プロローグ 後編

 16歳になった。

 脱出計画決行まで残すこと一年と一か月だ。

 この3年の間、先生は特に大きなアクションを起こしていない。いつも通りだった。

 一方、俺たちは着々と準備を進めた。

 外で10日間は食いつなげるぐらいの保存食を袋に詰め、岩山に空いた洞穴に隠してある。パライヤの実で造った毒薬も十二分に貯蔵した。

 もちろん戦闘能力も上がっている。特に俺とクレインとカナリアの3人はかなり成長した。技術も、そして体も。3年という月日で3人の背丈は平均して10cmは伸びた。成長期というやつだな。


 順調と言えるだろう。


 あと残った難題は魔導船の操作。ワッグテールはこの辺りで一度、試運転してみたいらしい。

まだあの地下空洞には足を運んでいない。一番危険が多いからだ。あそこに入ったことがバレれば……俺たちが何をしようとしているか芋づる式にすべてバレる可能性があるからな。でも必ずどこかで下見は必要である。


 さて、そんな状況でいま俺が何をしているかと言うと、教室で古代語の本を読んでいた。

 しがない一日、陽がよく出た昼休みの一幕から語るとしようか。



 --- 



「うーん……」


 難しい。

 名前を考えるって難しい。


 つい最近思い出したのだが、かなーり前にカナリアから『私の名前を考えて』とオーダーを受けていた。


 カナリアは名前を古代語から付けることが多い。

 俺もそれに倣って古代語の本を読み、カナリアに相応しい名前を考えているのだ。


 ただ名前だからな。

 語感と意味の要素がガッチリ嚙み合ってないと駄目だ。適当には付けられない。


「なーにしてるの?」

「うわっ!?」


 カナリアが窓の外からぴょこッと顔を出した。


「あ! それ古代語の本だよね! まさか? ようやく!?」


 期待度マックスの目で見てくる。


「あー、まぁな。外の世界で王子の名前使うわけにもいかないだろ」

「それでそれで! 私の名前決まった?」


 カナリアは窓から教室に入って詰め寄ってくる。


「まだだよ。いま決まってるのはオスプレイとワッグテールとシグ姉の名前」

「他のみんなの名前も考えてたんだ……って、なんで私が後回しなの!?」

「上から順番に決めてんだよ。ちょっとぐらい待て」

「ちょっとって、もう頼んでから3年経ってるんですけど!」


 カナリアが顔を近づけて怒ってくる。俺はそっと顔を逸らした。

 カナリアのやつ、3年前はつるぺたのチビだったのに、今は立派に女の体になっている。最近はあんまり近づかれると……正直照れる。


「なーにしてるのさ」


 クレインがやれやれ顔で現れた。


「聞いてよクレイン! カルラが私の名前全然決めてくれないの!」

「……カナリア、名前のことはあんまり大声で言っちゃダメだって。先生に聞かれたら怒られるよ?」

「いま先生はパフィンを迎えに行ってるからいないって!」

「あ、そういえばそうだった」


 この話を長く続けたくない俺は、クレインを使って話題を変えることにした。


「クレイン、今から稽古か? 付き合うぜ」

「ホント? ちょっと試したい武器あるんだけど、いいかな」

「オッケーオッケー! 外行こ外!」

「あー! 逃げたぁ!」


 俺はクレインを連れて外に出た。


「そんで、試したい武器って?」

「これだよ」


 クレインが倉庫から出したのは長い木斧だ。

 柄の長さだけでクレインの身長と同じくらいあるんじゃないだろうか。


「そんな長い得物えもの振り回すのか?」

「うん。僕のオリジナルがハルバードを使い始めたみたいで、僕も使えるようになれってさ。軽く振ってみた感じ、僕は間合いの長い武器の方が肌に合ってるみたいだ。凄く使いやすい」

「そうかよ。そんじゃ、早速始めるか!」

「これまではちょうど五分五分の勝敗だったけど、今日で一気に勝ち越させてもらうよ」

「言ってろ!」


 木剣を持って距離を詰める。

 10秒の間に俺たちは30を超える攻防を繰り広げた。

 この3年間で俺たちの戦闘技術はかなり高まっている。木の剣で大木を斬り倒せるし、木から落ちた無数の葉を地に落ちる前に全部打ち払うことができる。パワーとスピードはクレインが上だが、俺の方が間合い管理や駆け引きは上手だ。


 しかし、今日は俺の得意で勝負できない。


 長い斧が俺を近づかせてくれない。

 俺の間合いに入れない……勝負できるところまでたどり着けない。


「こ、の――野郎!」

「うん。この斧の間合いなら君の動きがよく見える。なにを企んでいるか手に取るようにわかるよ」


 距離が近ければ近いほど、相手の全貌は見えなくなる。剣の間合いなら相手の上半身までしか見えないだろう。

 しかしこの長斧の間合いだと足運びも完全に見えてしまっている。俺の踏み出しのタイミングが簡単に測られる……!


「隙あり!」


 バシ! と斧に手を打たれ、剣を落とした。


「僕の勝ちだね」

「こりゃ、手強いな……」


 その後も負け続けた。コイツ、本当に長い得物が合ってやがる……。

 悔しいけど嬉しい。コイツが強くなればなるほど、脱出成功の確率は上がるからな。



 ---



 夕方時、パフィンが影武者ドッペルの任務から帰ってきた。


「よく帰って来たぞ我が妹よ~~!! ぶへっ!?」


 パフィンに飛びつこうとするオスプレイをシグ姉が蹴り飛ばす。


「あーあ、今日からまたあの美味しくないご飯だと思うとパフィン憂鬱」

「気持ちはわかるぜ。俺も3年前同じ気持ちだったからな」

「いいなぁ、外のごはん。結局、僕とカナリアは影武者ドッペルの依頼来なかったもんね~」

「ホントだよ。私も外のごはん食べてみたい……」

「あともう少しの辛抱じゃん。一年後にはみんな外なんだからさ」


 パフィンが言うと、カナリアの表情が一瞬だけ凍り付いた。

 クレインが目配せしてくる。『そろそろ言った方がいいんじゃない?』って目だ。

 そうだな。もうパフィンはちゃんと物心ついてるし、任務の疲れが引いた頃に計画のことを告げていいだろう。


――消灯時間。


 ワッグテールがある提案をした。


「明日、地下空洞に行こうと思う。魔導船の試運転をしたい」


 ワッグテールの提案に対してクレインが、


「メンバーは? まさかワッグテール一人で行くわけじゃないよね?」

「もちろんだ。俺一人じゃ岩も動かせないしな。メンバーは俺とカルラとカナリアとクレインだ。クレインには岩を動かすのと監視を頼みたい。俺たちが地下空洞に入ったら岩を元の位置に戻し、岩の側にいて俺たちの帰りを待っていてくれ」

「わかったよ」

「一度地下空洞を見てきた俺はともかく、なんでカナリアを連れて行くんだ?」

「アイツの耳はいざって時に役に立つ」


 危機察知役か。


「私は何もしなくていいのか?」

「ない。あまり大人数で学校から離れると怪しまれるからな。できることなら先生の注意を引いておいてくれ」


 明日はドキドキ地下探検だ。

 避けては通れない道、いつかはやらなきゃいけないことだ。気合入れて行こう。


「……ねぇカルラ」


 クレインが耳打ちしてくる。


「魔導船は海の水を引いてる場所にあるんでしょ?」

「……ああ、そうだよ」

「それならさ、カナリアに海の水、飲ませてあげなよ」


 そう言ってクレインはウィンクする。


「頼んだよ」


 そういやアイツは海の水の味を知りたがってたな。すっかり忘れてた。


 ……海、か。


 アイツの名前、どういうモンにするかずっと悩んでたけど……うん、そうだな。海に関連したものにしようかね。そうだ……あの名前がいいな。



---



 さて、ここの地形についておさらいしておこう。

 まず学校が島の中心にあり、その島を囲うように森林地帯があり、そしてそのさらに周囲を山々が囲んでいる。山を越えると一面海だ。


 森林地帯、と一括りにしているが森林地帯にもいくつかのエリアがある。

 まず花畑エリア。よくカナリアが居るところだ。一面花畑でとても綺麗。この島で最も美しい場所だろう。

 その花畑エリアを越え、山のすぐ側に落石エリアがある。芝生の地面に多くの岩が突き刺さったエリアだ。山から剥がれ落ちた岩石が降り注ぎできた場所でとても危険な区域だ。このエリアのすぐ側にある山が酷く脆いため、こんなエリアができてしまった。


 このエリアの岩の一つを退かした先に、隠し通路がある。


 俺、クレイン、カナリア、ワッグテールは落石エリアに足を運んだ。


「……これか」


 ワッグテールが触っているのは隠し通路に繋がる岩、大きさにして4メートル。

 さて、成人男性何人積めばこの岩を動かせるだろうか。そんなことを考えているとクレインが「よっこらせ」と一人で岩を退かした。バケモンかコイツ。


「うわ、本当にあった!」


 カナリアがリアクションする。

 岩を退かした先には石階段があった。前に見た通りだ。


「クレイン、後は手筈通りに」

「うん、任せて」


 ワッグテールは火打石で手に持った木の棒に火を付け、松明を作った。 

 ワッグテールが先陣切って階段を下る。俺とカナリアもそれに続く。

 全員が階段を下り終えたところで、岩が穴を塞ぎ――太陽の光が閉ざされた。



 --- 



 湿気の強い地下空洞。

 ぴちゃ、ぴちゃ、と足音が鳴るほど湿った地面を歩いていく。


「どうだカナリア、なにか変な音は聞こえるか?」

「ううん。何も聞こえない」


 この視界が不明瞭な場所ではカナリアの耳は非常に役立つ。音の反響から洞窟のマップを頭に作り出し、俺たちに教えてくれる。おかげで安全で最短の道を行けている。


 樽の中からだとこの辺はほとんど見えなかったからな。


「入り組んだ洞窟だね。道が無数に分岐してる」

「本当にすげぇなお前の耳。おかげでこの暗闇でも道を間違えることなく進めてる」

「連れてきて正解だったな」

「えっへっへ、ワッグテールに褒められると照れるね」

「……そうですかそうですか、俺のお褒めの言葉じゃ照れませんか」


 洞窟を暫く進むと、前方に光が見えた。


――ようやくだな。


 光に向かって進むと、広い空間に出た。

 湖、湖に浮かぶ魔導船。湖の先は洞窟の出口――海に繋がっている。

 ここが、脱出ポイント。


 しかし……前に見た時とは違う物が一つだけある。


 湖へ繋がる道を塞ぐように石像が建っているのだ。

 人を背に乗せられるぐらい巨大な鳥の像。あんなもんなかったはずだけど。


「よし、時間がない。早く魔導船に乗るぞ」


 ワッグテールが駆け足で湖へ向かう。

 ワッグテールが石像の側数メートルに近づいた時だった。


――石像の目が赤く光った。


「!?」


 石像はそのクチバシをワッグテールに向ける。


「避けろワッグテール!」


 俺の声を聞き、ワッグテールも石像に気付いた。

 ワッグテールは大きく飛びのく。石像は羽ばたき、さっきまでワッグテールが立っていた場所に突撃した。


「な、なんだよコイツ……!?」

「文献で見たことがある。石像のフリをし、宝や扉の番人の役目を果たす魔獣が居ると。名前は確か、ガーゴイル」


 後ずさりながらワッグテールは言う。

 ワッグテールが離れるとガーゴイルは台座に戻り、また石像のフリを始めた。


「心臓の音も、呼吸の音も聞こえない。命の拍動を、あの石像からは感じない……」

「前は居なかったぞアイツ。先生が新しく置いたのか?」

「そうみたいだな。魔導船を守る番人というわけだ。近づけば攻撃してくるが、遠ざかればただの石像として存在する。あの突進の破壊力を見るに、俺たちじゃどうしようもない相手だ」


 ただの石像ならば、カナリアの耳でも察知はできない。カナリア対策もバッチリなわけだ。

 ワッグテールは舌打ちし、


「――退却だ」


 と忌々し気に号令を出した。


「くそ……魔導船も、も、もう目と鼻の先なのに……」


 俺が言うと、カナリアがこっちを見上げてきた。


「お、覚えてたんだね……私が海の水飲みたいって言ってたの……」

「俺じゃねぇよ。クレインが覚えてたんだ」

「照れちゃって。そんなわかりやすい嘘バレバレだよ」


 いや、マジでクレインが覚えてたんだけどな。


「おい、早くしろ」

「はいはい」


 俺たちは何もできず、地下空洞から脱出した。



---



「そっかぁ、ガーゴイルがね……」


 夜。

 男子部屋で男子四人で会議を開く。


「王卵の儀式に向けて防衛力を強化した、というわけか」


 オスプレイの言葉にワッグテールは眉をひそめる。


「どうした? ワッグテール」


 俺が聞くと、ワッグテールは「いや」とさらに考え込んだ。


「……さすがに考え過ぎか」

「おい、なにか思いついたなら言えよ」

「なんでもない。ともかく、ガーゴイルを何とかしなくては魔導船にたどり着けない」

「新たな問題が増えてしまったな……」

「相手は石の塊だもんなー。岩を割るぐらいのパワーがないと傷一つ付けられないぜ。さすがのクレインも岩は砕けないだろ?」

「この前手刀でこぶし大の石は粉砕できたよ。岩も武器があれば砕けるんじゃないかな?」

「マジかお前……」


 コイツの馬鹿力、拍車がかかってきているな。


「クレインの馬鹿力に頼るのは最後の手段だ。とりあえず明日、魔獣の図鑑を見てガーゴイルの対策を考えてみる」


 ワッグテールがさっき考えていたことはわかる。

 それは……内通者の存在。俺たちの誰かが先生に計画のことを流したんじゃないか、という話だ。


 これまで俺たちの都合の良いように進み過ぎていた。俺たちに何か落ち度があったわけではないものの、先生はかなり勘のいい人だ。俺たちの異変に勘づき、ブラフの一つでもかけてきてもおかしくない。むしろそれが当然で、ある程度は覚悟していた。


