囲炉裏は涼しき香りに包まれて

 ここはオフィーリアの自宅。囲炉裏で暖を取る藤吉に寄り添う母親が横目で台所を見る先、オフィーリアと知枝は肩を並べて調理に取り組んでいた。


 二人が市場から持ち帰ったのは、香辛料としてオランダが仕入れていた生姜ジンジャーと大量の和蘭陀薄荷ペパーミント。そして交易に参入していた日本商人から加賀国石川県産の蓮根レンコンを三個。どれもオフィーリアの冴え渡る交渉術が成したものだが、驚くべき事に全て実質無料で引き取る事に成功している。


「こーんなええ材料タダで貰えるなんて、さっすがハッさんや〜! 商談うまいなぁ」

「私は、私の出来る事をしただけだ。その分、困難な条件である事は覚悟しろ」


 なんとそれは、引き取った香辛料の乾燥葉から『精油』を抽出して九割を納品するというもの。そして、それが出来なければ全てオフィーリアが高額買取というリスクを伴う取引を組んでしまっているのだ。

 オランダ商館にとっては生産に手間がかかる香材が手に入るのは大きな利点、この話に乗らない手は無いだろう。そして日本商人にも精油は需要が高く、レンコンを交換するには十分な品である。最終的にイギリス商館の看板に頼ったものの、自己責任の範疇に済ませられた上に、費用もかかっていない。


「貴様には、精油の生産技術を覚えてもらう。オランダ商館の文献頼りになるが、かくやるしか——」

「ああ〜、蒸し炊きやと長雨ながめ前(梅雨)まで掛かるけんど、ええね?」

「構わない。……は?」

「となると釜だけじゃ限界あるなあ。どっかの商館から蘭引らんびき借りてきてくれへん?」

「待て待て待て! 何故、貴様が精油の作り方を知っている⁉︎」

「ん? オラが知っとると、何か問題あるん?」

「い、いや。むしろ有難いのだが……、なんでもない……」


 オフィーリアは頭を抱えて話を流すが、知枝の言った事は驚くべき事である。抽出に数ヶ月単位の時間がかかる。蘭引という専用の装置がいる。これらを口に出来るのは、蒸留の知識が備わっている証拠に他ならない。


「……」

「ハッさん、これを囲炉裏に運んでくり〜。飲ませんで、親子ん近く置くんよ」


 絶句するオフィーリアに押し付けられたのは、布に包まれた熱い湯呑み。手に取った瞬間、ふわりと立つ湯気が目と鼻と喉に落ち着きを与える香りを届ける。中を覗くと、薄く切られた金柑キンカンヨモギ、そして交易で入手したミントがお湯に浸っている。


「なんだこれは……鼻が、スーッとするな」

「これで少しは藤吉の咳と目の痒みも落ち着くで」


 知枝の言うように、湯気を吸入すると消炎作用のあるスーッとした清涼感が顔を包み込む。薄荷ハッカに近いその香りは所謂、アロマセラピーに近いもので自宅内にいる人全てに芳香の治癒効果を実感させる。オフィーリアはその湯呑みを、藤吉を膝に座らせる母親の横に置いた。


「失礼します、こちらは飲まずに置いて下さい。湯気を軽く吸うと、藤吉様の症状も楽になります」

「……。先程はすみません、先入観だけで貴女に敵対心を抱いてしまいました。嫌な思いをさせてしまいましたよね……」

「お気になさらずに。私も日本に来た際は、異なる価値観や国柄に困惑したものです。お子様の事を考えれば、無理もありません」

「ご厚意に甘えてから考えを改めるのは、おこがましい事なのですが……本当に、ありがとうございます」


 元々異国慣れしていたのか、馴染みやすい言葉遣いの母親は謝罪と感謝を乗せて深々と頭を下げた。オフィーリアは顔を上げてくださいと寛容的に声をかけるが、ふと強い視線に意識が引っ張られる。母親の膝下にいた藤吉が、イギリス少女らしい金髪と碧い瞳に興味津々だった。


