腐れ縁を最後まで? プリンを食べてただけなのに、食べられたのは私でした

国樹田 樹

プリンじゃなくて

 保育所から小学校、中学。

 そこまではよくある話。


 高校、っていうのもまあ、地方の人間ならよくある事かもしれない。

 けれど大学、果ては就職先まで同じだとは、まさか予想出来ただろうか。


 私達の出会いは、ヤツの住む家の真向かいに生後二か月の私と両親が引っ越してきたのが始まりだった。

 それから時は流れ流れて、二十五年―――


 生まれた日数分とほぼ同じだけ顔を突き合わせてきた私達のことを、世間では『幼馴染』もしくは『腐れ縁』……というらしい。


◇◇◇


「太一(たいち)ぃ~。このプリン、食べちゃってもいーい?」


 若干座り心地の悪い二人掛けソファーに寝転がりながら、私は既に手にしているおやつを太一の方へかざした。


 丸いカップの中でプルンと重たく揺れる振動が掌に伝わる。

 すると室内灯を背にした高い長身がくるりとこちらに振り向いた。


 プリン越しに見えたスーツ姿の仏頂面に私はニヤリと笑んで見せ、ほれほれとプリンを揺らす。

 手にあるのは、カップ底にある突起をパチンと折ればカラメルが上になった状態でお皿に出せる、CMではおなじみの商品だ。


 商品名は『超極うまうまカラメルプリン』。

 略して『うまプリ』と呼ばれているこれは、私の大好物だ。


 ついでに言えば、目の前の仏頂面男―――太一の大好物でもあるのだが。


「……寝そべってスプーン準備しておいて、今更それを言うか。つーか人の食いモン強奪すんな」


 たった今帰宅したばかりの部屋の主が、シャツの襟元を緩めながら呆れ口調で嫌味を飛ばした。

 大きな三白眼もジロリとこっちに向けられる。


 この白目多めのヤンキー面した男の名は山崎太一(やまさき たいち)。

 俗にいう私の『幼馴染』というやつだ。


 彼のビジネススーツの定番ともいえるスタンダードなラインのスーツには、一日の疲労感を表す皺がところどころついている。おまけに広く大きな肩にはキラキラと輝く小さな雨粒達が乗っていた。


 恐らく夕方から降り出した雨にやられたのだろう。夜九時を回った今現在も雨音は続いていて、室内の空気もどこか湿っぽい。

 太一は傘を持っていなかったのか、彼のツンツンした黒髪にも肩にあるのと同じ雫が見えた。


「それに、いくら家が目の前つっても夜にそんなカッコで外出るなよ」


 若干のため息とともに脱がれたスーツの上着が、私が寝転がっているソファの背もたれにばさりと放り投げられる。


 あらら、皺になっても知らないぞ。

 というかそんなカッコって何だ。あんたはうちのお父さんか。

 単なるTシャツとジャージなんだけど。

 まあ確かに、ちょっと首元は伸びてよれてはいるけど。


 なんてそんな事を思っていたら、目の前にずいっと見慣れた顔がやってきた。


「おい、聞いてんのか」


「いいじゃん。歩いて三分もかかんないんだから。それにプリンだって冷蔵庫に二個あったよ? って事はこれは私の分でしょうやっぱり!」


 私の言葉に、太一がフンと鼻を鳴らした。

 仏頂面からは欠片も感じとれないが、これでも照れていたりする。

 図星を刺された時の、コイツの癖だ。


 私の分も、ちゃんと買っといてくれたんだろう。そういうやつだ。


 ほんのりと頬を染める腐れ縁の幼馴染を横目で見ながら、私はプリンの影でほくそ笑んだ。

 太一はこんな顔をしていても、実は結構なお人好しだ。面倒見が良いとも言う。


 愛想は悪いけど根は真面目だし、こうやって気遣いもしてくれるいいやつだ。だからこそ、自分が実家に一人残ることになっても、母親と養父の海外移住も後押しできたんだろう。


 自分はもう成人した社会人だから心配ないと、祝い金まで渡して。

 本当は人一倍、寂しがり屋のくせに。


 「たまたまコンビニで、二個残ってたんだよ」


 しかめっ面で照れ隠しを吐く彼の表情に、変わらないな、とふと思った。

 不器用でも、人相悪くても、優しい。それが太一だ。

 