 しかし、それが一切ない。


 なぜだろうか。それはきっと、何らかの手段で計画を全て把握しているからだ。俺たちが手のひらの上で踊っているから放置している。


 ワッグテールの言う通り、考え過ぎかもしれない。

 だが魔導船という最大の要所にのみ、対策があったことが引っかかる。


 ……明日あたり動いてみるか。



 --- 



 翌日の昼休み。 

 俺はワッグテールを森に呼び出した。


「それで、話とはなんだ?」

「一つ提案がある」

「言ってみろ」

「計画実行日を来週にしよう」


 ワッグテールは一瞬だけ驚いたように眉を上げ、すぐさま俺の意図を察したように笑った。


「なるほど。ブラフか」

「そうだ。パフィンを抜いた4人に脱出計画が来週に変更になったと伝えて、様子を見るんだ」

「やっぱりお前も俺と同じく、内通者の可能性を感じていたか」

「まぁな」

「兄弟、思考は似るものだな。もし俺たちの中に内通者が居るのなら、このブラフで先生か内通者のどちらかは少なからず動くだろうな。内通者の是非を判別するには悪くない作戦だ」


 ワッグテールは「しかし」と言葉を紡ぐ。


「ガーゴイルの件はどうする? ガーゴイルへの対策もなしにこんなこと言い出しても信憑性に欠けるぞ」

「クレインに倒してもらう、ってことにしよう。多少無茶な作戦の方が内通者は釣れると思うんだ」

「なぜだ?」

「ホルスクラウンは王族の遺体で造る。ならば、その遺体の状態が良いほどホルスクラウンの完成度も上がると思うんだ」


 カルラオリジナルは言っていた。ホルスクラウンに多くの遺体を入れることでホルスクラウンはより高位な物になると。

 遺体の物量が多いほど、遺体が万全であるほど、ホルスクラウンの完成度は増すのだと、俺は考える。


「クレインとガーゴイルが戦ってクレインが負ければ、クレインはきっと無残に殺される。ボロボロのズタズタさ。それはきっと、先生の望む展開じゃない。強引にでも止めにくるはずだ」

「どうかな? 遺体の状態がホルスクラウンの完成度に影響するっていうのはお前の推測に過ぎないだろ」

「先生は昔からさ、俺たちの怪我に敏感だった。健康管理もバッチリ丁寧にやってきた。これまでは影武者ドッペルの使命を果たさせるために、それだけ気を遣っていたのだと思ってたけど……」

「本当はホルスクラウンを無事に造るのが目的だったんじゃないか、ってことか」


 ワッグテールは「ふむ」と考え込み、


「いいだろう。どっちみちリスクのない策だ。やってみよう」


 ワッグテールはオスプレイとシグ姉に、俺はクレインとカナリアに、計画日は変更になった……と嘘を言いに行った。


 クレインは、


「賛成だ。早く出れるに越したことはないよ。それにしても、ガーゴイルか……勝てるかな」


 クレインは笑う。コイツ、段々と戦闘狂のが出てきたな。

 一方カナリアは、


「え……いきなりだね。確かにもう準備はできてるけど……」


 と戸惑っていた。カナリアは乗り気じゃなさそうだ。




 ◆◆◆



 夜。

 執務室に一人の客がやってきた。


「待っていましたよ。報告をお願いします」


 先生は客から計画実行日が早くなったことを聞く。


「ふー、面倒ですね。十中八九、こっちの出方を見るためのブラフですが……万が一が怖い」


 王卵の起動を二か月早めたらどうですか? と客は聞く。


「できることなら王卵の起動はギリギリまで待ちたい。ハクの遺体の損傷具合から見るに、可能性がある。ギリギリまで……少しでも生徒たちが大きくなってから始めたい」


 先生は暫く考え込んだ後、結論を出す。


「……妨害工作をお願いできますか?」


 客は渋々頷く。


「助かります。礼はまた、いずれ」


 客は執務室を出た。



---



 計画日を変更して三日後。

 俺はクレインと一緒にパライヤの毒薬を確認しに行った。

 パライヤの毒薬は十分な量を用意できた後、週に一度の頻度で確認作業をおこなっている。

 俺とクレイン、カナリアとシグ姉、オスプレイとワッグテールのコンビでローテーションで確認作業はやっている。今週は俺たちの番だ。

 三本線の傷がある紅葉の木の下、そこにパライヤの毒薬が入った箱が埋まっている……はずだった。


「ないね」

「ないな」


 いくら土を掘り起こしても箱は無かった。


「……まさか、先生が掘り起こしたのか?」

「いいや、内通者の仕業だろう」

「内通者? どういうこと?」


 もう隠すこともない。

 俺はクレインに事情を話す。


「なるほどね。じゃあ計画日は変わらず一年後なんだ。気合入れて損した」

「……怒らねぇんだな」

「どこか怒る要素あった?」

「だってこっちはお前やカナリアも疑ってたわけだし、騙してたわけだし……」

「それぐらい別にいいさ。むしろそれぐらい厳しい方がいい。相手はそれだけ強大だからね」


 クレインはパン! と両手を合わせる。


「さて、話を進めよう。これってつまり、内通者が居るの確定ってことだよね? 先生が僕らの誰かを尾行したりして自力で探し当てた可能性もあるけどさ」

「まぁそっちの可能性は低いだろうよ。確認作業に行く時は必ず他の面子が先生を見張ってたからな。先生が尾行してきてたんならそいつらから報告があったはずだ」


 しかしショックな展開だな。まさか本当に俺たちの中に裏切り者が居るとは。


「はーっ! 内通者をどう割り出すか、ガーゴイルはどう倒すか、先生はどう倒すか、全部考えなきゃいけないのか。怠いな……」

「パライヤの木もこの時期だと実を成さないし、そもそも作戦が筒抜けなら先生が毒を貰うとは思えない」

「仕方ねぇ。とりあえずみんなと情報を共有――」

「いいやちょっと待った」


 クレインは妙案ありって顔だ。


「みんなにこのことを報告するの、二日だけ待ってくれないかな?」

「……なにか作戦があるのか」

「作戦ってほど大層なものじゃない」


 クレインは拳を強く握る。


「明日の稽古の途中で、僕が先生を倒すよ。それで、ガーゴイルも僕が倒す。うん、もう明日には島を脱出しちゃおう」

「はぁ!?」


 なんてことない調子で、クレインはとんでもないことを言いやがった。


「できるわけねぇだろアホ! 無茶言うなバカ! 先生もガーゴイルもそう簡単に――」


 出しかけた言葉を飲み込んだ。

 クレインの纏うオーラが、強く猛々しく燃え上がっていたからだ。


「最近さ、凄く体の調子が良いんだ。意のままに体が動く、って感じ。今なら……先生にも勝てる気がする。誰にでも勝てる気がする」


 確かに、クレインは武器を変えて強くなった。

 ここ最近の稽古では他の影武者ドッペルはもう、クレインに歯が立たない。無論、俺もだ。

 でもそれでも、先生には勝てると思わない。

 ……でもなぁ、この目をしたクレインが意見を変えるとも思わない。


「別に失敗してもダメージないでしょ。ダメ、かな?」

「あーあ、わかったよ。やるだけやってみろ」

「ありがとう! 腕が鳴るね」


 もしもこれでコイツの言う通りに事が運んだら、必死に色々考えてた俺やワッグテールが馬鹿みたいだな。


 でもいいぜ、クレイン。やっちまえ。

 力づくでくだらない策略ねじ伏せちまえよ。それが一番手っ取り早い。

 


 --- 



 翌日、午前の稽古の時間。

 全員が木製の武器を持って校庭に出る。


「まずは素振り100回からです。はじめてください」


 全員が素振りを始める。

 一番気合が入ってるのはクレインだ。

 他の倍の速度で素振りしてやがる。あっという間に汗をかき、あっという間に汗が蒸発して、白い蒸気が体から上がり出した。 

 準備運動は終わったみたいだな。


「先生」


 まだ周りが素振りを続けている中、クレインは先生に話しかける。


「久々に僕と手合わせしてくれませんか?」


 先生と生徒の手合わせは普段もよくやっている。特にクレインはオリジナルが強いらしいからよく先生と居残りで手合わせしていた。

 けど最近はあんまりやってなかったな。先生とクレインが最後に手合わせしたのは半年前ぐらいか。きっと、クレインが強くなったから居残り稽古もやめたのだろう。


「……なるほど。そういう腹ですか」


 先生は俺の方に顔を向けた。


「カルラ! カナリア! 来てください!」


 なんだろう。とりあえず行くしかない。


「素振りの型が変だったかな?」

「どうだろうな」


 俺とカナリアはクレインの隣に立つ。


「三対一で手合わせしましょう」


 なんだと……?


「本気ですか?」


 クレインが聞く。


「ええ、全力で来なさい。私も、全力で戦います」


 ざわ、と俺たち3人は確かな殺気を感じた。


 なんだ? なんのつもりだ?

 意図が読めない。なにか裏はあるはずなのに。


 クレインはジッと、先生を見据えている。


「カナリア、俺たちはクレインのサポートに徹するぞ」

「う、うん! わかったよ!」


 クレインを中央に、

 俺はクレインの右隣、

 カナリアはクレインの左隣に立つ。


 クレインの武器は木製の長斧、俺とカナリアは木製の剣。先生も木剣だ。


「この石ころが落ちたらスタートです」


 そう言って先生は小石を空に投げた。

 思考はまだ整理できていないが、とにかく今は目の前の相手に集中しよう。他のことに気を取られて勝てる相手じゃないからな。


 小石が地面に落ちると、クレインは一息で先生との距離を詰めた。

 交わる剣と斧。熾烈な打ち合いが始まる。


「ふっ!」

「はぁっ!!」


 互いに一歩も引かず、無数の衝突音が校庭に響く。


――互角。


 先生とクレインの打ち合いは互角だった。


「これほどとは……!」

「カルラ! カナリア!」


 クレインの名を呼ぶ声。

 それだけで俺とカナリアはクレインが何を求めているか理解した。


「カナリア! 挟み込むぞ!」

「うん!」


 左右から俺とカナリアが攻める。


「くっ……!?」


 俺とカナリアに先生が意識をいた隙に、クレインが高速連続突きを繰り出した。

 先生は捌き切れず、ガキン! と仮面に斧の一撃を受けた。


「……つっ!」


 クレインは連続突きの余韻で動けない。

 先生も突きを受けて怯んでいる。

 カナリアの足では追撃が間に合わないが、俺なら間に合う。


 俺は駆け出し、木剣で先生の腹を殴った。


――どうだ? 


