Chapter Second 『詮索の平戸港』

ダーティーハンズ

「二日ほどお休みを頂き、大変失礼しましたジャックス商館長!」


 知枝の韮粥にらがゆが効いたのか、早くに業務復帰したオフィーリアの謝罪でイギリス商館の一日は始まる。目の前にいるジャックスはどっしりとした椅子に座って誇らしげな顔で出迎える。


「元気になってなによりだよオフィーリア。それより凄いネ、あの頑固な刀鍛冶との交渉を短期間で成立させたトハ!」

「いいえ、そんな。期待される立場として当然の働きをしたに過ぎません」

「これで安心して輸入船を出せるヨ。君のおかげでイギリス商館は新たな一歩を踏み出す事が出来タ、流石マツシタが見込んだ子ダネ!」

「有り難き御言葉、感謝致しますジャックス商館長。ですが、彼女はまだまだ発展途上。貿易規模拡大に合わせ、商館員としての指導も継続して実施していく所存です」


 近くの机で書類に筆を走らせていた松浦は丁寧に頭を下げる。商館員長次席になる為の課題一つ目を完了し、オフィーリアの表情にも自信が溢れる。仕事ぶりを褒めたジャックスは、期待の眼差しを彼女に送った。


「最後の課題デ、オフィーリアが何を提案してくれるのか楽しみで待ち切れなイガ、先ずは目の前の仕事を着実にこなしながら考えてみて下さいネ」

「分かりました、頑張ります!」


 オフィーリアは深々と頭を下げると、自分の持ち場に戻った。行動力と洞察力で最初の課題である輸出品交渉の成立はこれで完了したが、二つ目の課題である『貿易をより発展させる要素の提案』が残っている。

 こちらは自身の先見の明が問われるが、まずは貿易の流れを知る必要があるだろう。情報収集から始めるべきだと計画を立てたオフィーリアは、割り振られている仕事に手を付けた。


「ジャックス〜? ジャック〜ス!」


 そこにジャックスを呼び捨てにする馴れ馴れしい声が突き抜ける。イギリス商館の上に立つ男を気軽に呼べる人物が茶の間にドカドカと入ってきた。


「おおッ、ジャックス発〜見ッ!」

「その声は、エデュアルトか⁉︎」


 ジャックスに対して巫山戯ふざける男は、三十歳にして平戸におけるトップ貿易国オランダの商館長を務めるエデュアルト・オールト。肩に黒のクラシカルコートを着せた彼は弱小イギリス商館に突如現れて、その場にいる一同が困惑する中、エデュアルトの背後から寡黙な武士が入って来た。


「ぬ? エデュアルト、その人は誰ダイ?」

「いやさあ、今の武士って仕事無いらしいじゃん? だから用心棒に雇ってみたんだよ、彼の名はカクさ!」


 士籍を失った事を公言されたカクという武士は見た目は若々しいが、ボサボサ髪のまげに腰の刀は一本だけという見窄みすぼらしさである。そんな存在感を塗り潰す様に、エデュアルトは出しゃばった。


「そんな事より聞いたよジャックス。先日、鉄を大量に仕入れたそうじゃないか〜。オランダとポルトガルより輸入量が増えて良かったねえ〜」

「オオ……耳に入るのが早いナ、エデュアルト」

「一体どんな、ダーティーハンズを使ったの?」


 エデュアルトの一言でイギリス商館内の空気が汚され、部外者以外の眉が動く。鉄の交渉を成立させたオフィーリアは咄嗟に口を開くも言葉が出ない、自身の発言一つで何かがこじれてしまうかもしれない予感がそうさせた。そんな中、先に動いたのはやはり尊敬する師である。


「聞き捨てならぬ事をおっしゃいますな、エデュアルト商館長」

「アハハ、松浦は相変わらず怖い顔するなあ。場を和ませる冗談ですって〜!」

「冗談とはいえ、イギリス商館に対する無礼な一言には変わりありませんが?」

「マ、マツウラ。エデュアルトは商談でもこの様な口振りなのダ、何もそこマデ……」

剽軽ひょうきんも度が過ぎると、かえって相手を不快にするものです。弁舌は商人の質を問われる故、言葉選びには気を付けて頂きたい」


 間近で見ているオフィーリアは松浦先生こっわぁと冷や汗を垂らす。相手は平戸貿易で、一番利益を出しているオランダ商館の頂点に立つ人物。下手すれば今後の商談や交易を差し止められる場合もある、それでもこの物言いは流石の度胸と言わざるを得ない。


「ん〜、不快な気分にさせたなら謝るよ。ごめんよ松浦ぁ〜」

「某の事はいい、何用で此処に来られた?」

「ああ、そうそう! あと数日程でオランダの輸入船が到着するんだよね〜! それが停泊したら、僕はオランダ市場を平戸に開くつもりなんだよ!」

「随分思い切った事ヲ……許しは得ているのカ?」

「もちろ〜ん! その代わり監視する為にたくさん使者をよこすんだってさあ」

「厳しく見られる上デモ、何故市場を開ク?」

「競売の土台を作るためさ。物々交換みたいな事を続けたって儲からないよ〜」

「競売だと?」

「知ってるかい松浦、ローマ帝国では花嫁や奴隷、戦利品に対して競争で値を張った歴史があるそうなんだよ。この販売方式、使えると思わな〜い?」


 エデュアルトが作りたがっているのは『オークション』や『競り』といったものだろう。ルーツとなる競売は紀元前の時代から存在するが、実際の競売が繁栄していくのは17世紀後期以降となる。


「競売市場について各国の商館長カピタンと打ち合わせがしたくてさあ、今からオランダ商館に来てくれな〜い?」

「そういう事カ……分かった、今から行くとシヨウ。マツウラ、少し外に出ル」

「御意」


 松浦に留守を頼んだやれやれ顔のジャックスは、エデュアルトと並んで無駄話をしながら茶の間を出て行く。しかし、その中でまだ動かないのは、用心棒のカクだ。少し何かを考えた後、黙々と貿易資料を作成する松浦に歩み寄る。


「言葉を慎むべきだ、

「用心棒であれば、雇い主から離れるな馬鹿者が」


 松浦から言葉で突き返されたカクは返す言葉が見つからないのか、静かにエデュアルトの後を追いかけた。一部始終を見ていたオフィーリアに焼き付く武士の姿はどこか無気力で、自暴自棄にも見えた。

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