始まりの審判 5/ブランとカルバラ1

 王ヨルダートと会談の数日後、ブラン帰還の知らせを受けてカルバラは急いで彼の待つ作戦室へ向かっていた。

 確かに事の緊急性を考えれば急いだほうが良いが、小走りになる程のこともない。

 急いで見えたのは、カルバラが久しぶりに再会する幼馴染みを思うあまり自然と小走りになっていたからだ。

 作戦室へ最後の角を曲がろうとした時、これから伝える命令を思い出す。

 未知の力をもつであろうデルグレーネの討伐……。

 カルバラの胸中にあった形容し難い不安がその顔を見せると、ピタリと足を止めさせた。

 

(私は何をそんなに怖がっているのか……)

 

 石造りの薄暗い廊下で暫く佇むと不安を断ち切るように軽く頭を振り、宰相として自分がやるべきことを思い出す。

 先ほどまでの沈んだ表情をガラリと変えて最後の角を曲がると、ゆっくりとした足取りで扉の前に立つ衛兵へ目配せを送った。

 オークの衛兵はカルバラから視線を外し、扉へ振り向く事なく直立不動のまま部屋の主人へ来訪を伝える。

 

「宰相カルバラ様がお見えです」

「――ん、通せ」


 ブランの付き人である猿の獣人が内側から扉を開けてカルバラを室内へ出迎え入れると、自分はそのまま室外へ出て行った。

 元からカルバラが来たら席を外すように言いつけられていたのだろう。

 

 二日前に入った緊急の知らせにより、ブラン将軍はユーダリル王国第三の都市ラハティより精鋭を引き連れて急ぎ王都グルカへ戻っていた。

 通常では四日はかかる道程を一日半で完遂した。しかも皆、涼しい顔をして。

 ブランとその配下が機動力に優れ、如何にその能力が高いのかと改めて驚かされる。

 そうして早々と帰還を果たしたブランは、取る物も取り敢えず討伐隊の編成を行なっていた。

 将軍専用に誂えられた作戦室へ一人篭りながら。

 窓ひとつ無い遮音を施された堅牢な作りの部屋は、蝋燭ろうそくが至る所に灯され意外に明るい。

 そこへよく知る宰相が表情のない顔つきをしながら入ってきたのを横目で見遣みやる。


「ブラン将軍、急な事で申し訳ない。色々と忙しい……」

「よい! それよりも普通に話せ」


 分厚い木材で出来た十席ほどある大きめなテーブルに、東の国境付近の地図が広がっている。

 先行して渡した情報で、既に準備を始めているということかと、カルバラは感心した。

 その広げられた地図から顔をあげる事なく言葉を返す獅子の獣人に、カルバラはそれまでの取り繕った表情から親しい友人へ向ける笑顔となった。


「何か必要なものはあるか?」

 

 カルバラの問いに、今度は赤茶色ダークブラウンをした短髪の頭を上げる。


「色々あるぞ! しかしまあ…… 久しぶりだな!」

 

 頭髪と同じ色をした瞳を輝かせ、刀傷のある右目でウインクをする。

 ブランは悪戯を考えている子供の様な楽しげで意地悪な笑顔を見せた。


 椅子から立ち上がるとカルバラよりも三十センチほど高い目線から兄弟を慈しむ眼差しを向ける。

 二メートルほどの体を大きく伸ばし、百キロを有に超える巨体を揺らしながら、その大きな腕を広げて幼少からの幼馴染みを包み込むようにハグをした。


「一年ぶりか? 元気そうで何よりだ!」

「ああ、そうっ――」

 

 ブランのハグが強すぎて、カルバラは一瞬息が止まる。

 ブランの鍛え抜かれた広背筋が盛り上がった背中をバンバンと叩き、力を緩めるように訴える。


「苦し…… お前には俺が元気そうに見えるのか?」

「わはははは! ん? 確かに何時もよりは辛気臭い顔しいるな」

「全く……」


 カルバラはブランの背中を最後に勢いよく叩くと、彼の太い腕から逃れた。

 軽く笑いながらお互いの顔を柔らかい視線にて眺める。

 お互いにとって唯一無二の存在。

 約一年ぶりの再会は、カルバラにとって憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれた一陣の風のようである。

 このまま酒でも酌み交わしたい所だが、この国の宰相として先に問題を片付けようと気持ちを切り替える。


「さあ、冗談はこれくらいにして、問題を先に片付けよう」

 

 先ほどと打って変わり、真剣な眼差しにブランも大きく頷き答える。


「そうだな。さっさと先に片付けて、旨い酒を飲もうじゃないか」


 ブランも同じ考えだったことに、カルバラは軽く吹き出し、改めて幼なじみの絆を感じた。

 