 太一は小学三年生の時にお父さんを亡くしている。

 そして彼が中学二年生になった頃、彼のお母さんの再婚が決まった。

 太一は優しい奴だから、お母さん達が入籍した日も笑顔で祝ってあげていたけど、あの日の夜に彼が大泣きしたことは私達だけの秘密だ。


 「あとは二人で」なんて気を利かせた良い子の振りをして、お母さんたちの入籍日に私の家に来た太一は私の部屋で声を殺して泣いた。

 太一は亡くなったお父さんの事が時が経ってもずっと大好きで、本当はお母さんにもずっとそうあってほしかったのだと、涙声で私に話してくれた。


 だけど自分じゃお母さんを支えてあげられないから、仕方ないんだと泣いた後に言って笑った。

 その時の不器用な笑顔を、私は今でも忘れていない。


 あの時、泣くだけ泣いて眠った太一に「私はずっと太一の事好きでいるよ。大人になったら結婚したいくらい」とこっそり告白したことも。もちろん太一はそんな事知らないけれど。


「いいよなお前は。ノー残業で帰れてよ」


 懐かしい中学生の太一を思い浮かべていたら、急に不貞腐れた声が聞こえた。

 太一は不機嫌そうに首元のネクタイを緩めている。

 私は開いた襟元から見える男らしい喉仏から目を逸らした。


「だって真壁(まかべ)部長から残業するなって言われてるし」


「さすが『仏の真壁』だよなぁ。俺んとこの五十崎(いそざき)なんてまさしく鬼だぜ。俺も総務が良かった……」


「よく言うよ。自分で営業部に希望したくせに。でもいいじゃん。五十崎部長格好良いし。三十五歳独身で仕事もできる上にイケメン! 総務の女子社員なんてあの鬼上司なところがイイ♪ なんて言ってるわよ」


「んだよソレ。俺には関係ねぇし、それに営業に行ったのは実力次第で年齢関係なく昇進できるからで……ってまさか、お前も部長のこと、」


「鬼っていうか、単に仕事に厳しいだけなんだろうけどね。五十崎部長って」


 最近よく総務に顔を出すので五十崎部長の事も多少知っているが、理不尽な事を言う人ではない。


 太一がごちゃごちゃ言っているのを聞き流しながら、かといって私は恋愛方面では特に五十崎部長のことは何とも思わないけどなーとぼんやり考えた。


 あの人も太一と同様目付きは悪い方だけど、ヤンキー系の太一と違い、どっちかと言えばクールイケメン系だ。なんていうか、冷たい印象を受けるから、私は太一の三白眼の方がいいなと思う。


 本人には言っていないが、実は太一も一部の女子には人気があったりするのだ。ちょっと悪そうに見えるのが良いんだとか。どっちかというとギャルっぽいお姉さま方の指示を集めている。

 当人はギャル系は苦手としているらしいので、教えても喜ばないかもしれないが。


「そういえば、この前営業部に行った時に五十崎部長に言われたんだよね。「お前は俺と話していても物怖じしないな」って。どういう意味なんだろ?」


 浮かんだ疑問をそのまま口にすれば、太一がしかめっ面のまま「俺もあの人も、第一印象で怖がられることが多いからだろ。女子社員には特に」と言ってきた。


 それを聞いてなるほど、と思う。五十崎部長はイケメンだから人気はあるものの、目が切れ長でほとんど笑わないから怖がっている女子も多いのだ。びびりの子なんかは、声をかけられるだけで飛び上がっているし。

 だけど私の場合、生まれてこのかたずっと目付きが悪いのと一緒にいるからへっちゃらである。


「だからかー。あの人最近総務に来た時は絶対私に用事言いつけるんだよねぇ。他の子だと緊張するか見惚れて動けないかのどっちかだから、都合いいんだな」


「それは……ああくそっ、やっぱそういうことかっ」


「ん? 今なんか言った?」


「なんでもねーよっ」


 最近やけに五十崎部長に声をかけられる理由が判明して一人納得していたら、太一が何やらぼそぼそ言っているのを聞き逃してしまった。

 まあいっか、と思い直し、今度こそプリンの蓋を開けるべくひらりとした開け口を指先でつまむ。


「おい、プリンの前に、何か言う事は?」


 すると目つきの悪い三白眼が、再びジトリと私を見据えた。しかも妙にいつもより圧が強い。

 ややご機嫌斜めのようだ。仕事で何かあったんだろうか。

 確かに太一のいる営業部は今日はやけにざわついていた気がするが。

 

