第15話 日と月の出会い(9)

 そんな時、エルフが声を掛けてきた。

「姫。森に食材探しに行かない?」

 エルフは、いつものように男性とも女性とも言えるような屈託のない笑みを浮かべてアケを見る。

 猫の額に来て以来、エルフは何かと気を使ってくれているのか、良く声を掛けてくれる。

 よく寝れてるか?とか、あの鳥が鳴いてるから雨が降るよ、とか、この花と草をすり潰して肌に塗るとスベスベになるよ、とか、たわいも無いことを話しかけてくる。

 それ以外にも料理にとても興味を持ったらしく作っていると必ず寄ってきて覗き込みながら話しかけてくる。

 今もアケが厨で夕飯用に白兎が掘ってきたキクイモの皮を剥いていたら唐突にやってきて声を掛けてきた。

「森に?」

「そうっまだ姫って森の中に入ったことないでしょ?」

「そうだね・・・」

 正確には1度だけ入ったことはある。

 初めて猫の額に来た時に黒狼の背に乗ってだが。

 あの時は、余裕もなくてじっくりなんてとても見ていない。精々が夜から明け方にかけての明暗とか木々の深さとか騒めきとかそんなものだ。

「でしょ?それじゃあ決まり。一緒に行こう」

 エルフは、ポンっと両手を打つ。

「でも・・・」

 アケは、厨のちいさな小窓から外を見る。

 そこには黒狼がいつものように草原に寝そべり、目を閉じて顔を伏せていた。

「主人に断らなくていいのかな?」

 アケが言うとエルフは不思議そうに首を傾げる。

「なんで?出掛けるのに許可なんているの?」

「えっ?」

「子どもじゃないんだから自分で決めなよ」

 アケの心臓が大きく打つ。


 決める・・・自分で決める?


 そんなこと、考えたこともなかった。

 言われて見れば料理のメニューを考える以外に自分で決めたことなんて一つでもあっただろうか?

 蛇の目が動揺に揺れる。

 エルフは、その目の動きを見て口元に笑みを浮かべる。

「さあ、どうする?行くの?行かないの?」

 エルフかぐっと蛇の目を覗き込む。

 その圧にアケは思わず顔を後ろに引く。

「い・・・」

 アケの口から小さく声が溢れる。

「行き・・・ます」

 アケが言うとエルフは、嬉しそうに微笑み、アケの手をぎゅっと握る。

「それじゃあ日が暮れる前に行こう!」

 エルフは、逆の手を高らかに伸ばして言うとアケの手を引っ張って厨を出た。

 剥き掛けのキクイモがまな板から落ちて床を転がる。


 森の中は、とても・・・とても心地よかった。

 歌うような葉の騒めき。

 身体の中を洗い清めるような清涼な香り。

 木々の間から溢れる柔らかく、温かな日差し。

 染み込むような荘厳で清浄な空気。

 幽閉されていた屋敷の近くにも森はあったがそこは暗くて鬱蒼としており、とても近寄りたいと思わなかったがここは違う。いつまでもいつまでも居たいと思ってしまう。

 アケは、この感覚に既視感を覚える。

 この優しい、温かで心地の良い感覚。

(そうだ・・・主人の背中だ)

 花の香りのする温かな黒狼の背中、身体。

 アケは、黒狼の身体に触れた時のことを思い出し、思わず両手で頬に触れる。

「どうしたの?」

 背後からエルフが可笑しそうに声を掛けてくる。

 アケは、慌てて両手を離す。

「ううんっ。何でもない」

「そお?顔真っ赤だけど」

「何でもないよ!」

 アケは、思わず声を荒げる。

「ただ、この森がとても心地良いだけだよ!」

 アケが言うとエルフは驚いた顔をし、そして笑う。

 いつもと変わらない、しかしどこか冷たい笑みを。

「へえ。それじゃあ姫は森のに住む精霊を感じることが出来るんだね」

「精霊?」

 アケは、首を傾げる。

「そう。王と△△が言うにはこの森に住む精霊達って力がとても強いんだって。だから植物はよく育つし、ここに棲む獣達もとても元気で繁殖力も高い。その分、触れすぎないように狩りをしないと森が維持できなくなるから大変らしいけど」

