民から絶大な支持を誇る【聖女】は腹違いの妹だった。〜神のお告げを利用して無理矢理婚約させられました〜

春町

第1話 お告げ

 暗い夜道を走る馬車。荷台がガタンガタンと揺れる。荷台の中には幼子が二人。


 僕と……もう一人。女の子がいた。


 暗がりでよく顔は見えなかったが、月の微かな光を浴びて輝く金色の髪だけは今も脳裏に深く焼き付いている。


 馬車が森を抜けたところで、馬に乗っていた護衛の兵士たちが騒ぎ始めた。僕は荷車を覆う布を少しずらして外を見た。


 夜盗だった。夜盗が馬車に襲い掛かってきていたのだ。しかも数が多い。


 護衛の兵士は五人に対して夜盗は十数人。装備の質と練度で勝る兵士と言えども、厳しい戦いだった。


 盗賊から矢が放たれると、馬は前足を高く上げて暴れ倒れた。魔石が仕込まれた燈も真っ先に狙われて、視界に闇夜が広がっていく。


 目が冴えた盗賊たちと目が慣れない兵士たちの戦いは蹂躙に近かった。


 次々と護衛の兵士が殺されていく。夜盗の荒い息遣いがこちらまで聞こえてきた。


 人が絶命する間際の断末魔と雄々しいダミ声が混ざって……

 


◇◇◇



「——っは!」


 目が醒めると、朝日が寝室に差し込んでいた。


「く、っはあ……っはあ……」


 息が荒い。背中までびっしょりと嫌な汗をかいていた。もう何年も経つのに、今でもあの出来事を悪夢に見る。


「またあの日の夢か。いい加減、忘れたいものだが……がある限りは難しいか」


 僕の体には、いまだにその時の傷が残っている。腕を捲ると首から肘にかけて黒くて禍々しい紋様が刻まれていた。呪刻だ。


 東の国で独自に発展したと言われる呪術。ここ、魔術の聖地である王国イネスでも深くは研究されていない。


 一応は魔術学院に通っていた経歴を持つ僕でも、この呪刻がどういう作用をするのかわからない。


 極端な話、今この瞬間に死ぬ可能性すらあった。


 解呪の方法は刻印をつけた相手を殺すこと。それはどんな呪術にも共通している。


 つまり長生きしたいのであれば、生涯をかけてでもその人物を探さなければならない。

 

