ontembaar〜オンテムバール〜

 あれから10日後、快晴の平戸港に大きな紅毛船が停泊している。立派な帆柱マストに真っ白な帆、はためくオランダという大国を表す鮮やかな旗。港にはたくさんの武士や農民、漁師が野次馬の如く詰め掛けていた。


「なんじゃあ、この船は。大きいのう」

和蘭陀おらんだの貿易船みたいねえ」


 港町の人々が会話する裏で、目を輝かせて背伸びした知枝が人集りの先にあるオランダ輸入船を見るや、隣にいるオフィーリアの服をグイグイ引いて胸の高鳴りを抑えられずにいる。


「ほわああ、ハッさん、なんやなんやあの船は!」

「ただの船だろう、いちいち騒ぐな! 服を引っ張るな!」

「派手で、でっかいだぁ! 探検しに行こや!」

「大人しくせんか貴様ぁ!」


 子供の様に騒ぐ知枝を押さえ付けるオフィーリアだが、胸の内では葛藤が渦巻く。松浦から知枝の素性を探るよう命令されたものの、どう知枝の正体を暴けばいいか分からずオランダ商館による競売市場の日を迎えている。


「なんかお祭りみたいやなあ。今日、ハッさんもお仕事ねぇみてぇだし楽しもな!」

「今日はオランダ商館による競売市場の視察だ、遊びに来たのでは無いのだぞ!」

「そうなん? じゃあなしてオラ連れて来ただ?」

「貴様……私の女中である事を忘れているな? 荷物を持て!」

「はぁあ⁉︎ オラを騙したなハッさぁんッ!」


 ぎゃあぎゃあぎゃあと外でもいつも通りの二人。知枝は嫌々荷物が入った風呂敷を背負って、オフィーリアの後を付いて行く。船着場で開催されるオランダ商館による競売市場には、既に江戸幕府からの使者と平戸の奉行人達が集結して睨みを利かせている。


「なぁんか怖い人、ちょくちょくおるなあ」

「貿易を容認しているとはいえ、異国の動きが気になるのだろう。特にオランダ商館は今回の市場で更に利益を上げるつもりだしな」

「ふえ〜。お互い虎視眈々でおもろいやん」

「貿易の在り方が今日で変わる可能性があるというのに、呑気なものだな」

「合戦で優劣付けるより全然ええよ」


 会話を挟むオフィーリアは、なかなか詮索に踏み込めない自分に悩んでいた。鉄の交渉はすぐに解決させたというのに、任務に関しては何日も掛かっている。知枝に対してどう疑えばいいのか、分からないのだろう。


 そこにガオォオォと獰猛な鳴き声が港に轟いた。ひゃああと知枝がオフィーリアの背中に引っ付くと、密着に対する緊張が上回って頭の中にある問題が吹き飛んだ。周章狼狽で視点が泳ぐと、檻に入った雄ライオンが飛び込んできた。


「ハッさんなんや今のォ!」

「な、あッ……あ、あれはライオンだ!」

「るあいお⁉︎」

「日本であれば獅子というべきか。オランダ王家の紋章にもなっている動物だ」

「かわえぇけんど……近付いたら食われんじゃなか⁉︎」

「猛獣ではあるからな、危ないから檻から離れ……貴様も私から離れんか暑苦しい!」


 知枝を押し除けてドキドキする胸を押さえるオフィーリア。悩んだり驚いたりと頭が疲れ果て、考える事を放棄して目の前の競売市場に意識を向けた。停泊している船から降ろされたライオンは、平戸の人々に驚きと恐怖を与えている。


「本当に思い切ったことをする……」

「呼んだかい? イギリス商館のお嬢さん」


 耳元に声が吹き込まれ、オフィーリアは驚き声と共に腰を抜かした。すぐ横にいたのはオランダ商館長のエデュアルトであった。名を口にする事を予測したかのように呼んだかいと奇怪な行動に出る男は、ライオンより恐ろしく思えた。


「驚きすぎやハッさぁん」

「す、すいません……急に話しかけられたものですから」

「あはは〜、可愛いから揶揄からかいたくなっちゃってさあ。ほら、捕まって」


 エデュアルトに手を差し伸べられ、素直に立たせて貰ったオフィーリア。情けないな〜と小馬鹿にする知枝の声が入らなくなる程、彼の存在感に飲まれる。裏でグォオォとライオンが吠える。


「凄いですね、ライオンを日本に連れてくるなんて」

「かなりのお金と手間が掛かったんだよね〜、あと人の血も……なんてねッ!」

「あ、あはは……輸出に苦労された事は伝わりました」

「そういえば君っていつも松浦の後ろを歩いているよね? その歳で秘書でもやってるのかい?」


 にこやかなエデュアルト。本心の笑顔だと分かっているのに、どこか怖いのは何故なのか。イギリス商館長次席になる事は秘密事項であるが、全て見透かされてる様な目に怯える心を押し殺してオフィーリアは冷静を装う。


「はい。日本語の勉強の為に」

「へ〜。僕なりに上手いし、飲み込みが良い子なんだね〜? 改めて自己紹介しよう、僕は三代目オランダ商館長のエデュアルト・オールトさ」

「私はオフィーリア・ハリソンです」

「オフィーリアかぁ。いいなあオランダ商館でも紅茶汲みの若い女の子取り入れようかな〜? 商館員達の仕事も捗りそうだし〜」

「Eduard!」


 そこに貿易船水夫の男が話しかけてきた。交わされる言語はオランダ語で、英語とは少々異なる発音の性質上、多言語話者のオフィーリアでも全ては聞き取れない。エデュアルトはある程度会話すると、何かを指示して水夫を市場に向かわせた。


「ごめ〜ん、そろそろ市場に戻らないと。良かったらゆっくり見て行って。競売だけじゃなくて、交易もやってるからお嬢さん達でも楽しめると思うよ〜」

「はい、せっかくなので見て回ろうと思います」

「じゃあね〜、Hoge bomen vangen veel wind」

「はい……」


 去り際にエデュアルトは何かのオランダ語を投げかけてオフィーリアに混乱を残す。辛うじて聞き取れた部分はあるものの、全ての意味は掴みきれない。そんな剽軽者は、最後の最後にご自慢の笑顔をオフィーリアの頭に飾り付けていった。


「また後で話そ、オフィーリア」

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