Case.黄鷺都稲 前篇
私は、初恋を殺した。
**
「行方不明事件、ですか?」
「ああ」
年上の同僚である
「山間にある村……集落と言った方が適切か。その周辺にフィールドワークに出掛けた人間が、相次いで行方知れずになっているらしい」
「フィールドワーク?」
「ああ。なんでも——鬼を探しに行ったらしい」
——鬼。
ついにこの時が来たか、と黄鷺都稲は目を伏せた。きっと、その案件は自分に回ってくるだろうと。
黄鷺の家は代々怪物殺しを生業にしてきた家だ。その怪物の中でも、特に鬼を殺すことに重きを置いている。黄鷺の家に拾われて育った都稲も、そのように言い聞かされてきた。
鬼を殺しなさい。怪物の中でも、一等不快極まる下劣な連中を。例外なく、殺しなさい。それが黄鷺なのですから。
義母の声は、言葉は、脳裏に焼き付いて離れない。
そしてやはり、都稲に白羽の矢が立った。
——山間の
今回のために立ち上げられた作戦本部からの指令のもと、都稲は滞在用の最低限の荷物と共に、紅葉が進む名播村に降り立った。
怪物を殺すために。
**
名播村は21世帯ほどの小規模集落だ。人口は年々減っており、古くから伝わる鬼伝説で村興しをしようにも、その結果は芳しくない。
公共交通機関はあるものの、30分ほど歩かなければ街へのバスに乗るための停留所に着かず、本数も朝と夕方の2回のみ、という程度には不便だった。
「ようこそ、名播村へ。遠かったでしょう」
「いえ、父に送ってもらったので、そこまでは」
民俗学を研究している両親が名播村を調査しようと空き家を借り、研究に関わる物事が一区切りつくまでは動けないため、娘である都稲を先に行かせた。
……という建前で名播村へと入り込んだ。
「若い人は私と従弟ぐらいしかいないから、歳が近い子が増えて嬉しいわ」
「そうなんですか」
「ええ。みんな都会に出ちゃってねえ。どんどん人が減ってるの。村興しもしてたんだけど、居付かないのよね。……ごめんなさい、愚痴がでちゃったわ」
「いえ、お気になさらず」
都稲を案内するのは
「鍵を預かっているから、一度ウチに寄ってから家に案内するわね」
「はい、よろしくお願いします」
鍵を受け取った後は引っ越し業者に扮したラボの人間により荷物が運び込まれる手筈になっている。
しばらくすると、千草が住んでいる思われる家屋が見えてきた。村内の他の家屋よりも大きい印象を受けるため、村長のような立ち位置なのだろうかと推測する。玄関が開くと土間が見えた。
「ちょっと待っててね。鍵取ってくるから。……柊人ー! 越してきた人に挨拶なさーい!」
はーい、と応える声が聞こえた。鍵を取りに入っていった千草と入れ替わりに、奥から少年が現れる。都稲とさほど変わらない年齢に見える、どこかふわふわとした印象の色素の薄い少年だった。
「こんにちは、はじめまして。僕は
「1年生です」
「それじゃあ僕は先輩だね。よろしく、ええと」
「黄鷺都稲です」
「うん、よろしく都稲ちゃん」
「……よろしくお願いします」
都稲は差し出された手を取らず、深々とお辞儀した。
「ちょっと柊人ー、いきなりその距離はダメじゃない? 都稲ちゃんが美人さんだからってがっついちゃって」
「そういうのじゃないってば千草さん」
「あらー? いつもは『姉さん』、『千草姉さん』って呼ぶのにどうしたのー?」
「千草さんをそう呼んでたのはかなり昔だよ!」
柊人の後ろからひょっこりと現れた千草の手には鍵が握られていた。
「——改めて、ようこそ名播村に。これからよろしくね」
**
名播村が位置する山、その麓にある高等学校。そこが都稲が通うことになった高校だ。
「どう? 高校。慣れそう?」
都稲は学校教育を受けたことがない。義務教育課程の学習はすべて家が用意した教育係により叩き込まれている。高等学校相当の勉学も同様だ。
