始まりの審判 3/王の激怒

「何だと……? もう一度申してみよ……」


 王であるヨルダードの低く怒気をはらんだ一声が発せられる。

 〈魔世界/デーモニア〉ユーダリル王国の王都グルカ。城下を見下ろす一番の高台に硬質な岩で築かれた古き王城の一室。

 忙しく政務をこなしている多くの者たちの喧騒と熱意で満たされていた職務室に突如として緊張が走り静寂に包まれた。

 二十人ほどが職務をこなすこの部屋は、王への報告のため最奥に玉座が設けられている。

 ある者は動きを止め、ある者はゴクリと唾を飲み込むと玉座の方向へ恐る恐る覗き見た。


「はっ、はい! さ、さきほど入った、ほっほ報告によりますと――」


 玉座に座り報告を聞くヨルダードの前では、軍事補佐官であるオークが大きな体を丸めるように一際縮こまらせて、額から大量の汗を吹き出していた。

 手に持つ報告事項が書かれている羊皮紙はガタガタと震え、あまりの緊張の為か口がうまく回らないようだ。

 辿々たどたどしく報告の内容が語られると、政務室にいる同僚たちは徐々に沈んだ表情へ変わっていく。

 そして必死に報告をしている軍事補佐官へ哀れみと同情の眼差しを向けるのであった。

 これから起こるであろうことを事前に察知して、何人かは部屋の外へ出て行った。


 玉座の肘掛けに体を預け、突き出した脚を組み仰反るような姿勢で報告を聞いていたヨルダードが、組んでいた脚を解き立ち上がった。

 人間の大人が三人横並びに座れるほどの幅がある玉座を普通の椅子のように腰掛けるヨルダードの体躯は当たり前のように大きい。

 身長は三メートルを超え、歴戦の戦いをその身一つで超えてきた男の肉体は鋼のように硬く、薄衣の下から分厚く隆起している。

 オーガ種の中でも特異な進化を遂げ、身体能力以上に高い知能を有するヨルダードは名実ともに『オーガ・ロード』であった。

 玉座から三段ある階段を降りると、軍事補佐官に覆いかぶさるように目の前で顔を覗き込む。

 二メートルにも届かない身長の軍事補佐官は首を限界まで後ろへ反らす。

 軍事補佐官のオークは双眸は大きく見開かれ、目端には涙が溜まっていた。

 

「あっああ…… あの……」


 喘ぐような軍事補佐官へ、腰を折るようにしてその浅黒く頭髪の無い顔を近づける。

 両目の上下には目と同じ幅の刺青が縦に入っており、本物の双眸の下に二つセットで偽の瞳が描かれている為、一見すると六つの瞳を持つ魔人のように見えた。

 黒い眼底の中でドス黒い赤みを帯びた本物の瞳が軍事補佐官をギロリと睨む。


「どうした? 報告を続けないのか?」

「はっははい、た、ただいま。こ、こ、この度もデルグレーネに向けて部隊を送りましたが、ヤツは部隊を壊滅させて、そ、そのまま消えたとのこと……」

「…………」

「げ、げんざ、現在は総力を上げてデルグレーネの居場所を――」


 報告を続けようとした軍事補佐官の肩に、その巨大で分厚い掌を置くとゆっくりと首を振る。


「なるほど、分かった。もう良いぞ。……んー、そう。ギブ。其方の名前はギブ補佐官であったな?」


 名前を呼ばれた軍事補佐官のギブは余りのことに驚き、最敬礼をしようとしたが肩を掴まれ動けないので見上げていた顔だけ首が折れそうなほど下げた。


「まっ、まさか、私奴の名前などを覚えていただけているなど、光栄の極みでございます!」


 うんうんと頷くヨルダード。

 

「何故、儂がギブ、其方の名前を覚えているか分かるかの?」

「は、はい。それは……」


 話しながらギブの両肩に置いているヨルダードの両手にだんだんと力が入る。


「それはの…… 其方が毎回同じ話ばかりするからよ。前回も『破壊者・デルグレーネ』の拿捕もしくはその首を約束をしておったよな?」

「はっ―― ちょっ⁈ ……苦し――」


 ヨルダードの上腕の筋肉は血管が浮き出すほど膨張し、ギブの身体を万力のように左右から挟み込む。

 逃れる術のないギブの身体からは、悲鳴にも似たミシミシと骨の軋む音が聞こえる。

 

「何度同じ失敗を儂に聞かせるのだ⁈ この無能が‼︎」

「――ヒィ、ピギャァアアアアアアアア――⁈」


 風船が割れるような乾いた音とともにギブの上半身はヨルダードの両手に挟まれて薄く押しつぶされた。

 ビタビタと掌の中から血が溢れ出るのを険しく見つめ、すり潰すように掌を揉んだ後、投げるようにギブだった物体を捨てる。


「……ふん、汚れてしまったではないか」

「――こ、こちらを――」


 すぐさま後ろに控えていた兎の獣人である侍女が駆け寄ると、ガタガタと震える手でヨルダードの血濡れて巨大な掌を必死で吹き上げる。

 拭き取られた手を満足そうに一瞥すると、返り血をしこたま浴びてしまった薄衣を脱ぎ次女に投げ渡した。

「ヒッ!」と小さな叫び声を上げながら、大量の血を吸って重くなったヨルダードの衣を侍女は落とすまいと必死に抱き抱える。

 静まり返った職務室の中で、他の者を気にすることもなく扉の前まで歩を進め、何かを思い出したように立ち止まった。


「……宰相のカルバラを儂の執務室へ呼べ」

「――はっ!」

 

