貿易と毒性の可能性

「……ん?」


 オフィーリアが目を覚ますと、そこに松浦の姿は無く自宅の屋根があった。気が付けば外は夜になり、オランダ商館から貰った蝋燭台キャンドルスタンドによるほんのりとした灯りが、暗闇の座敷に落ち着きを与える。目覚めて直ぐに頭を働かせようとするが、ボーッとして思考が鈍る。


「あぁ〜……、帰宅してからの記憶がない。私、あれから——」

「目が覚めただか、ハッさん」


 声に気付いた知枝が顔を覗かせた。布団に寝かされていたオフィーリアは上体を起こすが、全身が怠くてそれ以上動けない。何より、安満岳の片道五時間を往復してきた影響で足腰が悲鳴を上げていた。


「あっだだ……足の関節、全てが痛い」

「ほんま、どこでどうしたらそうなるん? とにかく、しばらくは寝てた方がええよ」

「いや……明日は、イギリス商館に交渉報告をせねば。それにまだ、課題は一つ残っ……あだっ⁉︎」


 ゴンと知枝は食事を乗せる前のお盆で軽く頭を叩く。風邪による頭痛と、物理的な痛みでオフィーリアは両手で頭を抱える程悶絶した。


「きッ、さ……まぁあッ! 主人に向かってなんて事をする!」

「はいだはいだ。病人は大人しくしとって」


 軽く聞き流した知枝は、囲炉裏で煮込んでいたお粥に匙を通す。殆どの感覚が体調不良で機能しないが、鼻だけは忠実に食の香りを掴む。


「良い匂いがする……」

「昨日の朝から飯抜けば、身体も壊して当然だべ」

「いや、完全に抜いた訳では無い。道中で野山の果実を頂いている」

「本当どこ行ってたんだぁ……?」


 知枝は丁寧に食事をおぼんに乗せ、布団に居座るオフィーリアの膝下に置いた。そこには、野草が入った玄米お粥、柚子の皮と小松菜と人参が入った味噌汁。小皿には市場の魚をほぐして食べやすくしてあり、大根おろしが丁寧に添えられている。


「さ、食べや。身体にええもん揃えたけえね」

「うぅむ、正直食欲より眠気が強いのだ、後で頂いても……」

「駄目だぁ、ほら口開けぇやッ!」


 知枝はふぅとお粥を冷まして、オフィーリアの口元に運ぼうとする。日本人から優しくされる事に慣れていない事と、妙な照れが込み上がって病人は匙を取り上げた。


「わ、分かった! 自分で食べる!」

「最初から潔く食べりゃあええの! に、してもそれええなあ、食べやすそうじゃあ」

「ああ、これか? オランダ商館から頂いた『スプーン』というものだ。今から二百年前、銀は珍しい物だったのだが現在は貿易でも値打ちが下がっている」

「へー、高値に見えるっぺが」


 物珍しそうな知枝の目線を浴びながら、オフィーリアはお粥の器を手に取り、食べようとするが囲炉裏の鍋から出したばかりで、ぼこぼこ煮えてとても直ぐには食べられない。


「ふー……、私は早く寝たいのだ。これでは時間がかかるではないか」

「熱々にしたのんは、ハッさんに聞きたい事があるからや」

「なんだと?」

「ハッさんは、なして、そこまで商館員さんになりたいんだか?」


 同じ質問を投げかけられる。昨日は仕事で覆い隠せたが、今は介抱される側で上手く誤魔化せる気がしなかった。言う必要が無いと思っていたオフィーリアだが、不思議と弱った身体が甘えて話し始める。


「私の故郷……日本だと一括りで『英吉利イギリス』と呼んでいるが、その中でも私がいた所は、特に貧困が深刻な地であった。都市紛争で景気は下がり、疫病により食料不足が続いている」