「はい、ある程度は」
教室で授業を受ける、というのは新鮮に感じた。
「それはよかった」
昼、都稲は柊人に誘われて校舎の中庭に来ていた。意外と穴場なんだよ、とは柊人の言で、たしかに中庭に設置されているベンチが空いていた。
柊人は弁当箱を、都稲は携帯食料とペットボトルを取り出す。都稲の携帯食料は、ラボから提供されている非売品だ。これ一本で必要な栄養素を摂ることができる。効率の良さから都稲もしばしば世話になっている。
外梱を剥き、棒状のブロック栄養食をサクサクと食べ、ペットボトルのミネラルウォーターで流し込んだ。
その様を見ていた柊人は、おそるおそる都稲に尋ねる。
「もしかして……まさかとは思うんだけど、これだけなの……?」
「
「ずっとこれだけ⁉ ちゃんとしたもの食べなきゃ!」
思わず、といった調子で柊人は今まさに食べようとしていた弁当を都稲に差し出した。
「……あの……?」
「食べて! 僕は別に惣菜パン持ってるから!」
柊人の勢いに負け、都稲は弁当を受け取り食べることになった。
**
「ご飯を作ろう」
名播村に向かうバスの中、近くに座っていた柊人が都稲を見て言った。
「ご飯を……作る……ですか?」
「そう。だってあのブロック食だけだとお腹いっぱいにならないよ」
運転手以外は2人だけしかいないバス車内で、都稲は首を傾げた。
都稲にはとんと理解できなかったが、柊人は燃えていた。育ち盛りの十代、ちゃんと食べないと身がもたない。高校生をやるにはエネルギーが必要だ。
しかしそんな柊人は都稲が住む家で驚愕の実態と遭遇した。
ないのだ。食器類や調理器具が。
最低限、備え付けの流し台やコンロ、冷蔵庫と電子レンジ、コップはあった。それ以外が見当たらない。おそらく一度も使われていないのだろう。
「……炊飯器と包丁は?」
「ありません」
「ないの!?」
若干頭痛を覚えつつ、柊人は玄関へと向かう。
「ちょっと待っててね、今ウチで使ってないものとか持ってくるから!」
家から出てしばらく、柊人は大荷物を、重さを感じさせない足取りで、たったのわずか二往復で抱えて戻ってきた。
「これは?」
「料理関係の道具とか食材とか。貰い物がたくさんあってよかったよ」
「……料理にはこんなに道具が必要なのですか?」
包丁、いくつかの食器類、まな板、鍋、大きめのフライパン、フライ返し、おたま、箸、ボウル、サラダ油、食器用洗剤、スポンジ、調味料、インスタントのスープ、冷凍された白飯、卵、ネギ。
「作るものにもよるよ。必要なものは持ってきたと思うけど……」
「料理によって必要道具が違うのですね」
「今回はウチから持ってきたけど……金銭に余裕があるなら今度からは買おうか」
「はい」
それじゃあチャーハンを作ってみようか、と差し出されたエプロンを受け取り、手間取りながらも着用する。
料理開始だ。
「待って待って包丁振りかぶらないで」
「? いえ、振りかぶっていません。振り下ろそうとしているだけです」
「とりあえず包丁下ろそうか、……猫の手って知ってる?」
「? 借りるのですか?」
「いやそうじゃなくて……というか包丁は握りしめちゃだめだよ。ほら、軽く握って、刃の背のところを指でおさえてあげてね」
「こう、でしょうか」
「うん、そうそう。まずはネギをみじん切りにしようか」
柊人が、手際よく使う分のネギを切った。
「みじん……切り……」
都稲の目に鋭い光が宿る。
「微塵に斬ればいいんですね?」
「うん?」
「——なら簡単です」
「え」
使用するネギを空中へ放り投げると、瞬間鈍い銀の光が翻った。
柊人が何が起こったかを理解したのは、微塵に斬られたネギだったものがま板に着地して数秒経ってからだった。
「待って」
「できました」
「たしかに細切れになってるけど確実にみじん切りではないよ!?」