「あー……うん。本日もお勤めご苦労様でした!」


 スプーン片手に敬礼してから、私は太一の不機嫌ビームを笑いで交わした。

 それからペリッととプリンの蓋を引っぺがし、ソファに寝転がったまま(行儀悪いのは知ってる)口へと運ぶ。


 瞬間、ほんわりとした優しい甘さが口いっぱいに広がった。柔らかい卵生地がとろりと溶けて、口内でカラメルと混じり合いほろ苦さと甘さの絶妙なハーモニーを奏でる。(我ながら表現が大げさだけどそのくらい美味しいってことだ)


 うーん。美味い。

 ……って、あれ?


 至福の心地でプリンをほおばっていると、口元にやたら強い視線を感じて、ん? と上を見上げた。


「食っていいって、誰が言った?」


「へ?」


 視線の先には、まだいたのかと思うくらい微動だにしていない太一の仏頂面があった。 

 とっくに部屋着に着替えに行ったのかと思ったのに、彼はスーツの上着を脱いだ姿でソファの背もたれ越しに私を見下ろしている。


「いや、その、え、ちょっ……太一っ?」


 しかもそのまま背もたれを乗り越え、なぜかぐっと上半身を倒してソファごと私に覆いかぶさってきた。

 ぎし、とソファが軋む音が鼓膜に響く。

 

 太一は高校生の時にそれこそゴボウ並みにょきにょき身長を伸ばし、今では百七十八センチもある。

 そんなデカい男が上から迫ってくる光景は中々に圧迫感があった。気分は追い詰められたウサギかなんかだ。


 視界全体に影がかかり、景色がやや暗くなる。そして鼻先、それこそ唇が触れそうな距離に太一のドアップが来るまで、私は呆然と状況を見つめていた。

 人間、頭が混乱しきると思考が停止するらしい。


 こーいうの、なんて言うんだっっけ?

 壁ドン? いや、壁じゃないな。

 ソファだから、ソファドンか?

 

 なんてテンパっている頭で考えていると、私の間抜け面が映った太一の三白眼がきらりと光った気がした。鼻先に、プリンとは違う少し野性的な……男性の汗の匂いを感じる。太一の匂いだ。


「まだ、食っていいって言ってないぞ」


「えっ? あっ、ええと……っい、今更それ言う?」


 焦りながら返事をしたら、太一がふ、と短い息を吐いた。

 何か面白かったらしい。

 なんでだ。


 たった今まで不機嫌全開だったはずの太一の顔が、途端にふわりと和らいで、私の好きないつもの太一の顔になる。


 太一は、目付きはすこぶる悪い癖に、笑うと途端に可愛らしくなるのだ。

 外じゃあまり出さないけど、私の前では太一は表情豊かで、すぐ笑うしすぐ怒るし、すぐ照れたりもする。

 その事実が、実は私のひそかな自慢だった。


「俺にも寄越せ」


「わかっ……っんん!?」


 太一の笑顔に一瞬気が緩み、寄越せと言われたプリンとスプーンを素直に差しだそうとした。

 だというのに、突如唇に柔らかな、けれど温かいものが触れて口を噤んだ。というか、口を塞がれたと言った方が正しい。


 しかもその柔らかいのは、私の上唇を軽く噛んで、咄嗟に開いた隙間に熱い舌をねじ込んできた。


「んー! っふ、んん、ぅ……!!」


 わけがわからないまま口内を蹂躙され、残っていたプリンの欠片まで舐めとられる。


 何をやってるんだ、とか、急にキスってどういうことだ、てか私らそういう関係じゃないよね、とか、色々な疑問やら羞恥やらで頭がオーバーヒートしているなか、私は太一にされるがままになっていた。


 ただ、口の中にある太一の舌の熱さとか、乱れていく呼吸とか、そういうのだけは、やけに鮮明に感じていて。

 いい加減酸欠に陥りそうになったところで、口を塞いでいたものがふっと離れ、私は慌ててはふはふ息をする。


 し、死ぬかと思った……!