 手ごたえは、微妙だ。腹を殴ったはずなのに、感触が微妙にずれる。


「ちっ」


 よく見ると先生は左手を腹に添えている。左手で俺の一撃は受け流されたようだ。


「甘く見ていたようだ。やりますね、3人共……」


 先生はボソリと、何かを呟いた。すると途端に先生の動きが加速した。


「なんだと!?」

「カナリア! 下がって!」


 俺とクレインはカナリアの前に出て、先生の猛攻を受ける。が、受けきれず、カナリアごとぶっ飛ばされた。

 3人で団子になって地面に転がる。

 おかしい。さっきはクレイン一人で先生に対抗できていたのに、俺とクレインの二人がかりで打ち負けるはずがない。明らかに先生の動きが良くなっている。


「なんだってんだ急に!?」

「なにかを呟いてからいきなり強くなったね」


 俺たちは立ち上がり、武器を構え直す。


「つきがみ、って言ってたよ。先生」

「つきがみ? なんだそりゃ……ん?」


 どっかで聞いたことあるような……。


「カルラ! 集中!」


 先生はすぐに攻め込んでくる。

 影武者ドッペルの中でトップレベルの武力を誇る俺とクレイン、その二人でも防御しきれない連打。


「……どうしました? この程度ですか?」

「そうか、そういうことか」

「アンタの目的は……!」


 先生は俺らの計画に気付いている。

 気づいた上で、俺らを叩き潰すつもりだ。

 3対1という圧倒的不利な状況で俺たちを蹴散らし、自分の力を示す。それが、先生の目的。自分には敵わないと影武者ドッペルたちに知らしめる気だ。より強大な畏怖を抱かせるのが目的。



「「舐めやがって!!」」



 俺とクレインは声を重ね、武器を重ねて振る。

 先生は剣で俺たちの攻撃も受けるも、衝撃を吸収しきれず後退した。


「へぇ、まだ粘りますか」

「カナリア、こっから先お前が入る隙間はない。剣を俺に預けて下がってくれ」

「そうだね、私は戦力にならなそう……ごめんね、任せるよ」


 カナリアの剣を受け取り、両手に剣を持つ。


「双剣、ですか」

「……カルラ、二本同時に剣を扱ったことあるの?」

「ねぇよ。でも今、これ以外にあの人の手数に対応する方法が思いつかねぇ」


 ジリ、ジリ、と互いに間合いを測りながら近づく。


「……」

「……」

「……」


 素振りの音が聞こえなくなった。

 きっと他の影武者ドッペルたちも手を止め、この戦いに集中しているのだろう。そっちを見る余裕はないがな。


 火蓋を切ったのはクレイン。


 飛び出し、先ほどと同じく連続突きを繰り出す。先生はその全てを捌き、最後に力強く剣を振る。クレインは斧で攻撃を受けるも後退する。


 同時に俺は飛び出し、双剣を振るう。


「おぅら!!」


 木剣が弾き合う音が連続して聞こえる。

 100を超える打ち合いをした後、鍔迫り合いに強引に持っていく。


「はじめてにしては中々……だけど、上半身に意識がいきすぎです」


 先生が足払いする。だが、


「いいや、ちゃんと下も見てるぜ!」


 俺は飛び上がり、足払いを回避。

 そのまま先生の胸を蹴り飛ばす。


「……足癖の悪い子だ!」

「クレイン!」

「わかってる!!」


 クレインが前に出る。


「甘い!」


 クレインに剣を振るおうとする先生。

 俺は両手に持った剣を先生に向かって投げる。


「ちぃ!!」

「手癖も悪いんだなぁ、それが!」


 先生は俺が投げた二本の木剣を一振りで払う。だが、そのせいで、一手遅れた。


「そこだ!!」


 クレインの渾身の一撃が先生の腹筋に叩きつけられた。


「がっ!?」

「さっきは狙う場所を間違えた。だけど!」


 次にクレインは先生の手を弾き、剣を打ち上げた。


「……!!」

「今度は間違えない!!」


 クレインの斧が先生の胸に迫る。


「それを!」


 先生は体を捻り、クレインの突きを躱した。


「甘いと言うのです!」


 先生がクレインの腹を蹴り飛ばす。クレインは蹴り飛ばされながら俺が投げた木剣を一本、地面から拾い上げた。

 クレインが俺の位置まで下がってくる。


「大丈夫かクレイン!」

「大丈夫! 先生はいま、ダメージが入ってふらついている。一気に決めるよ!」


 クレインから木剣を受け取る。


「おうよ!」


 俺はクレインと同時に飛び出した――と思っていた。

 クレインが俺の横にいないと気づいたのは、先生の目の前に到達した後のことだった。


「クレイン……?」


 後ろに目をやると、クレインが地に膝をつき、項垂れていた。


「体が、重い……!?」

「クレイン!!」

「カルラ! 前見て!」


 カナリアの声で俺は前を見る。



「私の勝ちです」



 先生の拳が顔面に当たり、景色が暗闇に沈んだ。



---



 大剣の突き刺さった湖が目の前にある。

 ああ、ここはアレか。夢の中か。


「あーらら、惨敗だね」 


 前と同じだ。

 白装束の女が大剣の上に座ってる。


「仕方ないね。君と彼との間には大きな差がある。勝ち目なんて最初からなかった」

「……お前は俺の味方なんだよな? 精霊」

「まぁね」

「ならどうして力を貸してくれないんだ? 見ればわかる。お前にはなにか特別な力があるんだろ!」


 女は肩を竦め、


「逆に言いたいけど、どうして力を貸させてくれないの? 君が覚悟を、資格を見せてくれれば私は力を貸せるのに」

「だから! その覚悟ってなんだよ! もったいぶってないで教えろ!」

「教えたところで無駄さ。どうせ君はまだ踏み切れない。下手に教えると君は私の力を借りるために、無理やりその覚悟を決めようとする可能性がある。偽りの覚悟を抱かれたら、私はきっと君のことを嫌いになってしまう。そうなればおしまいだ」


 景色が、崩れ始めた。


「あっ! こら、逃げんな!」

「やーだね。――捕まえてごらんよ。我が王」


 夢の世界が崩れ去り、意識が現実に引き戻される――



 --- 



 寝室の天井が見える。

 鼻には医療用のテープが貼ってある。

 上半身をガバッと起こす。


「よう」


 側に椅子に座ったシグ姉がいた。


「よく寝てたな」

「シグ姉……」

「時間にして9時間、もう夕方さ」

「シグ姉が看病してくれたのか?」

「ああ。昔から、怪我人の看病は私か先生の仕事だっただろ」


 シグ姉は飯が乗ったトレイを俺の膝の上に乗せる。


「食え。体を治すのに栄養摂取は不可欠だ」

「ありがと」


 食事を進めながらシグ姉と話す。


「無茶し過ぎだお前らは。せめて私たちに話を通してから仕掛けろ」

「パライヤの毒薬のことは……」

「クレインから聞いた。内通者がいる、って話もな」

「手合わせ中に先生を倒すって作戦をお前らに伝えれば、当然内通者の耳にもそのことが入るだろ。内通者から先生に伝われば先生が勝負から逃げる可能性があった。だから言えなかった」

「……そういうことか」

「けど、まぁ……どっちみちあの人は勝負を受けただろうけどな」


 先生には真っ向からじゃ勝てない。それは痛感した。

 でも毒薬はもうないし、また作ったところで先生に飲ませるのは難しい。一度手の内はバレちまってるからな。

 内通者の問題もあるし、ガーゴイルのこともある。


 まさに八方塞がりだ。


「頼むから、もう強引な手段はとらないでくれ」


 シグ姉はそのクールフェイスを崩して、心配そうな瞳をする。


「私は……お前らが傷つく姿を見たくない」

「シグ姉は相変わらず優しいな。クールだけど、いつも俺たちを心配してくれる」

「当然だ。お前らは大切な……姉弟だからな」

「誰も傷つきたくはない。誰かが傷つくところも見たくない。だけどさ、やるしかないんだ。俺もみんなが大切だ。影武者ドッペルのみんなが大切なんだよ。例え自分がどれだけ傷ついても、みんなを救いたいんだ」

「……結局お前は自分を二の次にするのだな」


 シグ姉は口元を笑わせる。


「カルラ、お前は自分の価値を低く見ている部分がある。もっと自分を大切にしてくれ。――お姉ちゃんからのお願いだ」

「似たようなことを誰かさんにも言われたな。わかったよ」


 それから俺たちはそれぞれで打開策を考えた。

 何度も討論して、何度も思索して、問題解決に動いた。先生はあの手合わせから一切アクションを起こさず、日常を演じていた。


 そしてあっという間にふた月が過ぎた。



――結論を言うと、俺たちはのんびりし過ぎた。



 俺たちにとってのタイムリミットはあと一年後だった。けれど、そうではなかった。タイムリミットは気づかぬ間に訪れていたのだ。


 早く動くべき。そのカルラオリジナルが言っていた言葉を遅れて理解する。

 すでにチェックメイトだった。



 5月1日、その日の朝。



 すべてが終わり、すべてが始まる。


 これから先に起こることを一言で表すなら――『地獄』、だ。



 ◆◆◆



 5月1日、早朝。

 地下道にて。


「先生! ホントに美味しいスイーツ食べさせてくれるの!?」


 地下道を先生とパフィンが歩く。


「ええ。出発前に約束したでしょう? 任務が終わったら絶品スイーツを御馳走すると。パフィンは完璧に任務をこなしてくれましたからね。ここまで待たせてすみません」

「やった! でもなんで、こんな朝早くに呼んだの? それもみんなに見つからないようにって……」

「パフィンにだけスイーツをあげたら皆が文句を言うじゃありませんか。残念ながら一人分しかないのでね」

「そっかそっか」


 先生はパフィンを連れ、地下室に入る。


「ここにあります」

「へー、なんか不気味……うわ! なにこの黒い卵」


 ザク。と、生々しい音と共に、パフィンの胸から刃が生えた。


「せ、んせ……?」


 パフィンを背後から刺した先生は薄く笑う。


「卒業おめでとう。パフィン」


 先生はパフィンの口を手で塞ぎ、叫び声をあげさせないようにした。地下室でどれだけ叫んだところで生徒の寝室まで声が届くはずもない。普通ならば。


 しかしカナリアは別。彼女の耳にはここの叫び声も届くだろう。


 先生はパフィンの脈が無くなるのを確認して、彼女を抱え、王卵に投げ入れた。


「残念でしたね。カルラ、クレイン。あの時、私に負けた時点で、あなた達は詰みだったのです」


 泥に沈むように、パフィンの体が王卵に呑まれていく。

 途端に、王卵は膨張を始めた。


「さて、卒業式を始めましょうか」



---



 5月1日、朝。

 すっかり先生から受けた傷も治り、体調は万全となった。

 天気は悪く、空には暗雲が渦巻いていた。


「あれ? 先生とパフィンが居ないな」


 朝食の時間、先生とパフィンが食堂のどこにも居なかった。

 パフィンは寝坊という線があるが、先生が寝坊したところは見たことない。


「朝起きたらもうパフィンが部屋に居なかったんだよね。学校の中も探したんだけど居なくて……」


 カナリアは心配そうな顔をする。


「ふむ。とりあえず私たちで朝食の準備をするか」


 オスプレイの提案。


「そうだな。食事を終えてもまだどっちも戻らないようなら、全員で探しに行こう」


 シグ姉が同意する。

 とりあえず俺たちだけで朝食の準備をして、食事をした。

 全員が完食する時間になっても、先生もパフィンも姿を見せない。ということで、全員で一緒に二人を捜索することにした。

 とりあえず最初に足を運んだのは教室。


「やっぱいないね」


 クレインが言う。


「……おいカルラ、地下はどうだ?」


 ワッグテールが焦った表情で聞いてくる。


「地下って、地下空洞のことか?」

「違う! ……王卵のある場所だ!」


 ワッグテールが何を考えているのか、俺が理解する前に、

 教室の扉が開かれた。


「お待たせしました。皆さん、座ってください」


 先生が現れた。

 いつもの温和な様子……だけどどこか、不吉なオーラを感じる。


「先生、一体どこにいたのですか?」


 ワッグテールの問いに対し先生は返答せず、椅子を指さす。


「座りなさい。話はそれからです」

「……」


 有無を言わせない迫力。

 俺たちは全員、一旦席に着いた。でもみんな、警戒している。すぐに戦闘に入れるよう、完全に椅子に腰かける者はいない。

 出所不明の不安感が、全員の背筋を舐めていた。


「……長かったですね。ようやく、この日が来た」


 しみじみと先生は言う。


「皆さん、今日は授業はやりません。今日は皆さんの卒業式をおこないます。この学校の卒業式を……」

「ふざけたことを言うな!」


 オスプレイが立ち上がり、先生に詰め寄る。


「パフィンを、パフィンをどこにやった!?」

「彼女なら、一足早く卒業しました」


 オスプレイが先生の胸倉を掴み上げる。


「まさか、貴様……!」

「うっ!?」


 突然、カナリアが耳を押さえてうずくまった。


「どうしたカナリア!?」


 俺はカナリアのもとへ駆け寄る。


「あの音が……また、聞こえる。鼓動の音が……前より強く!」


 鼓動の音……王卵の脈動か!


「卒業おめでとう、オスプレイ」


 先生が呟くと、オスプレイの方から呻き声のようなものが聞こえた。

 オスプレイの方へ視線を向ける。


「オスプレイ!」


 床から、無数の黒い手が湧き出てオスプレイの全身に絡みついた。

 黒い手には口もついていて、その口から呻き声が漏れ出ている。


 なんだ、アレは。

 

 全身に鳥肌が立つ。

 あの黒い手には、この世すべての闇が詰め込まれているような……そんな感じがした。

 俺の中にある細胞が、『逃げろ』と叫んでいる。


「貴様……!?」


 オスプレイは無数の黒い手に覆われ、真っ黒な卵型になると一瞬にして足元に引きずり込まれていった。黒い染みだけが、オスプレイが立っていた場所に残っている。


「卒業おめでとう、ワッグテール」


 今度はワッグテールを黒い手が引きずり込もうとする。


「くっ! 抗えん……! 逃げろ! カル」


 ワッグテールも何もできず、闇に消えた。


「卒業おめでとう、シグネット」

「なっ!?」


 次にシグ姉が黒い手に絡まれる。


「そんな……! どうして……!?」

「儀式は全て、公平に行う」


 シグ姉はめいっぱい先生を睨み、そして下へと引きずり込まれた。

 ようやくそこで、ぼやけていた意識が覚醒した。

 目の前の異常を前に、麻痺していた思考が動き出した。


「カルラ! カナリアを連れて外へ!」


 クレインは机を先生に向けて投げる。先生は腰から剣を抜き、一瞬で机をバラバラに解体した。


「クレイン! でも!」

「迷ってる場合か! このままじゃ全滅するぞ!」

「……!」


 クレインの目は、覚悟を決めていた。

 俺はうずくまるカナリアを抱き上げる。


「だめ、駄目だよソル! レインを置いてなんていけない!」 


 暴れるカナリアを力づくで押さえる。


「……わりぃ、

「頼んだよ。

「レイン! レインっっ!!!!」


 俺は振り返らず、教室を出る。


「レイン……!」

「……振り返るな! 今はここから逃げることだけを考えろ! なにかやべぇのが近づいてきてる!! お前だってわかってんだろ!!」

「でも……でもっ……!!」


 カナリアを抱きかかえたまま玄関に行くと、


「っ!?」


 石造りの鳥が、道を阻んだ。


「ガーゴイル!?」


 ガーゴイルが叫び、俺に向かって突進してくる。

 俺は咄嗟にカナリアを廊下に投げ、ガーゴイルの攻撃を腹で受ける。


「がはっ!?」


 攻撃を受けた俺はその勢いのまま教室の前まで転がった。

 激痛が全身に走る。


「無駄ですよ。カルラ」


 教室から出てきた先生はそのまま俺の所へ歩いてくる。


「……クレインは、どうした……!?」

「彼ならもう、卒業しましたよ」


 先生は俺とカナリアの間に立つ。


「王卵は3人の王族を吸収することで第二形態になる。第二形態となった王卵は体内に世界を造り、近くに存在する王族を私の指示で取り込む。オスプレイも、ワッグテールも、シグネットも、クレインも、今は王卵の中にいる。大丈夫、、全員生きてますよ」

「パフィンは……」

「残念ですが、第一形態の王卵は王族の遺体しか受け付けない」

「パフィンを殺し、王卵に食わせたのか……! このクソ外道が!!」

「なんとでも言いなさい。恨まれる覚悟はできています」


 何とか立ち上がり、拳を握る。

 体はフラついて、視線は定まらない。それでも、それでもカナリアだけは……!