    ◇


 二人は同じ村で生まれた。そこは三百名にも満たない数種の獣人が寄り集まった小さな寒村。

 犬・狼・狐などの犬系と猫・虎・獅子などの猫系が多いが、兎・狸・猿など別系統も親しく暮らしていた。

 比較的に生まれた時期が近かったので自然と一緒に遊び過ごす事が多く、親も仲が良かった為に兄弟のように育って行く。

 ほんの少し年上で体も大きいブラン。

 同年代の子に比べて体は小さいが、頭の良いカルバラ。

 二人は勇猛な戦士であるブランの父親からは武術を、博学なカルバラの父からは勉強を教わった。

 貧しいながらも幼少期をスクスクと育ち、少年と呼べる程に成長したころ、彼らの運命は変わってしまった。


 数百年前より農耕は行われており、それら第一次産業のおかげで村から街へ、そしてユーダリルは国へと発展してきた。

 しかし、元々が農業などに不向きな荒地が多いこの国では、少しの天候悪化が死活問題となる。

 ただでさえ厳しい生活の中で記録的な日照りが続き、絶望的な水不足が発生。

 川や沼地は干上がり、農作物だけではなく水場の無くなった動物たちも次々と息たえた。

 ユーダリルの歴史の中でも、三本の指に入るほどの大飢饉が生じた。

 国内は混乱し、食糧を求めて他の村との争いは日常的となり、騒乱の一途を辿る。

 遂には同族喰らいなど凄惨な事件が起き始めた最中、食い詰めて流れてきた魔物の集団にカルバラたちの村は蹂躙じゅうりんされたのだ。

 トロール、ゴブリン、ナーガなど…… 多様な種族の一団。その中には同族の獣人の姿もあった。


 村の者が寝静まっていた深夜、突如として火の手が上がった。

 状況がわからず混乱している大人たちは、雪崩れ込むように村へ侵入した襲撃者を目にして、初めて自分たちの村が襲われていることを知った。

 勿論、村の警備団もあるのだが、雨の降る深夜に襲撃を受けたため対応しきれなかった。

 獣人が他の種族より優れている長所、鋭敏な耳と嗅覚を降り頻る雨でかき消されていたのだ。

 綿密に計画された襲撃。

 突然の事態に武器を手にすることも出来ず、なす術なく蹂躙される村人達。

 そこには大人も子供も関係なく、平等に理不尽な死を与えられるだけであった。

 特に獣人の子供は、大人よりも格好の標的となる。

 なぜなら彼らは極限まで飢えた者共にとって、大変上等な食料となるから。

 幼かった二人も同じ運命を辿るかと思われたが――。

 

「ブランとカルバラを頼んだぞ――」

「私たちが時間を作る! あとで必ず追いつくよ」


 ブランの父とカルバラの父が、それぞれの子供を胸に抱える妻へ告げた。

 彼らは襲い来る敵の目から身を隠しながら逃げていたが。あと少し…… ほんの僅かな距離。

 村に数個隠された森への抜け道まで後少しという所で発見されてしまったのだ。

 

 獣人の村特有の抜け穴は、切り立った大岩の割れ目に隠れるように小さな入り口を見せている。

 カルバラとブランの父たちは、その前に立ち塞がり目の前の敵を睨みつける。

 背には愛する妻と息子たち。

 彼らは勇敢にも素手で武器を持つトロールへ立ち向かうが、残念ながらその数が多すぎた。

 下びた笑いを浮かべながら、一つの波のように襲いくる。

 個の能力は、獣人の方がゴブリンやナーガなどより上であるが、如何せん多勢に無勢。

 全ての襲撃者を抑えることは不可能であった。

 彼らの横をすり抜け、ゴブリンたちがカルバラたちへその欲望に満ちた手を伸ばす。

 しかし、ブランの母が己の身を盾にして、その手を阻んだ。


「子供たちには手を出させない!」

 

 カルバラの母は二人の子供の背中を押し、逃げるように大声で告げる。

 

「カルバラ! ブラン! 走りなさい!」


 二人の母親は、子供に襲いかかるゴブリンたちへ必死にしがみつく。

 彼女たちも獣人である為、ゴブリン数体を抑えるだけの力は持っていた。

 しかし、ゴブリンたちは手にした短剣を彼女らへ突き立てる。

 

(このままじゃ…… っ〜〜〜〜〜〜⁈)

 

 カルバラの母は、抜け道の入り口に備蓄されている油を自分に剣を突き立てているゴブリンへぶち撒けた。

 彼女の行動をいち早く理解したブランの母も同様に油を浴びると、ゴブリンが手にしていた松明を奪い、自分たちもろとも火をつけた。

 ――壮絶なる母親の覚悟。

 燃え盛る炎が壁となり、子供たちへの道が阻まれる。


 泣きながら固まっている我が子へ向かい、絶叫するように叫ぶ!

 

「カルバラ! 頭の良いお前なら分かるはずよ。今すべきことを! 振り返らず走りなさい!」

「ブラン! カルバラを守ってあげて。二人で仲良く…… 早く行って――‼︎」

 

 カルバラとブランは母たちの絶叫に飛び上がるように驚くが、その剣幕に押され震える足を必死に動かす。

 二人はがむしゃらに走った。

 母の言いつけを守り、決して後ろを振り返らないように。

 涙で前が見えなくて何度も転んだ。

 カルバラはブランに、ブランはカルバラに引き起こされ、『走れ!』と怒鳴られる。止まったら心が折れるのを分かっているから。

 だから二人は、遮二無二ひた走り続けた――――。


 そうして幸運にも彼ら二人は襲撃者共から逃げることに成功した。

 父母が己の命を犠牲にして生かしてくれたから。

 だが、彼らを待ち受けていたのは更なる地獄……。

 二人きりで生活をするには、あまりにも幼すぎた。

 この厳しい世界で生き抜くに十分な力を持っていなかったのである。

 碌に狩りの仕方も分からず、口にできる食べ物の選別もできず。

 腹を空かした野生動物に襲われ、毒のある植物を口にし生命の危機に陥る。

 しかし二人は、そんな過酷な日々にも屈することなく、地面を這い泥水をすすって必死で生き抜いた。

 逃げ出したあの日を片時も忘れることができなかったから……。

 

 ――二度とあんな思いはごめんだ!

 

 強くなる為、勝つ為の努力をひたすらに続け、幾度となく死線を潜り抜ける。

 旅を続けながら休むことなく襲い来る者たちを退け、その度に力を得た。

 そうして二人は何者にも屈することのない豪腕と、何者にも負けない知力を身につけて、周囲にその名を知られる存在となって行く。

 カルバラとブランは各々の能力をよく理解し、足りない部分を補うあえる最高のコンビネーションを身につけて、周辺の名だたる魔物達を飲み込んで行くのであった。

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