第22話 カワセミとウグイス(3)
気持ちいい。
剥き出しの頬や手に触れる風の冷たさと日差しの温もりが、どこまでも広がる雲ひとつない澄んだ青空が、そして大きく広げられた水色と緑色の大きな翼の羽ばたき、風を切る音がアケの五感を心地よく刺激する。
アケは、空の上にいた。
ハーピー 兄妹の細い胴に縄の端を縛りつけてアーチ状にし、中央に板を付けて空中を遊泳しているのだ。
アケの下には緑色の大きな魔法陣が展開し、風の抵抗からアケを守り、重力からの負担を軽減している。
水色の髪の少年の魔法だ。
ハーピーは、風の魔法を得意としており、その中でも少年は若いが卓越した技術を持っているとオモチが言っていた。
大切な香木を薪にしてしまったことを散々に謝罪した後、アケは責任を持って取りに行くと言った。
しかし、ツキもオモチも大反対した。
何でも香木の生えているのは猫の額でも高台の岩山の中腹だそうでアケの足ではとてもではないが行くことが出来るような場所ではないと言う。
そうなるとツキかオモチが取りに行くと言うことになるのだが・・・。
「あそこか・・・」
ツキが珍しく言葉を濁す。
「ちょっとキツイですね」
表情こそ変わらないが人間で言うと悩んでいると言ったところか、オモチの声が固い。
この2人がここまでの嫌がるのを見るのは初めてかも知らない。改めてとんでもないことをしてしまったと思い、アケは身を小さくする。
ツキもそれに気づいてか苦笑いする。
「アケが悪い訳ではない。伝えなかった我らの失念だ」
そう言って優しく微笑む。
それだけで凹んだ心が温かくなる。
「それに採取自体はそんなに大変ではないのだ。ただ、苦手というだけで」
ツキの言葉の意味が分からず首を傾げる。
「それだけ考えるとアケ様が適任ですかね」
オモチは、下顎を擦り、うーんっと唸る。
行くのは困難。でも、採取は適任。
まるで謎かけのような問答にアケは頭を捻らせる。
水色髪の少年と緑色髪の少女は、香木がないと知ってからずっと顔を伏せている。少女に至っては今にも泣きそうなくらいに顔を歪めている。
何に使うものかは分からないが2人に取ってはとても大切なかけがえのないものだったに違いない。
そんな大切なものを私は・・・。
「やっぱり私行く!」
アケは、決意の声を上げる。
その様子にツキとオモチが目を大きく開ける。
兄妹も顔を上げる。
「道中が危険というなら安全な場所まで送って!そしたら後は私1人で行くから!」
アケは、兄妹の方を向く。
「貴方たちの大切なものを失くしてごめんなさい」
アケは、もう何度目になるか分からない謝罪をする。
「私が取ってくるから待っててね!」
アケの言葉に兄妹が、特に水色の髪の少年が深い驚きを浮かべる。
「いや、まだ行かせるなんて・・」
「分かった!」
オモチの言葉を遮り、ツキが言う。
そして椅子から立ち上がるとゆっくりとアケに寄っていく。
「○□。◇△」
アケには聞き取ることの出来ない発音で2人の名を呼ぶ。
「はっ」
「はいっ」
2人は、反射的に椅子から立ち上がり、右腕を左の肩に合わせて頭を下げる。
「お前たちの頼み事なのに申し訳ないが、アケを香木の近くまで送ってあげてくれないか?お前たちなら我らよりも近くまでアケを連れて行くことが出来るだろう」
2人は、驚きの表情を浮かべるが王の命に逆らうことは出来ない。
「畏まりました」
「奥方様は必ずお守り致します」
2人が了承したのを確認してからツキはアケと顔を合わせる。
ツキと目が合い、蛇の目がしどろもどろに揺れる。
その瞬間、蛇の目の右側、アケのおでこにツキの唇が軽く触れる。
アケの脳がぽんっと小さく音を立てる。
「
ツキは、小さく笑う。
「お前に加護があらんことを」
しかし、アケはもう何も聞こえていなかった。
アケは、自分の頬が信じられないくらいに熱くなっているのを感じる。
あの時のことを思い出すだけで頭が痺れる。
「王様と奥方様っていつもあんなにイチャイチャしてるの?」
緑髪の少女が翼を動かしたまま身体を曲げて真っ赤になっているアケの顔を覗き込む。
その緑の目は、興味津々に輝いている。
アケは、緑髪の少女にじっと見られていることに気づいてしどろもどろに身体を動かす。
「えっあっそっ」
狼狽すぎて言葉にならない。
「ちゃんと捕まってないと危ないよ」
少女に嗜められ、「ごめんなさい」と肩を萎める。
アケの感情の急転に緑髪の少女は、面白くなって笑う。
「奥方様って面白いねえ」
鈴の音のように喉を鳴らして笑う少女の言葉にアケは、再び顔を真っ赤に染める。
「そ・・・そお・・かな?」
綺麗に続いて面白いなんて言われたのも初めてだ。
少女は、うんうんっと楽しそうに頷く。
「白蛇の国のお姫様って言うからどんなお淑やかで気品の溢れたお嬢様なんだろうって思ったらこんなに愉快で愛らしい人だなんて思わなかったよ」
それって褒め言葉なのだろうか?