「卒業おめでとう、カルラ」

「やめろ……」


 先生に殴りかかろうとするも、黒い手にそれを阻まれる。

 先生が、口を開こうとする。

 ダメだ。そこから先を、言わせるわけには――


「卒業おめでとう――カナリア」

「やめろぉ!!」


 カナリアの下に、黒い手が湧き出る。


「ソ、ル……ソル……!」


 カナリアは黒い手に絡まれながらも俺に向かって手を伸ばす。

 俺もなんとか手を伸ばすが、届かない。


「カナリア! カナリア!!」

「ソル……助けて……!」


 先にカナリアが真っ黒な卵となり、下へと引きずり込まれた。


「……待ってろ、俺が絶対……助けるから……!」


 視界が真っ黒に染まる。全身を悪寒が包み込む。

 体が落下していく感覚。鼻が詰まり、口も詰まっているのに、呼吸だけはできている。直接空気を肺にぶち込まれているような感覚だ。

 ひたすらに気持ち悪い……!


『さぁさ6人の影武者ドッペルさん、一次審査突破おめでとーう』


 真っ黒な空間の中、

 子供のような、高くて不気味な声が聞こえる。



『準備はいいかい? それじゃ始めるよ……“王乱おうらん”を』



 次の瞬間、意識が暗転した。



 ◆ヴィンディア王宮にて◆



「始まったか」


 カルラ=サムパーティは自室でチェスの駒を動かしていた。

 部屋にはカルラ以外にも6人の従者が居る。


「……うっわ! マジじゃん。やっば、なんだこの魔力……うっげぇ、気持ちわりぃ~……こんなもんに飲み込まれたらまず助からねぇな」


 神父服を着たこの男は第5王子の親衛隊隊長ローマン=クック。

 彼は首に掛けた十字架に口づけをする。


「偉大なる阿羅夜神アラヤガミよ、哀れな魂たちに救済を……そしてついでに、我の借金を取り消してくださいませ……」


 親衛隊参謀アルハートは眉を顰め、


「やれやれ、どこに神に金をせがむ聖職者が居ますか」


 親衛隊弓兵リンは笑顔を浮かべ、


「彼は生き残りますかね、カルラ様」

「もちろん生き残るさ。なんせ余と同じ遺伝子を持っておるからな」


 スーツを着た女性、親衛隊結界士ルーシーは退職届を掲げ、


「ところでカルラ様、そろそろ私の退職届を受理して欲しいのですが」

「そこに置いておけ。後で捨てておく」


 上半身の大部分が露出した服を着た男、親衛隊特攻兵ネロはルーシーの退職届を奪い、フッと口から炎を出して燃やした。


「あーっ!? 私の209枚目の退職届が……!」

「いい加減、『普通に生きる』なんて無駄な夢を見るのはやめろ。この王子様についてきた時点で、俺たちの未来に普通なんてねぇのさ」


 ロングコートにロングスカートを着た女性、親衛隊音楽家ジゼルフォークは手に持った竪琴を鳴らし、


「……我らが主が、王となる日は近い……」


 ジゼルフォークの言葉を受け、カルラは笑みを浮かべる。


「王卵が成ったということは、争奪戦はあと約1年で始まる……9人の王子と、1人の影武者ドッペルによる戦いがな……」


 カルラの側には白のキングが9体立っている。

 一方、相手側……黒側には、黒のキングが1体のみ立っていた。



 ◆〈フレースヴェルグ王国〉のとある森にて◆



「ほぉ、コイツはすげぇ。これだけ王都から離れていてもピリピリ来やがるぜ」


 〈レーヴァテイン帝国〉大佐フェイルはハンモックに横たわり、暗雲立ち込める空を見上げていた。


「俺たちが選んだ影武者ドッペルは無事生き残れるかねぇ。なぁ、ノアちゃんよ」


 ノアと呼ばれた少女は焚火で焼いた魚を貪り、


「知るか。私ができたのは精霊を自覚させるところまで。精霊術を使えるようになるかどうかは奴次第だ」


 ノアは先の晩餐会でカルラドッペルを襲った刺客である。


「センスある奴なら、精霊術を喰らうことで精霊を自覚できるようになる。アイツなら間違いなく精霊と接触はできているだろうが……そっから先が難しい。精霊ってやつは気難しいからなぁ」


 フェイルは大きく欠伸をして、瞼を下ろした。



 ◆同時刻・ソル視点◆



「ここは……?」


 目覚めたのは石造りの部屋だった。

 上に続く階段が一つあるだけの部屋。

 部屋の中心には貴族が使いそうな高そうな剣が一本刺さっている。


「階段一つに剣が一本……意味不明だな」


 立ち上がり、部屋をウロウロしていると、


『やあ。お目覚めかい? 第5王子の影武者ドッペルよ』

「誰だ!!」


 声の方を振り向くと、少年が立っていた。

 俺の腰ぐらいまでしか身長のない少年。人間味がないぐらい肌が白く、不気味だ。

 髪は三色。

 赤と、金と、銀。


 その面影と三色の髪色はどこか、死んでいった影武者ドッペルたちを彷彿ほうふつとさせる。


『我はホルス。王位争奪戦の審判、と言ったところかな』

「ホルス……」


 その名前からは否応にもホルスクラウンを連想させる。


『ルールを説明しよう。いまお前が居るこの塔はダンジョン、迷宮だ。名をゲンガータワーと言う』


 迷宮は複雑な構造の場所を言うんだったかな? 記憶が薄い。

 塔ってのは確か、高く上に伸びる建造物のことだよな。


『全364階あり、一日ごとに最下層の階から消滅する。生き残るためには毎日一つは階を登らなければならない』

「おいガキ、ふざけるなよ……俺はお前の遊びに付き合う気はない!」

『もうお前は参加してしまっているんだ。逃れることはできない』


 俺は拳を握り、ホルスを名乗るガキに殴りかかるが……ホルスの体は透けて、拳は空振りした。


『我は審判だと言ったろう? 審判は絶対の存在、攻撃することはできない』

「……ちっ!」

『話を戻すよ。ダンジョンの中には魔獣がうようよと居る。そこの剣で倒して進むんだ』

「カナリアとクレインは、他の影武者ドッペルたちはどこに居る!」

『……塔は三つあり、一つの塔に二人の影武者ドッペルが存在する。つまり、この塔にはもう一人影武者ドッペルが居る』


 ホルスはほんの少し、口角を上げる。


『塔の最上階で同じ塔に居る二人は合流する。そこで二人は殺し合い、生き残った一人が塔の屋上……ラストステージへ上がれる』

影武者ドッペル同士で、殺し合いだと……!?」

『ま、どっちかが途中の階層で死んだり、どっちも死んだら話は別だけどね。ラストステージに進めるのはそれぞれの塔で生き残った一人。最大で三人というわけだ。この三人で最後殺し合い、生き残った一人が王卵から脱出できる』


 全364階のダンジョン。一日で一階消滅するのなら、制限時間は364日、つまり一年。

 最上階で塔に居るもう一人の影武者ドッペルと戦い、勝てればラストステージへ。そこでそれぞれの塔の勝者が戦い、殺し合い、生き残った一人が元の世界へ戻れる。


 ……ふざけるな、ふざけるなよ……!


『説明は終わりだ。復唱は必要かな?』

「……とにかく、最上階へ行けば他の影武者ドッペルに会えるんだな」

『うん。そうだよ。もしかしてだけど、まだ全員一緒に脱出とか夢見ちゃってる?』


 ホルスはクスクスと笑う。


『今からお前たちがやるのは原初の王位争奪戦だ。その結末がどうなるか、お前はもう知っているはずだろう?』


 カルラオリジナルの部屋で見た絵本の内容を思い出す。

 最初の王位争奪戦は闘技場で9人の王子で殺し合い、残った1人を王とした。そして8人の敗北した王子の体でホルスクラウンを作り上げた。

 今までの情報から考えるに、闘技場とはこのダンジョンのこと。


 つまり、この世界で敗北した5人は先に王卵に吸収された3人と共に――ホルスクラウンとなる。生き残れるのは、1人。


『まぁ精々楽しませてくれよ。劣化品共……』


 ホルスはそう言い残して消えた。


「……」


 まず俺は壁をノックしてみる。

 ……ただの石じゃないな。ノックしても音がなに一つ返ってこない。蹴っても、小石を投げても、音がしない。壊せる気配がない。

 壁を破って他の部屋の様子を見るのは無理だな。



「……くっっっっそがああああああああああああああああっ!!!!!」



 思いっきり叫び、剣を引き抜く。


「とりあえず上だ、上を目指す! まずは他の影武者ドッペルに会う! 話はそっからだ!!」


 ガムシャラに気合を入れ、最初の階段を上がった。


 階段を上ると、さっきの部屋と同じ石造りの部屋に着いた。

 ただ階段は無く、部屋には扉がある。


「この扉の絵、動いてる」


 扉には砂時計の絵が描いてあって、砂時計の砂が上から下へ落ちていっている。

 扉を開こうとしても鍵が掛かっていて開かず、こじ開けようとしても駄目だった。

 一日ごとに最下層から消えていく。ならばまず消えるのはさっきまで俺が居た部屋だろう。多分だが、この砂時計は一日の終わりまでの時間を測っているのではないだろうか。


 推測ばかりで要領を得ないが、扉を開く手段がないからひとまず待つしかないだろう。

 半日以上待った時、


――砂が落ち切った。


 すると下に続く階段が消え、扉の鍵がガシャッと開いた。恐らく俺の推測通りだろう。いま、一日が終わったのだ。

 一日が終わるまで次の階層の探索はできない……というわけか。一日で一気に複数階突破することはできないのだろう。


 扉を開く。


「あっつ!?」


 空に太陽が浮かぶ砂漠に出た。

 外に出たわけじゃない。ここはまだ『中』だ。感覚でそれはわかる。


「……一階ごとに世界を構築してるのか? めちゃくちゃだな」


 暑い……このままじゃ干からびて死ぬ。

 水、はねぇな。

 ここのどこかに階段があるはず。とりあえず散策していると、サボテンを発見した。


「サボテン、か」

 

 サボテンは確か針を取って絞ると水が出るんだよな。授業で習ったぞ。毒性のある物もあるらしいが、躊躇とまどっている余裕はなさそうだ。

 教科書通りにサボテンの針を剣でそぎ落とし、絞って口に水を入れる。


「んぐ、んぐ、んぐっ……! ぷはぁ! 生き返る……」


 よし、喉は潤った。

 何本かサボテンを抱えて進もう。


「ガアアアアアアア!!」


 巨大なうめき声が後方から聞こえた。

 振り返ると、両手にハサミを持った甲殻類の魔獣が迫ってきていた。ザリガニの巨大版、って感じかな。サイズとしては3メートルぐらい。


 ……ちょうど腹が減っていたところだ。


 一旦サボテンを手放し、剣を構える。


「どうせ逃げるのは無理だし、やってやるよ……!」


 振り回されるハサミを躱し、飛び上がって体のど真ん中を一閃。真っ二つに解体する。

 弱い。まだ最初の方だしこんなものか。


 足を抜くと、ぷりっぷりの白い身が出てきた。

 しゃぶりつく。

 瑞々しい身だ。めちゃくちゃ美味しい。


 この足からは水分も取れそうだな。


 こうやって自給自足で食料や水分を補給しつつ、攻略していけということなのだろう。こりゃ……先が思いやられるな。


「ん? アレは……!」


 第二層に入って16時間、ようやく階段を発見した。

 小さな岩山の中に階段はある。階段を上るとあの何の変哲もない部屋に着く。

 その部屋には同じように砂時計付きの扉。俺は砂が落ち切るまで部屋で休んだ。



 ◆第3層(3日目)


 

 第三層は雪山だった。

 第二層と打って変わって極寒だ。手早く近くにいた魔獣を狩って、その毛皮で体を温めた。


「……なるほどね。こうやって色々な環境を体験させて、王子を育成したわけか」


 捜索から15時間、階段を見つけた。


「きっちぃ……!」


 猛暑からの極寒、思っていたより消耗は大きい。

 次の層の休憩部屋に着くと泥のように眠った。



 ◆第4層(4日目)◆


 

 今度はひび割れた大地がひたすら広がる場所。

 木も岩も家も、障害物が一切ない。存在するのは俺と魔獣のみ。

 ひたすら面白味のない大地を歩いていく。

 気が狂いそうになる……歩いても歩いてもなにもない。

 気温自体は普通。なのに砂漠よりも雪原よりも精神的にキツいのはなぜだろう。

 孤独感が強すぎる……。


「あぁ、ああああああああああああああああああああああっっ!!!!」


 頭と胸に濁りができた瞬間、俺は咄嗟に叫んだ。

 このままだと頭が爆発すると思った。

 人間、苦境よりも暇の方が耐え難いんだな。

 景色に溶けた透明な階段を発見した。

 この世界を作った奴は相当に性格が悪いと思った。

 


 ◆第10層(10日目)◆



 密林だ……暑いけど、砂漠と違ってカラッとした暑さではなく、ジメッとしたいやーな暑さだ。

 果物が多く成っていて、無理に魔物を倒さなくても腹を満たせる。


 ……影武者ドッペルのみんなと居た時間が遠く感じる。



 ◆第37層(37日目)◆


 

 ようやく塔の十分の一まで進めた。

 今回は夜の荒廃した村だ。魔獣の数が多い。

 大量の狼の魔獣が四方八方から迫る。俺はその全てを軽く葬り去る。

 神経が針のように鋭い。頭はクールで、落ち着いている。


 ……あれ? そういや、俺、何のために進んでるんだっけ?


