アカズノクラ
ゆりぞう
アカズノクラ
「
幼い頃から母方の実家に帰ると毎回言われていた言葉。何故、祖母がそんな事を言っているのか、当時は幼過ぎて分からなかった。ただ、いつもはニコニコ笑っている、優しい祖母だが、その蔵の話をする時だけは真面目な顔をしているのを覚えている。今、考えると不思議な約束。だけど、小さい時はそれが当たり前だったと思ってた。
◇
千夏が中学2年の時に両親は離婚をして、母の方に付いていくことにした。というよりも、父は海外出張などが多い仕事をしていたから、母の方に付いていくしか選択肢はなかったのだが…。
父からは養育費を払ってもらっているが、流石にこのまま都会で暮らすのは難しい。そういう理由もあって千夏と母は、母の実家に住むことになった。
そんな祖母の家は山の中腹に建っている。近所の家まで数百メートルも離れているくらいの田舎。幸いにも、祖母の家の近くにはバス停があるから、学校にはバスを使って登校する事が出来るのは良かったことだろう。
母の実家に引っ越した初日の事。祖母はニコニコしながら千夏たちを迎えてくれた。ここ数年は祖母の家には来ていなかったけど、以前に祖母と会った時よりも腰は曲がっていて、少し老けて見えた。
母が買い物に行って、祖母と二人きりになった時の事。居間で寛いでいる時に祖母から、
「覚えているかい?庭の蔵には絶対に入っちゃ駄目じゃぞ」
幼い頃から言われ続けていた言葉を祖母に言われた。だけど、疑問にも思う。
「庭の蔵だよね?気になってたんだけど、どうしてあの蔵に入っちゃいけないの?」
真剣な表情をしている祖母だったけど、どこか目に 怯えたような色があった。
「…知らん方が良い事もある」
それだけ言って祖母は居間から出て行ってしまった――
帰宅した母に、それとなくあの蔵の事について聞いてみるも、母も幼い時から祖母に千夏と同じように言われていたみたいで、詳しい事は知らないようだった。
あの蔵の事が気にはなったが、祖母の真剣な表情を見る限り、入ろうという気にはなれなかった。
◇
それから時が経ち、高校2年になった千夏は人生で初めての彼氏が出来た。それも彼の方から千夏に告白をしてくれたのだ。実を言うと、高校に入学した時に初めて見た時から千夏は気になっていた。
彼の名前は
秋斗とはまだ付き合って1か月。特に男女の進展はなく、学校の帰りに手を繋ぎながら帰るくらい。
そんなある日の事、学校の帰りに秋斗の家に私は来ていた。学校の友達の話や、休日は遊園地にでも行こうという話をしていた時、お化け屋敷の話になった。
「千夏はお化け屋敷とか怖いのは大丈夫?」
「うん。私はそういうのは大丈夫かな」
「俺、そういうの好きなんだよね。オカルトとか心霊とか」
楽し気に話す秋斗を見て、ふと祖母から言われていた事を思い出す。
「あのね――」
自分の家には入ってはいけない蔵がある事を秋斗に話すと、予想以上に話に食いついてきて、その蔵に入ってみたいと言い出す。
だが、祖母からは入ってはいけないと言われていたし、その日は秋斗も引き下がってくれた。
それからも秋斗は会うたびに、千夏に蔵の話を聞いてくる。余程、あの蔵に入ってみたいらしいが、母は日中は仕事をしていて居ないが、祖母は家に居る。流石に祖母に見つからずにあの蔵に入る事は無理だ。
そんな時、脳梗塞で祖母が倒れた。すぐに救急車で病院に運ばれたので、命に別状はなかったが、暫く入院をしなければならなくなる。
◇
「千夏のおばあちゃん大丈夫だったのか?」
「うん。お医者さんからは最悪、後遺症が残るかもしれないって言われてたけど、今の所は元気で早く家に戻りたいって言ってる」
祖母が入院してから一週間。学校帰りに千夏の家に秋斗が遊びに来ていた。いつもは秋斗の家なのだが、家に祖母が居ないという事もあり、秋斗が千夏の家に来たいと言いだしたからだ。
「そうか、なら良かったよ。それでさ、あの、今は家に誰も居ないだろ?庭にある蔵を見てみたいんだけど」
「え、でも…」
正直言えば、あの蔵に興味がないわけじゃない。それに、今は家に誰も居ない。一瞬、どうしようかと悩んだ千夏であったが、結局秋斗を連れてあの蔵に向かう事になる。
家の裏は山になっており、蔵は家の裏に建っている。祖母に言われ続けてきた為、千夏は家の裏には行った事がなかった。
