八割ほどが焼かれて炭化した。

 初撃の魔法【インフェルノ・ダウン】から奇跡的に生存できた者たち。

 それは魔法の範囲外にいた者と数名の力ある者だけだった。

 奇跡的に助かった力の弱いゴブリンたちは逃げ出し、それをデルグレーネが追うことはない。

 【インフェルノ・ダウン】の危険性を瞬時に感じ取り、回避に成功した力の有る者たちは、魔法を放ったデルグレーネに反撃を試みたが呆気なく全てを地に伏せられ、この場で動く者は残っていなかった。

 

 ただ一つを除いて。

 左手にもつ『モノ』が騒ぎ出したのだ。


「うがぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 獣のように叫び声を上げ始める『モノ』。

 下半身を引き千切られ左手に引きづられるように持たれている『モノ』。

 それはゾマンの変わり果てた姿であった。

 上半身だけとなったゾマンは腹から臓物を垂れ下げ、未だ血が流れ続けていた。

 両腕も焼かれて消失し、顔も半分以上焦げているというのにその強い生命力により未だ喋り続ける。

 ここで最強だと言っていた『モノ』なので、何かあれば使えるかと気まぐれで持っていたのだ。


 デルグレーネは他に敵が残っていないかを調べる為に、探索魔法を網のように張りめぐらせ神経を集中させていた。

 が、それを邪魔するように騒ぐゾマンの言葉に思わず耳を傾けさせる言葉が飛び込んできた。


「貴様――! 好き勝手に暴れおって! 殺してやる!」

 

 目は充血し口の端から泡をたて、最大限の憎しみと怒りをその顔に貼り付けた精一杯の威嚇いかく

 ……しかし、この状態でどうやって殺すというのだろう。

 ふとそんなことを考えたが、瑣末さまつな事だと、がなり立てているゾマンを投げ捨てようとした時――。


「何が望みか⁈ 目的は何だ⁈」


 望み? 目的?

 不意にそんなことを口走る上半身だけのゾマンに興味を惹かれ、幾ばくか考えてみる。


「望み…… 私の望み…… 答えを知ること……」

 

 あやふやな、しかし、胸奥に秘めた本心を口にする。

 

「……何だと? 何を言っている? 殺すぞ!」

 

 どうやらこの『モノ』に聞いても、先ほどのトロールと同じことの繰り返し、無駄だと諦める。

 なので、もう一つの質問に答えた。

 

「……、目的……、目的なんか無い」

「なんだと⁈ 貴様、 どういう意味だ! まさか理由もなくこれだけの虐殺を……」

「……理由ならある…… あなた達の仲間が私を殺そうと襲ってきた……」

「なに?」

「襲ってきたトロールが言った…… なぶり殺しにきたと…… 自分より強い仲間がまだいるって」

「――なっ⁈」

 

 ゾマンは双眸を大きく見開き驚きのあまり絶句する。

 襲ってきたトロールとはグルの討伐部隊のことだろう。状況を考えれば、奴らが既に全滅しているということは確定した。

 

(……なるほど。襲われたから撃退し、その仲間全てを殺しに来たというわけか)

 

 しかし、今回の標的はエルフのはず。

 なぜ、こんな化け物がエルフの代わりに現れたのだ?

 

(グルの奴が…… 余計なことをしたのか?)

 

 確かに美しい外見はエルフにも引けを取らない、いやそれ以上か。

 しかし、エルフという種族は持たない頭に巻きつくように生えている角、逆に特徴的な長い耳もない。

 そこで初めて自分の頭を荷物の様に持っている魔物の正体に気がついた。

 

(……この外見、驚くべく強さ…… もしや……)


「なるほど、そういうことか…… 近年、王都を騒がせている破壊者とはお前のことのようだな」

「……」

「いい気になり暴れてるようだが、王都より討伐隊が出ていると聞く。今もお前を探しているに違いない!」

「……」

「ふははっ、生きている限り、どこまでも狙われるぞ! もうお前はっ――」


 グシャっと鈍い音が響きわたる。


 言葉を最後まで言わせないよう、左手で掴んでいたゾマンの頭部を握り潰すとそのまま投げ捨てた。

 この場にはもう言葉を話せる者はいなくなり、本当の静寂が訪れる。

 左手に付いたゾマンの血を振り払い、遠い空を見上げ深いため息を吐く。

 

「私を…… 狙う……か」


 憂鬱ゆううつな面持ちのデルグレーネに、新たな警鐘が鳴り響く。


「――――っ‼︎」

 

 発動していた探索魔法に強い反応が現れたのだ。

 まだ自分を狙う者達がいるというのか……。

 大した傷は負っていないが、大規模魔法を使用したことで大幅に魔素は消費していた。

 この状態での連戦は辛いが、このまま逃げてもいずれ追い付かれるだろう。

 降りかかる火の粉は自分で振り払うしかない……。

 デルグレーネは少しでも回復するために、この場に満ちた魔素を集めると次なる標的へ向け空に駆け昇った。

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