 どうでもいいか。とりあえず進もう。



 ◆第50層(50日目)◆



 霧に覆われた森だ。

 死角から魔獣が迫ってくる。

 問題ない。余裕だ。目なんて見えなくても、感覚で居場所を察知できる。

 姿もわからない魔獣を斬り払っていく。


 ……そういや、一個前の層はどういう場所だったっけ?

 ……前回飯食ったのいつだ?

 ……どうでもいいか。



 ◆第62層(62日目)◆



「しりとり……りんご……ゴリラ……ら、ら、ら」


 また砂漠だ。

 これで三度目の砂漠だ。

 今回は夜で、肌寒い。

 

「ガアアッ!!」


 空っぽの鎧剣士が現れる。

 その剣士は薄く、白い蒸気を纏っている。


『見えるかい? 我が王よ。あれは魔力だよ』


 中の精霊が解説する。


「……あれ、今は夢の中じゃねぇよな?」

『どうやら君が極限状態にいるおかげで神経が研ぎ澄まされ、私とのリンクが強くなっているようだ。不幸中の幸いだね』


 精霊とはいえ、久々に会話ができたことがうれしい。


『魔力を体に纏うと纏った部位を強化できるんだ。強化魔術ってやつさ。初歩中の初歩だね』


 あっそう。

 こんな感じか?


『おぉ! さすが。完璧だよ』


 俺は魔力を纏い、鎧剣士を一刀両断する。

 今は無我の何たらって状態なんだろう。すべての無駄な情報が省かれ、目の前の敵を倒すことにのみ脳を使えている。

 必要最低限、生きることだけを考えた状態。

 自分の体の調子がよくわかる。あとどれぐらいで食事をすればいいのか、眠ればいいのか、あとどれぐらいで体力が切れるのか、手に取るようにわかる。これほどまでに自分の体に敏感になったことはない。

 


 ◆第82層(82日目)◆


 ……。

 ……。

 ……。

 ……腹減ったな。



 ◆第1??層(1??日目)◆


 ……。

 ……。

 ……。



 ◆???層(???日目)◆

 


 最近、頭にアイツの声がよく届く。


『大丈夫かい? 我が王よ』


 俺の中の精霊の声だ。


『意識が朦朧としているね。自分の名前は覚えているかい?』


……カルラ=サムパーティ。


『違うでしょ。君の名前はそれじゃない』


……ソル。


『そうだ。それが君の名前だ。その名を付けた大切な人の名は覚えているかい?』


……カナリア。


『そう。じゃあ一度、彼女の名前を口に出してみよう』


 口に出す……言葉に出す、ってことか? 

 喋る……? 喋るってどうやってやるんだっけ?

 肺から空気を吐き出して、

 同時に喉を動かして、舌を動かして、


「あ、ありあ」


 喋るってこんな難しいことだったか?

 落ち着け。ゆっくりと、喉を動かそう。


「か、なりあ……」


 その名が耳に届いた時、意識が明瞭になった。


「カナリア……カナリア……!」


 彼女の名前が俺を奮い立たせる。

 そうだ、約束した。絶対に俺が助けると――


「なぁ、この世界から脱出できるのは一人だって……お前は信じるか?」

『信じる。この空間はそれだけの強制力を持っている。あのホルスっていう子の言うことは絶対だろう。例え彼が言っていることが嘘だとするなら、真実はその嘘よりも残酷に決まっている』

「……俺もそう思う。アイツからは邪悪さしか感じなかった」


 長い長い山道を登る。


「……この世界から、一人しか出ることができないのなら……!」


 山頂に、天に続く階段を発見した。


「俺は……!!」



 俺はこの日、363階層を踏破したのだった。



 ◆364階(最上階)◆



 次の階には休憩部屋が存在しなかった。

 あったのは、石の橋。橋を渡ると、円形の足場フィールドにたどり着いた。

 反対側にも扉と橋がある。

 反対側の扉がひとりでにガチャッと開かれ、俺は約1年ぶりに自分以外の人を見た。



 ……は橋を渡って、俺と同じ円形のフィールドに到達する。



---



「よう。シグ姉」


 シグ姉の髪は前見た時よりも伸びていて、顔も少しだけ大人びている。

 表情は死んでいて、目は虚ろ、唇に以前までの艶やかさはない。


「……お前が相手とはな、カルラ」


 シグ姉は槍を持っている。全員剣を渡されるわけじゃないようだ。道中で造った可能性は……ないな。槍には豪奢な装飾が成されている。あの極限の環境でそんな装飾をする余裕なんてない。


「シグ姉、話は聞いただろ? ここから出られるのは一人だけらしい」

「ああ。悪いが、私は他の者全員殺してでもここを出るぞ」


 ビリビリとした殺意を感じる。覚悟は決まってるようだな。


『は~い、お二人さん、こんばんは。この第二ラウンドの解説をしてあげよう』


 ホルスが俺とシグ姉の間に現れた。


『屋上へ繋がる階段は片方が死んだ時に現れる。すでに下の階への道は閉ざされた』


 橋と扉が、いつの間にか消失している。


『このまま何もせず、仲良しこよしで時間を潰せばいずれこの塔の消滅に巻き込まれて死ぬよ。早く勝負を始めることだ。くだらない馴れ合いのような戦いはいらない……道化らしく、醜く争うがいい』


 ホルスは姿を消した。

 つくづくムカつく野郎だ……。


「戦う前に一つ聞きたい。シグ姉、どうして俺たちの情報を先生に売ったんだ?」


 シグ姉はピクリと眉を動かす。

 王卵に飲み込まれる前のシグ姉と先生の会話、あれを聞けば誰だってシグ姉が内通者だったとわかる。


「……先生との会話で察したか」

「それだけじゃない。シグ姉はオスプレイが飲まれた時も、ワッグテールが飲まれた時も、一人だけリアクションが薄かった。いくらクールなシグ姉でもあの反応はおかしい」


 そもそも消去法で、内通者の可能性があるのはオスプレイとシグ姉だけだった。


 レインはアレだけ先生に立ち向かったのだから可能性は低かった。

 ワッグテールはブラフを知っていた。なのに内通者はブラフに乗った。だからワッグテールが内通者である可能性も薄かった。

 カナリアは王卵の場所へ俺たちを案内したし、魔導船の場所にも案内したからまず可能性はなかった。

 パフィンはそもそも計画を知らなかったのだから論外。

 俺は言わずもがな。

 ならば候補は二人。


「クールか……ふふっ、私はそれほどクールな人間ではないよ」


 シグネット。彼女は俺が物心ついた時から物静かで、きちんとした人間だった。

 オスプレイはああだし、ワッグテールは他人への興味が薄い。ゆえに、俺たちがまだ幼い時はシグ姉が面倒をよく見てくれていた。


 いつだって冷静沈着な彼女を、俺は尊敬していた。


「私のオリジナルがクールな人間だからそう演じていただけだ。本当の私は怖がりで、ずる賢くて、些細なことで不安になってしまう」


 今の彼女は、俺の知る彼女とは違った。

 肩を震わせ、おびえる、年相応の少女だった。


「6年前、はじめて影武者ドッペルの任務に行った時にオリジナルから王卵のことを聞いた。私のオリジナルはプライドの高い人で、この儀式において自身の影武者ドッペルである私が負けることすら許せなかったそうだ。だから私に情報を与え、王卵で生き残るよう計らった」


 情報を手に入れた経緯は俺と似たようなものか。


影武者ドッペルの運命を知った私は眠れない日々を過ごした。ひと月と悩んだ末に、私は一つの結論を出した。先生に媚を売って、王卵を免れようという結論だ。結局、うまくいかなかったけどな」

「俺たちと一緒に脱出する未来じゃ駄目だったのかよ! シグ姉!!」

「無理に決まっているだろ!!」


 珍しい、シグ姉の怒号を聞いた。


「ホルスクラウンが造られず我々が島を脱出すれば! 王国は総力を挙げて我々を捕縛にかかる! 外の世界のことを一切知らない私たちが、王国の手から逃れることなんてできるはずがないっ! ……夢物語なんだ!!」 


 シグ姉は槍の矛先を、こっちに向ける。


「私は生きたい! 一生鳥籠の中の人生でいい……ひとりぼっちでいい……! それでも私は、一秒でも長く生きていたいんだ!」

「……悪いな、シグ姉。ここで、アンタの人生は終わりだ」


 俺も剣を構える。


「俺はお前も、オスプレイもワッグテールも……クレインも、俺自身も殺して、カナリアを脱出させる!!」


 そう決めた。

 俺は彼女のために、あらゆる罪を背負う覚悟だ。


「自分じゃなく、カナリアを生かすか。立派だな……お前は!」


 俺は全身に魔力を滾らせる。


「これまでの道中で魔力で身体強化する術は身に着けたようだな」


 このダンジョンで俺は強くなった。

 しかし、それはきっと、


「だが、それは私も同じ!」


 シグ姉も魔力を纏った。


「行くぞ!」


 シグ姉が飛び出してくる。

 大丈夫、シグ姉はそこまで強くない。まず槍を受け流して――


「っ!?」


 槍の矛先が、想定より早く迫る。

 なんとか剣の腹で矛を受けるも、槍は剣の表面を滑り、俺の肩を削った。


「ちぃ!」


 剣を横に薙ぎ、反撃するもシグ姉は背を低くして簡単に躱した。

 低い姿勢のまま、槍を下から突き出してくる。一撃一撃を剣で弾き、相手が一呼吸置いたところで蹴り上げる。

 シグ姉は俺の蹴りを腕でガードし、数メートル後ずさった。

 強い……これまで戦ったどの魔獣よりも強い。

 成長している。このダンジョンを越えて、格段に成長している。


「やるなカルラ。ならばこれならどうだ?」


 シグ姉は槍の矛先に魔力を集中させる。


「一点集中――“破顎はがく”!!」


 俺はシグ姉の間合いの外に居る。なのに、シグ姉は槍を突き出した。

 当然槍は空振り――のはずなのに、俺は胸の中心に悪寒を感じ、咄嗟に剣を胸の中心に重なるように出した。


 ガキン!! と剣が鳴る。


「ぐっ!?」


 重い……!

