オちる

星埜銀杏

*****

 ……おもいもの、すてて。おもいおもいも。


 とある動画に付けられていた謎のタイトル。


 高村麻弥〔たかむら・まや〕ことあたしは、


 親友の西田亜紀〔にしだ・あき〕と一緒に動画を視聴していた。


 つい最近まで女子高生だった、あたしらは卒業式を迎え、短い春休みに突入していた。二人とも進路も決まっていて。そして、これから迎える新生活を前に不安を感じ、女子高生も終わりかって、なんとも言えない気持ちで一杯だった。


 加えて、


 暇を持て余していたからこそ、お馬鹿な動画でも見て笑おうって話になったんだ。


 厭な現実〔リアル〕を紛らわそうって……。


 そして、


 ある程度、お目当ての動画を視聴して、おすすめに表示されたそれが目についた。


 ねぇ、おもいものすてて、おもいおもいも。


 その動画の再生ボタンを押した瞬間、画面に、いきなり現れたゴシックテロップ。


 真っ赤で、大きな文字。


 どこかで不安を、かき立てる平仮名のそれ。


 いきなり驚かせるように現れて、どきっとした。心臓に悪いよ。ジャンプスケア?


 今は夜の十一時。外は真っ暗で凜と張り詰めた凍てつく深淵が拡がっている。そんな時間帯。しかも、もう春といえる三月にはなったが、夜という時間も相まって気温は低い。その寒さが余計に不安を煽る。一瞬、視界が歪み、心が粘りつく。


 画面の真ん中に日本人形が一つ。ぽつんと。


 艶やかな黒髪を寒風で、そよっと揺らして。


 画面奥にいる為、その表情は窺い知れない。


 いや、表情というよりも頭全体に暗い影を背負っていて、それは、よく見えない。


 キャハ。


 いや、笑っている、とそんな気がしてくる。


 ……おもいもの、すてて。おもいおもいも。


 というタイトルを思いだして背筋に冷たいものが走る。ぞくりと。この日本人形と、おもいもの……、という題名と、どういう繋がりがあるのかと。どこからともなく、びよぅっと風が吹き、あたしと亜紀の間を突き抜ける。前髪が揺れる。


 風? 窓は開いてはいないのに。どうして?


「ああ、面倒くさ。マジ、死にたいわ、麻弥」


 亜紀が何気なくも呟く。


「いきなりなによ、亜紀」


「ごめんごめん。もう女子高生じゃないんだなって思ったらさ。てか、働くのだるくない? っかさ、麻弥、まだ動画視聴してたの? もう飽きたんだけど。あたし」


 どうやら、一緒に動画を見ていたと思い込んでいたのはあたしだけだったようだ。


「っかさ」


「なによ」


「なんで、こんな動画、見てんのよ? オカルトとか、そういうの好きだった、あんた? あたしは霊とか信じない。むしろ、いるなら出てこいって感じなんだけど」


 動画の怪しさなど、どこ吹く風で、亜紀が完全否定してくれる。


 いつもは、こういった物言いにカチンとくる事もあるけど、今は本当にありがたい。いまだ画面奥で、こちらをジッと見つめる日本人形が、単なる作り物〔フェイク〕なんだって気づかせてくれるから。少しだけ、あたしの気持ちも落ち着いた。


「っかさ」


「はいはい。もう動画視聴は終わりにしてファミレスにでも行って駄弁りたいって感じなんでしょ。いいわよ。小遣い、まだ残ってるから、おごってあげようぞ」


 と机の上にある財布を取ってから中身を見えるよう亜紀に向け、ふんぞり返った。


 へへぇ。


 と冗談めかして平伏してくれる事を望んだ。


 だから敢えておごってあげるって太っ腹で。


 しかし。


「……あの人形って大口開けて笑ってない?」


 えっ!?


「さっきまで口を閉じてたのに、今は開けてる。あっ、口の端から紅いものが……」


 いきなり神妙な面持ちになってから重々しい口調で亜紀が言う。


「またまた、亜紀も人が悪いわね。そんな大仰にさ。あたしを驚かせたいんでしょ。てか、動画なんだから、編集で、そう見えるように加工しているだけでしょ」


「でもさ」


「はいはい。亜紀は幽霊とか信じてないんでしょ。だったら、やっぱ驚かせようとしているようにしか聞こえません。止めてよね。本当に。気持ち悪いんだから」


「ううん、そうなんだけどさ。でも、ちょっとだけ、何というか」


 とっ!!


