第2話 聖女ルシアナ

「ルシアナ・コルセーヌ。汝を【聖女】に指名する」


 教会の内陣で私は高位の大神官様から聖女の証である【聖冠】を授与されました。


 私―ルシアナ・コルセーヌが王国イネスで絶対の権力を保持した瞬間です。


「聖女となる暁に、俗世との関りを絶つ必要がありまする。これから貴方は聖女ルシアナ。コルセーヌ伯爵家の名前を公に出してはいけませぬぞ」


 膨大な魔力で編まれた術式の集合。【聖冠】。


 初代聖女がその命を賭して作ったとされるそれを被った私に、神官の長キュエス大神官が忠言しました。


 歴代の聖女の中には自分が思うままに国を操ろうとした者がいたそうです。


 その聖女は神のお告げを騙り、国家治世を我が物としようとしたらしいのです。


 しかし、彼女の企みは失敗しました。それを防いだのが、この聖冠です。


 邪に神の名を振りかざせば、この冠に編まれた術式の一つが起動します。そして、ひとたびその術式が起動すれば、聖女ですら廃人に成り果ててしまう恐ろしい術なのだとか。


「わかっております。もともと、コルセーヌ家には養子として迎え入れられました。偉大なる父、母に恩義こそあれど、コルセーヌ伯爵家に帰属する意思はこれから先、生まれることがないでしょう」


 私の言葉を聞いたキュエス神官は厳粛な顔を少しだけ絆しました。


「うむ。それでこそ、歴代最年少にして、初代聖女の再来とも言える聖女だ」


 ……私にイネス王国をどうこうしたいという意思はありません。


 ただ私が聖女になることで、一人でも多くの民が救われれば、それだけで私は満足なのです。


「聖女ルシアナ様。これより最初の託宣の儀を行いまする。ご神体に手を翳してくだされ」


 水晶玉に手を翳す私は幼い頃を思い出していました。お兄様とただ無邪気に野原を駆けていた日々を——


 

 ◇◇◇



 私の記憶の中には、いつもある男の子がいました。


 お父様は私にひた隠しにしようとしていましたが、我ながらめざとい私はその男の子がお父様と妾の子供であることに勘づいていました。


 ……お父様としては若気の至りを娘に知られたくなかったのでしょう。


 何はともあれ、その男の子は私にとって腹違いの兄だったのです。


「ルシアナ! お外に行こう!」

「うん!」


 お兄様は私と一緒のお屋敷で暮らしていて、私をよく冒険に連れ出してくれました。


 ある時は土砂降りの雨に晒され、ある時は森で迷い帰れなくなり、またある時は野獣と遭遇したりもしました。


 お屋敷に帰るころにはいつも傷だらけで、体も汚れてしまって服もボロボロ。メイドさんや執事さんをいつも心配させていました。


 お父様、お母様には何度も「もう二度とこんなことをするな!」と叱られましたが、それでも私はそのお兄様と遊ぶのが楽しかったです。


 一緒に叱られて、反省部屋に閉じ込められた私たちはいつも「次はどこに行こうか?」と笑いあっていました。


 ―幼い私はずっとこんな日々が続くと思っていました。

 

「干ばつで作物がまともに育たない。困ったものだ」

「そうね……それに王への献上もあるわ。この様子だといつもの半分……いいえ、三分の一にも満たなそうね」


 私が七歳になった時に村で大規模な干ばつが起こりました。


 農作物が育たなくなり、水もなく家畜たちはどんどん疲弊して死んでいきました。


 当時、その領地を治める辺境伯であった私のお父様は苦しむ民を見て、自分もまた苦しんでいました。 


 民から多額の税を巻き上げて国王に献金しなければ領地鞍替えの処分が下されるからだと、貴族を知る者は言うかもしれません。


 ですが、お父様は心の底から民を愛しておりました。時間を見つけては民と共同で農作に勤しみ、自ら率先して土泥にまみれました。民もそんなお父様を尊敬していたと思います。