 しっかり剣で受けたのに3メートルもさがってしまった。

 

 突きと同時に矛先の魔力を飛ばしたのか。器用なことしやがる。


「後ろを見てみろ、カルラ」


 言われないでもわかっている。

 俺のすぐ後ろは崖。ステージの下はなにもない暗闇が広がってるのみ。落ちればまず、死ぬだろう。


「もう一度“破顎はがく”を受ければ場外へ落ちて終わり。かと言ってこの技を二度目で見切るのは無理だろ。私の勝ちだ」

「シグ姉は器用だな。魔力を一か所に溜めるなんて……俺にはできない芸当だ」

「諦めて降伏しろ。できれば苦しめずに終わらせたい」

「俺には魔力を一点に集中させることはできない。けどさ」


 俺は全身から魔力を立ち昇らせる。

 これが俺の全力の魔力。シグ姉の纏う魔力の5倍はある。


「ば、馬鹿な……!」

「シグ姉の槍の先にある魔力……それと同等の魔力を全身に纏うことはできる」


 走り出す。

 シグ姉はさっきと同じ技を繰り出す。


「“破顎はがく”!!」


 額に魔力の針が刺さる。が、魔力を纏った額はかすり傷しか作らない。

 俺が剣の間合いまで詰めると、シグ姉は諦めたように笑った。


「……シグ姉、ごめん」

「馬鹿め。なにを謝る必要がある」


 シグ姉の腹に、深々と剣を突き刺した。


「ごふっ!」


 初めて感じる、人を刺す感触。シグ姉の口元から、赤い血が零れる。

 殺した。

 確実に、俺は人を殺した。


「……もう、いいよね。シグネットのフリをしなくてさ……」


 いつものシグ姉の声じゃなかった。

 柔らかくて、弱々しい声だ。

 これがシグ姉の――いや、『彼女』の声なんだろう。


「ごめんねぇ、カルラ」


 彼女は俺の頭を掴み、胸に寄せる。抱きしめてくる。

 温かい、ぬくもりだ。


「……弱いお姉ちゃんで、ごめんね……信じてもらえないかもしれないけど、あなた達のことは本当に……兄弟だと、思ってたんだよ……」


 涙が、頭に落ちてくる。

 いつの間にか、俺の瞳からも涙が溢れていた。


 俺もだよ。


 俺も、本当の姉のように……思っていたんだ。

 俺だけじゃない。きっとアイツらも、あなたのことを姉だと思っていた。


「かわいいかわいい私の弟。生意気で、素直じゃない子だけど……誰よりも優しい子」


 体が、冷たくなっていく。



「愛してる」



 それが彼女の最後の言葉だった。

 その言葉を言った瞬間、彼女の体は黒く染まっていき、最後は泥のようになって消えて行った。王卵に、吸収されたのだ。


 勝者を祝うように天から螺旋階段が降りてきた。


 ……後戻りはできない。



 ---



 螺旋階段を上がる。

 屋上に出る。

 ゲンガータワーの屋上は雲よりも高い位置にあった。 

 タワーからは橋が伸びており、下の階と同じく円形のフィールドに繋がっている。

 タワーは他にも二つあって、それぞれのタワーの屋上からもフィールドに向かって橋が伸びていた。


 橋の下には雲海が広がっている。

 俺が周囲の情報を処理すると同時に、もう一つのタワーから一人、姿を現した。

 俺ともう一人は橋を渡り、ほぼ同時にフィールドにたどり着く。


「……」

「……」


 俺とそいつは、暫く喋らなかった。喋れなかった。なんと言っていいのか、わからなかったのだ。


「久しぶりだね」


 アイツは、いつもの自然な笑顔でそう言う。


「ソル」

「ああ……久しぶりだな、レイン」


 銀色の髪、

 薄紫の瞳、

 俺と同じくらいの身長。


 ずっと一緒に遊んできた、親友。


「……」


 覚悟は決めたろ。

 誰を生かすかはもう……決めただろう。迷うな。


『決勝進出おめでとう。第4王子と第5王子の影武者ドッペルよ』


 ホルスの声が空から聞こえる。


『残念ながら三つ目の塔……第1王子と第6王子の影武者ドッペルの戦いは長引きそうだ。本当はそれぞれの塔の勝者3人で戦ってもらう予定だったけど、先にお前たちでっちゃう? どうする? 3人目を待つかい?』


 俺とレインは目を合わせ、互いに同じ結論を出す。


「いや、いい。始めよう」

「うん。僕も同意見だ」


――カナリアに俺たちが殺し合うところを見せたくない。


『了解。いつでも始めていいよ』


 レインは手に長斧、ハルバードを持っている。

 だけどまだ構えていない。アイツがやる気になってないのなら、俺も剣を構えまい。


「カナリアがオスプレイってことは、お前はワッグテールを倒して来たわけだ」

「そうだよ。ワッグテールを殺して、ここに来た。君はシグ姉を……って聞くまでもないよね」


 俺の剣にも、レインの斧にも、血がべっとりと付いている。兄弟の血が。


「レイン。俺はカナリアを外に出したい。お前は――」

「僕は、自分の命が最優先だ」


 きっぱりとレインは言う。


「……お前、カナリアのこと好きじゃなかったのか?」


 一緒に居ればわかる。

 コイツはカナリアに対し友愛ではなく、家族愛でもなく、異性に向ける愛情を抱いている。

 だからコイツなら俺と同じようにカナリアを救うことを第一優先にすると思った。もしコイツがカナリアを助けるつもりだったら……俺はこの剣で自分の首を掻き斬った。だけど、


「そうだよ。僕は彼女が好きだ。愛してる。一人の女性としてね。でも、この好きという感情、愛しているという感情は僕が存在してこそだ」


 レインはゆっくりとハルバードを構える。


「僕は君と違って自己愛が強いんだ。君も、カナリアも、大切な存在……だけど、自分とは比べられない。それが答えだ……」

「……そうか」


 レインの思考が当然だ。責めることはできない。


「わかった」


 覚悟を決め、剣を構える。


「……君の本気、今日こそは見られるかな」


 レインが魔力を滾らせる。

 その魔力量は俺とほぼ同等だ。やはりレインも、このダンジョンで鍛えられている。


「レインッ!!」

「ソルッ!!」


 俺たちは叫び、武器を重ねる。

 攻撃の衝撃で大気が震え、フィールドにヒビが広がる。


「これが君の本気かい?」

「なんだと……」

「これでカナリアを救うだなんて、笑わせる!」


 レインは剣ごと俺を弾き飛ばし、


「“鬼神乱撃きしんらんげき”」

「!?」


 レインは長斧を頭上で回して勢いをつけ、その勢いのまま俺に向かって斧を縦横無尽に振り回してきた。

 なんとか剣で受けるが、一撃一撃が半端ない威力ッ!


「う! ぐっ!?」


 まるで嵐だ! この乱撃に飲み込まれたら最後、全身細切れだ。

 レインの攻撃の衝撃を利用して後ろに飛び退く。

 そしてすぐさま魔力を纏い、突きを放つ。


「“破顎はがく”!」

「くっ!?」


 突きで魔力を飛ばすこの技はシグ姉が使っていたものだ。

 レインは魔力の針を斧で逸らすが肩に掠らせた。小さな血しぶきが上がる。ようやく、嵐は止まった。


 さてと、今のでわかった。アイツの間合いに入ったら駄目だ。 


 ならば間合いの外から“破顎”でチクチクとダメージを重ねるか……いや、レインはそんな甘くない。初見だからダメージを与えられたものの、次からは完璧に対応するだろう。初撃ですら反応されたしな。


「……」


 俺の手札の中にレインに有効なモノはない。

 作り出すしかない。新しいカードを――


「そっちが来ないなら、こっちから仕掛けさせてもらうよ」


 レインは胸の中心に親指を立てる。

 するとレインの胸の中心から赤い魔力が滲みだし、レインを覆う。


「“鬼気天輪ききてんりん”」


 瞬間、レインはまたたく間に俺との距離を詰めた。


「はえぇな、この野郎……!」


 斧の一撃を剣で受ける。


「つっ――!?」


 ガキィン!! と俺は空に打ち上げられた。

 なんてパワーだ……10メートル近く叩き上げられたぞ。手が痺れる。剣も悲鳴を上げてる。

 赤い魔力……恐らく通常の魔力より肉体強化に向いた魔力なのだろう。纏ってる魔力の量は俺と同じなのに、俺とは段違いのスピードとパワーだ。


 強い。本当に。

 これがレインの力。

 限界を極めなければこいつには届かないっ!!


「……思い出せ」


 俺の体は最高点に達し、落下を始める。


 リンとの戦いを思い出せ。

 あの時、死を目の前にして、力が漲った。きっと俺の性格の問題なのだろう……ギリギリまで追い詰められないと全力を出せない。

 今がそのギリギリだ。そろそろ本気出せよ、俺の体……!


「やっと、本気になったね」


 さっきまでと比べ倍ぐらいの魔力を纏う。さらに、その魔力の8割を剣と腕に集中。残りの2割は攻撃の衝撃で体が壊れないよう保護に回す。魔力の操作、これはシグ姉から学んだ技術だ。


 最大の魔力を最適にかす――!


「レイィィィィィンッッ!!!」


 落下しながら剣を振り下ろす。


「来い! ソル!!

――“鬼籍きせきおくり”!!!」


 レインは斧を振り上げ、剣に合わせる。

 剣と斧が衝突する。


「うおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!」

「だああああああああああああっっっっ!!」


 互いの本気の一撃。

 白い魔力と赤い魔力が火花を散らす。

 力は拮抗していた。だが、


「……」

「は?」


 突然、レインが力を抜いた。

 レインの斧が、斬り裂かれる。


「レイ、ン……?」

「彼女を任せたよ。ソル」


 もう剣は止まらない。


 コイツは、最初から……!


「ばっっか野郎が……!」


 レインの肩から脇腹にかけて、剣は振り下ろされる。

 鮮血が、目の前に飛び散った。



 ◆◆◆



 僕は自分が大嫌いだった。

 オリジナルに憧れて、オリジナルに嫉妬して、ずっとオリジナルと自分を比較して生きていた。

 オリジナルより強く、オリジナルより誇り高く、オリジナルより知的で、人格者に……オリジナルよりオリジナルよりオリジナルより……。


 僕こそクレイン=サムパーティだと証明したい。そう強く願った。


 影武者ドッペルという肩書をもっとも嫌っていたのに、僕が一番、その肩書に囚われていた。

 誰かの代わりという事実が許せなくて、もがき苦しんでいた。

 そんな僕を救ってくれたのは……彼女だ。


『“レイン”! 古代語で、雨って意味!』


 レイン。その名前を与えられた時、頭の中にあった色々なしがらみが吹き飛んだのを感じた。

 僕は僕でいい。オリジナルと、クレイン=サムパーティと比べる必要はない。クレイン=サムパーティになる必要はない。


 僕はレインでいいんだ。


 自分というものを初めて認められた気がした。だからつい、涙を流してしまった。


『レイン……レインか。ふふ、レイン、レイン、レイン……』


 何度も自分の名前を呼んで、確かめた。

 ここから出たらレインとして生きよう。あと数年の辛抱だ……そう思っていたのに、世界は甘くなかった。


『俺たちは全員、ホルスクラウンの素材になって死ぬ』


 ソルから告げられたその言葉で、僕はまた昔のような思考パターンに陥った。

 結局自分は、人間ではないのだと……思い知らされた。でも、


『ここから出て、ソルとレインとして、生まれ変わろうぜ。今度は人としてな……』


 彼のその言葉で、また立ち直ることができた。

 僕はとても弱い人間だ。君たちと違ってすぐに揺らぐし、すぐに自信を無くす。


 それでも、最期ぐらいは強い人間でりたい。


 だから君の剣を受け入れた。

 僕は君たちのために死を受け入れるよ。それが強さだと思うから……。



「レイン」



 彼のつぶやきで、目を覚ます。

 僕は彼の膝の上に寝ころんでいた。


「……ねぇ、ソル。君は輪廻転生って信じる?」

「……信じるよ」

「……もしも次、生まれ変わったらさ、僕は真っ先に君たちの生まれ変わりに会いに行くよ。場所は……港町がいいね。僕らはみんな、海の見える町に生まれるんだ」


 熱い太陽が、

 青い海が……見える。


「普通の学校に行って、学校の帰りに気まぐれに海に行ったりしてさ、みんなで泳ぐんだよ。夕暮れが見えて、僕と君が疲れて砂浜に上がっても、彼女だけは元気に泳いでてさ……そんな彼女を、やれやれって顔で僕らが見るんだ」

「ははっ。簡単に絵が浮かぶぜ」

「……休日は山に登ろう。山頂から世界を見下ろして、見える限りの全ての場所に行こう。大人になったら冒険に出て、見えなかった場所も一緒に行こう……きっと、楽しいよね……」


 視界が暗くなる。

 終わりが近づいてくる。


「レイン。お前と会えて良かった……またな」

「……」


 またね。と言ったつもりだけど、多分声にはなってない。

 ああ……次の人生に行く前に、叶うことなら、最後に……彼女の声を。



---



 まばたきをすると、レインの体温は腕から消えていて、レインの姿は無くなっていた。


 涙は流さない。アイツの願い……カナリアを救うまでは、涙は流さない。


「おい、居るんだろ。ホルス」

『はいはーい、いますよ~』


 青年が姿を現す。

 第一階層で会ったホルスの面影がある青年だ。


『我の姿に驚いたかい? 吸収が進んだことで我も成長したんだよ。歳にして15ってところかな』

「お前のことはどうでもいい。第1王子と第6王子の決闘は……どうなった?」


 俺の問いに対し、ホルスは口角を上げて、


『いま終わったところさ。おめでとうカルラドッペル! お前が優勝だ』

「……なにを、言ってやがる……?」


 ホルスが指をパチン、と鳴らすと、光で出来た階段が空に向かってできた。階段の先の空間には穴が空いていて、穴の先には影武者教室が見える。


『第1王子と第6王子は相討ちさ。二人で同時に致命傷を受けた』

「馬鹿言うな!! ふざけっ!! ふざけたことを……!!」


 興奮でうまく舌が回らない。

 俺はホルスから視線を外し、三つ目の塔、オスプレイとカナリアが居る塔へ足を向け、走り出す。


『あーあ、無駄なのに』


 馬鹿にした声でホルスは言った。



 --- 



 塔の中に入る。

 螺旋階段を下る。


「オスプレイ……?」


 まず目に入ったのは腹から大量の血を流すオスプレイ。すでに体は微動だにせず、触らずとも生命活動が終わっていることはわかった。


「ちっ!!」


 オスプレイから目を背け、カナリアを探す。


「……ソル。よかったぁ、無事だったんだね」


 背後から、声が聞こえた。


「カナリア!!」


 元気そうな声だ。

 なんだよ、やっぱアイツの虚言だったんじゃねぇか!