 ……まだ呪刻が残っている。……相手は生きているんだ。


 洗面所で顔を洗う。ひどく憔悴した顔だ。悪夢のせいでもあるが、理由は他にもある。


 ……遡ること三日前、僕は魔術学院から追放された。



 流浪の民であるハル・オーウェンスにとって、この国の魔術学院こそが唯一の居場所だった。


 比喩ではない。僕が王国に数十年も滞在出来ているのは、魔術学院の生徒であったからだ。生徒の証である校章が国籍の代わりを果たしていた。


 しかし、それももう手元にはない。魔術学院を退学する際に校章は返納した。今の僕は流浪の民に逆戻りだ。


 魔術学院の寮を出て、朝から騒がしい城下の商店街を荷物を担いで歩く。今日で学院寮からも除名される。僕は陽が沈む前に国を出なければならない。


 神と英霊の座す眩い魔術学院を背に、僕は城門へ足を向ける。


 その時だった。商会が発行する新聞を配達する新聞売りの声が噴水広場に響いた。


「号外だよ! 本日、新たな聖女が誕生した! 聖女の名はルシアナ! 最年少の聖女だ!」


 新たな聖女の誕生。しかも最年少記録の更新ということで、城下の民たちは大いに沸いていた。


 【聖女】とは大聖堂を守護する神が選ぶ特別な役職だ。


 広義な意味での聖女は直々に神の【加護】を受けた女性を指すのだが、ここイネスでは少し意味合いが違う。


 イネス王国で聖女に選ばれるには生まれつき強大な魔力を持ち、尚も研鑽を積み、神様から直接認められる必要があるのだ。


 だから大抵は晩年になりがちなのだが……ルシアナは齢十五歳。歴代の聖女と比較しても若すぎる年齢だった。


 聖女は一つの時代につき一人。聖女が亡くなると、大聖堂の神官に神託の啓示が下り、新たな聖女を指名する。


 先代の聖女―ヨセフィス様はちょうど一年前に崩御なされた。


「ははっ。凄いな。僕なんかとは大違いだ」


 ルシアナは魔術学院の後輩だった。と言っても、ルシアナは年上の僕よりもずっと優秀だ。魔術学院での成績はいつも一番上。落ちこぼれの僕なんかとは正反対だ。


 彼女のような人物が宮廷魔術師筆頭になるのだろうな、と思っていたのだが、ルシアナはそんな僕の予想を軽々と飛び越えて、こうして国王より上の地位にまで上り詰めた。


「聖女ルシアナと一緒の学院で過ごせたことが僕にとって一番の誉れだろうな」


 嫉妬心はある。彼女の功績を目の当たりにして、自分の負けだと言い聞かせても、心の奥底にしまった魔術師としての誇りが胸を締め付ける。もやもやとしたつかえが、彼女を褒める民の声を聞くたびに大きくなっていった。


 ルシアナの凄さを身近に感じて、それが民にも認められて鼻高々のはずなのに、どこか面白くなかった。


 この場に長く居座れば居座るほど、惨めな気がしてならない。僕は足早に城門へ行く。


「ハル・オーウェンス!? ……少し待て。おい、あいつが例の……らしい」

「なに? ……そうか。ならば上へ報告しろ」


 城門前で馬車に乗った僕を確認した憲兵は何やら騒ぎ立て始める。

 

 普通の出国審査のはずが、異様な雰囲気がその場を包んでいた。こんな経験は今まで一度もない。


 しばらく待たされると、憲兵のお偉いさんが部下を引き連れてやってきた。その物々しい対応に他の旅人までも委縮していた。当の本人である僕は心臓が破裂しそうなほど緊張している。


「ハル・オーウエンス。貴殿の出国は認められない」


 憲兵が僕に告げた。


「貴殿の身柄を確保するように大聖堂からお達しが下されている。……悪いが、我々について来てもらう」


 荷台から降ろされた僕は憲兵に無理やり拘束された。


 今、この場で抵抗すれば逃げられなくはないだろう。だが、そうなると国家のお尋ね者だ。ここは大人しく従っておいた方が賢明だ。



◇◇◇



「貴様ら! 聖女の婿様になんたる狼藉! 今すぐ解放して差し上げなさい!」


 兵の詰め所で軟禁状態にあった僕の元に神官がやってきて叫ぶ。


 その神官は純白のローブを見に纏い、胸に七色の光を放つ紋章をつけていた。


 神官の中でも大神官と呼ばれる方だ。この場にいる誰よりも偉い。そもそも、こんな薄汚れた駐在所に来るようなお人じゃない。


 しかし、そんな違和感を塗りつぶすくらい気がかりなことがあった。


「聖女の婿?」


 僕のその言葉に大神官は鷹揚に頷いた。


 そして僕の―学士ですらない流浪の民の僕に跪く。


「左様。聖女ルシアナ様に最初の神のお告げが下りました」


 神のお告げ。それは国王直々の厳令よりも優先される。


 聖女が国王より上の位階に当たる理由が、この神のお告げにあった。


 大神官が僕にわざわざ神のお告げを伝えに来たということは、僕はこれから神様の手によってなんらかの処遇を与えられるらしい。


 僕は大神官の言葉に耳を傾け、体を強張らせた。


「聖女ルシアナ様と貴方に腹違いではありますが、兄妹の血縁があることが認められました」

「……は?」

「また神が聖女に命じて曰く―ハル・オーウエンスと結婚するように、と」

「……はい?」


 聖女……ルシアナが妹で、それに結婚……?


 ありえないお告げを聞かされた僕は頭が真っ白になった。


 ルシアナとは何度か学院内で会ったことがある。僕とは似ても似つかない美少女だ。


 長く伸びた金色の髪……金髪……まさか!


 あの日、僕と一緒に馬車で揺られていた女の子。


 いやいや……! そうだとしても……!


 ただの偶然の一致だ。それにあの女の子が僕の妹だって確証も……だいたい、


 神様って近親相姦とかに厳しいんじゃないのかよ……

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