 扉の横で硬直しているオークの衛兵に告げると、目の前で起きた凄惨な処刑に未だ震える侍女を引き連れて自室へ戻っていった。


    ◇


 北西を険しい山脈に囲まれ、東には広大な荒れた平原が広がり、南には海に面したユーダリル王国。

 〈魔世界/デーモニア〉の中では小さい規模の国ではあるが、近年その領地を拡大している。

 十三年前にヨルダードが前王からその地位を奪い、その力で近隣の村や小国を征服を続けていた。

 

 ヨルダードは、非情で冷酷ではあるが、この時代の魔界では珍しく政治的手腕も手管に長けており、多くの魔物を傘下へ治めることに成功している。

 絶対的強者として君臨し、反逆する者を皆殺しにすれば恐怖で支配できるかもしれない。

 しかしヨルダードは、自身が見込んだ強者たちを殺す事なく死の寸前まで追い詰める。そこで力の差を絶望をみせつけ心を折るのだ。

 心が折れれば簡単だ。希望。つまり生きることの許しを与えてやれば従属に到る。

 それが従順な従属か、復讐を心に秘めた、いずれ叛旗はんきを翻すための従属かは別ではあるが……。

 

 力無き反逆者には問答無用で死を与えるか一生奴隷として一族郎党を扱い、逆らうことの愚を同等の力無き者たちへ知らしめる。

 見せ付けるように処刑をするのも従属させるためのパフォーマンスとし、ヨルダードへ逆らう事の恐怖心を植え付け、その統治を盤石のものとする。

 逆らえば殺され、従順に仕えていれば守られる安心感を植え付けているのだ。

 こうして弱き反逆者には死か一生奴隷としての生を、強き反逆者には死か従順を選択させてその力を取り込んだ。

 ヨルダードの統治に最初から従順に従う者も雪だるま式に増え、国としての発展を加速させることとなっていた。

 

 宰相カルバラもまた、ヨルダードの力に屈服し配下となった者であった。

 そのカルバラはというと、玉座のある職務室とは別の部屋にて次の進攻先の調査結果と兵站のために街道の整備計画を獣人の部下三名と机の上に広げた地図を前に頭を悩ませていた。


「カルバラ様。やはりこの地点に物資を蓄積する拠点を作るべきではないでしょうか」


 部下の一人である鹿の獣人が地図の上に黒く輝く小さな石を置きながら上座を伺う。

 他の二人と同様に地図を睨み考え込んでいたカルバラがもうひとサイズ小さな石を摘むと自分の額に何度かこんこんと軽く打ち付けた。

 

「う〜ん、確かにそうしたい所だが…… 見通しが良すぎるな。早々に発見されてしまうだろう」

「……そうですなぁ」


 カルバラは思案のために双眸を瞑ると、濃紺ネイビーブルーの髪の中から綺麗な三角形をした狼特有の耳をぺたりと垂れさせる。

 彼もまた部下同様に獣人、狼の獣人であった。

 

 玉座のある職務室と比べると、この部屋は十分の一ほどの大きさであり、後二〜三人がこの部屋に入って来れば多少の息苦しさを感じるかもしれない。

 飾り気も何もない石造りの部屋には、一つだけポッカリと開いている窓からの日差しでテーブルの上は明るく照らされていたが、それを眺める面々の顔はどちらかといえば暗かった。

 四人の獣人が腕を組み、ウーンだとかアーだとか思案に駆られた唸り声を発する。

 ややあってカルバラは大きく頷くと、額に当てていた小石を地図の上に置いた。

 

「やはりこの川の手前、森の中に建築資材を持ち込むのが上策か……」

「しかし、それでも組み立てで時間がかかり、同じことでは……」


 カルバラの意見に異を唱えた羊の獣人に向かいニヤリと笑顔で返す。


「ああ、なので簡易的な作業場を森の中に作る。そこで仮組みをした部品を拠点に運び込んで一挙に組み立てるというのはどうだ?」

「おお…… なるほど!」

「流石です!」

「短期間で砦ができてしまえば、奴らもそう簡単に攻めてくる事もできますまい」

「うむ、私もそう思う。それに――」


 部下三人の称賛に気を良くして更にアイデアを付け加えようともう一つ小石を摘み上げた途端、カルバラは耳をピンとそばだてて、この部屋で唯一の入り口である鉄枠で補強された無骨な木製の扉へ視線を移した。

