第42話 姉様(7)

 暗闇にぼんやりと灯りが灯る。

 ウグイスが持参した火の精霊を宿した小さなランタンが巣穴の中を照らす。土の中にも珪石の成分が含まれているからかランタンの光に照らされ、巣穴の中自体もうっすらと輝く。夜空とは言わないがそれでも日々の鍛錬で鍛えられたナギの目とハーピーの目には十分に見ることが出来る。巣穴の構造も、そして襲いくる獰猛な蜥蜴の姿も。

 それは想定通り蜥蜴と呼ぶにはあまりにも大きな姿をしていた。ぬめりとした凹凸のない皮膚、鋭い鉤爪を携えた三本指の直角に肘を曲げた短い手足、木の子の石突のような長く太い身体に、同じくらいに長く太い尾。そしてナギとウグイスを取られる退化した白い目に口から見え隠れするヤスリのような歯に赤い舌・・・。

 蜥蜴というよりは巨大なイモリと言った印象だ。

「早速か・・・」

 ナギは、音もなく刀を抜く。

「1人で大丈夫?」

 後ろからウグイスが声を掛ける。

 特に心配した様子はない。

「問題ない。灯りだけ頼む」

 珪石蜥蜴が大きく顎を開き、爪で地面を引き裂くように這いながらナギに襲いかかる。

 しかし、ナギは動かない。

 水平に刃を構える。

 珪石蜥蜴が身体を大きく持ち上げ、牙と爪を剥き、襲い掛かる。

 しかし、その爪も牙もナギには届かない。

 水平に構えられたナギの刀が文字を書くように宙を裂く。

 珪石蜥蜴の動きが止まる。

 両の手足と太い尾が地面に落ちる。

 そして巨大な胴体もそれに続いて地面に落ちた。

 苦鳴が珪石蜥蜴から漏れる。

 頭に胴体が蛸の足のように悶えるもらまだ生きていた。

「お見事」

 ウグイスが小さく拍手する。

「言われた通り手足を斬るだけにしたぞ」

 甲冑の隙間から懐紙を取り出し刃に付いた血を拭う。

「うんっこの子達、再生力が高いから明日には新しいのが生えてくるよ」

 ウグイスは、珪石蜥蜴の前にしゃがむとごめんねと手を合わせる。

「この子達の巣に侵入してるのは私達だからね。命を奪う訳にはいかないよ」

「・・・優しいのだな」

 ナギは、刀を鞘に収める。

「惚れた?」

 ウグイスが悪戯っぽく笑う。

 ナギは、一瞬、顔を赤らめるも直ぐにぐっと視線鋭く睨みつける。

「冗談よ」

 ウグイスは、そう言って小さく舌を出す。

「本当に真面目だね。アケの言う通りだ」

 ナギは、何も言わずに前に歩みを進める。

 ウグイスは、その後を軽やかに追いかける。

「ごめんね。本当なら私1人でも良かったんだよ。でも、巣穴だと空飛べないから危険だってアケが言うからさ。ハーピー だからって空中戦ばかりじゃないのにね」

 ウグイスが話しかけてもナギは、答えない。少し焦ったように前に進むだけだ。

「ちょっとぉ無視しないでよぉ。それに巣穴だから道は単純だけど油断すると怪我するよ」

 ウグイスは、右手をナギに向けて翳す。水色の円が浮かび、複雑な紋様が描かれ、魔法陣となると、空中に水滴が現れ、混じり合い、刃渡りの太い槍へと化す。

 ウグイスは、水の槍を握ると小さく笑う。

「こんな風にね」

 ウグイスは、槍をナギの背中に向かって突き出す。

 ナギは、反応しない。

 小さな呻き声が耳を打つ。

 水の槍はナギの横を通り過ぎ、巣穴の影に隠れていた珪石蜥蜴の胴体を貫いていた。

 水の槍の先端が地面に深く埋まり、珪石蜥蜴を地面に縫い付ける。

「・・・殺さないのではなかったのか?」

 ナギは、横目で水の槍に串刺しされた珪石蜥蜴を見る。

「急所は避けたよ。それに時間が立てば魔法も溶けて水に戻るから大丈夫」