「だめですか」
「だめではないんだけど、こう……こう……!」
頭を抱える柊人を都稲は不思議そうに見る。料理の道は長い。
**
「で……できた……」
「はい……」
卵がうまく割れずカラを取り除く作業に時間を取られたり、解凍した白飯を使用したせいか少しべちゃっとしたりしたが、チャーハン2人分が完成した。
「これにインスタントのスープも合わせたらOKだね」
「……」
「? どうしたの?」
「いえ……なぜわざわざ料理を作るのでしょうか」
都稲は完成した2つのチャーハンに視線を落とす。
「必要な栄養素を摂取するためならそのまま食べればいいのではないでしょうか。手を入れないと食べることができない食材はまだしも、そうではないものも調理するのは非効率的です」
必要最低限さえあればいい。余計なものは削ぎ落とし、ただただ効率的に、機械的に、怪物を斃すためにそうしてきた。
「そうだね。人には好き嫌いがあるから、なんでも簡単に食べれるわけじゃない。でも、調理することで食べやすくなったりするだろう?」
「好き嫌いを緩和するのが調理、ということですか」
「それからもうひとつ、これは千草さんからの受け売りになるんだけど……心を楽しませるため、だよ」
「心を……?」
「そう、食材そのままはつまらない! 代り映えのない食事では心が死んじゃう! ってね。だから人は料理を作るんだって。彩りを考えたり、盛り付けを工夫したり」
「楽しませる……」
「今は分からないかもしれないけど、いつかきっと分かるようになるよ」
さ、食べようか! と柊人が2人分のインスタントスープを素早く準備する。はじめて自分(と柊人)で作ったチャーハンは、チャーハンの味以外に不思議な達成感のような味があった。
二人で皿洗いを終えて、帰る柊人を見送った。
日課の素振りの前に端末の購入申請画面を開く。
「……料理の本と炊飯器を購入しましょう」
都稲の端末から送られてきた料理本と炊飯器の購入申請に、作戦本部の面々は一様に首を傾げていた。
**
名播村に来て二週間が経過した。
未だ怪物の反応はない。
名播村へのバスの中、都稲は端末を確認する。
二週間経っても進展がないことは作戦本部も少々気がかりなようで、端末に連絡が来た。
端末のディスプレイには作戦本部からの指令が表示されている。
——名播村周辺の山の調査指令。
名播村を囲む山。確かに、怪物の犠牲者を隠すには向いているだろう。
バスを降りた都稲は一度家に戻ると、通学に使っている鞄と買ってきた食材の入ったレジ袋を置き、
成人男性でも持ち上げるのに苦労するような非常に重いケースはしかし、叫刀による身体能力向上のおかげで軽々と持ち上げることができる。
そのまま家を出て山に向かう途中で、柊人と出会した。
「あれ、都稲ちゃん、何処に——」
「いえ。少し山に——あ」
しまった。レジ袋の中身に冷蔵庫に入れておいた方がいい食材があったのに、そのまま置いてきてしまった。
今すぐ戻って冷蔵庫に入れるべきか、このまま調査のために山に赴くか。
調査をなるべく速く終わらせて、冷蔵庫に食材を入れる。
それが最善だと結論づけ、都稲は柊人を置き去りに山へと走り出す。それに今は暑い夏ではなく涼しい秋だ。少し放置しても問題はないはずだ。
「えっ⁉ 待って都稲ちゃん! 足はやっ⁉」
柊人は都稲を追いかけ、行き先が山中だと察すると血相を変えて叫ぶ。
「山に入っちゃダメだ都稲ちゃん!」
しかし都稲が止まるはずもなく、山へと分け入ったため、柊人もその後を追う。かきわけながらしばらく進むと、開けた場所に出た。
視界が広がった都稲の目に映ったのは、
「この山には——」
哺乳綱肉食目——
「クマが出るんだ!」
クマだ。
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