 かろうじて手元のプリンを放り投げなかったことに安堵しつつ、き! と太一を睨む。

 頭の奥が妙に熱くて痺れているけど構ってられない。


「な、何すんのよっ!?」


「何って。俺のモン食って何が悪いんだよ……ん、やっぱ美味いな」


「お、俺のモンって……!!」


 太一の言う『俺のモン』とはきっとプリンの事だろう。が、それならば私の唇は一体何なのか。

 っていうか、人の口にあるプリンまで食べに来るって一体どういう事だ。


「お前が人の食いモン勝手に食べるからだろ」


「それとこれとは……!」


「それと、こんな夜に人ん家来てんじゃねーよ。……襲うぞ」


「っはあ!? ななな、何言ってんのっ!?」


 至近距離で、しかもキスされた後にとんでもない事を言われて、私の頭が一気に沸騰した。

 ぐわっと頭が熱くなる。顔もだが。だけど、今は羞恥よりも怒りの方が強かった。


 言っておくが、私達の間に色恋沙汰は一切なかった。

 本当だ。断言できる。

 それこそ一ミリも、欠片も無かったのだ。


 だから私は夜でも太一の所に来られたし、彼のお母さんから「太一のことよろしくね」と言われて合鍵を預かった時も、二つ返事で了承した。

 今日だって冷蔵庫には貰ったプリンの代わりに晩御飯のおかずのおすそわけを入れている。

 だから意味なく勝手に上がり込んでいるわけでもなければ、プリンもタダで拝借しているわけではない。

 つまり、ちゃんと理由があってここに来ているわけで。


 今までずっと、そんな色気出さなかったくせに、なんで今更……!


 小学校、中学、高校、大学そして、会社。

 そこまでずっと一緒だったというのに、私達の間にあったのは『腐れ縁の幼馴染』という関係だけだ。

 少なくとも太一はそうだったと思う。


 私は、違っていたけれど。


 だけど叶わないものをずっと求めていられるほど私だって暇じゃない。

 そりゃ、二十五歳にもなって誰とも付き合ったことがないなんて自分でも引くけど、さすがにそろそろ、太一以外の男の人と接点を持つべきかとか思い始めたところだったのだ。


 だから―――今日、営業部と総務の女子で合コンをやるって話を聞いた時だって、参加すると答えたのに。


「ああそうだ。合コン、断っといたから」


「……は?」


 ちょうど今思い浮かべた事を口にされて、私の口がぽかんと開いた。太一はやっぱり私をソファごとホールドしたまま、自分の上唇をぺろりと舐めている。開いた口の隙間から赤い舌先が見えて、私の心臓がどきりと跳ねた。


 っええと? 断った? 断ったって、合コンを?

 どういう事?

 いやそれより、何でその事、太一が知ってるの?


「なんで、知って……」


「営業部との合コンなんだから、俺が知らないわけないだろ。それと、ああいうのお前は禁止って言っといた」


「はあっ!? 何勝手な事してんの!」


「勝手はそっちだろ」


「ナニソレどーいう……」


 意味だ、と続けようとして、けれど向けられた強い視線にぴたりと口の動きが止まる。白目多めの三白眼と怖いくらい真剣な表情が、私を見下ろしていた。


「言ったよな。お前、大人になったら俺と結婚するって。約束した」


「はい? 約束って、一体何の話―――っ」


「忘れたとは、言わせない」


 念を押すように言って、太一は私の手にあるプリンを取り上げた。それからソファ横にあるテーブルの上にコトンと置くと、今度はその手で私の両目をやんわり隠す。私は真っ暗になった視界で、太一の骨張った大きな手と指先を感じていた。 


「……母さんが再婚した日。泣いてる俺を抱きしめてくれたままお前が言ったんだ。お前はずっと、俺の事好きでいてくれるって。大人になったら結婚したいって」


「そ、れは」


「俺は返事したぞ。俺もお前の事好きでいるって。大人になってお前の事養えるくらいになったら、結婚するからなって。まあ……お前が寝た後だけど」


 寝た後なんかい!

