女中は言葉を弁えない

 松浦が茶の間を出てからしばらくすると、閉まったふすまの向こうから足音が複数した後に丁寧な声が聞こえてくる。


「ジャックス商館長、例の子を連れて参りました」

「入りナサイ」


 ジャックスが入室を許可すると、サッと襖が開く。開いた先に松浦が立っているが、誰かを導く様に手で行き先を示した。

 すると奥から畳の踏む音がして、オフィーリアの視界に江戸庶民の少女が入ってきた。紅梅色の小袖に身を包んだ彼女は、鶴の刺繍が入った水色の手拭いを頭で桂巻きして、長い髪の毛を全て内側に結って纏めている。


「……」


 オフィーリアはその姿を見るや、時が止まった様に彼女の姿に見惚れてしまう。不思議と何も言葉が浮かばない。身なりや佇まいは乏しいが内側から醸し出る美しさに魅了される。心奪われるオフィーリアの脳内にある『二文字』が浮かんだ。


「商館長、彼女がオフィーリアの女中となる『知枝ちえ』です」

「案内ご苦労、マツウラ。では自己紹介といこうかオフィーリア」

「…………」

「どうかしたかネ、オフィーリア?」

「おいッ、オフィーリアッ!」

「……ハッ! もッ申し訳ありません。聞いていませんでした……」

「自己紹介をせよと、商館長が申している。大丈夫か、うわの空だぞ」


 松浦の厳しい声にオフィーリアは頭を横に振って気を引き締める。大事な場で何をしてるんだと自身に喝を入れた後に知枝に近付き、丁寧に握手を求めた。


「お初にお目にかかる。私が君の主となるオフィーリア・ハリソンだ」

「アンタがオラの主人かぁ」

「あ?」

「なあなあ、名前長くて一度じゃ覚えきんねえ! もう一回教えてけろ〜」

「私の名? オフィーリア・ハリソンだが」

「おへえりあはっさんがが?」

「オフィーリア・ハリソンだッ!」

「つまりハッさんかぁ、オラは知枝ちえだぁ。これから仲良ぅしてこぅな!」


 知枝に両手を掴まれ、ブンブンと腕を振られるオフィーリア。強烈な田舎言葉に、やけに馴れ馴れしい対応。友達ならまだしも、雇い主と召使いという立場でこの絡み方は理解が追い付かない。彼女のペースに飲まれ、松浦に目で助けを求めるがこれもまた試練なのか愉快な表情で突き返される。


「ハッハッハッ。彼女はをする子みたいだ、オフィーリアに上手く扱えるだろうか?」

「せ、先生!」

「いやあ〜、歳の近ぇおなごが主人ならオラもやり易いけぇ、宜しゅうおぇしますわぁ」

「貴様ぁッ! 召使いの身分で図々しいぞ!」

「んえ? だってハッさんは異国の人だべ? 武家じゃねぇおなごなんて怖くもなんともねぇだ」

「ふざけるなッ、私は貿易商人だぞ! 外交は発展における土台であり、それに携わる人々は偉大な功績を——」

「ダハハ! ハッさんは『士農工商しのうこうしょう』って言葉知らんだか? 武士の下は農民、農民の下は職人、その下が商人! つまり、一番雑喉ザコの身分って事や!」


 知枝がアハハと両手を叩いて大爆笑する先で、イギリス商館一行は聞き慣れない言葉を聞いたような顔を並べた。平戸では全く浸透していない単語のようだが、彼女の言い草はオフィーリアだけではなく、松浦やジャックスも馬鹿にしているからまずい。だからこそ知枝を指をさして猛反対した。


「松浦先生ッ、こんな無礼者が私の女中なんて認められませんッ!」

「もう一度言うが、某が安く雇ったのだ。なら、人材としての質はこんなものだろう」

「な……ッ、ジャッ、ジャックス商館長!」

「ワタシも若い時ハ、チエの様に上司に軽口を叩いたモノダ。自分とは正反対な存在は、良い人生経験に繋がるサ」


 しかし、オフィーリアの意見は二人に通らなかった。礼儀の無い女中、若過ぎる影の商館員。時代に名乗りを上げられない少女二人の出会いは、可笑しくも最悪なものであった。

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