「きれいな髪と、目だあな!」

「そうね藤吉、本当に綺麗な御方よね」

「そ、そうでしょうか?」

「なーに、図に乗ろうとしとんのや」


 褒め言葉に気が緩んだオフィーリアに、出来たての薬膳を運ぶ知枝のニヤニヤ顔が割り込んでくる。気丈な振る舞いが揺らいで、言い返すつもりだったが親子の前では強く出れず、ぐぬぬと堪える。


「またせたなあ。これ食べりゃ〜、不調も吹き飛ぶで!」


 知枝が腕を振るって作ってきたのは、蓮根と西洋かぼちゃを細かく刻み、粥状にしたものに生姜を添えたすり流し汁。そして、塩気あるニシンのほぐし身を昆布巻いたものを食べ合わせとした満足感のある薬膳だ。


「ほい、ハッさんも食いや〜」


 お盆で提供された薬膳をオフィーリアはジッと見つめた。汁物は種以外破棄するつもりだった赤皮の南瓜かぼちゃによって飴色に染め上がり、舌が甘味を期待して泳ぎ出す。よく見ると、鰹節の前身となる堅魚カタウオの欠片が適度に散りばめられていて、出汁の旨味も跳ね上がってきそうだ。


「いただきまーす!」


 横では早速、藤吉が汁物にがっつく。聞き慣れない食事前の一言を聞いたオフィーリアは、無意識に手を合わせて付属していた匙で汁物をよそった。程よい温かさに甘い香りが漂って、味を確かめなくてはと急かされるまま口に運んだ。舌に乗った瞬間、西洋カボチャの甘みがホクホク躍り出る。そして鰹の薄い魚肉が風味を豊かにしたかと思えば、するりと喉を通ってしまった。


「……!」


 味わいが良い薬膳の完成度にオフィーリアの匙が止まらない。そこに鰊の昆布巻きが視界に入って、塩気も欲しいといつの間にか箸に持ち替えて口に運んでいた。


「んん……ッ!」


 海中にいるが如く、味覚によって息が止まるオフィーリア。平戸の磯の香りに包まれた鰊は、活きの良さを保っていて旨みが口いっぱいに広がる。知枝の目利きによって選ばれている食材は美味さだけでなく、食した者への健康効果を高めていくのだ。


「うぅんめぇ〜!」

「……ッッ、ほんとに美味しいわ! こんな良い物、私達が頂いていいんでしょうか⁉︎」

「あはは! 良いに決まっとるよぉ、そーんな感動する事かいなぁ?」


 絶賛する親子の反応に知枝も笑い出す横で、オフィーリアも次々と料理を口に運んでいく。普通に食べても美味しいが、薬膳としてもよく考えられている。蓮根は咳止めとして、添えられた生姜も抗炎症作用として効果的。子供に食べやすい甘味となるカボチャも栄養満点、塩味になる鰊は骨が気にならない程にしっかりと下処理がされていて、巻いた昆布が体内塩分を抑えてくれる。


「なんか、二つの色合いがスターゲイジー・パイを思すな」

「すたげ? なんやそれ」

「イギリスで食べられている……見た目が少々強烈な、芋や根菜と魚を包み焼きしたものだ」

「丸ごとやと⁉︎ んん〜……一緒にすんなば、色々工夫せなぁ魚が悪さする予感しかせんのじゃが」

「まあ、本場の味は……魚と野菜は別々に食べた方が良いというのは間違いない」


 他愛のない話をしながら美味さと効能を味わえば味わうほど、オフィーリアの身に染みてしまう。味噌汁に納豆を混ぜた物が食卓に並ぶこの時代、日本医学以上の食材知識がなければここまでの薬膳料理を作れない。やはり知枝には、外国が絡む何かしらの秘密があるのだ。


「どーやハッさん、すたげってぇのよりオラの作った飯んがうめぇっぺ〜?」

「ああ、貴様の食事はとても出来がいい」


 異文化が混ざり合い、香りと食事が輪を繋ぐ囲炉裏は和気藹々としている。藤吉の症状を楽にする薬膳と芳香は、オフィーリアの腹の奥にある疑心暗鬼を取り除き、ある決心を固める事に働きかけた。

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