Chapter third『たとえ時代に踊らされても』
後顧之憂
「——で、ハッさんはあの商人さんにオラの正体暴露すんのん?」
「密貿易に関与していなければ、問題ないだろう。しかし……姫君であることは、どう報告するべきか」
「んー、まぁ滅んだ大名一族の末裔なんて今更だぁれも気にせんかぁ〜」
焼けた平戸城から帰宅に向かう二人は、港町居住区の道を歩きながら周りに聞こえない声量で話していた。豊臣政権が終わってから十年以上経った今、争いに興味が無い彼女は名を馳せる大名にとって脅威になり得ないだろう。
「とにかく、貴様の疑いは私が晴らす。何も、心配する事はない」
「ほお〜、頼りになるなぁ。褒めて遣わすぅ〜、良きに計らえぇ〜」
「……。貴様の血筋は高貴なのかもしれないが、今は私の女中だ。図に乗るんじゃない!」
「はぁあ⁉︎ オラだって、ハッさんに顎で使われんのは御免だぁ!」
「オフィ〜リア〜ッ!」
「んあ? ハッさん、誰か呼んどるよ」
「オフィィィ〜リアァアア〜ッ!」
「この声は……エデュアルト商館長⁉︎」
迫ってくる声にオフィーリアが振り向くと、オランダ商館長のエデュアルトが軽快な足取りで接近してきた。立ち止まる二人に追い付くと、競売市場で疲れた様子を見せず、ニコニコ顔で絡んでくる。
「やぁ〜っと見つけたよオフィーリアぁ〜、市場の店じまいしてから、ずっと探してたんだよぉ〜?」
「そうだったんですか? お忙しい中、何故私の事を……」
「後で話そって僕、言ったじゃーん!」
「あっ、そういえばそうでした……。今、時間大丈夫なんですか?」
「ノープロブレムさ!」
「分かりました。チエ、先に家へ戻って構わない」
「はぁい、オラ
知枝は状況を会話から理解して、その場から去っていった。見送ったオフィーリアがエデュアルトの方を向くと先程までいなかった用心棒の武士、カクが背後に待機している。しかし、エデュアルトはそんな彼を邪険にするように指示をした。
「カク、僕は彼女と話があるんだ。席を外してくれないかな」
「そう申されましても……。エデュアルト様を常に
「僕さぁ、席を外してって言ったよねえ。君って日本語分からないのかなぁ?」
自分の仕事を全うしようとするカクにエデュアルトはニコニコ顔のまま言葉で突き返す。必要とされていないカクは頭をぺこりと下げ、無言でその場から離れていく。オフィーリアは威厳ある武士の印象とは程遠い臆病な姿から目が離せなかった。
「で、どうだったかな今日の競売市場は」
「あ……、はい。とても画期的な試みでしたね。鐚銭で輸入品に手が伸びるのも、庶民にとっては魅力的だったでしょうし」
「この国の銭価値はともかく、平戸の人達にオランダ商館の名前を売るのが今回の第一目標だったからねぇ。競売に関しては、色々改善の余地があるかもしれないなぁ〜」
会話の内容は競売市場の事ばかり。探しに来てまで話す事なのだろうかとオフィーリアが疑問を抱き始めると、微妙な表情変化を察したエデュアルトが話を切り替えた。
「ところでさぁ、君って日本語の勉強で松浦に付いてるんだよねえ。働いたりしてる?」
「私がやっているのは貿易に関する資料の整頓や会計など……軽いお手伝い程度のみで、お仕事は頂いていません」
「ふーん。あのさぁ、良かったらオランダ商館で働いてみない?」
「えっ……私が、オランダ商館でお仕事を⁉︎」
「そうそう。日本人なら僕らの商館にもいるし、どうせなら勉強ついでに小遣い稼ぎしちゃおうよ〜」
素性を隠しながら話すオフィーリアに、エデュアルトが厚意的に勧誘してきた。彼の目的はオランダ商館にオフィーリアを引き入れる事、やはり貿易商人を取り仕切る人物だけあって、商館にとって有用な人材である事を見抜いている。
気軽な前振りを入れたエデュアルトは、彼女が否定する前に、真剣な口調に切り替えて理由を述べ始めた。