 エルフは、腰に刺した肉厚な山刀を抜いて木々に絡まった蔦を切って道を作る。

「ミは、全く感じられないんだけどね」

 木の根に張ったキノコを取り、アケに見せる。

「食べれる?」

 アケは、首を横に振る。

 エルフは、がっくりとし、キノコを捨て、前に進む。

 アケもそれに付いて行く。

「ミはね。人間とエルフのハーフなんだ」

 蛇の目が瞬きする。

「ハーフ?」

「ああっ。姫の国にはこの言葉はないのかな?混血児・・ミの場合は混合児って言った方がいいのかな?王の国ではそれほど珍しいことではないよ」

 エルフは、蔦の先にアケビがなっているのを見つけ、山刀を伸ばして二つ取り、1つをアケに渡す。

 よく熟れたアケビで割れた実の中に白い果肉が見える。

「精霊はね。人間には見えないらしいんだ。王が言うには進化の過程で捨ててしまったらしい。魔法よりも文明を選んだからだって。だから人間の混じったミには精霊や魔法は使えず、コレに頼るしかない」

 そう言って山刀を振る。

「でも、それで劣等感とかを感じたことはないよ。得手不得手みたいなもんだ」

 そう言ってアケビに齧り付く。

 アケもそれに習ってアケビの実を割って果肉を齧る。

 ひんやりとした上品な甘みが口の中に広がる。

「王の国って・・・ここ?」

 突然、エルフが歩みを止める。

 アケは、思わずぶつかりそうになる。

 エルフは、アケの方を向く。

 その切長の目は背筋が震える程に冷たい。

「違うよ。ミ達の国はもう滅んだ。そして追いやられたんだよ。猫の額にね」

 エルフの声は低く、冷たく、そして痛々しかった。

「追いやられた・・・」

 アケは、ミの言葉を反芻する。

「それはどう言う・・・」

「君が生まれる前の話だよ」

 エルフの顔に笑みが戻る。

 その笑みは、いつもと変わらない。

 しかし、どこか痛ましかった。

 それからはエルフは普段通りに朗らかにアケに話しかけながら山菜や栗を木の実を見つけてはアケに食べれるかを確認し、その都度アケは答えながら森の奥へ奥へと進んでいった。

 エルフは、唐突に話すのを止め、歩みを止める。

「どうしたの?」

 アケが声を掛けるが反応はない。

 アケは、身体を反らして前を確認する。

 そこにあったのは大きな朽ちた大木だった。

 樹皮は干からび、葉は全くなく、枝と言う枝には水分がなく、根は崩れ、この身体の真ん中には大きく、暗いウロが空いていた。

 アケは、一歩後退る。

 大木から、大きく開いたウロから嫌な感じが漂う。

 言葉に出来ない。

 しかし、凄い嫌なもの、近づいてはいけないものがあると本能が感じ取る。

「ダメ・・・・あそこには近づいちゃダメ・・」

 アケは、エルフの衣服を引っ張って引き返そうとする。

 しかし、エルフは微動だにしない。

 それどころか・・・。

「やはりあそこにいるんだね」

 とても嬉しそうに呟いた。

 次の瞬間、エルフはアケの細い肩を掴むと見かけからは考えられない力でアケを自分の前に引っ張り出す。

 アケの顔に恐怖と驚愕が走る。

「死にたいんだよね?」

 エルフの顔にはいつもの笑みは消え、切長の目を冷徹にまで細めた能面のような表情。

「えっ?」

「じゃあ・・・死んでよ」

 エルフは、アケの身体を両手で突き飛ばす。

 とぷんっと音を立ててアケはウロの闇の中に落ちていった。

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