「うわあ、異国も大変だっぺさ」

「過酷な環境下で子を養えなかったのだろう、私は物心付く前に両親から捨てられている。だが孤児院のママに拾われ、命を救われた」

「……そうだったんやね」

「同じ境遇の子供と苦楽を共にし、ママからは愛情を受けて育った。しかし孤児院も貧困の渦中で、長らく苦しい状況下にあるのだ」


 オフィーリアは熱々のお粥を見つめて申し訳ない気持ちに駆られる。自分だけ食にありつけて、故郷の孤児院では食糧難で逼迫している現状。それを冷まして一口噛み締め、熱い覚悟を言葉にした。


「私は孤児院に恩返しをする為、勉学に励み、優秀な成績を収めた。のちに貿易渡航でイギリスを訪れた松浦先生と出会い、商館員を目指す事となる」

「んで、日本に来る事なるんか。けんど商館員になりてえ理由がいまいち見えねえだが……」

「商館員になれば、物流船を動かす事が出来る。私はその権力を使って、孤児院の皆を日本に招きたいのだ」


 オフィーリアがいち早く目指す商館員。自国に留まっていたら支配下に置かれ、少ない選択肢に苦闘し、力無き者は変わらぬ現実に縛られる。

 しかし貿易商人であれば外交により選択肢が増え、未知の発想と出会えば可能性が広がり、少女一人の力で家族全員を確実に貧困から守る事が出来るのだ。理由を聞いた知枝は納得の呼吸をするが、問題はいくつかあった。


「でもさね、今の日本は異国の人にはとても居づらい環境なんよ? それに若ぇおなごが活躍する場なんて……」

「少なくとも貿易市場が身近にあれば食料の心配は無い、無理ならば他の国に移り住めば良い。それに私は元々、名声に興味がない」

「すんげえのう。そこまで見据えて、目指してとんのや」

「いいや、全て松浦先生のご提案だ。あの方は本当に商談の天才なのだろうな……時代の先の、先まで見えているのだろうか」


 本音を語り尽くしたオフィーリアは、ふうとお粥を冷ましながら弱った身体に養分を運んでいく。知枝は素直に食事をしてくれる彼女の姿と、知りたかった返答を得られて安心したのか微笑みを浮かべる。


「ハッさんは、偉いだぁね。家族の為に頑張れるんやもんなあ」

「当たり前だ。親孝行をするのは、子として当然だろう?」

「……せやね」

「チエ?」

「なんでもなか。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、身体万全にして、また仕事頑張ってーな」


 ふと辛そうな目をした知枝をオフィーリアは見逃さず声をかけるが、そのまま囲炉裏に向かって火元と鍋の確認をし始めた。妙な反応が気になるが、それ以上に粥の美味さで鈍った舌が唸る。


「それにしても相変わらず食事はよく出……んん?」


 無意識にパクパク食べていたオフィーリアだが、粥の中に見た事がない野草が混ざっている事に気付き目を凝らす。それはニラであり、風邪に良いものではあるが、ある事が頭を過って一気に不安になる。


「おい、チエ。なんだこれは?」

「んー? そこら辺に生えてたの入れただ」

「はあぁ⁉︎ 何を考えているんだ貴様はぁ! 水仙ナルスィーゾだったらどうしてくれる!」

「にゃるすーぞって何だ?」

「ポルトガル商館員の医者から聞いた毒性のある草だ! 粥に入っている物がそれに酷似している!」

「大丈夫だぁよ。オラ先に食ったけんど、何ともねぇだし」

「本当に大丈夫なのかぁ……?」

「駄目なら、明日仲良く腹壊すべ」

「ふざけるなよ貴様ぁ!」


 声を荒げるオフィーリアだが、それは免疫力と回復力を高めるニラなので全く問題ない。東洋にしか生えないネギに分類される草である為、異国の少女が知らないのは無理もない。不安ながらも程よい梅干しの味付けと、細かく刻んだ春菊の風味に匙が止まらず、体を気遣って作った料理には抗えないのか、素直に食べるしかなかった。

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