第5話 忍び寄る脅威
「呪刻。まさかルシアナも……」
お兄様は狼狽します。まさか聖女が呪いの子であったとは思いもしなかったのでしょう。
「知っているのは、お兄様の他にこれを私の体に刻み込んだ呪術師とその一派でしょう」
私の呪刻は幸いにも隠せる場所にありました。
服を着ていればまず見られることはありません。入浴時や着替えなど肌を晒すときも、私は「自分で出来ますから」と侍女に言って聞かせておりました。
「しかし……どうしてルシアナは呪いを宿していても聖女に選ばれたんだ?」
そう零したお兄様は直後に口を塞ぎます。
「……いや、すまない」
「構いません。イネスでは呪術を刻まれた子は穢れとして忌み嫌われているのは事実です。むしろ、そんな呪刻を晒して生活していたお兄様に比べて、私は卑怯者です」
お兄様もその呪刻を見られて、人から蔑まれた経験があるのでしょう。
魔術学院でお兄様は「穢れの平民」と呼ばれていました。
その忌み名を耳にするたび、私は自分の卑劣さを痛感させられていました。お兄様は隠せず、その呪いを晒しているのに対し、私はずっと黙っていたのです。
「そんなことはないさ。僕もルシアナの立場ならそうする」
「お兄様はお優しいのですね」
お兄様の慰めに私は顔を綻ばせました。その穏やかな顔は昔と変わらず私を安心させます。
「ハルの仰る通り、神は穢れを嫌います」
イネスの教典では『神は水晶と対になる世界に座す。そこは天上の界であり、穢れなき真理の世界である』と書かれています。
穢れなき世界にいる神は当然、人が生み出す穢れを嫌うのでしょう。それが故に聖女となる存在を選び抜き、人の世の浄化を命じるのです。
「ですが、呪術を穢れとして見るのは早計です」
私は書斎の本棚から一冊の本を取り出します。その本は魔術文化史の中でも東の国の魔術について書かれた本です。私は何度もこの本を読み返し、暗唱できるほど頭に入っていました。
「ここを。『呪いとは元来、悪意にあらず。東の国々では呪刻は癒しにも神への祈りにも使われる。イネスでは祈祷術とされるそれも、東の国々では呪術に含まれる』。つまり呪刻そのものは穢れではないのです」
お兄様の為に私は該当するページを開きます。
「この本棚にある本。もしかして……」
「はい。私が数年の間に読破してきた本です。神官たちに頼み込んで、私の部屋にあったものを運び込んで貰いました」
「……やっぱりルシアナは凄いな。いや、これぐらいの知識がないと聖女には選ばれないのか」
聖女候補には誰しもが知る高名な方々が名を連ねていました。
彼女らに比べて私が勝っていたのは若さだけ。いえ、それこそ経験が少ないという意味では劣っています。神の選択なので誰も異論は唱えませんが、選ばれた私は荷が重く感じています。
「私はまだ未熟者です。これから聖女としてもっと成長しなければいけません……っと、話が逸れましたね。そして問題なのは私の肩に刻まれた呪刻です」
「……もしや、悪しきものなのか?」
先ほどまで呪術は穢れではないと説かれて、油断していたお兄様はすぐに表情を引き締めます。
「はい。図書館の奥にある蔵書保管室で東の国の文献を調べさせてもらったところ、傀儡の術であることがわかりました」
「傀儡って他人を操る術……で合ってる?」
「はい。イネスで王国では危険すぎて使用が禁止されています」
「不味いじゃないか!」
お兄様は慌てて私に詰め寄ります。
「落ち着いてください。呪刻の発動条件は極めて限定的です。少なくとも、すぐ発動するようなものではありません。……が、」
私はお兄様を落ち着かせて言います。
「聖女となった私に傀儡の術が発動すると、それは即ち、国家の転覆に繋がりかねません」
私が危惧していること、それは聖女となった私が邪な者の操り人形になることです。
それは考えうる限り、最悪の可能性です。実現すれば、イネス王国はたちまち破滅へ向かうでしょう。
「……聖冠はどうなんだ? 噂によれば、邪なものを跳ねのけると聞く」
「ええ。それで廃人となった聖女もいますね」
「なっ! それじゃあ……!」
「安心してください! ……いえ、寧ろ、安心はできないのですが……とにかく、私が廃人になることはありません!」
悲壮な顔つきのお兄様。私はお兄様に聖冠の穴を説明します。
「聖冠は初代聖女がその持ちうる魔力をすべて賭して作り上げました。時は今から二百年も昔のことです。その頃には東の国は鎖国をしていました。……これは確証のない想定ですが」
「……まさか、ない……のか?」
お兄様の質問に私は頷きます。
「初代聖女がいくら優れていようと、知らない術への対策は講じられないと思います」
聖冠の弱点。それは作られた当時のまま形を変えない聖遺物であることです。
とはいえ、聖女の神格を強める意味では長所ですし、それを分かっていて神官たちは今まで聖冠に手を加えず放置してきました(もっとも、初代聖女が作り上げた技術が凄すぎて、手すら加えられなかったのが事実でしょうけど)。
「……でも、流石に神官は気づくのではないか? 彼らはとても優秀な仕官の出だ」
「いいえ。彼らは気づきませんよ」
それに関しては一度、試しています。
神官は神の使者である聖女の言うことであれば、盲目的に信用します。
「それでは……僕はどうすればいい。ルシアナの為に僕にはなにができる?」
「ハルは私の傍を離れないでください。いつ何時、如何なる時も。それが現状だと一番のことです」
そう言って私はお兄様の手を抱きしめました。
「ず、ずっとは無理じゃないか?」
「大丈夫です! 私たちは夫婦なのですから!」
困惑するお兄様に私はあざとい笑みを浮かべました。
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