「これ程、日本語が堪能な異国人はオランダ商館にすらいないよ。君は間違いなく、南蛮貿易で有望な商人になれる」
「いいえそんな、私は日本語が話せるだけですから」
「それにね、君の先生である
「確かに、先生は凄い方ですが……」
「僕としても、是非部下に招きたいのにさあ、身内を使ってもぜーんぜん動じないんだ、あそこまで頑固だとお手上げなんだよね〜」
松浦の事を苦労気味に語り、ふと油断したオフィーリアにエデュアルトは急接近した。そして一瞬で彼女の無防備な唇に親指を添え、顎をクイッと引いて話の主導権を握る。
「松浦が無理だと分かった今、僕は君に価値を感じている、だから……こっちに来て欲しいなぁ」
「あ……、えぇ……ッ」
「どうかな? オフィーリア」
「……ッ! すッ、すいません! 私は、イギリス商館に返すべき恩義があるのでぇッ!」
ねっとり迫るエデュアルトに対して、オフィーリアは焦りながらも丁寧に拘束を振り切り、キッパリと誘いを断る。この話術でも揺るがない彼女に、エデュアルトはやれやれ顔で諦めの片鱗を見せた。
「そっかあ。悪くない話だと思うけど、イギリス商館に思い入れがあるなら無理強いしちゃいけないよねぇ」
「ごめんなさい……ッご厚意で誘って下さったのに……ッ!」
「いいんだ、いいんだ。そもそも奪うのは僕の趣味じゃないし、客の方から寄って来させるのが、オランダ商館の
「で、ですから! 私はッ」
困り果てるオフィーリアにエデュアルトは口元でフッと笑った。断る事に思考が偏った今が好機とばかりに、切り札といえる『噂話』を純粋な少女の耳元に向けて
「オフィーリアはさ、日本に来て何年になるの?」
「もうすぐ、三年になりますが……」
「イギリス商館も発足してそれくらいだな〜。規模が小さいから、なかなか船を出せてないと思うんだよね」
「そう、ですかね?」
「船を出す数が少ないということは、外国情勢を知る術が商談しかないわけだ」
「……あの、一体何のお話を」
「これさ、まだジャックスに言ってないんだけど——今、イギリスで大規模な
「えッ、イギリスで飢饉……?」
「オランダ商館の船乗り達による新情報だ、信憑性は高いよ」
エデュアルトの深刻な声色が耳に吹き込まれ、オフィーリアの感情に恐怖が頬擦りした。場所や状況をあえて詳しく言わず、事実かどうかを曖昧にする事でより不安を煽る。最悪を想定して黙り込んでしまう少女に、エデュアルトは優しく追い詰める。
「君がどういう経緯でここにいるのか知らないけど、もしイギリスに『ご家族』がいるなら……心配だよねえ?」
「……ッ!」
「これはあくまで噂話さ。でも……オランダ商館なら、嘘か本当かを確かめる事が出来る」
オフィーリアはすぐ近くにある可能性にハッと声を上げた。いくら離れて暮らしていても、成人手前の少女であれば親の存在を無視できないもの。エデュアルトはそれを狙って揺さぶりをかけたが、家族の為に商館員を目指す彼女にとっては精神に響く言葉の数々である。
「日本からの輸入品が揃い次第、オランダ商館は船を出す」
「……」
「僕の手にかかれば立場や役割とか関係なしに、君を船に乗せてあげられる。オランダからイギリスなんて、目と鼻の先だよ〜?」
「じゃあオフィーリア、僕はオランダ商館に戻るよ。……その気になったら、いつでもおいで」
「…………」
エデュアルトは頭をぽんぽん撫でた後、棒立ちするオフィーリアを横切って去っていく。しばらく思考が働かず固まっていたが、エデュアルトの姿が見えなくなった所で、家族の安否が気になりだしたオフィーリアは海の方角を向いて尋ねた。
「ママ……ッ、みんな……!」
しかし既に夕日はその姿の九割が水平線に飲み込まれて、平戸は夜に差し掛かる。沈んだ太陽の行き先と共に、オフィーリアは自身を保っていた商館員という目標を見失ってしまった。
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