ざっ――ざっ――
夕暮れ時に二人の歩く足音が響く。家の周りは背の高い杉の木に囲まれている為、太陽は落ちていないが、薄暗くて不気味だ。
秋斗も場の異様な雰囲気に呑まれているのか、先程から一言も発していない。目的の蔵まで、後数十メートル…遠いわけでもないのにやけに道が長く感じる。まるで、一秒のうちに数分が過ぎ去ったような奇妙な感覚。
そんな奇妙な感覚に囚われながらも、ついには目的の蔵の扉の前に着く。
「これが千夏の言ってた蔵か…鍵はかかってないようだし、開けてみるか」
「え…うん」
古ぼけた茶色の引き戸。秋斗が引き戸を開けようとするが、まるで何かで塗り込めたように扉は微動だにしない。扉は何十年も開けていないようで、何かにひっかかっているようだ。
暫く引き戸と格闘していた秋斗であったが、がた、がた、と引き戸が開いた。室内の冷たい空気が千夏たちにふわっと押し寄せてくる。カビとホコリが混じったかのような嫌な臭い。思わず千夏は鼻を覆う程であった。
引き戸を開いた先に光はなく、密度のある暗がりが重なり合うようにさらに奥へ続いていた。持っていた懐中電灯でライトをつけると、斜光の中をホコリが煙のように舞っている。
蔵の中は物置として使っている様で、昔の農具などがしまってある。蔵の大きさからして、二階もあるはず――。そう思いライトで辺りを照らすと、二階にあがる木で出来たはしごを見つける。
軽く一階を散策してみたが、特にこれと言ってなにかあるわけでもなく、二階に上る事にした。
古い木のはしごが壊れないか心配していた千夏だったが、見た目よりも丈夫なようですんなりと二階に上がることが出来た。
「なんだあれ…?」秋斗の声が蔵の中に小さく響く。恐怖からだろうか、その声は少し震えている。
「どうしたの?…箱?」
一階には物があったというのに、二階はがらんとしていて、中央に小さなテーブルとその上に木箱が置いてある。
「それらしいのがあったな。開けてみるか」そういう秋斗に千夏は何も言えなかった。正直、あの木箱が気になる。秋斗と一緒じゃなければ千夏はこの蔵に二度と入る事はないだろう。
意を決して千夏は木箱に近づく。ライトに照らされた木箱には埃が積もっている。見た目からして鍵がかかっている様子はなく、どうやら上部の蓋を開ければ中が見えるようだった。
木箱の中身はなんなのだろうか…あれだけ祖母がこの蔵に立ち入る事を禁じていたのだから、普通の物であるはずがない。そんな、興奮と恐怖が混じった良く分からない感情が胸を支配する中、「開けるぞ?」と、秋斗が聞いてくる。
秋斗も同じ気持ちなのだろう。はやる気持ちからか、はたまた恐怖からなのか箱の蓋を持ち上げる手は震えている。ライトで木箱を照らす中、ゆっくりと木箱の蓋が外されていく。
中にあったのは、大量の古い紙だった――。
秋斗が手に取ってみると、紙だと思っていたのは手紙だという事が分かる。
二人は呆けたようにキョトンと口を半開きにしている。それも当然かもしれない。もっともらしく、部屋の中央に古い木箱が置いてあるのだ。中にはもっと曰く付きの物があると二人は思っていたのだから。
「手紙…だな。差出人は西浦…丈一郎…?」ぽつりと呟く秋斗が発した名前に、千夏は心当たりがあった。
「ひいひいおじいちゃんの名前だ」
千夏は高祖父を実際に見た事はない。だが、仏間にある若い高祖父の遺影と、お墓に刻まれている名前を見た事がある。
「千夏のひいひいおじいちゃんからの手紙なんだ。でも、なんでこんな場所に閉まってあるんだ…?」
閉まってある、というよりも木箱の中に大量の手紙が乱雑に置いてある、と言った方が正しいのかもしれない。
手紙の内容を見てみたが、達筆過ぎて何を書いているかほとんど分からない。だが、読み取れる文字からすると、どうやら高祖母に宛てた恋文の様な物だという事が分かる。それも手紙には異常な程、『アイシテル』や『アイタイ』といった文字が書かれている。知らない人がこの手紙を見たら、ストーカーからの手紙か?そう勘違いする程の内容だ。
千夏も詳しくは知らないが、高祖父は戦争で亡くなったという事を聞いていた。恐らく、戦地から高祖母への愛の言葉を手紙に書いて伝えていたのだろう。