 これは軽くなる、お話。とても軽くなる話。


 と軋むような口調でナレーションが挟まる。


 男のそれで。ゆっくりと、しかし、確実に。


 無論、さきほどと同じく赤く大きな文字で書かれたテロップが画面に表示された。


 いや、もはや編集作業などでの作り物でも、或いは、そうでなくとも、そのどちらにしろ、あたしには気持ち悪いものだとしか認識できない。そして、なにに興味を惹かれたのか、飽きたと言い放った亜紀も、その動画から目が離せないでいる。


 何故なのかは分からない。いや、分かりたくもない。……もう見るのを止めよう。


 唐突ッ!


 かくかくと不自然にも日本人形が画面の全面へと蠢き出てくる。


 歩いている。いや、足は動いていない。すっと前に出るという表現があるが、そんな感じで歩み出てくる。無論、すっとではなく、かくかくなのだが。背後に雪がちらつきだす。深々と画面を覆い尽くす雪。あたしの鼓動は早鐘を打つ。亜紀は……。


 ハハっと嗤い声とも、ただ息が漏れているだけともとれるような呼吸を繰り返す。


 そして、


「なによ。この動画。マジで? あり得ない」


 なんて言葉を吐き出す。


 なにが、あり得なくて、なにが、マジで、なのかは分からない。分からないけど、そう吐いてしまう気持ちは分かる。アタシだって同じ思いなのだから。もはや、あたしは、この動画が作り物〔フェイク〕であって欲しいと願う事しか出来なかった。


「ねぇ 亜紀、もう動画を止めよう。これ以上、見ていたら……」


「見ていたら? なに?」


 あたしは、それ以上の言葉を綴る事すら出来ず、画面を凝視する亜紀を見つめる。


 ……見ていたら、なに?


 突然、オウム返しで、また、あの軋むようなナレーションの男。


 そして、赤いテロップ。


 このお話は、おもいものをすてて、おもいおもいも捨て去る女の子のライブ映像。


 今、まさに起こっているリアル。作り物〔フェイク〕ではない、現実〔リアル〕。


 続けて男の声は、そう言い放ち、そののち、訪れる静寂。寂静。


 なにも聞こえない。いや、聞きたくないと願ったからだろうか。


 画面の中で揺れていた日本人形も、また静止している。まるで動画自体が停止状態になったかのよう、なにも動かない。ただし、雪だけが降り続いている。また、あたしと亜紀の間に寒風が吹き抜ける。寒っと、視線が窓に向かう。そこには……、


 もう三月なのに、三月の中旬なのに。雪が。


 もちろん、あたしらが住んでいるのは寒い地方でもなくて……。


 ばんっ!


 窓に張り付く雪の塊。いや、雪の塊と思いたい。見たくない見たくない。それを。


 と同時に、どさっと、なにかが亜紀の後ろの空間に落ちてきた。


 そうだ。


 どさっ。


 と……。


 とても重そうな、なにかが。ちょうど視界が及ばない範囲にだ。麻弥ッ! と悲鳴にも似た言葉が耳に届く。あたしは亜紀の顔を見れず、いや、顔というよりも頭へと視界が及ばす、声だけを拾う。何故だか、あたしらの後ろから聞こえた声だけを。


 ずりずりと重いものを引きずるような音と共に、それは近づく。


 確実に、少しずつ僅かながら近づいてくる。


 麻弥ッ!


 また声が届く。悲痛なる叫び声が。助けてッ。と後ろから……。


 あたしは動画を見る。そこに視線を移す。後ろから近づいてくる、それが、そこで作られた演出だと。効果音と演者の台詞で作られた作り物〔フェイク〕だと思いたくて。助けて。助けて。麻弥ッ! と声が、真後ろから届く。届く。届く。


 そこには、画面には……日本人形。いや、あの艶やかな黒髪の日本人形ではない。


 女の生首が乗ったそれ。


 助けて。


 麻弥ぁ。


 真後ろから届いていた声が今度は画面の中から、すっと、いや、かくかくと……、


 あたしの耳に忍び込む。


「そして、軽くなるお話」


 一際大きく、再び、あの軋むようなナレーションで男の声が亜紀の声に重なった。


 その瞬間、あたしの中で、なにかが切れてしまい、意識を手放した。そののち昏倒した。間際、あたしは信じられないものを二つ見た。一つは首から上が無くなった亜紀の体。もう一つは、あの日本人形の頭。それは……、亜紀の頭部だった。


 にたりと厭らしく嗤う亜紀の頭が付いた日本人形のそれだった。


 嗚呼、とだけ意識が途切れる瞬間、思った。


*****


「あれ?」


 最後の言葉を聞き、あの衝撃的な画を見てしまい、気を失った、あたしが醒める。


 あれは夢、夢だったの?


