共に腹が鳴り続ける限り


 自分の意思で生き延びてしまった過去がまとわり付いて、知枝の目からポロポロ涙が溢れる。それを目の当たりにしたオフィーリアは、後ろにある焼けた平戸城をハッと見て後悔の念に駆られる。彼女にとって心の傷を抉る景色であると気づくには、あまりにも遅過ぎた。


「すまない! つらい事を思い出させた……」

「ハッさんが謝る必要ないで。私は自分の意思で家族を置き去りにしたと。……取り返しのつかん事をした人間や」

「チエ……」

「でも、もう、過去を悔やんでへんよ」


 知枝は着物の袖で涙を拭うと、スッと立ち上がった。海から吹き付ける強風と眩しい夕陽は塩辛く潤う目を容赦無く刺激するが、目をらしてたまるかと怯む事なく直視した。


「逃げ延びたオラは、毎日自責の念に駆られて絶望の淵におった。そなぁ時、手を差し伸べてくれたんが中国から渡って来よった旅薬師のミンという老人や」

シンだと……まさか、その唐人が貴様の親代わりなのか?」

「せや。その人が、オラに薬膳と武術を叩き込んだお師匠様や」


 ここで全てが繋がった。薬膳は中国伝統の料理、本場の人間から教わったのであれば知枝の豊富な食材知識や目利きも納得である。


「前に進めんくなったオラに、お師匠様はこう言ったんや。『運命を掴んだ者は、恵まれなかった者に生きて行動で示す責任がある』と」

「行動で示す、責任——」

「齢十にも満たんオラやったけんど、そん言葉は心にどっしり響いたわぁ。立ち止まっても死んだ家族は報われへん、じゃから生きて罪滅ぼしせなと思うた」


 家族を見捨てた知枝の隣にいるのは、家族の為に努力を尽くすオフィーリア。親孝行に励む異国の少女に並ぶ資格がないという苦悩が、無理して笑おうとする表情から垣間見える。


「罪は償うもの、命は育むもの、人生は追い求めるもの。そう教えてもろたお師匠様ん元で食材の事を必死に覚えよって、山賊や野伏に襲われながらも生き延びてきたんや」

「……」

「一緒に色々な所巡って、たくさんの事学んどったが——お師匠様も寄る年波には勝てん。またオラは一人になって……気が付けば平戸に来とったわ」

「それで、貴様は先生に買われる事になる訳か」

「へへ、旅の成り行きのつもりやったけど内心、家族見捨てた負目で故郷から離れたかったんやろなぁ。お師匠様のおった清に興味湧いて貿易船に忍び込んだけんど、捕まりよって売られた訳や」


 知枝は過去を懐かしみながら、停泊している貿易船を見つめた。それが知枝が松浦に引き取られるまでの経緯、これで彼女の過去を含めて密貿易との関与は完全に無いと言えるだろう。


「女中ってなんやねんって思っとったが、ハッさんと会うてみたら……えらい目ェ輝いてる人でびっくりしたで」

「私の目がか⁉︎」

「せやせや。肩身狭ェ異国の女子おなごがぁ、すんげ希望に満ちてんやもん。オラも負けてられんって対抗心抱いたわぁ」

「私に対して、貴様の態度が大きい訳はそれか……」

「んでな、ハッさんが商館員になりてぇようにオラにもなりてぇもんがあるんやわ!」


 先程まで泣いていたのが嘘のように、知枝は前向きな姿勢でオフィーリアに自身の夢を口にしようとした。夕陽は沈み行き、日本は宵に向かっていくが、彼女の表情は日の出のように明るく清々しい。


「オラ、人の助けんなる飯を作れる人になりてぇだ。身体に良くて、最高に美味うめえ——そなあ飯を振る舞える包丁師に」

「……。それが貴様なりの、罪滅ぼしという訳か」

「はは、そこまで解釈出来んのんはさすがハッさんやね〜。台所役人やら膳奉行もええけんど、身分関係無く必要としてる人らに食わしてやりてぇなあ」

「誰にでも食事を提供するつもりか? それでは貴様が損をするだけではないか、商売に繋げるべきだろう」

「んあ〜……、この流れで銭儲けの話すんのんは興醒めやて! けんど、骨折り損のくたびれ儲けも嫌やしなあ」


 二人は緋色の海を見ながら、これからの包丁師について語っていく。これでお互い、将来に目標を持った隠し事の無い関係に進展したが、水平線に視点が合ったオフィーリアは何故か俯いてしまう。


「なれるとええなぁ、お互いなりたいもんに」

「そうだな、時代が許してはくれないだろうが」

「なんや。ハッさんにしちゃ、えろう後ろ向きやんけ」

「私は表立って商館員と名乗れない立場にある。その上で、ママ達に胸を張って商館員になれたと言って良いのだろうかと……海の彼方を見る度に、迷いが生まれるのだ」

「ふーん。そんならオラがいるけ、これで家族ば堂々と名乗れるやろ?」

「どういう事だ?」

「どーせハッさんとオラは、目立てない立場なんや。んならお互いに歴史の証人になりゃあええべ」

「なんだそれはぁ……」


 知枝の楽観的な提案に、オフィーリアは呆れて肩をすくめた。二人が世で活躍する事を、戦乱の混沌が抜けきれない時代は認めようとしないだろう。それならばせめて、共に語部かたりべでありたいと、運命共同体でありたいと願う。


「お互い、目標に向かって頑張ってこうや。腹が鳴り続ける限り!」

「待て。それを言うなら『命ある限り』ではないのか?」

「そなぁ武士みてぇな意識しとったら気ィ滅入るでぇ、オラ達は腹減る限りくれぇで丁度ええんや」


 知枝はそう言うと、オフィーリアの腹をえいと小突いた。ぐふうと妙な声が出てしまったが、怒りは湧いてこない。今日あった事全てを許してしまえる夕刻に身を任せて、知枝はオフィーリアに迫った。


「ほら、景気良くいこか! 腹が鳴る限り、何があっても夢を諦めへん。ええな⁉︎」

「ああもう、分かった。分かった。『腹が鳴る限り、何があっても夢を諦めない』……これでいいか?」

「せやせや、絶対に約束やで!」


 静かに居座る煤けた平戸城が見守る下で、知枝とオフィーリアは何度も腹の底から思い出すであろう適当な約束を交わした。貿と戦が拮抗する港町に、二人の少女は自由で身動きの取れない運命を思い描いては、流離さすらいの潮風に行先を預けた。

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