Case.黄鷺都稲 後篇


「っはー! お疲れ様でーす! ふぃー……」

「……随分と疲れてるな」


 ラボ東京支部。帰ってきた同僚を見ると、疲労困憊といった様子でよろよろとしており、そのままソファへとぐったりと座る。


「……舎喰しゃぐいだったんすよ……」

「舎喰か……規模は?」

「二階建ての一軒家っす。無機物に取り憑くなんて、怪物も多彩っすよね……倒す側の身にもなって欲しいけど」


 赤島あかしまは肩を回す。久我くがは同情の視線を送った。舎喰の厄介さは自分も身にしみていたからだ。

 核を壊さねば何度も再生する、しかもその核は舎喰の腹の中とも言える屋内の最奥にあるのがセオリーで、怪物の中でも相手にしたくない類だ。


「もー大変で。中で出て来るモノほっとんど焼き斬りましたよォ……核は黄鷺きさぎ先輩が叩き割りましたけど」

「舎喰なら、黄鷺の叫刀きょうとうが一番楽だったんだがな」

「え、なんすかそれ! 黄鷺先輩の叫刀ってどんな感じなんすか?」

「叫刀、絶殺ぜっさつ。斬った相手を死に至らしめる叫刀だ。舎喰相手だとしても外側から一部を斬ればそれでカタがつく」

「チートじゃないすか!」


 黄鷺先輩も叫刀抜けばいいのに。



 その呟きを聞いて、久我はある一つの任務を思い返した。黄鷺が叫刀を抜かなくなったきっかけの任務。


「……黄鷺が不抜ふばつ黙士もくしと呼ばれているのは知っているか?」

「ふばつの黙士……っすか? 初めて聞きました。どういう意味なんすか?」

「黙士の中で唯一、叫刀を抜かない。だからこそ不抜というわけだ」

「え、じゃあ黄鷺先輩って叫刀抜かないんすか……あれ? でも叫刀抜いてなかったら楽かどうかわかんねえ……」

「いや……俺がラボに入った時は抜いていた」

「じゃあなんで……」


 手元のコーヒーを見る。その黒に、かつて見た黄鷺の叫刀の刀身が見えたような気がした。


「黄鷺は叫刀を抜かないんじゃない。抜けないんだよ」



  **



 人間を超えた巨躯。身体を覆う硬めの体毛。鋭い爪。

 クマだ。


 都稲ついなの後を追いかけ追いついた柊人しゅうとは、クマを認識してすぐに都稲を庇うように前に出る。


「都稲ちゃん……ゆっくり退がって……刺激しないように……ゆっくり退がるんだ」


 退避を促す柊人だが、ナワバリに突然人間現れたからだろうか、クマは低く唸り出した。


「気が立ってるみたいだね……都稲ちゃん、逃げ——都稲ちゃん!?」


 唸り声も気にせず前に出た都稲に、クマが獲物を見つけたと言わんばかりに驚異の速度で接近してくる。

 都稲の顔めがけて振り下ろされようとした爪を、柊人がその腕を掴んで止めた。

 クマが振り払おうとしても、柊人はびくともしなかった。


 クマの力を人間が抑えることなど通常はできはしない。

 しかし柊人はクマの腕を掴んで押しとどめている。獣との力比べに勝っているのだ。


「都稲ちゃん逃げて! 僕なら大丈夫だから!」

「いえ、そのまま掴んでいてください」


 都稲は持っていた叫刀のケースをクマの顎めがけて振り上げた。

 ただでさえ鉄の塊のように重たいケースに遠心力が加わり、もろに顎に当たったクマがひるむ。

 クマの腕を掴んで抑えていた柊人は驚愕で目を見開く。


「え——」

「気絶させます」


 ケースは弧を描いてクマの側頭部に激突する。クマはよろめき、柊人は思わず手を離す。


「わっ」


 都稲は跳躍し、ぐらついたクマの脳天にケースの角を振り下ろした。



「——終わりました」


 クマの巨体が倒れ伏す。


「都稲ちゃん、君は——いや、怪我はない? 大丈夫?」