 最後に付け足された台詞に、私は見えない太一に向って思わずそう突っ込みそうになった。

 それも無理はないと思う。思う……けど、正直あの告白を聞かれていたとはまさか思っていなかったので、私はなんだかもう、恥ずかしさで爆発してしまいそうな心地だ。


 だって次の日には太一は普段の彼に戻っていたから。だからてっきり、あの淡い告白は彼の涙と一緒に消えてしまったのだと思っていたのに。


「き、聞いてたならそう言えば良かったじゃないっ……! どうして今になってそんな事言うのよ……!!」


 太一に両目を塞がれたまま、恥ずかしさを誤魔化すように食って掛かると、目の上に置かれた彼の掌がふっと少し重くなった。同時に、太一の吐息を頬に感じて、彼が額を手の甲にくっつけたのだと理解した。

 

 ばくばく五月蝿く鳴り響く鼓動と、緊張で私はいつの間にか胸の上に置いた掌に汗をかいていた。

 それもこれも全部、太一のせいだ。

 というか、顔、顔が、近すぎる……!


「黙ってたのは……悪かった。だけど、夢かと思ったんだ。ずっと好きだった子に、ずっと好きでいるって言ってもらえたんだから。あれは本当に言ったのかなんて聞いて、言ってないなんて言われた日には俺、あの頃マジでもたなかっただろうから」


 ごめん、と言いながら太一は私の両目から手を離した。明るくなった視界に、やっぱり近い太一の顔が映る。三白眼は目付きが悪いままなのに、眉はハの字になっているのがアンバランスだ。

 こんな頼りなげな太一の顔は、久しぶりに見る。


 確かに、母親が再婚したばかりの太一にとってあの頃私に真相を訪ねるのは難しかったのかもしれない。

 だけどそれからずっと機会はあったはずだ。高校、大学、二十歳になった時だって、今までいつでも。

 なのに。


「どうして、今日なの」


 言おうと思ったら、いつでも言えた筈だ。子供の頃はまだしも、ある程度大人になってからなら。

 なのにどうしてこの二十五歳になってからだったのか、確かめたくて、知りたくて、私は見慣れた彼の瞳を見上げながらそう訪ねた。


 すると、太一はツンツン跳ねた頭を片手でぐしゃりと掻いて、それからバツが悪そうに口を開く。


「~~~っ自信が、無かったんだよっ。お前に、好きでいてもらえる自信が……っ。それに、養えるようになったらって言っといて、そうなる前に告白なんて、できるわけねーって……だから、今日営業主任になることが決まって、やっとお前に言えるって思ったんだ」


「え」


 言いながら、太一の顔がみるみる内に赤くなっていく。それどころか、もはや茹蛸(ゆでだこ)状態だ。

 眉は顰められて眉間に何本も深い皺ができ、まるで凄まれているみたいな迫力だ。なのに、耳の先まで真っ赤なもんだからえらいギャップである。


 だけどとてつもなく、胸の奥がきゅんとした。


「俺は付き合う以上は、結婚したい。嫁にしたいのはお前しかいないから。……お前じゃないと、嫌なんだ。……駄目か?」


 普段はどっちかというとぶっきらぼうな物言いの太一が、恐る恐るといった調子で聞いてくる。

 なんだか、もしも断ったりもう好きじゃないなんて言ったら、絶望して死んでしまうんじゃないかと思うほどの必死さを感じてちょっと怖くなった。


 その証拠に、彼はずっと私をソファごと囲い込んだまま、全く離れようとはしなかった。

 まるで私を拘束するみたいに。


 まったく、さっきまでの余裕っぷりはなんだったのか。

 プリンと一緒に人の唇まで奪っておいて、肝心なところで繊細なんだから。

 とちょっと呆れた気持ちになりながら、私は少し冷静になった頭で太一に質問をぶつけた。


「私が、太一じゃない人を好きになってたらどうするつもりだったの?」


 そう尋ねると、太一はほんの少し表情を苦しそうに歪めて、けれどぐっと眉根を寄せて難し気な顔をした。


「お前が毎日、俺のところに来てくれてたから、勝算はあった。それに、他の奴が近づくのはずっと阻止してた」


「は?」


 さらりととんでもない事を言われて、私は再び口をぽかんと開けた。

 自分でも間抜け面をしていると思うけれど、なってしまうのだから仕方がない。

 しかし、阻止というのは一体どういう意味だろうか。なんだか嫌な予感しかしないけれど。


「ずっとお前に、俺以外の男が近づかないようにしてた。なのに五十崎部長がお前の事気に入っちまって……営業部の合コン、お前が来るって聞いて自分も行くって言いだして、俺が行かせないっつったら口論になった」


