隠すより現る

 ジャックスとエデュアルトが離席した静かな茶の間では、松浦が使う算盤そろばんの音がぱちんぱちんと響いていた。傍観者だったオフィーリアはこの気まずい沈黙が息苦しくて仕方が無い。オランダ商館長には言葉で噛み付き、カクという武士においても何か訳アリの雰囲気。これを聞き流すのが社交儀礼なのだろうが、若い少女だとモヤモヤが募る。しかし部下の不満を察してしまうのが、松浦寧森まつうら やすもりという商人なのだ。


「オフィーリア」

「へぇッ⁉︎ はい!」

「エデュアルトという剽軽者ひょうきんものが、平戸にて莫大な利益を上げられる理由は何と考える」

「えぇ……うぅ〜ん、なんだろ」


 いきなりの無茶振りにオフィーリアは焦って丁寧語が欠落してしまう。松浦の声にも不機嫌が乗っていて明らかに嫌悪しているのが窺える中で、良い点をあげなくてはいけない。頭をフル回転させて、適切な言葉を添えていく。


「やはり、エデュアルト商館長の壁を作らない姿勢が良い方向に働いているのではと思います。裏を感じさせない口振りは、効率の良い商談を成立させるでしょうし」

「他にはあるか?」

「堅苦しさの無い日本語を扱える点と……徹底した輸出入展開は強みですよね、貿易の流れを統馭とうぎょされています」

「エデュアルトは後先の事を考えぬ。故に銭遣いが荒く、競売市場も勢いで開催しようとしている」

「そうでしょうね……今が良ければ、それでいいみたいな雰囲気で」


 慎重に時代の先を見る松浦とは全てにおいて正反対のエデュアルト。感性の違いと将来有望のオフィーリアに対する悪口が相まって、冗談でも許せなかったのだろう。


「某と徹底的に合わぬ男だが、商談の上手さ、商売戦略の強さは認めざるを得ない。次の輸入市場で、更に勢力を拡大するだろう」

「競売市場……平戸にどう影響していくのか、気になりますね。使者が来る事も逆に利用してしまいそうな予感すらします」

「良い洞察力をしているなオフィーリア。……では、知枝はどう見る?」


 エデュアルトの事は実は前置きだったかのように、松浦は知枝について尋ねてきた。女中としてオフィーリアの下に付いて五日は経つ、そろそろ評価を聞く頃合いなのだろうか。


「そうですね、食材に関する理解度と現場適応力が高いようです。前にも申しました通り、チエが作る食事は特に——」

「……。オフィーリア、本日から課題とは別に某から任務を与えたい」

「任務?」


 急に仕事の空気が変わって、オフィーリアの手が止まる。この話の流れで一体何を頼まれるのか予想が付かない。松浦は使っていた算盤を何回かぱちんと弾くと、オフィーリアを真っ直ぐに見つめて腕を組んで言った。


「今日から、知枝の素性を探るのだ」

「え……それ、どういう事ですか?」


 松浦がどういう意図でそう指示するのか一切分からず、言い方も良い意味には聞こえなかったオフィーリアは素直な疑問を投げかけた。


「オフィーリアは日本語を使いこなしている。だが、地方の訛りまでは把握していないだろう?」

「田舎言葉程度の、認識です」

「某が最初に『彼女は独特な言葉遣いをする』と言ったのを覚えているか?」

「はい……」

「某が聞く限り、知枝は様々な地方の話し方が混ざって滅茶苦茶なのだ。出身地独自の言い回しならまだしも彼女の場合、口癖伝染うつりに近い」

「仰る事は分かりますが、特殊な言い回しが何故素性を探る事に繋がるのか——」


 任務を行う必要性が分からないオフィーリア。根拠を求められる松浦は、今まであえて隠していた知枝の情報を伝えた。

 

「知枝は平戸港にて中国の輸出船に苗刀みょうとうを持って乗ろうとした所を捕らえられ、秘密裏に奴隷として売られると聞いた某が慌てて女中に買い取った背景があるのだ」

「そう……なんですか?」

「何処から来て、何故その様な事をしたのか尋ねたが知枝は答えようとしなかった。不明瞭な点があまりにも多く、密貿易に関与している可能性がある」

「……」

「オフィーリアの管理能力を鍛える目的でもあるが、何者であるか確かめる為に女中として付けたのだ。今が探りを入れる頃合いだろう」


 松浦が口にする疑義の念にオフィーリアの理解が鈍る。一緒に暮らし始めて数日、最悪な出だしではあったが今となっては良い関係を築けそうな予感すらある。商館長を目指す理由を話した相手を今度は疑えというのだから複雑だ。


「貿易では信用も大事だが、警戒心も必要になってくる。これを機にその感覚を鍛えるべきだ、オフィーリア」

「この任務をジャックス商館長は把握されているのでしょうか?」

「イギリス商館は輸入船の準備と各国との交渉もある。そちらに集中して頂く為、伝えていない」

「なるほど……」

「正体を明かさぬ者を野放しには出来ん。オフィーリア、この任務を頼まれてくれぬか?」

「分かりました。チエの事、探ってみます」


 オフィーリアは納得しきれない心境のまま、任務を受ける事となった。しかし、今になって痛感する。側にいながら知枝の事を全然知らない事を、知ったつもりでいた事を。

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