「問題ありません」


 柊人が心配そうに見てくる。


「クマの出現は想定外でしたが……むしろ幸運でしょうか」


 クマが背にしていた木、その根元に近づく。


「手がかりになりそうです」


 柊人も都稲と同様に木の根元に近づき、驚愕の声をあげた。


「骨……⁉」

「人骨……でしょうね」


 しゃがみ、骨をざっと検分する。やはり人間の骨だった。それも大量に。


「おそらく、ここに食べきれない肉を骨ごと廃棄していたのでしょう」

「……それをクマが……?」

「食べた。そして人間の味を覚えてしまった」


 一本の骨を手に取る。劣化の具合から、おそらく最近——ひと月前くらいだろうか。


「……でも、多少の疑問点は残ります。なぜ名播村に下りてこなかったのか。人口が少ないとはいえ、味を覚えてしまったなら村は格好の餌場のはず。それに今は秋で冬眠前。それなのに、山に踏み込まない限りはクマに遭遇するようなことがない」


 骨を戻す。検分を終えて立ち上がり、柊人の方へ向き直る。


「……柊人先輩、憶えている限りで結構です。クマが村に下りてきたことはありましたか」

「ないよ。……少なくとも、僕が知る限りは」


 二人は人骨と気絶したクマを背に山を下り始める。


 かきわけて村へ進む中、柊人が口を開いた。


「この村に鬼の伝説があることは知ってるかい?」

「少しは。人喰い鬼を生贄の娘が説き伏せ、改心した鬼は村を守るようになった……ですよね」

「うん。そのおかげでクマが入ってこないっていまだに信じられてるんだ」


 なるほど、鬼を恐れてクマが近づかないということか。しかし、なぜ今その話をしたのか、都稲には分からなかった。


なばりの家はその鬼の家系なんだ。だからたまに、その血が濃い人間が現れるんだ」


 怪物の血を引く家系。噂には聞いていたが、遭遇するのは都稲も初めてだった。

 つまり、今回の事件の核心に近い存在。

 そして、こんな話をしたということは、その先は予測できてしまった。

 聞きたくない。



「僕が、そうなんだ」



 ああ、やっぱり。



 ——予想の内の一つではあった。事件を起こしているのは怪物か、あるいはその血を引く人間か。どちらにしろ、この村に潜んでいるのだろうと。


 そして、先程のクマとの遭遇ではっきりと分かってしまった。

 ただの人間はクマとの力比べに勝ったりしない。思えばそれ以外にも裏付けるようなことがあった。


「……怖い、かな。鬼みたいな力を持ってる僕は」


 クマにも勝てちゃうしね、と乾いた笑いが背後から聞こえた。


「怖くはありません」


 都稲は柊人の善性を信じたかった。自分に料理を教えてくれたひとが、人を喰らうはずがないと。黙士としては褒められた考え方ではないが、それでも信じたかった。


「私には……あなたは人間に見えます。ただ少し、力が強いだけ」


 それに、私は強いので。


 そう振り向くと、柊人はキョトンとした顔をして、それから微笑んだ。


「……ありがとう」


 ふわふわした微笑みに、心臓のあたりが暖かくなるような気がした。



  **



「都稲ちゃん、なんか変わった?」

「? 私が変わった……ですか?」


 クマとの遭遇からひと月が経った。

 あれ以降、特に何も起きていない。本当に怪物が潜み、人間を喰っているのか疑わしいくらいには何も起きない、凪いだような時間が過ぎていった。


 今日も柊人の指導の元、料理を作っていた。最初よりもずっと成長した都稲は卵も綺麗に割れるようになったし、変な包丁の持ち方もしなくなった。微塵斬りではなく普通のみじん切りになり、柊人もホッとしている。


