無い蘇生

低田出なお

無い蘇生

「もう一度、亡くなった奥様に会いたくはありませんか」

「はあ」

 僕は独身です。そう伝えられないまま、もう30分が経ってしまった。厳かな雰囲気で話を進める初老の男性は、僕が結婚はおろか、恋人がいた経験すら無いことなど知ったことかとしゃべり続けている。

「受け入れて頂くために必要な事は、とってもシンプルなんですよ。先ほど説明したように、墓石をほんの少しだけ削り、それを奥様のお茶碗に入れて納めるだけです。納める場所は室他場むろたばという場所で……」

「はあ」

 いつの間にか手順の話に移行している。先ほどから相槌くらいしか反応していないのに、ここまで相手を顧みずに話せるのはもはや才能と言って良いくらいだ。きっと強引な勧誘が、彼の天職なのだろう。

 長く続いた話を終えると、男性は注文していたアイスコーヒーに口を付ける。グラスの氷が小気味の良い音を立てた。

「あの」

「なんでしょう」

「なんで、自分にそんな話をするんですか?」

 なぜ自分なのか。誰かから既婚者だと教えてもらったのか。なぜ自分の名前を知っていたのか。心からの疑問だった。

「ふっ」

 男性はにこやかに笑いかけてくる。空になったグラスをコースターへ置き、足元の鞄を膝の上で開いた。

「佐伯さん、あなたには、もう一度幸せを味わう権利がある。ただそれだけの事ですよ」

 すでに僕が幸せを失った前提で、曖昧な事を言いながら鞄から財布を手に取る。そして、綺麗な五千円札を取り出すと、伝票立ての側にそっと置いた。

「応援しています。良い知らせを願っていますよ」

「え、ちょっとお金は」

「私が一方的に声を掛けて、一方的にお話ししただけですから。これくらいはお気になさらないでください。それでは」

「いやそういうわけには」

 そのまま立ち上がり、店を出ていく背中は、喫茶店の扉のベルを鳴らしながら外へ出ていく。その音を聞いた店員が、間延びした事務的な挨拶をした。

 追いかけようかとも思ったが、テーブルの上にはメニューのレタリングに釣られて注文したオムレツトーストが、まだ湯気を立てている。

 少し悩んだ後、浮かせた腰を下ろし、トーストに手を伸ばした。











 背の低いビルに囲まれた景色を、ぼんやりと歩きながら考える。

 彼はどうして僕に話しかけてきたのか、考えてみても心当たりはなかった。冴木という僕の名前を知っていたし、何か調べたのだろうが、だとしたら家族構成もちゃんと調べてからにしろと言いたくなる。

 疑問の他に、小さな興味もあった。彼が儀式と言っていた部分だ。

 男性の話は概ね出まかせだろう。所謂、宗教勧誘というやつだ。しかし、その手順は神に祈れだとか、金銭を支払えといった、安易に想像できるようなインチキ宗教とは少し違っていたように感じる。

 茶碗を特定の場所へ納めろ、なんて、どちらかと言えばホラーゲームのギミックのようだ。

 もっと言えば、少し民俗学的な側面も感じた。スマートフォンをスクロールしてみても、男性の話していた手順や単語は地名以外該当しない。それがまるで失われた文化的行事なのではないか、と好奇心をくすぐる要因だった。

「試しに、やってみようか」

 普段なら決して思い浮かばないような選択肢が頭に浮かぶ。でも、せっかくの土日だし、こういうのもたまにはいいだろう。加えて、さっき五千円を支払われてしまったことによる申し訳なさも、僕の小さな好奇心を後押しした。

 だが、いざやるとなると自分には用意できないものがとても多い。蘇らせる妻もいなければ、その妻にまつわる儀式に必要なものが全て存在しない。どうしたものか。

「それっぽいものでいいか、別に」

 無いものは仕方ない。あるもので代替しよう。赤信号に捕まった時間を使い、片目を瞑って唸る。何かないだろうか。

「あ」

 信号が青くなる。周りの動きに少し遅れて歩き出した。

 頭に浮かんだのは金魚だ。中学の頃、縁日の金魚すくいでもらった三匹の金魚の墓だ。

 恐らく水道水で満たしたバケツに移したのが良くなかったのだろう。翌日になった時には、すでに全ての金魚は息絶えていた。やってしまった、準備もしていないのに金魚すくいなんてしなければよかった、などと考えながら、庭の隅に埋めたのを覚えている。

 その時に、そばにあった石ころを盛った土の上に置いた気がする。一応墓ではあるし、あの中に一匹くらいメスの金魚がいたかもしれない。

 よし、これでいこう。

 次は茶碗だ。こちらに関してはもう目途が立ててある。高校の頃にハマったアニメの茶碗だ。当時はもったいないと使わず、二十代半ばとなった今では使う気になれない。一度フリマアプリで売りに出そうかとも思ったが、相場をみても良くて五百円程度。売りに出す手間と天秤にかけて、僕は放置を選択した。