「ラブレターとは予想できなかったな。はぁ…千夏には悪いけど、期待外れだったわ。てっきり千夏の実家に代々伝わる、呪いの品が封印されてるのかと思った」
「私もそう思ってた。けど、なんでこの部屋にこの手紙が置いてるんだろう…?」
疑問は残るが千夏と秋斗は手紙を木箱の中に戻し、蔵から出るのであった――
◇
脳梗塞で倒れた祖母もすっかり元気になり、後遺症も残らず退院する事になった。ずっと病院にいたせいか、身体を動かしたくてしかたない祖母は、退院初日から畑仕事をするくらい元気だ。
蔵の事も忘れ、いつもの日常が戻りつつあったが、学校から帰ると祖母が玄関で険しい表情をしながら待っていた。
「千夏ちゃん。おばあちゃんとの約束を破って、あの蔵に入ったじゃろ?」
小さく呟くような声であったが、その声からは怒りを感じた。「入ってないよ」と、言おうと思った千夏であったが、祖母の表情を見る限り誤魔化せそうもなかったので、素直にあの蔵に入った事を認める。
「ふぅ。あの蔵で何か見たかい?」
「えと、二階に木箱があってその中に入ってた手紙を見た」
「手紙だけか?木彫りの赤子はなかったか?」
祖母の言葉の意味が分からなかった。あの蔵の二階には木箱と、その中に入っている大量の手紙しかなかったのだから。
「見てないと思う。手紙の下に埋もれてたのかな…?」
怒っている祖母に聞くのは怖かったが、恐る恐る聞いてみると大きくため息を吐いた後に「まず、あがりなさい」と言って居間に通された。
重苦しい空気が室内に充満している。祖母の雰囲気から千夏はようやく自分が不味い事をしたのではないかと感じ始めた時である。「おばあちゃんもね、祖母――千夏ちゃんから見ればひいひいおばあちゃんに聞いた話なんだけどね」そう前置きしてから祖母が話し始めた――
国土の七割が山である日本。山林によって隔絶された村では、独自の文化が発生する場合が多い。
例にもれず、この西浦家が存在する村でも大昔に独自の風習があったという。
それは『長男以外の赤子を山の神に生贄を捧げる』と、言った風習だ。何を馬鹿な事をと思われるだろうが、実際に日本ではそのような事例がいくつもある。
台風などの自然災害は全て神がお怒りになっていると、昔の人は本気で考えていたのだ。そこで、神の怒りを鎮める為に生贄を捧げていた、という事である。
しかし、近年になりそのような悪しき風習もなくなったのだが、今まで山の神に生贄にされ続けてきた赤子の念は残る。今まで何百、何千人の赤子が生贄にされていたのだ。次第に村ではおかしなことが起こり始めたという。
生まれてきた赤子が原因不明の病に罹り、次々に亡くなったという。村の者は「山の神の祟りじゃ!」と騒ぎ立てた。
その時の村長が千夏の先祖なわけだが、祈祷師を村に連れてきて赤子の呪いを鎮めてくれるように頼んだ。すると、今まで村で起きていた災いがぴたりと止まった。
しかし、祈祷師曰く「これは一時的な事だ。赤子の呪いを鎮めるには長い時が必要である」そう言って、村長に木彫りの赤子と供養の仕方を教えてくれたという。
だが、高祖父の代で第二次世界大戦が始まり、そのまま高祖父は戦争に行ってしまう。それから不思議な事が家中で起こり始めたという。
家の中と庭から赤子の鳴き声や、床を這いずる音が聞こえてくるようになる。まだ幼かった祖母だが、その事はハッキリと覚えているそうだ。
供養のやり方を知っているのは高祖父だけだ。村の者に聞いても誰も知らない。
そんな事が続き、段々とノイローゼ気味になっていた高祖母は、戦地から送られてくる高祖父の恋文を、八つ当たり気味に木彫りの赤子を閉まってある木箱の中に入れたという。
何故かは知らないが、その日から西浦家で怪奇現象が起きなくなったという――
「もしかしたらじゃが、戦争で死んだ祖父が赤子の呪いから家を守ってくれてるのかもしれんのう。儂もよく分からないから、あの蔵にはもう行ってはならんぞ?」
そう言いながらあの部屋がある方を見て呟く祖母。その姿を見て、千夏は木箱の中に入っていた異常なまでに、高祖母に愛を伝える手紙を思い出す。
人の想いは時として、呪いをも凌駕する念に変わる事を千夏は知った――
【アカズノクラ】~完~
アカズノクラ ゆりぞう @yurizou
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