第3話 結婚成立(計画通り)
水晶玉に手を翳した瞬間、私の意識は体から切り離されました。
そこは長く続く廊のようです。私の足元には薄く水が張っていて、私の動き一つで幾重にも波紋を作り出します。
奥には祠のようなものがあり、得も言われぬ圧迫感がありました。その奥は暗がりで何も見えません。しかし代わりに、私の背後にとても大きな魔力を持つ存在を感じました。
「私の記憶を覗き見るなんて、神様は悪趣味ですね」
私は自分の背後に立つ存在に話しかけました。すると、背後の存在は女性の声で笑います。神様にも性別があるんだ。と、失礼ながら私は親近感を感じてしまいました。
気が緩んだのも束の間、私に神のお告げが下ります。
―汝が兄と共に在れ。
祠から風が吹いた瞬間、沼に沈むような声が頭に響きました。
……と、同時に、
『次の聖女がどんな人物かと来てみれば、とんだ乙女ではありませんか』
女性の声が私の耳元で囁かれます。
「……っ!」
私は咄嗟に振り返りました。
「―っ!」
すると、たちまち高所から落下するかのような浮遊感が私に襲い掛かってきました。
意識は深く奈落の底へ……
◇◇◇
「―聖女様。神はなんと仰っておりましたかな?」
気づけば、私の意識は体に戻っていました。
水晶玉に手を翳して立ち尽くす私に神官キュエスは訊ねてきます。
「……あ、」
……あれが神のお告げ?
もっと細かくて長くて難しい詔だと身構えていたのに、なんだか拍子抜けした気分でした。
「……ふふ」
……もしかすると神様ってちょろいのかもしれませんね。
昔を思い出した私は童心に帰ったように笑います。
「……なにかありましたか?」
「……いいえ。なんでもありません」
赤面する私に神官キュエスは再度訊ねます。まさか神官様も私の胸の内はわからないでしょう。
私は水晶玉が置かれた祭壇を去り、内陣に控える神官たちの方へ向き直ります。
「……我が神はこう仰いました。―汝が兄と共に在れと」
神官たちの間から「おお……」とざわめき立つ声が聞こえます。
「「共に在れ」とは婚約に用いる誓いの文の最期にある一文「健やかなるときも、病めるときも、夫は妻を、妻は夫を愛し、共に在れ」のことを指すのでしょう。それ即ちは婚儀を交わせ、と」
私がそう述べると、傍に控えていた神官たちは神の意向に触れたことに歓喜しつつ、恭しく礼をします。
誰も私の解釈に異議を唱える人はいませんでした。
ちゃんと神のお告げを一言一句しっかり復唱しているためか、聖冠も反応する気配がありません。
……あ、これちょろい。
ステンドグラスに映る私はきっと悪い顔をしていることでしょう。
「なるほど。いや……しかし、ご兄弟で結婚となると……イネス大聖堂が掲げている近親の禁が」
「神に異論はありますか?」
「め、滅相も」
あー、これは気分が良いですね。
貴族よりも偉い立場にある神官に上から物を言える。普段から神の名をみだりに使って好き勝手する傲慢な神官に、逆に神の名を使って圧力を掛けられる。
これほどスカっとすることはありません。
「それでは火急に準備を進めてください。兄の名前は……」
私はお兄様のことを思い出します。
実は私はお兄様と密かに再会しておりました。しかし私は学年が一つ下。それに貴族という立場が邪魔をして、兄だと分かっていても中々話しかけることが出来なかった。
けれど……それも今日でおしまいです。
「兄の名前はハル・オーウェンス。魔術学院の元生徒です」
学院を追放されたお兄様に対して何もできなかった私をお許しください。
◇◇◇
数刻の時が経って、大聖堂に連れてこられたお兄様は私と謁見することになりました。
「お久しぶりです。お兄様。私のことを憶えておりますか?」
ここは聖堂内の懺悔室。簡素な木製の机と椅子しかありません。
誰にも邪魔されたくない私は神官たちに外で待つように命じ、お兄様と二人きりの空間を作りました。
「えっと、ああ……学院では短いながらも何度か会話したことがありましたね」
「はい。周りの生徒に邪魔されて、満足に机を囲んでのお話は一度もできませんでしたが……」
私は俯いて、学院でお兄様とお話した時を思い出します。
学院でお見かけした際には何度も接触を試みたのですが、その度に周囲の妨害にあい、それどころか矛先はお兄様へ。
……私は耐えられなくなって、お兄様から遠ざかりました。
「僕は魔術学院生徒の資格を与えられている間、平民を名乗れるだけの身分でしかなかったのです。コルセーヌ伯爵の息女と関わるなど、分不相応と言われるのは当然ですよ」
お兄様は聖女になった私を前に委縮しているようでした。
私は幼い頃のお兄様の面影を重ねます。あれから一層大人びて精悍な顔つきに磨きがかったものの、表情は暗く物憂げな影を感じさせます。
……やはりお兄様は私のことを妹だと思い出せていない様子です。
学院で話しかけた時も、兄は私が妹だとお気づきになられていなかった。
神官に事情を説明されても、ハッキリと理解できていないのが現状のようです。
「私はハル兄様の妹です。ルードヴェルツ辺境伯の名は記憶にありますか?」
「……すまない。昔の記憶は色々あって憶えていないんだ」
これに関してはお兄様を責められません。
あの日、私たちは夜盗に襲われました。その時にきっとお兄様は精神的に大きな傷を受けてしまって、以前の記憶を忘れてしまわれたのでしょう。心が壊れないように。
神様の【加護】を持ち、保有魔力も多かった私は人身売買の市場内で比較的まともな待遇を受けられました。
お兄様や他に連れ去られたものの待遇はどうだったか知りませんが、少なくとも私より酷い扱いを受けていたのは確かなようでした。
「でも、その美しい金色の髪は微かに覚えがある。もしかしたら……と、初めて会った時に思ってはいたが……」
「なのでしたら!」
「だけど、すまない。それしか記憶がないんだ」
お兄様は申し訳なさそうに下を向く。
「……良いのです。これからの新婚生活の中でゆっくりと思い出していけば」
「新婚生活?」
「はい。神官から話は聞かされているのでありましょうが、今一度ご確認を」
私は妹としての振舞いを改め、聖女としてお兄様に命じます。
「ハル・オーウェンス。神のお告げにより、貴方にはこの私との婚約が決められました。これは国王の命令よりも優先されます」
「こ、国王よりも?」
「はい。反故にすることはできません。なにしろ神が下した命令なのですから」
これは事実です。もう既に手が余っている神官が役人に働きかけ、結婚の手続きをしています。俗世との関りを絶った私と民の資格がないお兄様。おそらく書類面ではなんの滞りもないでしょう。
問題はお兄様の意思なのですが、これについても神のお告げの力で封殺できます。
……悪い妹でごめんなさい。
「そんなに私との結婚はお嫌ですか?」
私は申し訳なさそうに訊ねました。
「そんなことは……! でもいいのですか? 腹違いとは言え、実の兄と結婚するんなんて……」
「もとより聖女となったからにはあらゆることを覚悟しています」
「……、それほどまでの覚悟ですか。すみません」
私が下心を見せぬ聖女の顔で神の従属を演じると、お兄様はひどく感銘を受けてくださって「聖女様がよろしいのであれば」と承諾してくれました。やっぱりお兄様はお人好しですね。
部屋を出た私は窓で自分の顔を確認しました。神官に見られたら【聖女】を名乗れなくなるほど、それはもう悪い女の顔をしていました。はい。
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