異人と女中

「なぁんでオラが怒られるんだが?」


 夕暮れの平戸港。町外れにある木造の平屋はオフィーリアの自宅である。松浦から譲り受けた家は囲炉裏の備わった落ち着いた和室、奥には洋風の書斎。異国の物品に囲まれた知枝は正座させられて、目の前には足を組んで椅子に座る呆れ顔のオフィーリア。


「当然だ。何故、今日の真昼に詰所から姿を消した?」

「んあー……ま、迷子ってやつだぁ。オラまだ、平戸んこと知らねぇっぺ!」

「ならば尚更、私からはぐれるな大馬鹿者が!」

「だあぁあ! 過ぎた事を言…ッひゃいぃ⁉︎」


 口答えする知枝に、オフィーリアからのキツイ両頬つねり。しかし今となってはお約束に近いやりとりなのか、知枝は嫌がらずに言葉で抵抗する。


「いっへへ……オラは悪るふねーッ!」

「貴様には反省という言葉ふぁ……な⁉︎」

喧嘩両成敗けんひゃひょぅせいはひーッ!」

「いぃッ、意味わはらん! 離さんはぁ!」


 お互いに両頬をつねり合い、もはや姉妹喧嘩以外のなにものでもない。両者意地を張ってなかなか手を離さずにいたが、痛いものは痛いのでほぼ同時の降参で決着。


「いっだだ……本当に、粗暴な女中だ。私が主じゃなければ、斬り捨てられるぞ!」

「いででぇ……その割には、失敗してぇも追い出さねぇやん!」

「勘違いするな! 召使いを指導するのも私に課せられた使命。貴様みたいな無能を有能に出来ずして、何が雇い主だ!」

「む……のぅは言い過ぎだが、ハッさんの意気込みは嫌いじゃなかね……」


 知枝の不満顔から目を逸らしてオフィーリアは周りを見る。初日こそ掃除も洗濯も無茶苦茶だったが、卒無そつなくこなせるようになったのは部屋の整頓ぶりから見て取れる。


(適応力は相当あるようだが……?)

「なんか言っただかあ?」

「何でもない。もういい、下がれ」


 オフィーリアは指示を残して、自分のテーブルに向かった。今、彼女の頭の中にあるのは鉄輸入の事だけ。地道に進めるべきと言われたが、今後の身の振り方にも関わってくる案件なのもあって神経質になってしまっている。


「ハッさん、まだ仕事だが? 先に飯食うべさ」

「いらない」

「はぁあーッ⁉︎ ちゃんと食べねぇと倒れるだ!」

「心配には及ばない。元々少食なのだ、朝に一食で問題ない」


 知枝は仕事に打ち込むオフィーリアの横から口を挟むが、彼女は書類の確認と記帳に集中していた。何をしてもテーブルから離れそうにない集中っぷりに、知枝はやれやれと困り果てる。


「はぁ〜、武家でもこんなに血眼にならねぇだよ。異国の人って、みんな仕事に命かけるだが?」

「国民性云々は関係ない。私は早く商館員になりたいだけだ」

「なーんで、そなぁ商館員になりたいんよ? 今、異国の人って日本で無茶苦茶立場悪いとねえ」

「……。貴様には、関係ない事だ」

「なんだってええけんど、商館員になったら余計に平戸から出られんらしいやん。居辛いづらい日本にとどまってまでやりたい事って何やあ」

「……」


 オフィーリアはそれ以上何も言わず、自分の今出来る事に取り組む。話し相手がいなくなり、女中としてもやる事が無い知枝は後頭部に手を回し、住み込み故の疑問を口にする。


「に、しても……ハッさんの家ってあんま異国の人っぽくねぇべさ」

「……どういう事だ?」

「だってェ、木の板がこーなってたり。手がこーなっちょる像が置いてるもんだと思ってたんに、殺風景なんやもん」


 知枝が身振り手振りで、言いたい事を伝えようとする姿を見たオフィーリアは、あーあれね。と納得する。しかしそれは、自宅であっても話題にするには好ましい内容では無かった。


「世間知らずにも程があるだろう、私の家がこうなのも全て……」


 その言葉にオフィーリアの直感が呼吸を止めた。何故だと、身体が問いかけると思考がありとあらゆる可能性をかき集め、閃きと共にハッと息を吸う。


「……平戸である、必要性……」


 オフィーリアは突如椅子から立ち上がり、バタバタと隅に積まれている羊皮紙と巻物の山に飛び付いた。先程まで落ち着いて椅子に座っていたのに、いきなり慌て始めて知枝は驚きを隠せない。


「急にどうしただぁ⁉︎」

「国貞様が来たのは、いつだ……、その記録はどこだ!」


 オフィーリアは羊皮紙と巻物をかき集めて何かを必死で探した。一枚一枚確認しては雑に退かした後、目的の資料が見つかった。それは松浦が自らが作成した国貞との交渉記録である。


「今回の前が、この辺り……なら、その前は——」

「ハッ、ハッさん……?」

「……。だとしたら、滞在時期が合致する。しかし、その為だけに鉄を買うのか? 国貞様がそこまでする理屈は何だ?」

「聞いてるだかー?」

「いや、十分有り得る。もしそうだとすれば……!」


 知枝が後ろからそーっと驚かそうとすると、オフィーリアは立ち上がり書斎にある黒ローブに手を伸ばした。金髪を隠す様にそれを被ると、上から質素な着物を羽織る。


「チエ、私は出かける。恐らく日が登っても戻らないが決して探しに来るな!」

「えぇ⁉︎ 何処に行くだ飯も食わずに夜中まで!」

「案ずるな! 何事も無く帰ってくる」


 そう言い残して、オフィーリアは書斎を飛び出した。一人残された知枝は訳がわからないまま、床に落ちた羊皮紙を拾って集める。その表情は何故か——不安気だった。


「大丈夫だ、ハッさんは……大丈夫だ」

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