「料理は上達したとは思うのですが……」


 今日のメニューはチャーハンと野菜スープだ。最初に作った料理へのリベンジでもある。チャーハンの担当は都稲で、スープの担当は柊人となっている。


「うん、上達してると思うよ。包丁さばきなんか僕より上手くなってない?」

「刃物には慣れているので」


 ネギをみじん切りにする手つきは見事なもので、スムーズに作業が進んでいる。


「なんというか……明るくなった」

「明るく……?」

「笑ってることが多くなったと思うよ」

「私はそんなに笑っていますか?」

「割と」


 ボウルを準備し、あらかじめ置いておいた卵に手をのばして——同じく調味料に手をのばした柊人の手と触れた。


「っ!」

「わっ、ごめん!」


 二人は思わず手を引っ込めた。


「い、いえ……」

「ほんとごめんね……」

「だ、いじょうぶです」


 なぜだか心臓の音が速い。

 その後も心音は速いままで、この現象がなんなのか分からないままチャーハンを完成させた。

 リベンジに成功したチャーハンの味もなんだか分からなくなってしまったし、柊人が帰った後の日課の素振り中も、柊人のことが頭から離れてはくれなかった。



  **



 日も落ちた頃。日課をこなそうと準備していると、端末からアラートが鳴った。

 端末を確認すると、怪物の出現を知らせるものだった。反応座標を見ると然程遠くない場所のようで、都稲は黒く重いケースを開けると叫刀を取り出した。既にロックは解除されており、いつでも抜刀できる。

 靴を履くと玄関を飛び出し、反応座標へと駆ける。場所は——隠邸。

 

 嫌な予感がする。隠邸の玄関扉を開け放つと靴を脱ぐ間もなく上がり込み、千草と柊人の二人を探した。

 嫌な予感がする。廊下を走っていると、血の匂いが漂ってきた。

 その匂いの元だろう部屋を見つけ、襖を開けた。



 そこには胸元を血で染め倒れている千草と、口元を血で濡らしている柊人がいた。千草の胸元は抉られていて、柊人の額には二本の角が生えている。明らかに鬼のそれだった。


「……都稲ちゃん」


 ある意味、見慣れた光景だ。怪物が人を喰う。黙士である都稲は、到着が間に合わず怪物の餌食になってしまった事例も何度も見てきた。

 けれどその光景を、柊人と千草で見たくはなかった。


「柊人先輩、」

「ああ……これ? ……あぁ……うん。……ごめんね」



 都稲は柊人の善性を信じたかった。自分に料理を教えてくれたひとが、人を喰らうはずがないと。黙士としては褒められた考え方ではないが、それでも信じたかった。

 なのに。



 今までずっと、躊躇わず叫刀を振るってきた。例外なく、全てを斬ってきた。

 怪物は、鬼は殺せと教えられてきた。


「あ、ああ、ぁあ……」


 でも。

 でも、このひとは、このひとだけは。



「私は……っあなたのせいで」


 料理を教えてくれた。


「あなたのせいで、弱くなりました」


 作る楽しさを知った。


「迷いなんてなかった! ただ、斬るだけだった! そこに思考はいらなかった! でも!」


 叫刀の柄を強く強く握り締める。


「私は弱くなりました……っ! 簡単なはずなのに……できない……」


 視界が歪む。なにか熱いものが頬を伝っている。


「柊人先輩……私にはできません。あなたを殺すなんてできません……!」


 黙士の使命は殺せと言う。都稲の心は殺したくないと叫ぶ。


「だめだよ」


 しかし、柊人の声も殺せと言うのだ。


「殺してほしい。もしかしたら、君を、君を食べたいと思ってしまうかもしれないんだ。そんなのは嫌だ。都稲ちゃんを食べようなんて、そんな風に思うなんて絶対に嫌なんだ」

「でも、」


 鬼と化したように見える柊人は、いつものようにふわふわと微笑んでいる。口元を血で濡らしたままで。


「君に殺されるなら、僕はそれでいいんだ」


 体に染みついた動作で叫刀を引き抜く。いつのまにか、都稲は喉が張り裂けんばかりに絶叫していた。


「ありがとう、都稲ちゃん」



 黒い刃は鈍い光の軌跡を残す。



 ごとん、と落ちた音が空虚に響いた。



  **




「っ!」


 都稲は汗だくで飛び起きた。バクバクと鳴る心臓が、ここは現実だと教えてくれた。


「——っはあ……」


 また、あの時の夢を見た。未だに手に残る感触。



 柊人を斬った後のことはよく憶えていない。

 ただあの一件以降、都稲は叫刀を抜けなくなった。無理に抜こうとして過呼吸を起こして倒れたこともあった。

 不抜の黙士、とは聞こえはいいが実際はただの役立たずだ。殴打しかできない黙士など存在価値もない。


 ため息を吐く。とりあえず汗が不快だからシャワーを浴びよう。それから。



「……今日の夕飯、何にしましょうか」


 細いよすがを手繰り寄せるように。






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怪物 六花ヒカネ @6scarlet_alloy

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