第11話 日と月の出会い(5)
花の蜜とも雨の匂いとも違う香ばしくて胃袋を刺激する匂いが風に舞う。
アケは、草原に生えていたローズマリーやグローブと一緒に塩で炊いた鹿の肉を表面がボコボコの大鍋から取り出し、木の皮を剥いで作った器に乗せて黒狼とエルフの前に置く。白兎にはエルフに森から採ってきてもらった柿や無花果で作ったソースと野草を和えた物を出す。
最後に自分の分を器に乗せて皆んなで円を組むように座る。
アケは、両手を合わせて「頂きます」と言う。
それを見て白兎とエルフも目を合わせて「頂きます」と言い、黒狼も前足を合わせて「頂きます」と言う。
「美味い!」
エルフが目を輝かせる。
鍋の中でじっくりじっくりと火を通して煮込んだ鹿肉はとても柔らかく、塩が味を引き立てて肉本来の甘みを引き出していた。香草と一緒に炊いたから臭みもない。脂身がほとんどないので味が出るか心配したが骨付きで煮込んだお陰で十分に旨味を出していた。
アケも湯気上がる鹿肉に木の枝を差し、ふうふうと息を掛けながら口に運ぶ。何も入っていなかった胃の中がじんわりと温まる。舌が旨味と喜びに震える。
「お塩があって良かった」
「何年か前に貢物として頂いたものだよ。辛いだけで何なのかも分からなかったけどまさかこう言う風に使うものなんて・・・」
エルフは、綺麗に磨かれたようになった骨を捨てると次の肉に齧り付く。
「これは不思議な味ですね」
白い顔を果肉のソースで汚した白兎が言う。表情は変わらない。しかし、とても喜んでいることはその声色で分かる。
「口に入れた瞬間、身体中が雷に撃たれたようになります。でも痛いんじゃなくてむしろ幸せが飛び跳ねると言うか、違う世界に迷い込むと言うか・・・・その・・・・えと・・」
白兎は、自分の身に起きていることを言葉に置き換えようとするがどれも全く伝わってこない。
「ひょっとして・・甘いって言いたいのかな?」
アケが訊くと白兎は首を傾げる。
「これは・・・甘いと言うのですか?」
どうやら白兎の語彙の中に甘いと言う言葉はないらしい。と、言うか甘い物を食べたことがないのだろうか?
「△△は、草さえありゃ生きていけるもんな。味なんて関係ないよな」
そう言ってエルフは笑う。
その言葉に白兎の赤い目が剣呑に光る。
「お前に言われたくないわ○△◁!川で獲った魚を丸齧りしているような野エルフにな!」
エルフの目が怒りに逆立つ。
その後、2人は声を荒げて言い合うが正直、何を言っているか分からず置いてけぼりになってしまう。
アケは、蛇の目を動かし、黒狼を見る。
黒狼は、一際大きな木の皮の皿に盛られた鹿の肉を一欠片一欠片丁寧に口に入れて骨ごと齧り食べていた。
その様は、狼の姿だというのに妙に品があり、美しい所作のように見えた。
「あの・・主人・・」
アケは、恐る恐る口を開く。
黒狼は、肉を口に入れるのを止め、黄金の双眸をアケに向ける。
威厳と気品のある強い双眸。
しかし、何故だろう、恐れが湧かない。
むしろ心の奥底がじんわりと温まるような慈悲深さを感じ、ずっと見られていたい、見ていたいとすら思える。
これが王と呼ばれる者の魅力という者なのだろうか?
「・・・主人?」
黒狼は、じっとアケを見る。
その声質は、人間で言うなれば訝しんでいるような表情を浮かべているように感じる。
アケは、黄金の双眸に見られ、何故か気恥ずかしくなり、俯いてしまう。
「いえ、どうお呼びすれば分からなくて・・黒狼様と言うのは私の国の総称でひょっとしたら失礼なのかと思い、だからと言って王と呼ぶのも違うのではと・・・」
自分でも何を言っているのか分からず尻すぼみになってしまう。
「それで主人か?」
「はいっ。私は貴方の妻として捧げられましたので・・」
「ふんっ」
黒狼は、ふんっと鼻息を鳴らす。
どこか不機嫌そうだ。
アケは、思わず身を固くする。
「別に何と呼んでも良い。我が名は普通の人間には発音出来ないからな・・・」
アケは、顔を上げる。
その顔に浮かんでいるのは・・驚愕だ。
黒狼は、アケの表情に気付き、双眸を細める。
「どうした・・・?」
アケは、震える手で口元に手を当てる。
額の蛇の目が大きく見開き、黒狼を映す。
「私が・・・」
「ん?」
「私が人間に見えるのですか・・・?普通の人間に?」
「ああっ」
黒狼は、アケの言葉の意味が分からないと言った様子で首を傾げ、今だに騒いでいる白兎とエルフに目をやる。
「俺やあいつらよりもよっぽど人間だろう。何を言って・・」
しかし、黒狼は言葉の続きを言うことが出来なかった。
アケの額の蛇の目から涙が溢れ出す。
止めどなく、止めどなく、溢れ出る。
「・・・どうした?」
「すいません・・・」
アケは、蛇の目に手を当てて涙を拭う。
しかし、止まらない。
それどころかさらに、さらに溢れる。
「人間って・・・普通の人間って初めて言われたので」
アケの耳に木霊する棘よりも刃よりも鋭く切りつけ、傷つける言葉。
化け物・・。
気味が悪い・・・。
疫病神・・・。
誰も人間としてのアケを見てくれる人はいなかった。
アケを慕い、いつも一緒にいてくれた少年でさえ、姫としては見てくれても人間としてのアケは見てくれていなかった。
だけど・・・。
温もりを感じる。
甘い花の匂いが鼻腔を擽る。
いつも間にか黒狼がアケに近づき、自分の頬をアケに寄せていた。
突然のことにアケの頬が赤く染まる。
「・・・その目はどうした?」
「白蛇様に・・」
「そっちではない。お前の本来の目だ」
黒狼の言葉にアケは黒い布に包まれた自分の本当の目がある部分を触れる。
「物心つく前に邪教に拐かされたのです。私だけでなく多くの子ども達が」
「邪教?」
「巨人崇拝の集団のことです。この世界の楚となったとされる始祖の巨人を崇拝しています。彼らは邪教と呼ばれるのを嫌い自らを始祖の巨人の名を取ってガイアと呼んでいます」
「ガイア・・ね」
黒狼は、目を細める。
「彼らは魔学と呼ばれる技術を使って様々な実験をしています。私達が拉致されたのもとある実験の為です」
「実験?」
「はいっ」
アケは、黒い布を触る手に力を込める。
「無垢な子どもの身体を巨人の住む世界とを繋がる実験です」
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