 あれには女性キャラクターもプリントされていたはずだし、今はもう使っていない茶碗として考えれば問題はないだろう。

 あとは何だったか、こめかみを掻きながら目を細める。こうなるのなら、もっとしっかり聞いておけばよかったなと後悔する。

 ハナから無益だと分かっている思考を回すのは、案外楽しい。そんな発見をしながら帰路の歩幅を広げた。






 



「まじか、本当にある」

 薄暗い祠には男性の言っていた通り、「室他場」と書かれた小さな木製の看板が取り付けられている。その手前には何かを掘り返したように穴が掘られ、周囲に土手が出来ていた。

「……なんか、不安になって来たな」

 軽い気持ちで始めた儀式だったが、想像以上に雰囲気がある。まるで本当にとんでもないことが起こりそうな、そんな雰囲気だ。

 もう帰りたくなってきたが、やらねばなるまい。早く済ませて帰ってしまおう。僕はリュックサックから、新聞紙で包んだ茶碗と石の破片が入ったチャック付きの袋を取り出した。小さな破片を新聞を剥いた茶碗に入れ、茶碗に油性ペンで自分の姓を書き込む。

 アーチの着いた表面だからか、それとも自分の手が震えているからか、書かれた冴木の文字はひどく歪んでいた。

 その茶碗を紺色のハンカチで包み、祠の前の穴に納める。

 その先は特に説明は無かった気がするが、とりあえず周囲の盛られている土を使って穴を塞いだ。

「ふぅ…」

 これでまたあの人に会える。そう思うと自然と息が漏れた。

「うん?」

 誰にだ?

 自然に浮かんだ考えに違和感を覚える。そもそもこれは妻に会う為の儀式だ。会う相手もいないのに、僕は何をしているのだ。

 なんで僕は休日に、こんな山奥で変な事をしているのだろう。儀式が終わってから少し冷静になってきた。

「まあ、なんでもいいか」

 帰ろう。早く。きっと、久しぶりに来たから疲れているんだ。頭をあまり回っていない気がする。

 もう時間は夕暮れ時。夜中の山を悠々自適に駆け抜けられるほど、自分の運転技術を過信はしていない。祠に背を向け、リュックサックを背負い直した。

 申し訳程度に舗装された道は、もう少しで自然に帰ってしまいそうだ。覚束ない足取りで、転ばないように下っていく。

 山を下り終えたころには、きれいなオレンジ色の光がちょうど正面から降り注いていた。ボンネットに反射した光が網膜に突き刺さるようである。

 車に乗り込んで扉を閉めると、車内にかすかに土の匂いが広がった。むっとするが、すぐに合点がいく。足元を見れば靴がかなり土で汚れていた。山を中腹までとはいえ、上り下りしたのだ。これだけ土まみれになるのも致し方ない。来週末に車と一緒にまとめて洗おう。

 エンジンをかける。ミラーを起こし、サイトブレーキを下ろす。アクセルを踏んだ。

「佐伯さん!」

「うおおう!?」

 慌ててブレーキを踏みこんだ。突然すぐそばのフロントガラスに人がぶつかってきたのだ。反射的に窓から身を捩る。

 ぶつかって来たのは、あの日儀式を教えてくれた男性だった。彼はドンドンと容赦なくガラスを叩いた。

「あなた、一体何したん々K#か!」

「ちょ、ちょっと、なに!? なに?」

 ガラス越しのくぐもった声で怒鳴りつけられて混乱する。彼の発する言葉は要領を得ないもので、とにかくこちらを糾弾していることだけは分かった。

「お、落ち着いて下さい、落ち着い」

「あな#!たのQの#)ほ!”??」

 狂乱、というのが適切だった。あの喫茶店でのどこか達観したかのような余裕はなく、言葉にならない言葉で僕に言いようのない恐怖を与えてくる。思わず目を瞑った。

 もう発進するしかない。頭の逃げるための思考が、そう指令を出す。しかし、それでもし恩人である彼に怪我でもさせてしまっては……。

「Iの%’#(9「おはよう」が」

 ふと、殴打が止んだ。ぴたりと、今までの出来事が嘘であったかのようにだ。

 恐る恐る、窓の方をみる。こちらを覗いていた男性はいなくなっていた。

「え?」

 周囲を窓から見渡す。辺りに人の気配は無く、さっきまでの怒鳴り声など無かったかのように静まり返っている。

 放心のあと、ここから一刻も早く離れなければならない、と思い立つ。

 アクセルを思い切り踏む。ぐんと体がシートに強く押さえつけられる感覚に襲われ、歯を食いしばった。

「おはよう」

 車内から声が聞こえた。





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無い蘇生 低田出なお @KiyositaRoretu

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