イギリス商館長からの課題

 弧を描くような陸地広がる平戸港。海辺で賑わう貿易の様子を一望出来る良立地に建てられた土蔵付き民家。なんと、そこが今から二年前に設置されたイギリス商館の本拠地なのである。

 オフィーリアと松浦は、質素な茶の間に並んで立っていた。二人の目線の先には、出来の良い木造椅子に座る立派な口髭の中年男性が一人。ポルトガルから仕入れた葡萄酒を軽く盃に注ぎ、それをグビリと飲み干すとにこやかに二人を歓迎した。


「ワタシが、初代イギリス商館長カピタンのジャックス・ウォーカー。貴女の事は、マツウラから聞いてイルヨ」

「わ、私はオフィーリア・ハリソンと申します。松浦先生の元で、会計秘書をやっておりまして……」

「ほー。随分、日本語がうまいナ」

「そんな! 全て、松浦先生のご指導あってこそですから!」


 オフィーリアはオドオドと返事をするが、ここまで緊張してしまうのも仕方のない事。今、目の前にいるのはイギリス商館長を務める男。彼の命令一つで船が動き、物流が流れる。イギリスと日本の歴史と文明そのものに影響を及ぼす人物なのだ。


「同じイギリス人のよしみダ、そんなにかしこまらなくても良イ。貴女がここに呼ばれた理由は、分かっていますネ?」

「はい。私の今後について……でしょうか」

「隣にいるマツウラより貴女を商館長次席ヘトルに推薦したいと話がアッタ。ワタシとしては是非お願いしたいと思ってイル」


 願ってもない展開がとんとん拍子に進んでいく。しかしオフィーリアは目指していた商館員になれる事を喜ぶ反面、あまりにも話が出来過ぎている事が引っかかっていた。それを察してか、ジャックスは両手を口元に合わせ説明を始める。


「イギリス商館は発足から間も無ク、協力姿勢キョーリョクシセーのある日本人はマツウラしかいナイ。おまけに貿易面でもオランダやポルトガルの商館カピタンに劣っているのが現実ダ」

「つまり早い話が、女子おなごに頼らざるを得ない程にイギリス商館カピタンは人員不足なのだ」

「マツウラの言う通リ。だから貴女を商館員として歓迎したい所ダガ、一つ言っておこうオフィーリア・ハリソン」


 名指しされ、オフィーリアは背筋をピンと伸ばした。しかし、落ち着く畳の香りでなんとなく予想が付く。三人が正座をしていないこの場を目にしたとして眉をひそめるのは誰か、言うまでも無い。


「たとえ貴女が商館カピタンで功績を残したとシテ、歴史に名を刻む事は出来ないダロウ」

「それは、やはり——」

「男尊女卑。女人禁制。そして御公儀ごこうぎ。規律に染まった者達から理解を得ることは、天下統一より難儀な事だろう」

「ワタシとオフィーリアは余所者アウトサイドダ、日本の決まりに縛られる必要は無い。だが江戸の圧力は無視出来なナイ」

「……はい」


 オフィーリアは有無を言わず納得する他無い。彼女が生まれる前、織田信長が生きた安土桃山は外交に積極的であった。しかし豊臣秀吉、徳川家康に時代移り変わると禁教令が強まり、貿易はより厳しいものとなってしまった。そんな日本で異国の少女が時代を動かす手段はただ一つ『暗躍』のみ。


「分かりました。商館員として働けるのなら、私は影の立役者で構いません」

「良い心掛けダ、オフィーリア・ハリソン。しかし若い女子レディーに交易の責務を任せて良いものカ、正直不安デネ」

「それに関して、某から一点報告を」


 松浦はオフィーリアより一歩前に出て、ジャックスに対して話を進める。ここからは、貿易商人として未熟な彼女をどう商館員へと成長させるかだ。


「本日より、オフィーリアには安く雇った女中を付けさせます。これによって人事管理能力の向上にも繋がり、歳が近い同性の存在はよい刺激となるでしょう」

「そうだネ。ここはおじさんばかりダシ、仕事場の心細さを埋めるのにちょうど良いかもしれナイ」

「某からは以上です。では商館長、彼女に本題をお話し下さいませ」


 ジャックスは松浦から報告を受け取ると、オフィーリアをジッと見つめた後に近くの丸テーブルに置いてあった羊皮紙を広げ、情報を整頓しながら厳しい口調で命令した。


「貴女が商館長次席ヘトルに相応しいか見定める為、課題を二つ出しマス」

「はいッ」

「一つ目は『輸入する鉄原料の確保』デス。最近チャナダマ……松浦、なんだっケ」

「真田丸の戦い、ですね」

「それデス! 大阪城で続く戦で余った鉄がこちらに流れるハズガ、ある刀鍛冶カタナカヂが独占してイル」


 オフィーリアにとってもそれは、厄介な事柄として把握していた。日本の製鉄技術と鉄資源は各国の貿易商人も目を付けており、イギリス商館としても多く成立させたい交渉の一つだった。しかし、日本側は技術が外部に漏れる事を嫌う者が多く、貿易は停滞してばかり。


「マツウラと共に刀鍛冶カタナカヂを説得シ、交渉を成立させてきなサイ。と言ってもワタシ達も苦戦してイル。焦らず、地道にやるとイイ」

「分かりました」

「刀をチラつかせる彼らは手に負えないからナ。そしてもう一つ。こちらが本題の課題にナル」


 ジャックスは資料をテーブルに置いた。新しい事を求める商館長は、オフィーリアに期待を寄せる眼差し向けて今度は優しく言った。


「これからの貿易をより発展させる『要素』を一つ、ワタシに提案して欲シイ」

「要素……?」

「品物でもイイシ、方法でもイイ。参入している他国の商館カピタンを驚かす何カヲ、独自の目線で見つけ出してみなサイ」


 難題に感じて固まるオフィーリアに、ジャックスはニッコリ微笑む。いつの時代も、文明を押し上げるのはちょっとした閃きと、興味本位の試行錯誤なのだ。


「貿易はも楽しみの一つダヨ。オフィーリアが課題を完了クリアするまで、イギリス商館長次席代理はマツウラに頼むとシヨウ」

「御意。では課題の話が済みましたので彼女に付く女中を今、連れて参ります」


 松浦は丁寧に頭を下げると、茶の間から退室した。気を張っていたオフィーリアは、そこで意識が切り替わる。今日から身の回りを世話してくれる女中。立場はどうあれ、同い年の日本人とこうして関わりを持つのは、彼女にとっても初めての事だった。

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