「ええっ!? なにそれ大丈夫だったの!?」


 だから今日はやけに営業部が騒がしかったのか、と合点がいった。だけどまさか、自分が原因だったとは、驚きどころじゃない。

 ていうか職場で何やってるんだ。二人とも。


「それは、まあ……男同士の話し合いってやつで。仕事に支障はないから、心配しなくていい」


 一体どんな話し合いをしたんだか。

 暴力沙汰があったとは会社では聞いていないけれど、この太一と鬼上司の事だ。

 精神的にはある意味殴り合いに近いことをしたのだろうと容易に想像がつく。


 そして、さっき太一が言った「ずっと俺以外の男が近づかないようにしてた」という言葉もなんとなくだけれど意味が分かった気がした。


 確かに中学から妙に男子達から遠目に見られることが多くなったように思う。

 休み時間とかは太一と話しているとなぜかいつのまにか二人になっていたことが多かった。彼には彼で友達がいたのに、私といる時だけは近づいてこなかったのだ。


 私はたんに、太一とは友達でも私とは違うからだと思っていたけれど―――


 どうやら、全ては彼が原因らしい。


 それにもしかしたら、高校や大学まで一緒だったのも……いや、それは考えると、少し恐ろしい気もするが。だけど太一なら、ありえるのかもしれない。何しろお互い勉強はそこそこできる方で、進路相談もしたくらいだ。高校も大学も、私はレベルはもちろん太一も行くのなら、という理由で決めたから。

 誘導されていたとしても、不思議じゃない。

 ……別にいいけど。


「じゃあ、太一はずっと私の事好きだったってこと? そんな、他の異性を遠ざけるなんてことまでするほど」


 太一を見上げながら目を逸らさず言えば、赤い顔と三白眼が真摯な光を帯びた。

 そしてぐっと引き結ばれた唇が開いて、低く、けれど怖いくらい真剣な声が聞こえる。


「……ああ。ずっと、好きだった。俺は、お前のことしか見えちゃいない」


 どくん、と。私の心臓が跳ねた。既に上がった体温が、歓喜と一緒にぐわっと下からこみ上げてくるのを感じる。

 たぶん私の顔も今はきっと太一と同じくらい真っ赤になっていることだろう。

 二十五歳なんて良い大人なのに、好きな人に告白されただけでこの有様だ。


 もう、なんだ。

 この男は。

 なんなんだ。太一って男は、本当に。


「~~~っ言葉が足りなさ過ぎるのよっ! この馬鹿っ!!」


 思い切り叫んで、私はもうプリンの無い空いた両手で太一の頭をがしっと掴んだ。

 そして、頭をぐっと寄せて、初恋からずっと焦がれている人にキスをする。


 太一の柔らかな薄い唇と、私の唇が重なる。それは温かいというより、熱ささえ感じて。

 驚いたようにびくりと反応した太一が、ぐっと身を乗り出して深く唇を重ねてくる。

 まるで堪らない、とでも言いたげに、夢中で私の口内を貪り始めた。


 やがて太一はソファの上に乗り上げて、完全に私の上に覆い被さった。

 しゅる、と彼のネクタイが引き抜かれた音がする。

 私はそれを、ぼうっと熱の上がった頭で眺めていた。


 太一は私の両手を一掴みにし、ソファのひじ掛けに縫い留めた。

 それから息がかかる距離で、そっと囁く。


「……好きだ。いや、違うな……それ以上だ。俺は、お前を愛してる。だから、約束通り、結婚してくれ」


「太一の馬鹿。順序、おかしいでしょ」


 潤んだ瞳のまま言えば、太一は三白眼をふっと緩めて、口元も緩めて、心底嬉しそうな顔をした。


「二十五年、ずっと一緒にいただろ? 腐れ縁に、死ぬまで付き合ってくれ」


 目付きの悪い男が、蕩ける様な顔で言う。

 腐れ縁の幼馴染の提案に、私が泣き笑いで頷くと、その顔が笑み崩れるように破顔した。


 ―――どうやら私達の腐れ縁は、人生の最後まで、続くらしい。

 

 そうして、プリンを食べていたはずの私は、二十五年の月日を経てこの日、好きな人に美味しく食べられることになった。

 

 

<終>

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腐れ縁を最後まで? プリンを食べてただけなのに、食べられたのは私でした 国樹田 樹 @kunikida_ituki

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