 ……干ばつが長続きするまでは。


「今年で二年か……苦しいな」

「あなた様。王へ嘆願書を出して減税の申請をしてみては?」

「……却下された。それどころか、今の体たらくだと他の貴族に領地を渡すと脅してきおった。クソ! 贅沢におぼれた豚どもめ!」


 干ばつはずっと続きました。


 民の中にも次第に飢え死ぬものが出てきました。民の思考は「貴族ばかりが贅沢をして神罰が下ったんだ!」とお父様を責めるものに変わっていき、暴動が起こるようになりました。


 雇っていた使用人も多くが辞めていき、次第に辺境伯としての力を失っていきました。人を殺して物を奪う盗賊を討伐する力もありません。


 なのに盗賊が増えて勢いをますばかりで、集落はどんどんと治安が悪化していきました。


「……神様。どうか、雨を降らせてください」

「神様。お願いします」


 私は神様に祈りました。お兄様と一緒に。ずっと。ずっと。


 何回も繰り返した私の願いは―ある日、ついに神様に聞き届けられたのです。【加護】と呼ばれる神様の祝福と共に。


「ルシアナ! その力は……!」


 私の傍には七色の精霊たちがいて、天へ届く祈りの光は雨雲となって返礼されました。


 神様の【加護】を間近にみたお父様は大変驚いていた様子でした。


「すごいよ! ルシアナ!」


 お兄様は私を褒めてくれました。お父様や民たちも、こぞって私を褒め称えました。


 しかし……私は神様の【加護】を周囲に見せてしまったことを後悔することになります。


「ルシアナよ。次は雨を止ませてくれ」

「ルシアナ。新しい作物が育つか試したいのだけれど、お願いできる?これは希少な作物で、この地で育てられればみんなの生活が潤うわ」

「ルシアナ様! どうか神の【加護】で東にある川をせき止めてください! あそこが道となれば今より馬車の通行がずっと楽になります!」


 みんなが私の【加護】に依存するようになっていきました。


「ルシアナ。君は君だ。神様の加護を持っていてもそれは変わらない」


 私のことをただのルシアナとして見てくれたのはお兄様だけでした。

 

 他の誰もが私のことを「神の使い」と呼んで崇めるようになったのです。しかし、今思い返せば崇められているだけ良かったのかもしれません。


 私の力は次第に道具として扱われ始めました。

 

「ルシアナよ。素晴らしい働きだ。我が家は何もせずともいずれ王家すら飲み込めるだろう」


 お父様にはかつては名君と称された面影はどこにもありません。碌に仕事をせずに一日中酒におぼれ、お母様は毎日屋敷でパーティーを開くようになりました。


 潤った資金でお屋敷は不必要なほど豪華になっていき、民も堕落した生活を送るようになりました。


 そんなお父様を王は許しませんでした。


「ルードヴェルツ辺境伯よ。貴様には盗賊の一味と共謀した疑いがある」


 お父様は国家に仇名す盗賊の一派と結んでいた嫌疑がかけられ、王都の裁判にかけられました。


 結果は……


「ルードヴェルツ辺境伯を有罪に処す。罪状は国家転覆罪。よって所領の没収と伯位の剥奪を決定する。ルードヴェルツ元辺境伯はこれまで蓄えた資金をすべて国王に献上するように」


 お父様はすべてを失いました。


 貴族としての地位も名誉も富も、なにもかも失い、自暴自棄になってしまわれました。


「クソぉ! クソぉおお! 俺の成功を妬みやがって! あのクソ国王が!」


 お父様は半狂乱の陥りました。その姿はまさしく悪魔そのものです。


 血走った目で屋敷にある豪華な家具や絵画などの美術品を壊して回りますが、それでも怒りは収まりません。


「お前だ! ルシアナ! そもそもお前がいなければ、私は……私は、ここまで失うことはなかった!」


 もうすべてを失ったお父様の怒りは私に向くことになったのです。


 ここにいたら命が危ない。私はそう思うようになりました。


 そして……


「逃げよう! ルシアナ!」


 お兄様と一部の使用人、護衛たちと共に私は屋敷から逃げ出しました。

 

 その道中で夜盗に襲われ、私はお兄様と離れ離れになったのです。

 

 

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