始まりの審判 4/カルバラの不安
「宰相カルバラ様。ご到着でございます」
ヨルダードの待つ執務室内へ、廊下にいる衛兵のカルバラ到着を知らせる声が響いた。
ややあって扉が室内から開かれる。
身長百八十センチほどのカルバラ二人分以上の高さがある木製の大扉を侍女が押し開く。
非力であろう兎の獣人女性が押し開くには重く、現に腕はプルプルと震えているが、その顔は涼しげであった。
扉を開け放つと横に避けてカルバラへ優雅に腰を折る。
カルバラたちの活躍のお陰で彼女たち獣人一族の地位も上がり、ついには王の身の回りの世話という大役も任されるようになっていた。
侍女としての仕事を全うしようとする彼女へ、カルバラは双眸を弓形に細め小声で労いの言葉をかけてから入室する。
同胞の、そして何よりカルバラからの声かけに思わず頬を緩めてしまう。
侍女は緩んだ顔を見せないように礼の姿勢を崩す事なく室外へ出て扉を閉めたのであった。
「ヨルダード様。カルバラ、仰せによりただいま
「ああ、よく来てくれた…… 顔を上げよ」
カルバラは恭しく臣下の礼をする。顔を上げた視線の先には、カルバラの顔より遥かに大きな靴底が見えた。
横幅五メートルを超える巨大な執務机。
この城で一番大きく豪奢な机の上にヨルダードは足を投げ出し、仰け反りながら天井を眺めていた。
視線を上方へ固定したまま掌を合わせて、指をピョコピョコと組み直している。
この癖は、ヨルダードが何かを思案している時に出る。
それを知っているカルバラは、その指が止まるのを静かに待った。
「……報告は聞いたか?」
やがて組んでいる指をピタリと止めて、カルバラへ問いかける。
未だ視線は天井を見たままである。
「はい。聞き及んでおります。『破壊者・デルグレーネ』の件ですね。……ああ、それと王の逆鱗に触れた不届き者、ギブ軍事補佐官の件も」
天井に向けていた視線をカルバラへ移し、その双眸でギロりと睨みを光らせる。
黒い眼底から赤い瞳がカルバラを射抜くが、受けた本人がケロっとした表情をしているのを見ると、口の端を持ち上げて鼻で笑った。
カルバラの皮肉に威圧を持って対抗したのだが、全く意にも介さない態度に頼もしさを感じて思わず笑う。
机の上に上げていた足を降ろして玉座へ座り直すと、苦々しい笑顔で首を振るった。
「……ギブの件はもうよい。誰か適任の者を選出してくれ」
「はい。承知しました。すぐに手配をします」
軽く頭を下げて了解の意を表すと、本題へ切り込む。
「では、今回のお呼びは『破壊者・デルグレーネ』への対応ということですね」
「そうだ…… 先ずはこの報告書を見てくれ」
数枚に束ねられた羊皮紙をカルバラの前まで卓上を滑らせる。
カルバラは執務机に歩み寄ると、一礼をして羊皮紙を手に取り書かれた文字へ目を走らせた。
数分の後、読み終えたカルバラは机に資料をトントンと落として端を揃えると向きを回転させてヨルダードの前へ戻した。
「私も噂に聞いていましたが…… かなり被害が出ていますね」
玉座の背もたれから体を起こして、卓上に肘をつきその指を組む。
両手の親指で目頭を押さえ、頭の痛い問題だと暗に伝える。
「ああ…… もう見過ごせぬところまで来ている。当初は小娘が起こした矮小な事件と、適当に処理を任せたのが間違いであった。だが……、今更だな」
ヨルダードは、自分の非を認めるように苦笑をする。
配下の者には決して見せない姿を、カルバラには恥ずかしげもなく見せるのは信頼ゆえのこと。
カルバラはただ黙って次の言葉を待つ。
「……それを見て
ヨルダードの後悔の念と解決への期待を感じて、もう一度資料へ視線を落とした。
右手の指先で顎の周りを撫でながら思考を加速する。
「どんどんと被害の規模が大きくなっている…… しかし、妙だな……」
「……妙とは?」
「はい。記録にある最初の事件から現在に至るまでの過程で…… 納得がいかないというか……」
「なんだ? 知将カルバラも説明できんか?」
軽口を言うヨルダートに乾いた苦笑いで答える。
カルバラ自身思うところはあっても、素直に口に出すのを戸惑っていた。
先ほどまとめた資料を卓上にてもう一度バラして、お互いに見える位置へ置く。
「この辺の記録なんですが、ゴブリンやコボルトなど比較的に戦闘力が弱い者たちと交戦していますよね」
「ああ、その様だな」
「この戦いの中でデルグレーネも深傷を負っていたと、生き残った者たちの証言があります。葬った死体より『魔素』を喰う。それに恐れをなして逃げ帰ったと」