 呆けた顔で回らない頭を必死に使い考える。夢だと思いたくて。


 あんな恐怖は、もう二度と経験したくなかったから。そして否定を肯定する為に動画を流していたPCの画面を見つめる。無論、動画を止めた覚えはないので別の動画が流れているだろうが、それでも、そこに、それがなければ、それでいいと。


 意外にもPCはシャットダウンされていて、画面には、なにも映っていなかった。


 ほっと胸を撫で下ろす。


 そののち亜紀を探す。あれは夢だったと、さらに確信する為に。


 しかし、


 居るはずの亜紀がどこにもいない。やっぱり、あれは実際に起きた事? という不安がのしかかってくる。いや、亜紀は飽きたと言っていた。だから、あたしが、うたた寝をしている間に帰ったのだろう。あたしとの仲では珍しい事ではない。


 なにも言わずに帰ってしまう事は。うんっ。


 きっとそうだ。間違いない。あれは夢だ。夢だったんだ。フェイクだ。フェイク。


 ぷぅん。


 しかし、


 動画〔げんじつ〕が、それを許さなかった。


 再び、あれを映し出したのだ。雪が降る、降りしきるそれを。そして、雪原の奥に立つ日本人形を。あたしは咄嗟に窓から外を見る。そこには、いまだ降りしきる雪。作り物〔フェイク〕とリンクする現実〔リアル〕。また画面へと視線を移す。


「このお話は、とても哀れな女の子のお話。おもいものとおもいを捨てた女のお話」


 あのナレーションの男。


 ぎしぎしと音を立てて耳へと声を撃ち込む。


「楽しかった生活も終わって、大人になるのが厭だと重い気持ちになった女の子のお話。マジで死にたい、と、のたまった子の行く末。おもいものを捨てた子のお話」


 あたしの目は大きく見開かれ、動悸が激しくなる。息をするのも苦しくて辛くて。


 止めて。


 止めて。


「麻弥、マジで死にたい」


 画面の中から届く囁き。


 それは、亜紀のそれだ。


「あたしはまだ生きてる」


 止めて。


「ねえ、助けて。あんたも、おもいものをすてて仲間になってよ」


 あたしは動けず、それどころから視線を逸らす事、いや、視界を断ち切る事すら出来ない。件の動画を凝視し続ける。いつ終わるのかも知れない恐怖と不安を一身に受けて意識さえも手放す事さえ出来ずに。不覚にも死にたい。そう思ってしまった。


「だったら死ねばいい。死ねばいいんだよッ」


 ナレーションが一転して、どすの利いた男の低い声へと変わる。


「お前自身が、そう思ったようにな。アハハ」


 嗚呼、やっぱり、そうだったんだ。あれは夢じゃなかったんだ。


 あたしの視線の先には頭から上が亜紀の日本人形が佇んでいた。


 いつの間にか雪が紅くなり、深々と降りしきる寒空の下で……。


 真っ赤に染まった画面の中で、また亜紀が言う。二の句を繋ぐ。


「ねぇ。……知ってる?」


 聞きたくない。聞かせないで。止めてッ!?


「麻弥?」


 助けて。


「人間の中で一番、重い部分は頭なんだよ?」


 亜紀のそれが、また、にちゃっと嗤った。あたしの心を見透かしているかのよう。


「ねぇ?」


 止めて。


「麻弥も軽くならない? おもいもの、なんか捨ててさ。ねぇ?」


 お願い、もう、なにもオちて来ないでッ!?


 止めて。


 そののち嗤い続ける亜紀ではない亜紀の嗤い声が不意に止まる。


 そして、


 どさり。


 と……。


 終わり。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オちる 星埜銀杏 @iyo_hoshino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