 ウグイスは、トコトコと前に出てナギの顔を覗き込む。

「気づいてたのに避けなかったんだ?」

「殺気は感じたが私に向けられたものではなかったからな。放っておいた」

「へえ。最初に会った時は気づかなかったのに」

「人は学ぶものだ」

 ナギは、表情も変えずに答え、歩みを続ける。

「そんなに焦らなくても珪石は逃げないよ」

「珪石は逃げなくても姉様が1人になる時間が長くなる」

「アケが心配?」

「当たり前だ!」

 ナギの声に怒気が籠る。

「こんな任務、私1人で十分なのに貴様が付いてくるから。今、この瞬間に姉様に何かあったらどうするつもりだ」

 ナギは、唇を噛み締める。

 焦燥が胸を打つ。

 しかし、そんなナギを他所にウグイスはあっけらかんとしている。

「大丈夫だよ」

 ウグイスの言葉にナギの足が止まる。

「この辺りで猛獣って言ったらそれこそ珪石蜥蜴くらいだし、それにオートマタも入ればあんたの飛竜ワイバーンもいる」

 見事に戦力から外されたアズキは今頃くしゃみをしているかアケに寄りかかって居眠りでもしているだろう。

「それに恐らくだけど・・・」

「大丈夫な訳があるかあ!」

 ナギの怒声が巣穴を揺らす。

 ウグイスは、目を大きく見開く。

「姉様に何かあったらどうするつもりだ!どう助けるつもりだ!俺達が・・・俺が姉様を守らなければ誰が姉様を守るんだ!あの時だって俺が・・、俺がいたら!」

 ナギは、唇を噛み締める。皮膚が破れ、赤い筋が出来て地面に滴る。興奮で肩が揺れ、強く握り締めた拳が震えている。

 そんなナギをウグイスはじっと見る。

 そしてゆっくりと口を開く。

「それってアケが白蛇の国にいた時の事?」

 ナギは、驚愕に目を大きく開く。

「アケから聞いてるよ。あんたが留守中に邪教って奴らがアケを襲って目の封印を解いたんでしょ?」

「・・・聞いたのか?」

 ナギは、震える声の質問にウグイスは頷いて答える。

「岩の草原に来るまでの間にね。話してくれたよ。あんたが今だにその事を悔いてるって。気にしなくていいのにって」

 ナギは、震える拳を持ち上げて、顔まで持ってきてゆっくりと開く。

「そうだ。姉様が攫われて封印を解かれた時、私は・・・俺は、属領の町で暴れる邪教を制圧する為に遠征に出ていた・・・」

「邪教が?」

「ああっ今思えば、姉様を拐かす計画から我々の目を反らす為の誘導であったのだろう。特に俺を姉様から引き離す為の」

 白蛇の国の近衛大将はジャノメ姫の小姓。

 蛇の目に魅入られた憐れな男。

 白蛇の耳に届かないよう裏でそんな噂が流れている事は知っていた。しかし、それが邪教にまで及んでいるとは思いもしなかった。

「邪教を制圧し、都に戻ると姉様の姿はもうなかった。都は白蛇と百の手の巨人ヘカトンケイルの戦いで凄惨に崩れ去り、官職も国民まで姉様への恨み、蔑み、消えることを願っていた」

 開かれた手が再び拳を作る。

 先程よりも震え、爪が肉に食い込む程に。

 ウグイスは、ナギの震える拳の上にそっと自分の手を重ねる。

「刀握れなくなるよ」

 ナギは、驚いてウグイスを見る。

 拳の力が少しだけ緩む。

「あんた本当にアケが好きなんだね」

 そう言っていつの間にか持っていた布でナギの口の端から流れる血を拭う。

 ナギは、少し恥ずかしそうにそっぽ向く。

 ウグイスは、可笑しそうに小さく笑う。

「・・・姉様がいたから・・今の俺がいる」

 ナギが語り出したのは幼少期、初めてアケと出会った時の事だ。

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