「…………」
「次にナーガ数十体とゴブリンたち。これもかなり傷を負わせたと書いてあります。その次に派兵されたリザードマンの中隊…… 同じようにデルグレーネの辛勝と言ったところですね」
「……何がいいたい?」
ヨルダートも薄々は感じていた事実。
それを認めたくはなかった、その言葉がカルバラの口から溢れた。
「ゴブリンごときに深傷を負わされるような者が、訓練をしたリザードマンの兵たちに勝てるはずがないんですよ。この短期間の間で。まして兵の数は格段に多くなっているというのに…… 奴は、デルグレーネは
大きな溜息を吐いて玉座の豪壮な背もたれへ倒れるように体を預ける。
ヨルダード用として頑丈に作られた玉座も、その勢いに少しばかりの悲鳴をあげた。
「やはり其方もそう思うか……」
「はい。しかも、この短期間にこの成長度合いは信じられません。悪い冗談のようですよ」
「……信じたくはなかったが、魔人ということか……」
この〈魔世界/デーモニア〉では魔物の種類が大まかに三つに分かれる。
多種族との会話が成立し、子孫を残し命を繋いでいく者たち。いわば亜人種。オーガのヨルダードや獣人のカルバラのような者たち。
多種族との会話が成立せず、子孫を残し命を繋いでいく者たち。獣系や虫系の魔獣、そしてトレントに代表される植物系の魔物など。
そして最後の一つが、突然として世界に生み出される、いわば
それらは魔素だまりや高濃度の魔素から生まれ、通常は微弱な存在である。
しかし突然変異をして特異な力を得る個体や、他の魔物に取り憑き大きな力を持つ者もいる。
知能の欠片もなく本能だけで行動する者から、亜人種より知能の高い者も存在する。
形態も様々で、形容し難い容姿は怪物と呼ばれ、取り憑いた魔物の特徴を持つものが多い。
人型は極めて少なく、その大抵は恐るべき力と高い知能を併せ持つ魔人となる。
その力は『厄災』として各地で伝説が残っていた。
「このまま成長を続けさせては、やがてこの国に大きな禍として降りかかるでしょう。圧倒的な力を持って対処すべきです。まだ手が届く今のうちに……」
卓上に両手を置き、やや前のめりになりながらカルバラはヨルダードへ願い出る。
ヨルダードものそりと状態を起こし、カルバラへ顔を近づけた。
「……誰を向わせる?」
「……ブラン将軍を」
「ブランだと!? 小娘一人の討伐に、この国最高の戦力を出せというのか?」
「はい…… 姿は関係ありません。この国へ『厄災』をもたらす強力な魔人として対処します」
カルバラの冷酷で鋭い眼差しに、既に頭の中では戦いが始まっているのだと感じて、ヨルダードはその願いを了承する。
「分かった…… ブラン将軍にデルグレーネ討伐を命じる。カルバラ、
「はは! 承知いたしました。必ずや吉報をお持ちいたしま――」
大きく腰を折った視線の先、執務机の上には別の羊皮紙が置かれていた。
王への報告のために置かれた書類であるが、それ自体は珍しくもない。
しかし、カルバラは羊皮紙に書かれている文字に胸騒ぎを覚え、視線がその箇所で固まる。
「失礼…… ヨルダード様。こちらの資料ですが……」
重ねてあった書類を手に取り、許可も得ずに中を読む。
ヨルダードもその行動に無礼などと思わず、むしろその資料の補足をする。
「ああ、それは新しく占領した土地のエルフ族の件だ。
「……はい。東方の森に生きる一族ですね。我が国へ従属の意思が見えず抵抗を続けたので、王命により首領の首を刎ねたと報告を聞いています」
ヨルダードへ視線を合わせて、そこまでは知っていると告げる。
「誰の支配も受けないなど、散々馬鹿なことを言いおったのでな。力も無いくせに随分と思い上がったものよ」
嗜虐的な笑みを浮かべてヨルダードは言い放った。
それに賛同の意を示しながらも、自身の過去を顧みつつ答える。
「ええ、力無き者の声には救いなどありません。服従するか…… 己が強者になるしかない」
カルバラの自虐的な物言いに思わず苦笑して、先を促す。
「しかし、その後のことは聞いておりませんでしたが……」
ああ…… とヨルダードは呆れた表情で溜息をつき、面白くなさそうに自分の指先をいじる。
「首領を殺されて大人しくなったと思いきや、新たな首領が一族を率いて逃げ出しおった。奴らが崇めている神聖な場所だとかに立てこもり、未だ従属を拒んでいるらしい」
「…………」
「儂に従えぬのなら殺すまでよ…… 既にゾマンに命じて討伐へ向かわせたわ。それに書いてある通りだ」
ヨルダードの判断とその後の指示に反論する気はない。
