幕間 新婚生活

 昼下がり。僕は学年が一つ下のルシアナ嬢に昼食のお誘いを受けた。


「ハル様、今日もいいお日柄ですね。晴れてることですし、お空の下で一緒にお昼を食べませんか?」

 

 伯爵家のお嬢様が平民にへりくだった口調で話しかけたとあっては大問題であろう。しかし、幸いにも貴族の連中は学院内にある食堂で会食中だ。


 閑散とした教室内は平民しかいないので、誰も咎める者はいない。せいぜいが嫉妬の目を向けられるだけだろうか。僕は平民の上に成績も良くない。『なんであいつなんかがルシアナ様と……』と教室内にいる生徒が目で訴えかけてくるのも当然だ。


「ルシアナ様。平民の僕に畏まった口調をするのは、貴方だけでなく貴方の実家であるコルセーヌ伯爵家の品位を貶めますよ」

「良いではないですか。今、この時間だけでも、私はハル様とお話ししたいのです」


 ルシアナ嬢は普段のような凛とした顔つきではなく、少し幼い……というか、子供っぽい顔をして僕に甘えた素振りを見せてくる。


「貴族の方がいる前で不意に口を滑らせては困りますよ」

「私はそのような失敗をしません!」


 ルシアナ嬢は断固として、僕といる間はこの口調であることを譲らないらしい。


「……そうですね。優秀なルシアナ様のことですから、そのような失敗はされないでしょう」


 渋々と引き下がったのは僕の方だった。


「それでお昼ですが、一緒に食べてはくれないでしょうか?」

 

 ルシアナ嬢は懇願するように上目遣いをする。


 ……可愛い。


 さらさらと揺れる金髪はただ手入れをしているだけでは実現しないだろう絹のような滑らかさ。それでいて、視界に入れれば見惚れてしまうような美貌は貴族すらも魅了する。

 

「……わかりました。ルシアナ嬢の頼みとあれば断れません」

「嬉しいです! 朝早くから料理を作ってきた甲斐がありました!」

「じ、自分で料理をお作りになられたのですか?」

「はい! ハル様にどうしても食べていただきたく……」


 貴族が自ら料理を作ることなどない。料理は給仕の仕事だ。なのに、ルシアナ嬢は自分で料理を作ったと言う。光栄なことこの上ない……のだが、疑問が浮かぶ。


 なぜ、そうまでして尽くそうとしてくれるのか。


「……そこまでさせてしまっては、ご相伴に預からない方が失礼ですね」

「ふふっお腹一杯食べてくださいね」


 僕がルシアナ嬢と初めて会ったのはつい一週間ほど前だ。あれからどういうわけか、ルシアナ嬢は隙を見ては僕に接触を試みようとしてくる。


 美少女に言い寄られるのは悪い気分ではないが、相手が貴族の娘である分、警戒心が勝る。


 ―そんな風に思いつつ、結局は今日もルシアナ嬢に乗せられて廊下を歩いていると、

 

「ルシアナ様! またどうして平民と一緒に廊下を歩いていらっしゃるのですか!」

「しかも相手は『穢れの平民』ハル・オーウェンスではありませんか!」


 続々とルシアナ嬢の輩である生徒がやってくる。その誰もが名家の貴族出身の生徒だ。


 たぶん、ルシアナ嬢がいつまでも食堂にやってこないことに痺れを切らしたのだろう。


「皆さん、私は今日は研究で忙しいから食堂には来られないと言いましたよ」


 ルシアナ嬢は怒りを抑えた口調で、その場にいる貴族たちを威圧する。「う…」と貴族のほとんどが怯むが、それでも臆さぬ者が一人。


「ええ。ルシアナ様は確かにそう仰いました」


 シルビア・フロイセン。フロイセン子爵家の令嬢にあたる。フロイセン子爵家は代々コルセーヌ伯爵家の補佐として活躍する家だ。


 その娘もコルセーヌ家に対する忠義心が高い。

 

「しかし、そこの平民とお食事とは聞かされていません」

「……どこでそれを?」

「ここにいる平民から聞きました」


 シルビアが一人の平民を蹴り倒す。


 その顔には見覚えがあった。さっき教室に居た平民の一人だ。


「あ、く、うぅぅ…っ!お、俺は悪くねぇぞ!身の程を弁えねぇお前が悪いんだ!」


 話の経緯から察するに金でも渡されたか、脅されたかでもして、ルシアナ嬢と懇意にしている僕を監視していたのだろう。


 ……これは言い逃れができないな。


 騒ぎを聞きつけて人が集まってきている。これ以上はルシアナ嬢の外聞にもよくない。


「……ルシアナ様。お手を煩わせてしまって申し訳ありません」


 僕は悲しそうな顔をするルシアナ嬢に良心を痛ませつつも、一礼をしてその場を立ち去った。



◇◇◇



「ん、んん……ん?」


 朝になって起きると、体が妙に温かかった。具体的には人肌の温かさを感じる。


 僕は布団をゆっくりとめくると、そこには—


「る、るし……!」

「……すぅ……すぅ……」


 僕の体に抱き着いて身を寄せていたのはルシアナだった。


 薄い寝間着と寝相も相まって、あられもなく胸やお腹が露出しかけている。しかし当の本人はまだ夢の中。一度離れた僕の体に再びくっつく。


「ふへへ……お兄様……」


 起こすのは可哀想だと思うくらいに幸せそうな寝顔だった。


「そういえば、昨日は一緒に寝たんだっけな」


 僕は昨晩のことを思い出す。


 ルシアナからずっと傍を離れるなと命じられた僕はその命令の通り、片時もルシアナの傍を離れることはなかった。


 流石にお風呂と着替えの時はすぐ隣の部屋で待機していたけど、それ以外はずっと二人の空間で過ごした。


「ルシアナがあの日の女の子だったん……だよな」


 夜の闇にも負けないような美しい金髪。イネスでは金髪はさほど珍しくもなんともないのだが、これほど美しい髪はそうない。


 ……それこそ、あの日、離れ離れになった女の子くらいだ。


 僕はルシアナの頭を優しく撫でる。すると気持ちよかったのか、ルシアナは「もっともっと…」と寝言で囁き、僕の体に頭を擦りつけてくる。


「実の妹と結婚かあ……しかも聖女なんだよな」

「……ん、んむ」


 僕はこの先の苦労を思い描く。すると、ルシアナの瞼が微かに動いた。


「あ、あれ? ……ここどこでしゅか?」

「ルシアナ。おはよう」


 僕は寝ぼけているルシアナに朝の挨拶をする。


「ふへ? おにいしゃま?」


 ルシアナはまだ寝ぼけている様子で目を擦る。


「―あ」


 ようやっと目が醒めたルシアナは僕の顔と自分の乱れた寝間着を交互に見た。


 そして―


「きゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 顔を真っ赤に茹で上がらせて、叫び声をあげたのだった。


「は、ハル! どうしてここに居らっしゃるのですか!?」


 ルシアナははだけた寝間着のボタンをしっかりと留め、ぼさぼさに跳ねた髪を櫛を使って大急ぎで直す。


「どうしても何も……ルシアナが言い出したことじゃないか」

「そ、そうでしたああ!」


 ルシアナは「私のだらしない姿を見て失望しませんでしたか!?」と慌てる。「可愛かったよ」というと、なぜだか「バカ!」と言って顔を真っ赤にすると布団に潜っていった。


 こうして、僕たちの新婚生活一日目が幕を開けたのだった。

 

 

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