Chapter first 『女中と鉄の課題』

オフィーリア・ハリソン

 慶長けいちょう二十年(1615)、長崎県の北に位置する平戸の港町では春風が海を撫でていた。それを一望できる陸地は平屋の木造建築が列を成し、戦国時代の余韻を残す衣服を纏う人々が街道を行き来している。

 その中心を堂々と歩く貿易商人の松浦寧森まつうら やすもりという男の紙子羽織は、鮮やかな白金模様から渋柿の香りがして一際目立つ。しかし、その後ろを歩く少女は、真っ白なマントに飾り立てられた西欧の女性服と動き易いブーツ。江戸の世を背景にするには異様な出立ちである。


「松浦先生、本日の取引はポルトガルより綿布、鹿皮、生糸となっております」


 羊皮紙に記帳した内容を丁寧に伝達した少女の名はオフィーリア・ハリソン。齢16歳にして松浦の秘書を務めている。勤勉な姿勢ではあるが、イギリス人特有の金髪とあおい眼はまだまだあどけない。


「うむ、ご苦労」


 閉じた扇子で凝った肩を叩きながら、松浦は横並びに続く板葺いたぶき屋根の町を眺める。そこで生活する者は漁師と農民と中級武士、魚を乗せた天秤棒を担いだ振り売りの男達。豊臣秀吉から徳川家康に武家政権が変わり、貿易を盛んに取り入れていても尚、発展が著しい日本に松浦は不満を抱いていた。


「……。オフィーリアの故郷である西洋には『れすたうらん』たるものが、あるそうだな」

restaurantレストランの事でしょうか?」

「ああ。確かという意味だったか」

「はい。フランスの言葉ですが、現地では旅人に栄養のあるスープが振る舞われるみたいですね」


 ふうむと松浦は扇子を口元に当てて、物足りなさそうな瞳で長崎を見つめる。茶屋はあっても、外食文化と屋台見世はまだ町に浸透していない。貿易によってこの島国の前時代的な姿が広く知られていく。世界を見てきた男の野心は、それを許せなかった。


「時にオフィーリアよ。それがしが御公儀に向けて今最も欲しいものは何か、分かるか?」

「やはり徳川家とくがわいえや……ッ失礼しました、『大御所様』への献上品の事かと思いますのでオリーヴ、または砂糖が相応しいかと」


 御公儀ごこうぎとは江戸幕府の呼称。オフィーリアはそれを踏まえて輸入食品を想像した。徳川家康はこの時、隠居の真っ只中で毎日天麩羅てんぷらを食していたというのは、商人の間では周知のネタ話なのである。


「食通の大御所様ならば、それらは大変喜ばれるだろう。だが、某が欲しいのは——『変革』だ」

「変革、ですか?」

「知っての通り現征夷大将軍せいいたいしょうぐん、徳川秀忠の手綱を握る大御所様も今や七十五歳を迎えようとしている。天麩羅で腹でも壊して人生を退く時は、じきに来るだろう」


 オフィーリアは冷や汗をかいて、辺りを見回した。隙あらば合戦と謀反が繰り広げられる武士社会の真っ只中に、堂々と天下の大名に対する死期の話など、即刻切り捨て御免だ。幸い、町の人々の耳には入ってなかった。


「先生、口が過ぎますよ!」

「ハッハッハ。世を渡る商人たるもの、辻斬りに臆さぬ胆力がいるものだぞ。——さて。オフィーリアよ、某の元で貿易を学んで丸二年になるな」

「そ、そうですね……」

「会計の仕事振りも良く、日本語も使いこなしている。その賢さは次の段階で活かすべきではないだろうか?」


 松浦は振り返り、扇子をオフィーリアに向ける。すると、生真面目な少女の眼差しに期待がしがみ付いた。それは彼女が待ち侘びた言葉。家族との約束を果たす為の希望。


「某からイギリスの商館長次席ヘトルにオフィーリアを推薦するつもりだ」

「私を……商館員に⁉︎」

「ああ。某は御公儀を凌駕する変革を見てみたい。世界と平戸を繋ぐ架け橋となり、新たな時代を作り上げる覚悟はあるか?」

「勿論です! 私は商館員を目指して祖国を離れ、先生と共に日本へ……ッ」


 パンッ。オフィーリアの熱意を遮る様に、松浦は扇子を広げて顔を仰いだ。そして時代遅れを危惧する男の野心が、彼女達の運命を引き合わせるのだ。


「だが、先ずは人の上に立つ力を身に付けなければならない。そこでオフィーリアよ、本日より『専属女中』を付ける事とする」

「私に……?」

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