国を統治していくためにはカルバラ自身、特例を許さず厳しい処分を下す必要があると考える。
討伐へ向かわせたゾマンもトロール族の戦士長であり、部隊の戦闘力を考えればエルフ族に遅れを取ることはまず有り得ない。
彼らは抜かりなく命令を完遂することだろう。
しかし、ゾマンたちの強さがあるが故に、カルバラは『ある危機感』を感じていた。
「なるほど…… 経緯はわかりましたが……」
灰色がかった紺色の瞳を閉じて眉間に深いシワを寄せる。
鼓動を早めるような危惧を表情に出すと、ヨルダードが訝しげに尋ねた。
「……何か気がかりなことでもあるのか?」
深呼吸をするように大きく息を吸い込むと、灰紺の瞳を大きく見開き頷いた。
漠然としていた胸騒ぎは、カルバラの中で一つの可能性として明確なものとなる。
それは幾つもあるシナリオの中でも最悪なものであった。
「エルフ族の逃げ隠れた場所がこちらですが……」
卓上にあったペンを手に取るとインクを浸して、羊皮紙の地図を広げて印をつける。
「そして、デルグレーネの交戦記録がこちらです」
一つ、二つ、三つと印をつけていき、最後に交戦した箇所へ一際大きく印をつける。
「むぅ……」
地図を見て唸りを上げるヨルダード。
「これは一つの可能性ですが……」
前置きをしつつ、地図をペンの尻でなぞりながらカルバラは続ける。
「デルグレーネは交戦のたびに、その寝ぐらを移動させています。まるで逃げるように…… 当初は村などにも近づいていますが、ここ数回は他者をまるで避けるように移動しています。そして最後のこの地点…… ここから身を隠すように移動する方向を考えると……」
カルバラはペンを反転してデルグレーネの交戦地点を線で結ぶと、その先に矢印を作る。
「討伐に出向いたゾマンたちの部隊とぶつかる可能性があります……」
作られた矢印の先…… そこは村落から離れた山奥、エルフ族の崇める神聖な場所。
現在、ゾマンたち討伐部隊が目指している場所であった。
ヨルダードは獣のように低い唸り声を上げ、地図を凝視していた双眸をその手で覆い隠す。
そんな窮した態度の王へ、カルバラは更に推測を追加する。
「どうもデルグレーネは敵意のない亜人種とは共存できるようです。彼女が村人を殺めたという記録はありません。もしエルフ族と
最悪の状況を思い浮かべたヨルダードの額に汗が流れる。
それはカルバラも同様であった。
先ほどから冷や汗が背中を伝って、太くふさふさとした尻尾の根元まで落ちてきていた。
「……どれほどの確率で居ると予測する?」
「……六十、いや七十%以上……」
「森は広い。居たとしても会敵しないのでは?」
「我々は何度も討伐部隊を送っています。近くで騒ぎが起きれば、自分を討伐しにきたと勘違いして応戦するでしょう」
「もし、仮に、奴がゾマンらを喰らったとしたら……」
「
暫し続く沈黙。
二人の呼吸音のみ広い執務室に響く。
多くの可能性を考え、また別のことを考えてみるが、その隙間から考えたくないことが這い出して二人を悩ます。
壁に掛かる金属製の鏡には、妄想に不安を煽られて青い顔をしたカルバラの横顔が写っていた。
「……ブラン将軍には現在の危機的情報をありのまま伝えろ。敵は一人だ。大軍を連れて行っても逆に不利となる。選抜して討伐部隊を編成しろ。儂の親衛部隊、騎乗するためのワイバーンの使用も許可する」
「はっ! 承知しました。直ちにブラン将軍へ討伐の命を伝えます」
一礼すると早足で扉へ向かい、自分の手で扉を押し開き執務室を後にする。
いつもの様子とつがうカルバラに扉の外で待機していた侍女が目を丸くして驚いたが、カルバラの周囲に纏わり付くひり付いた緊張感で察した。
重大なことが起きているのだと。
ヨルダードはカルバラが退室をした扉を眺めていた。
遠ざかる足音が消えてから暫くして、突如カッと見開いた瞳に鋭い殺気が宿る。
「うがぁあああ――――⁈」
聞く者が身震いをするだろう叫び声を上げ、右の拳を勢いよく執務机に叩きつけると城が文字通り揺れた。
ヨルダードの憤りをぶつけられた天板は足元を揺らす衝撃と轟音を残して、無残にも砕けた。
「小娘が‼︎…… 儂の前に立ちはだかるというのなら、踏み潰してくれるわ‼︎」
美しく磨き上げられていた天板に無数のヒビを走らせ、怒りに染まったヨルダードの顔を蜻蛉の複眼のように数多映し出している。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます