名刀工、和泉守国貞
「はぁああ……」
「随分とお疲れのようだな、オフィーリア」
翌々日、平戸港町の詰所。イギリス貿易における鉄資源の確保の為、この場で刀鍛冶との交渉が行われるのだが、胡座をかく松浦の横で正座をするオフィーリアの顔はげっそりしていた。
「あの
「おやおや?」
「洗濯は私の衣服を足で踏み洗い、掃除においてはやり方を心得ていない始末です。本当どうなってるんですかーッ!」
頭をわーッと掻き乱し、呆れるオフィーリア。思い返せば阿鼻叫喚、取引に使う資料は燃やされ、掃除をすれば余計に散らかり、踏み洗いによって貴重な一張羅の塗装物は剥がれ落ちて見るも無惨な姿に。
「ハッハッハッ。これは、一から教養せねばならんようだな〜」
「他所様で洗濯も掃除もやったことねぇだー。……とか、言い出してるんですよ!」
「ハッハッハッ、愉快愉快!」
他人事の様に松浦は扇子を叩いて笑い出す。オフィーリアはガックシ肩を落とした。知枝がいる事で生活が楽になるはずが、より悪化しているのだ。
「働きが悪いのであれば、無理して雇う必要はないのだぞ?」
「いいえ。私は今、評価される身。この程度で根を上げていたら、先生やジャックス商館長の期待に応えられません」
「役立たずは切り捨てる。上に立つ者になるのであれば、時に必要な判断だ」
「……。ですがチエにも、唯一許容出来る点はあるんです。それが『炊事』で……」
「ところで、その知枝の姿が見えないが?」
松浦の指摘にオフィーリアはギョッと後ろを見回した。女中である知枝には、常にお
「本ッ当、あの田舎娘はぁ〜……ッ!」
「ハッハッハッ! 手下を掌握するのは、簡単ではないぞオフィーリアよ」
「……勉強になります。後で、厳しく言い聞かせないと!」
大事な打ち合わせを前に、知枝を探しに行くわけにもいかずオフィーリアは放ったらかしにしようと決めた。武家に対する礼儀がある事は、初対面の口振りから推測できる。女中として最悪でも武士が多く滞在する町で余計な事はしないであろうという、彼女なりの判断だ。
「それよりも先生、これから此処にいらっしゃるのは——」
「うむ。オフィーリアは初めて会うだろうが、今から来られるのは
「職人様となると、話し合いは難航しそうですね」
「確かに大名に名が知れている男だが、刀を打つ事しか脳が無いのでな。鉄の無駄遣いと言わざるを得ない」
本人の前で余計な事言わないで欲しいなと、オフィーリアは苦笑いで黙り込む。物作りを生業にしてる者から資源を寄越せというのだがら、どう考えても言い争いになる。しかしイギリス商館員と認められる為には、何としても交渉成立させたいだろう。
国貞が来るまで、オフィーリアは言葉の引き出しを脳内に出来るだけ多く溜め込んでいると、ドンドンドンと床板を踏む音が近付いてくる。
「……来たぞ、オフィーリア」
「……ッ!」
松浦の鋭い声に、オフィーリアの緊張が高まる。そして、閉まっていた障子はバタンと勢いよく開いた。ズカズカ入って来たのは、派手な着物を羽織り、ボロボロの袴を履いた
「来てやったぞ、松浦ぁ」
「国貞殿、お待ちしておりました」
「……おい。何故、異人の女がこの場にいる?」
松浦に合わせて丁寧に座礼をしたオフィーリアを、国貞は指差して威圧的に言った。話し合いだけとはいえ、ここも立派な仕事の場。そこに二十歳にも満たないイギリス人女性がいたら、不満が出るのも当然なのである。
「こちらは、西洋の
「あぁん? 松浦ぁ、俺はいつから異人の見世物になったんだぁ〜?」
「まぁまぁ。お気に召したらお土産に買って下さるかもしれませんよ、今や刀も
「異国に売る刀なんかねぇッ!」
国貞はドカッと畳に腰を下ろした。べらんめえを先駆けて緩めた口調が気難しい男の背後には弟子の刀鍛冶が二人いて、それぞれ刀を何本か持たせている。松浦はそれが商売ついでである事を見抜いた上で、上手くオフィーリアが話し合いに混ざれるよう場を組み立てたのだ。
(やっぱり、先生はすごい……!)
松浦の見事な商談にオフィーリアは尊敬で気持ちが高鳴る。商館員と認められる為にも大事な貿易交渉の場で絶対に役に立ってみせると、彼女は強く意気込んだ。
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