アケは、思わず頬を引き攣る。
「ねっ兄様」
少女は、隣を飛ぶ水色の少年に声を掛けるが少年は短く「そうだな」と相槌を打っただけだった。
兄妹の素っ気ない反応に少女は、唇を紡ぐ。
アケを見ると同じように表情が固まっていた。
「ごめんね、うちの兄素っ気なくて・・」
少女は、右手の翼を立てて謝る。
アケは、ゾッとして綱を握るが、風の魔法陣のお陰か椅子は傾く事なく並行だった。
「きっと奥方様が白蛇の国の姫様って聞いて複雑なんだと思う」
少女の言葉に水色髪の少年の顔色が変わる。
「おい、お前余計な事を」
「本当のことでしょう」
少女は、唇を尖らす。
「昔のこと引きずって男らしくないわよ」
「そう言う問題じゃ・・・」
2人の言い合いをアケは、不安そうに見る。
それに気づき、少女がアケを見る。
「どうしたの?」
「あ・・・いや、その」
アケは、口を言いづらそうに口をモゴモゴさせる。
「トイレですか?」
水色髪の少年は、真顔で聞く。
少女がその顔面を思い切り殴る。
「ごめんね。残念な兄で」
少女は、再び謝る。
「で、どうしたの?」
少女は、アケの顔をじっと見る。
「いや・・・やっぱり私の国と主人の国で何かあったのかなあって」
アケの脳裏に蘇ったのは半年前、ツキの従者であったエルフに聞かされたアケの知る歴史とは違う白蛇の国とツキの国で起きた諍いと確執。
あれからツキやオモチに聞いたが、もう過去のことだから気にすることはない、と誤魔化された。でも、この2人の反応を見ていることやはり大きな何かがあったのではないか、と思ってしまう。私の先祖がひどい事をしてしまったのではないかと胸が痛くなる。
しかし、少女は、呆気らかんと笑う。
「別に奥方様が気にする事ないよ」
少女は、そう言って口角を上げて笑う。
まるで安心させるように。
「だって奥方様が生まれる前の話しだよ。過去の出来事を子どもまで責任を負う必要なんてないもの」
そう言う少女の顔は、幼いのにその雰囲気は歳を重ねた美しい女性であった。
「兄様だってそんなこと分かってるんだよ。でも、気持ちの整理が中々付かないだけだよ。ね」
少女が声を掛けると少年は、むすっと顔を背ける。
その反応は、顔と同じ年相応だ。
「私はね。嬉しいんだ」
「えっ?」
「あの孤高の王が貴方を妻として迎えたんでしょ。しかも白蛇の国の姫様。それって良い方向に未来が進んだってことでしょ!これからもっともっと良くなっていくって事だよ!そんな嬉しい事ないよ!」
少女は、本当に、本当に嬉しそうに笑った。
アケは、胸元を握り締める。
蛇の目から涙が一筋流れる。
それを見て少女が慌てる。
少年も横目で見て驚いた顔をする。
「ごめん!なんか嫌なこと言っちゃった?そうだよね。あったばかりの人間でもない鳥もどきに言われたくないよね」
自分で自分の事を酷く言う少女に少年が落ち着けと声を掛ける。
「ううんっ違うの。そうじゃないの」
アケは、蛇の目の涙を拭う。
「そんな風に祝福されるなんて思わなかったから嬉しくて・・・」
拭っても拭っても蛇の目から涙が溢れる。
少女と少年は、顔を見合わせ、笑う。
「ねえ、奥方様」
「なに?」
アケが聞くと少女はにこっと笑う。
「私達に名前を付けて」
「名前?」
アケは、首を傾げる。
「そう。私達の名前って奥方様には発音出来ないでしょ。だから付けて欲しいの。友達って名前で呼び合うものだし」
その瞬間、アケの表情が固まる。
「奥方様?」
少女は、首を傾げる。
少年も訝しげに見る、
「・・、友達?」
アケは、化け物を見た時のように恐る恐る呟く。
「うんっそう友達。ダメ?」
「そりゃ失礼だろう。奥方様には」
少年は、何を言っているんだと肩を竦める。
アケは、首を横に振る。
「違うの!友達って初めて言われたから言葉が飲み込めなくて・・・」
アケは、ごめんなさいって小さく謝る。
2人の顔に驚きが浮かぶ。
この姫は、一体、どんな過酷な人生を送ってきたと言うのだろう?
少女は、胸が痛くなりながらも笑う。
「うんっお願い。友達になって」
「・・・うんっ」
アケは、頷き、そして笑った。
それはあまりにも愛らしく、あまりにも輝いた笑みだった。
「それじゃあ、さっそくだけど私達に名前を付けて」
アケは大きく頷き2人をじっと見る。
「・・・・ウグイス」
少女を見てアケは言う。
少女・・・ウグイスは、嬉しそうな笑う。
そして次に少年を見る。
「・・・カワセミ」
少年・・・カワセミは、返事こそしないものの照れ臭そうに鼻を掻く。
「綺麗な名前ありがとう。アケ」
ウグイスが言うとアケは、朝焼けの太陽のように笑った。
今日、アケに初めて友達が出来た。
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