oratio

 早朝、寅四つ時四時半安満岳あすまんだけ。平戸の北西にある山の木立は緑の伊吹が地脈と共鳴し、森閑たる世界を作り出す。靉靆あいたいは視界を阻む一方、小さい提灯ちょうちんで道を照らす人々を歓迎していた。


 子供から老人、農民からはたまた武士まで向かっていくのは、山の中腹に存在する小さな寺院。次々と本堂へ入っていく中、それを見つめる影が森に一つ紛れていた。


「……」


 明かりを持たないその影は、人々が寺院内に入っていくのを静かに見守る。暫くすると人の出入りが少なくなって、一人の僧侶が扉を閉めた。

 影はそれを見計らい木々から出てきて、人々が作った道に足を踏み入れる。その瞬間だった、誰かが後ろから近づいて影に話しかける。


「やはり……、国貞様でしたか」


 その声と共にローブで隠していた顔を見せたのは、昨晩自宅から出たオフィーリアだった。影は逃げようとしたが、名前を呼ばれた事と聞き覚えのある声で足を止める。オフィーリアが持っていた提灯で辺りを照らして暗闇を排除すると、人々を遠目に見ていたのは国貞である事が明るみになった。


「お前さんは、昨日松浦と一緒にいた異国の女人……」

「こんな所で、何をしているんですか?」

「ただの参拝だ。お前こそ何しに来た」

「本日はとして、こちらのお寺で礼拝が行われます。そちらに参加する為に参りました」

「……枝の主日か。やっぱりお前さんも——」

「枝の主日? 私は一言もそんな事、申し上げてませんが」

「んなッ……今、お花って言ったじゃねえか!」


 隠れ組織の隠語を思わず言ってしまい、最悪の事態を想像して焦りだす国貞に、オフィーリアは敵意がない事を示す為、丁寧に頭を下げた。

 

「少々、意地悪をして申し訳ありませんでした。ですが安心して下さい。私は貴方の素性を暴き、目付役めつけやくに突き出すつもりは一切ありませんから」

「何の事だ?」

「国貞様が遠方より平戸にて鉄を仕入れに来る時期は、礼拝が秘密裏に行われる時期と完全に一致します。異国の貿易商と当事者しか知らないこの場所と時間に国貞様がいる事が、決定的な証拠です」

「……。なるほど、随分察しがいい異国人だ」

「つまり貴方は、キリシタンを信仰さ——」

「いいや、俺は違う」

「え? どういうことでしょうか……」


 確定要素を掴んだつもりが、それを否定した国貞。その顔に誤魔化しは無く、心の底から興味が無い事も態度から分かる。すると気を張っていた国貞は近くの木に身を預けて、何かの記憶を優しく手繰たぐり寄せる。


「お前さんは金本陵玄かねもと りょうげんって武士、知ってるか?」

金本かねもと陵玄りょうげん様ですか?」

「誰も知らなくて当然だ。農民でしかない、ただの足軽だからな。でもそいつは俺にとって腹心の友だった、『大阪の陣』で呆気あっけなく死んじまったけどよ」


 国貞はそこまで言うと、奥にある寺院を見つめた。木々に紛れて身を隠す様な建物の奥から、訪れた人々による祈祷文オラショが聞こえてくる。


「金本の嫁さんと娘さんは、潜伏吉利支丹キリシタンなんだ」

「金本様のご家族が……」

「戦で金本が命を落としてから、残された二人はより神様にすがるようになってよ。平戸に移り住んだと聞いたときゃあ、俺も驚いたさ」

「では、わざわざ平戸に足を運んでいたのは」

「二人の様子を見に来る為だ。俺ぁ大名と繋がりある男だからよ、接触したら吉利支丹キリシタン弾圧に巻き込んじまうかもしれねぇ。あんたなら、それがいかに危ねぇか……分かるだろ?」

「……はい。イギリス人である私も、平戸の目付役からは厳しい目を向けられています。身に付けるもの、自宅の所有物までキリシタンに関連するものは全て排除しなければなりません」


 豊臣秀吉から徳川家康に移り変わっても続く『禁教令』は弾圧の声だけでなく、最悪信仰していると判明しただけで死罪にまで至ってしまう。オフィーリアが今いる平戸でも外国人に関しては布教さえしなければ不問の段階だった。しかし、後に起こる鎖国の幕開けの共にそれは、徹底的な排除へと向かっていく。


「私の場合、信仰というよりは身近な習慣でしたし禁じられる事に問題はないのですが、信仰を捨てられない日本人は多くいると聞きます」

「大名がどう言おうが、世間がどう見ようが、俺にはどうでもいい。だが……金本の大切な家族を無下に出来ねえ」


 悔しさを込めた目で、国貞は霧に包まれた寺院を見る。追いやられる感情は空気に溶けて、オフィーリアの心に沁みていく。隠れる事しか出来ない人々の現実が、後に潜伏キリシタンの重要文化財として世界遺産となる『安満岳あすまんだけ』に集結している。


「俺は心配でよ。もし、二人になんかあったら出陣前に妻子を頼むと託された金本に……合わせる顔がねぇんだ……!」

「国貞様……」

「俺は合戦で死ぬのに恐れ、刀鍛冶に逃げた臆病者だ。それに比べて金本は、自分の命運から逃げずに戦った。俺の打った刀を御守りにして戦った。そして……死んじまった」

「…………」

「あんたでも、アマって奴でもいいから教えてくれ」


 本音を吐き出す国貞は縋るように、言葉が出てこないオフィーリアに問いかける。金本に対して、残された家族に対して、そして無力な自分自身と雁字搦がんじがらめの江戸時代に対しても言う様に。


「どうしたら、救われるんだ?」

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