 声の方を振り返る。


「カナリア、お前も無事――」


 カナリアの脇腹には、剣が刺さっていた。

 それなのにカナリアは満面の笑みで、


「……また会えて、本当に……良かったよ、ソル」


 カナリアはそう言って、膝を落とした。


「カナリアッ!!!」


 駆け寄り、肩を揺らす。


「しっかりしろ! おい!! ――ちっくしょうが!!!」


 俺はカナリアの肩と膝を抱き、立ち上がる。


「耐えろ! もう外への道は開かれてるんだ。あともう少し耐えれば、二人で外に出れるから……!」


 螺旋階段に足を掛け、上る。


「……オスプレイはね、私の願いを聞いてくれたの。私はここで終わりでいいって……」

「喋るな……」

「だから私もオスプレイの願いを聞いてあげたの。私と同じ……みんなと、殺し合いたくないって願いを……だから、一緒に……」


 二人で互いの刃を受け入れたってわけか。

 くそ! どいつもこいつも自分勝手なことばかりしやがって!!


「ごめんね……もう、君の側には……」

「海に行くんだろ! 海の水がどんな味か、知らないまま死ぬ気か!? ふざけるな!! 絶対、俺がお前を助ける、助けるんだよ!!」


 これまでの戦いで体はボロボロだ。

 それでも力を振り絞り、螺旋階段を上り切る。


「ねぇ、聞かせてよ。私の名前……もう、決めたんでしょ?」

「外に出たら――」

「いま、聞かせて」


 ふとカナリアの顔に目をやると、カナリアはニッコリと笑顔を浮かべていた。

 その笑顔はどこか諦めの表情に見えて……。


「“シレナ”だ……お前の名前は、シレナだよ」

「シレナ……それって」

「古代語で、人魚って意味だよ。海を自由に泳ぐんだ。それにな、人魚って声が美しいんだよ。お前にピッタリじゃないか……」


 カナリア――シレナは、一筋の涙を流す。

 同時に、俺の足は光の階段に乗った。


「すっごく、良い名前だなぁ」


 シレナの体が、ずし……と重くなる。


「待て! あと少し、あと少しなんだ! シレナ!!」

「ありがとね……ソル、最後に……最後に私を、人間ホンモノにしてくれて……」

「……お前」


 コイツはいつも自由奔放で、自分が影武者ドッペルだとか、そういうことに無頓着に見えた。

 けれど、違ったんだ。本当はコイツが一番、影武者ドッペルという事実にコンプレックスを抱いていたんじゃないのか。だから名前も――


「……私たちは、偽物なんかじゃ……ないよね」


 俺は何も、コイツのことを理解してなかった……!


「あ~、凄いよソル! レイン! 一面、海だ……誰もいない。泳ぎ放題だよ……」


 シレナの目は真っ暗で、

 もう、現実を映してはいなかった。


「……ほらソル、こっちに来て、海の水飲んでみなよ……ね? 私の言った通りでしょ……?」


 外に繋がる穴まで、あと数段――



「とっても、甘い、ね」



 シレナの体は黒い泥となり、俺の腕から零れ落ちて行った。



 ---



 穴から外に出る。

 空っぽの教室。主人のいない机と椅子が並ぶ。先生の姿はない。

 手には剣がある。王卵から出ても消えるわけじゃないみたいだ。

 振り返ると、王卵に繋がる穴はもう無くなっていた。


「……」


 学校から外に出る。

 学校に影が掛かっていたので空を見上げると、真っ黒で巨大な卵が空に浮かんでいた。王卵とまったく同じ形だ。王卵が影武者ドッペルを吸収し、成長した姿なのだろうか。……どうでもいいか。


「クケー!!」


 石で造られた鳥、ガーゴイルが表には居た。


「あぁ? 何言ってるかわからねぇよ」


 俺は手に持った剣を振りかぶる。するとガーゴイルは怒号と共に襲い掛かってきた。

 前までの俺とは違う。肉体も、精神も。

 以前は負けた相手、だが今回は負ける気がしない。


 三回、剣を振るう。ガーゴイルの首と、両の翼を断ち斬った。


 ガーゴイルを始末すると、突然風景が入れ替わり、俺はいつか見た湖の前に立っていた。


『覚悟はできたかな? ソル』


 大剣の上から彼女は聞いてくる。


「俺も、アイツらも、本物だったんだ。影武者ドッペルじゃない……俺たちは、人間だった」

『でも世の中は君たちの存在を認めないだろう。偽物だと、贋作だと、あざけるだろうね』

「わかってるさ。だから、もう決めたよ」


 俺たちが本物だと、証明する道は一つ。



「俺の、未来は……」



◆◆◆



「君の名前はアイビス=サムパーティだよ」


 仮面を被った女性にそう名付けられた。

 私の中で最も古い記憶だ。

 名付けられた、という表現は正しくないかな。それは私の名前ではなく、私の役割の名前だったのだから。


 第3王子の影武者ドッペル、それが私の役割だった。


 他にも同じ境遇の子供が8人居た。この島に居るのは影武者ドッペル9人と先生が2人。合計11人。

 先生には大先生と先生が居て、大先生も仮面を被っていたけど、声や肌の感じから老人だとわかった。私が物心ついた時には多分、70歳ぐらいだったのではないのだろうか。


「我々は影、何者にもなれん。『自分』を持ってはいかん」


 続けざまに大先生は言う。


「影の未来に栄光はない」


 それが大先生の口癖だった。

 大先生はよく、私の話相手になってくれた。だけど、私が14歳の時に心臓発作で亡くなった。その死に顔すら、私は拝むことを許されなかった。


 私には大先生以外にもう一人、話し相手が居た。


「この足音……アイビスね」


 彼女は第2王子の影武者ドッペルで、目が見えず、足も不自由だった。

 いつも彼女は窓辺で本を手に持って、私を待っていた。


「今日はこの本、読んでくれるかしら」

「いいぞ。任せろ」


 私は朗読が好きだった。

 キャラクターのセリフをそのキャラクターに成り切って読むのが好きだった。

 私が悪役のように声を低くすると、彼女は笑った。私が女性の声を出すと、彼女は驚いた。

 彼女に朗読するこの時間が、人生で一番幸せな瞬間ときだった。


「……アイビスは器用ね」

「俺のオリジナルもかなり器用な人間みたいだからな。影武者ドッペルの俺も、同じように器用な造りなんだろう」

「本当に凄い。本の中のそれぞれの登場人物にピッタリな声出して……でも、あなたがアイビスとして喋る時だけ、ぎこちない」

「そうか?」

「うん。無理して話してない?」

「……物語に浸っている時はどんな声でも出せるんだけど、素の状態だとどうも難しくて。特にアイビスの口調は俺に合ってないんだ」

「そうなんだ。それならさ、一回好きに話してみてよ」

「でも、先生に聞かれたら怒られる」

「今はいないよ。お願い。あなたのを聞かせて」


 うながされるまま、私は声を出した。


「……わかりました。本当はゆったりとした口調で、丁寧な言葉遣いが私の口に合っているのです。うん、この声と口調なら自然に喋れます。どうでしょうか……あまり、男らしくないですよね。変、ですよね」

「ううん、そんなことないわ。とっても素敵な喋り方。聞きやすくて、心によく馴染む。私……今のあなたの声が一番好きよ」


 彼女は笑顔で言う。とても、美しく儚げな笑顔で。

 思わず照れて、顔が赤くなってしまう。


 とても大切な人だった。

 世界で一番大切な人だった。

 彼女さえいれば、この世界のあらゆる不条理に立ち向かえる気がした。

 しかし、世界は私の覚悟を容易く踏みにじった。


――王卵が起動した。


 私が18歳の時だった。

 目が見えず、歩けない彼女が魔獣巣食うダンジョンで生き抜けるはずもなく。



 --- 



 花畑の上に立ち、

 私は来客を待つ。


「来ましたか」


 ザ。と足音を立てて、少年が木影から現れた。 

 少年――いや、今はもう青年か。黒い髪の青年だ。


「少し、背が伸びましたね」

「……」


 青年――カルラは喋らない。

 ジッと、私を睨むのみだ。


 つかいにやったガーゴイルの気配がない。倒されたか……。


「やはり、あなたが勝ち抜きましたか。あなたかクレインのどちらかだと思っていましたよ」


 影武者ドッペル9人の中でこの2人は飛びぬけた戦闘力を誇っていた。

 しかし、8割方クレインが勝ち残ると思っていた。カルラが来たのは僅かに驚きだ。


「本来なら、今日からあなたには『先生』になってもらう予定でしたが……残念ながらカルラ、あなたには今日、ここで死んでもらいます」

「意味がわからないな。俺は王卵を生き抜いた。俺が次代じだいの先生のはずだろ」

「……本来、王卵の儀が終わったら王卵は消え、8つの王冠となって世界に散らばる。だけど、王卵はまだ消えていない」


 未だに学校の上には巨大な王卵がある。

 儀式が完遂されていない証だ。


「どうやらが足りなかったようです。原因はハクでしょう。ハクの遺体はあまりにも損傷していて、人間一人分の生贄にはならなかったのです」


 ハクは下半身が灰になっていて、上半身も焼け焦げていた。アレでは十分な生贄にはならない。


「アルバトロス、パフィン、ハクの3人で王卵は無事第二形態になった。だから何とか足りていると思っていたのですが……見当違いだったようです」


 まったく第9王子オリジナルめ、余計なことをしてくれた。


「ホルスクラウンを造るにはあと一人分、王族の血が足りない」

「……だったら別に、アンタをあの中にぶち込んでも儀式は成るだろ?」


 なるほど。

 やはり、鋭い子だ。


「なぁ、いい加減……その仮面外せよ」

「……」


 もはや隠す必要もないか。

 私は真っ黒なマスクを外し、顔を晒す。

 を外気に晒す。


「アンタも誰かの影武者ドッペルだとは思っていたが、まさかアイツの影武者ドッペルとはな」


 この姿を、また見せる日が来るとは思わなかった。

 

「現国王、アイビス=サムパーティの影武者ドッペル。それがアンタの正体か」

「そういえばあなたは任務の際に、あの方に会っていたのでしたね。その通りです。私も影武者ドッペルとして育ち、そして王卵を勝ち抜き先生となった者です」


 腰から剣を抜き、カルラに向ける。


「私とあなた、どちらかは王卵へと還り、ホルスクラウンを成さなければならない。勝負ですカルラ……『先生』の座を賭けて」

「生憎だが、俺は『先生』なんてちゃちな席に用はない」

「……なんですって?」

「俺はさ、先生、本物になりたいんだよ」


 この子は……一体なにを言っているんだ?

 私たちは影武者ドッペル、偽物だ。それは産まれた時に決まったことであり、覆すことはできない。


「我々は生まれながらに偽物です。本物にはなれません」

「なれるさ。一つだけ方法がある。俺たちが本物になって、アイツらが偽物になる方法が」


 諦めの悪い。

 そんな方法があるはずがない。


「聞き分けのない子ですね……私たちはこの鳥籠から出ることはできない。王卵で抗いようのない運命があると知ったでしょう? 贋作として育ち、代用品として死ぬ。それが我々の運命だ。もしくは私のように、『先生』としてリサイクルされる運命しかない」

「俺は違う。この鳥籠を破り、この国を奪う」


 国を、奪う……?

 まさか、


「まさか、あなたは……!」

「もしも俺がさ、玉座に座ったら……誰も俺を影武者ドッペルと言えないだろう。あの王冠を手に入れることができれば、俺も、散っていった兄弟たちも、本物になれると思わないか? 誰も俺を、俺たちを、偽物とは呼べない。呼ばせない……!」


 ずっと、自分に関心がない子だった。

 運命を受け入れ、従う子供だった。

 だけどどうだ、いま私の目の前にいるこの青年の目には……確かな風格が見える。運命を打ち砕く、勇者の瞳だ。


「ハッキリと言おうか?」


 青年は真っすぐな瞳で、言い放つ。




「俺が王になる」




 青年が覚悟を口にすると、彼のすぐ側に白装束の女性が現れた。

 どこか神秘的なあの雰囲気は間違いなく、


「――精霊!?」


 馬鹿な! この1年の間に、精霊術を習得したのか!?


『ようやく決心したな。我が王よ。ずっと待っていた……君が“王になる覚悟”を決める時を! それこそが我を従える資格!! 今こそ教えよう! 私の名は――』

「いいよ。聞かなくてもわかる。行くぞ! ――“エクリプス”!!」


 彼の纏う魔力が大きく、猛々しく燃え上がる――!!