 カルバラが突然話を止めたことで訝しがる部下たちは顔を見合わせる。

 しかし、それはすぐに部屋の外側から聞こえる足音、扉を叩く音で解消された。カルバラが一早く訪問者の気配を感じていたことを三名の部下は悟ったのだ。


「何かあったのか? 入れ」


 まだ部屋の外にいる衛兵の息遣いを感じて、髪色に灰色が混じった色の瞳が細く鋭くなる。

 入室の許可を得て滑り込むように室内へ入った衛兵は、カルバラの刺すような視線にたじろぎながらも急いで王命を伝えた。

 

「ご無礼申し訳ありません! 宰相カルバラ様へ。王より執務室へ来られよとの命でございます」

 

 走って来たのであろう衛兵は呼吸を整えることもせず、肩で息をしながらカルバラへ王からの命令を伝える。

 およそ走ることが苦手そうなオークの衛兵ではあったが、顔に浮かべるぎこちない表情はそれだけではないことを告げていた。

 何か良くない事が起こった。そうカルバラは衛兵の顔から読み取っていた。

 

「……分かった。ご苦労。……しかし、この時間は職務室で政務をされていたと思うのだが」


 衛兵の緊張を解くようにやんわりと言葉を繋ぐ。


「ヨルダード王に何かあったのか?」


 先ほどまでの視線とは違う優しげな眼差しで衛兵の顔を覗き込む。

 その言葉に衛兵は思い出したようにガタガタと震えながらヨルダードがギブをその手で処刑したことを話した。


    ◇


 カルバラは部下三名との会議を切り上げ、ヨルダードの待つ執務室へ向かっていた。

 この王都に築かれた岩城へヨルダードと共に入城したのはもう十三年前になるのだなと、古く年月の経過を感じさせる岩造りの廊下を見渡しながら歩く。


(そろそろ改築……、いや新しく築城を考えなければならないかな…… そういえば入城の時からヨルダードは古いだの狭いだのと文句を言っていたな)


 ククッと喉を鳴らし思い出し笑いから更に思考は遡る。


(ブランと共にヨルダードへ仕えるようになり三十数年は経ったか…… 時の流れは早いものだ。……しかし我ながら稀有な運命だと笑ってしまうな)


 今でこそ王ヨルダードに次ぐ権力を持つ宰相の地位であるカルバラも、ヨルダードの力の前に屈服した者の一人であった。

 獅子の獣人であるブランと共に獣人の一族を率いていたところを、猛威を奮っていたヨルダードの軍勢とぶつかり、そして敗れた。

 カルバラの類稀たぐいまれなる知力を恐れ、そして高く評価したヨルダードは配下となることを強要した。

 しかし、従属より死を望むカルバラ。

 手を焼いたヨルダードは最終手段とも言える策を講じる。

 なかなか首を縦に振らないカルバラへ、一族の命と引き換えに従属を迫ったのであった。

 

 こうして配下となったカルバラだが、他の者たちのように恐怖に屈したわけではない。

 いつしかヨルダードの打倒を夢見ながら、甘んじて従属したのだ。

 戦闘能力を高く評価され、同じ手段で従属させられたブランと共に奥底に残る炎を隠して。

 しかし、獣人一族を待ち受けていたのは最底辺の扱いであった。

 新参者は肩身が狭いどころではない。

 食糧は碌に与えられず、子供たちは空腹で泣き、幼子は栄養失調で死んでしまう。

 生活拠点として与えられた土地は酷く不衛生で、疫病も蔓延しているそんな場所だった。

 カルバラは待遇の改善を叫び続けた。しかしその声が届くことはない。

 底辺に居る者の意見など取り合ってもらえない…… ならば上に行くだけ!

 カルバラはブランと共に同族の地位向上のため必死で働きに働いた。

 死の淵など何度も歩いた。

 そうして気がつけば…… 宰相の地位まで上り詰めていたのだ。


 いつの間にかヨルダードとの関係性も変化していた。

 苛烈な生存を賭けた戦争を共に乗り越えたことで、戦友・同胞としての絆も芽生えていった。

 何よりヨルダードの王としての器に感心させられ、いつしか尊敬の念を抱くようになった。

 カルバラたち一族を酷い扱いで迎え入れたのも、彼らの成長を促すためだったのかもしれない。

 非情な方法ではあるが、今となればカルバラもブランも当時のことは納得していた。

 方やヨルダードも腹心としてカルバラへ全幅の信頼を置くようになっていた。


(しかしヨルダードも相変わらずだな。まあ、効果的ではあるのだが…… 後処理をするこちらのことも考えて欲しいものだ)


 いつの間にかヨルダードの執務室前まで来ていたカルバラは、思考を切り替える。

 背筋を少し伸ばし、扉の横にいる衛兵へ目で合図を送った。

 衛兵は正面を向いたまま手にした槍で軽く地面叩いて、カルバラ到着の報を部屋の主人へ少し大きめの声にて伝える。


「宰相カルバラ様。ご到着でございます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る