「構えろよ先生。王の資格ってやつを見せてやる……!」



---



 シレナ、レイン。

 これが俺が選んだ道だ。

 応援してくれとは言わない。


――見守っていてくれ。


 エクリプスが消え、代わりに真っ黒な棺が縦に落ちる。


「精霊術――“臨禰填製りんねてんせい”」


 俺の側に落ちた棺の蓋が開かれる。

 中に掛けてあったのは鳥の模様が描かれたマントだ。


 先生は怪訝な表情でマントを見て、剣を構え直した。


 俺はマントを羽織り、剣を握って飛び出す。


「見せてもらいましょうか。この1年で成長したあなたの力を!!」


 俺は間合いの外から――剣をぶん投げた。


「またあなたは……!」


 先生は態勢を崩しながらも剣を弾く。


「そう簡単に武器を捨てるものじゃ――」


 がら空きの懐に潜り、右拳を握る。


「速い!?」


 右拳で先生の腹を殴る。


「“石化せっか”」

「!?」


 インパクトの瞬間、俺の右拳はになった。


「……ぐふっ!」


 先生を思い切り殴り飛ばす。

 先生は花畑の外、4本の木々をなぎ倒してようやく止まる。


 上空に弾き飛ばされた剣をキャッチし、先生に向ける。


「教えてやるよ先生。“臨禰填製りんねてんせい”は骸を武器に変える力だ。武器の能力は骸の性能によって変わる」


 先生は血の痰をペッと吐き出し、


「……この島に人間の遺体はないはず。一体そのマントは何から作ったのですか?」

「“臨禰填製りんねてんせい”の対象は人間だけじゃない。魔獣や動物も対象だ」

「っ!? そうか、ガーゴイルの遺体を利用して……!」

「ペットから目離しちゃダメだろ、先生」


 ガーゴイルから造られたこのマントの名は“石化法衣せっかほうい”。

 マントを羽織ることで好きなタイミングで好きな体の個所かしょを石化できる。


「わざわざ能力を教えてくれるなんてね。余程、私をあなどっていると見える」

「俺は王になる男だぞ。アンタみたいな負け犬相手に、手札を隠すようなことはしない。その程度の器量じゃないさ」

「挑発ですか。いいですね、乗りましょう」


 先生の後ろに、全身を鎖で縛られ逆さづりにされた男の精霊が現れる。


「精霊術、“憑神・奴隷王ハングドマン”」


 精霊が先生の中に入る。

 すると先生の全身に鎖のような痣ができて、両手両足には鎖の外れた枷が付いた。


影武者ドッペルの未来に栄光なんてない。それを教えて差し上げましょう」


 先生が俺の居る花畑に向けて走り出す。

 その速度は王卵で戦ったレインよりも上だ。俺は避けることはせず、真っ向から剣で先生の刃を受ける。


「つっ!」


 片手で振るわれた剣を、両手で握った剣で受ける。

 それなのに、この衝撃――駄目だ、受けきれない!


 キィン! と弾かれるが、なんとか剣を手放さないように右手で剣は捕まえている。そのせいで右腕が上がり、右脇腹がガラ空きになった。

 先生はその隙を逃さず、剣を握っていない左拳を脇腹に叩きつける。


――“石化”。


 直前で、右脇腹を石化させる。

 防御力は肉体強度+魔力密度で決まる。石の強度に集中させた魔力、これなら防げる……と思ったのだが、


「――っ!!?」


 今度は俺が、思い切り殴り飛ばされた。

 花畑外の大木まで飛ばされる。幹にぶつかり、地面に落ちる。


「なんだこの馬鹿げた腕力は……」


 脳内にエクリプスの声が響く。


『精霊にも多くの種類がある。アイツの精霊は呪神のろいがみ、術者に憑依する精霊。精霊を憑依させた人間は身体能力に多大な強化作用を生み出す。アイツとの肉弾戦は分が悪いぞ、ソル』

「……いいや、やりようはあるだろ」


 剣を握り直し、立ち上がると、


「!? 体が……!」


 重い。

 疲れから来るものじゃない。上から、ズッシリと押さえつけられている感じだ。


「私の精霊術が、たかが身体強化だけだと思いましたか?」


 余裕の顔で先生が歩み寄ってくる。


「先ほどの礼で教えてあげましょう。精霊奴隷王ハングドマンを憑依した私は相手にダメージを与えるたび、相手の体を重くすることができる。ダメージが深いほど、重量も増える」


 体の重さに負けて、膝をつく。


「術の名は“グラビティ・チェイン”」


 そうか。

 先生と手合わせした時、レインが動けなくなったのはこの術の効果か……。

 やはりあの時、この人は精霊術を使っていたんだ。今のこの力を見るに、かなり加減はしていたようだがな。


「思い知りなさい。我々は生まれながらに羽をがれた鳥なのです。この鳥籠から羽ばたくことなど――」

「もういいよ先生。いい加減、アンタの弱音は聞き飽きた……!」


 全身から魔力を放出し、立ち上がる。


「凄まじい魔力量……! その重さでよく立てましたね。けれど、それだけの魔力で体を強化したところで、私の身体能力には及ばない」

「あっそ。そんなら、諦めて逃げるとするかな!」


 背後の大木に足をかけ、駆け上がる。


「無駄な足掻きだ」


 先生は俺が駆け上がっている大木を一刀両断する。


「そこは退路ではなく、死路でしたね。カルラ」


 大木が倒れ始める。


「死路でもないさ。ここが俺の、生きるみち……!」


 矛先を先生に向ける。


「だから無駄だと言っているでしょう。翼のない我々に、空で出来ることなどない。ただひたすら落ちるのみ。私はただ、落ちてくるあなたの攻撃を避けて、カウンターをぶつけるだけです!」


 上空14メートル。


「レイン。お前の技、使わせてもらうぜ」


 魔力の色を白から赤へと変換させる。


「“鬼気天輪ききてんりん”!」


 さらに俺は剣に魔力を纏い、突きを放つ。


「一点集中――“破顎はがく”!!」


 赤く染まった魔力の針を先生に飛ばす。これまでの“破顎はがく”とは比べ物にならない速さだ。

 先生は反応できず、魔力の針は先生の右膝を穿った。


「しまった……!」


 最初に投剣を見せたことで俺に遠距離技がないと踏んでいたのだろう。そのせいで反応が遅れた。計算通りの展開。

 俺が木を登ったのはこの千載一遇の隙を突くためだ。“破顎はがく”を受け、怯んだ先生の隙を突くために登った。体が重くとも、落下を利用すれば速度は出せる。


 大木の幹を思い切り蹴り、先生に向けて高速で落下する。


「“電光石化でんこうせっか”!!」


 右眼以外を一瞬ですべて石化させ、落下ダメージと攻撃の反動によるダメージを減少させる。本来、体の保護に回すはずだった魔力を剣と腕に込める。

 

 先生は膝がやられている。この速度の攻撃を退避することは不可能。



「うおおおおおおおおっっ!!!」



 先生は仕方なく俺の振り下ろしの一撃を剣で受けるが、俺は剣ごと先生の右腕を斬り落とした。

 石化で増した重量+高密度の魔力+高速。この一撃の重さは測り知れないモノだ。例え精霊の力で肉体強化していても受けきれるモノじゃない!


「……これが、君の――!」

「違う! の力だ!!」


 あの地獄で手に入れたすべての力を使って、

 俺は、真の王乱を勝ち抜く!!


「くっ!」


 先生は左手で手刀を作り、振り下ろしてくる。


「おせぇ」


 全身の石化を解除。

 そのまま剣を振り上げ、先生の左腕も斬り捨てる。


 決着はついた。


「……ないと思うが、一応聞いとく。遺言はあるか?」

「私の部屋に、これからのあなたの旅に必要な物がある。――持っていきなさい。卒業祝いです」

「そうか。……ありがとう」


 俺は先生の胸に、剣を突き立てた。


---



 先生との戦いに決着が着くと、ホルスが目の前に現れた。

 もうすっかり、大人の姿だ。


『そこの遺体ゴミ、貰っていいかな?』


 ホルスは先生の遺体を指さす。


 俺が王になるためにホルスクラウンの製造は絶対条件。

 先生の遺体は良い武器に変わりそうだが、やむを得ない。


「勝手にしろ」


 ホルスは先生の遺体、捥げた腕も抱えて、天へと昇っていく。


『これからお前は争奪戦に参加するのだろう?』

「……止めるか?」

『いいや。影武者ドッペルが王位争奪戦に参加するのは初めてだ。お前がどういう結末を辿るのか、楽しみにしているよ』


 俺はホルスを睨みつけ、


「いずれテメェも殺す。覚悟しとけ」

『クク……! やれるもんならやってみな』


 ホルスと先生は王卵へと還っていった。


 王卵は黄金に輝き、破裂する。


 王卵が消失すると同時に天に浮かぶ八個の王冠。それぞれ赤、青、黄、緑、紫、黒、白、ピンクの宝石が埋め込まれている。

 王冠は高く高く空に昇ると、流れ星のように八方向に散っていった。


 これで本当の意味で儀式が終わったのか。


 島には俺一人が残された。

 王都から何らかの使者が来るにしても、そうすぐには来ないだろう。

 すでに夕方だったので、俺は出発は明日にすることに決めた。


 まず足を運んだのは見慣れた教室。


 17年間――いや、この1年間は除いて16年間、世話になった教室。みんなの影が見える。

 空っぽの教室を記憶に刻み込み、次に先生の部屋に行く。


「……これからの旅に、必要な物……か」


 先生の机の中に、それはあった。

 黒い、ハーフマスクだ。目元が隠れるマスク。裏には見慣れない図形が描いてある。

 俺の顔はカルラと同じだ。外で穏便に過ごすためには隠す必要がある。確かにこれは、必要なものだ。


 伸びた髪は切らなかった。

 カルラが普通の長さだったから、俺は伸ばすことにした。特に深い理由はない。


……気持ちの問題だな。


 ただ邪魔なので、結んで束ねておこう。


「こいつも貰っておこう」


 部屋にあった国の地図も拝借した。

 脱出用の保存食をリュックいっぱいに詰める。そしてアレも……。


「……」


 部屋に隠して管理していた、花冠。

 シレナに貰った花冠も、リュックに詰めた。


 旅の準備を終えた後……墓を作り始めた。

 元々あった二つの墓に加えて、新たに七つの墓を作った。 七つの墓にそれぞれ名を刻む。

 九つの墓、一人の先生と八人の兄弟の墓を眺める。


 アトラス(地図)

 セーラス(極光)

 ソフォス(賢者)

 ペタルダ(蝶)

 レイン(雨)

 シレナ(人魚)

 アントス(花)

 イノセンス(無垢)

 クロウリー(冒険家)

 


 悪いな……いつか、もっと大きな墓を建ててやるからさ。

 今はこれで勘弁してくれ。


「……行くか」


 夜が明けて、地下空洞へ行く。

 迷路のような道を抜け、魔導船へ。

 魔導船の操縦桿に魔力を込める。するとユラユラと魔導船は動き始めた。数分でコツを掴み、海へ出る。魔力の操作はもう慣れたものだ。


 薄暗い早朝、日の出が海の先に見える。

 とても静かだ。見送りは誰もいないはず……なのに、アイツらが見送ってくれている気がして、涙が込み上げてきた。


「うっ、ぐっ……!」


 きっと、もう暫くは戻れないと思うから。

 さようなら、みんな。


「―――――っっ!!!!」


 泣き叫んだ。

 これから先は泣いてる暇なんてない。

 だから俺は、誰もいない海のど真ん中で泣き叫んだ。

 涙が枯れるまで、ずっと……。



 創暦1868年5月2日。



 俺は世界へ飛び立った。



 ◆ヴィンディア王宮・円卓の間◆


 

 円卓を囲むは国王と8人の王子。

 灯りは円卓に乗った蝋燭の火のみで、暗く、王子の顔はよく見えない。


「今回は突然の招集に応じてもらって嬉しく思うぞ、我が子たちよ。と言っても、クレインの馬鹿は居ないが」


 ひとつだけ、席は空席である。


「ホルスクラウンは造られ、すでに各地へ散らばった」


 国王の言葉に、王子たちは多種多様な表情を浮かべる。

 笑う者、

 悲しむ者、

 無表情、

 欠伸をする者、

 様々だ。


「戦場は完成した。各々が親衛隊を連れ、冒険に出るといい。他の王子を殺すのもこれより自由だ。ただし、王都を出るまでは互いに干渉することを禁ずる」


 国王は席を立ち、声を大きくしていく。


「生まれた順番も関係ない、男だ女だも関係ない。性格も、能力も、どれだけ愛国心があろうとも、なかろうとも、関係ない。ホルスクラウンをが問答無用で次の国王だ」


 最後の一節を聞き、カルラは微笑んだ。



「さぁ始めようじゃないか……王を決める争いを! 王乱を!!!」



 話が終わり、王子たちが去る。

 一人取り残された王の下に、一人の従者が訪れる。


「国王様、どうやらこの王位争奪戦にイレギュラーが二つ紛れ込んだようです。いや、イレギュラーが二人、と言った方がよろしいでしょうか」

「把握している。捨て置け……それはそれで面白いではないか」


 国王はある一人の少年の顔を思い浮かべる。



「王子だろうが影武者ドッペルだろうが関係ない。王冠を手にした者が――王だ」



――――――――――

【あとがき】

『面白い!』

『続きが気になる!』

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何卒、拙い作家ですがよろしくお願いします!

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影武者教室 空松蓮司 @karakarakara

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