第5話

 がさり、近くの藪が鳴る。肩が跳ね上がり、恐る恐る後ろを見ると、猫と目が合う。しばらく見つめ合うと、猫は飽きたのか走り去った。胸をなで下ろす。


 馬鹿馬鹿しい。今は真っ昼間で人も多い。あの夜とは違う。妄執に狂った瞳。流れる生命。赤い。珍しく月が綺麗な夜だった。


 ベランダでがらにもなく月を眺めていた時、見知らぬ、いや、見知っているがいるはずのない男。




 剣というより暴力が好きな男で、剣をより強力な暴力と考えている男だった。そのくせ執着が激しく、道場の皆をぶちのめせば一人娘を娶って道場が継げるなんて信じる愚か者。


 今をなに時代だと思っているんだろう。平成と平治を取り違えてたんじゃないだろうか。


 剣術道場というのは、程度の差はあれそういった者が一定数いる所でもあるし、不景気の中経営していくにはそんな者でも必要と放置したのがまずかった。


 怖かった。窓を叩いて割ろうとする音。理不尽な怒りの声。父が来て、助かったと思って、そして。




 がさり。上から音がした。上?カラスかな?音のした方向に顔を向ける。


 枝と絡まり合うようにして隠れていた男と目が合う。左手に黒い太刀。正当な憎しみを胸に宿し、口を開いた。




 「ベンショウ」




 息が止まった。


















 よく考えたら完全な銃刀法違反であった。120cmの長物を抱えての追跡は困難を極めたが、堂馬の流儀、天山鳶てんざんとび流は、入り組んだ市街地や山林の環境を活用することに特徴を持つ兵法である。


 隠形の術も多少は学んでいたので、自然に紛れて追跡し、木の上から監視していたのだ。堂馬の住む金城市は、都市部こそそれなりに発展しているものの、貴重な動植物の残る山間部はほとんど手付かずで、隠れる場所には事欠かない。


 おかげで前にまわるまでに昼になってしまったが。




 卒倒しかかる風花をファミレスに連れ込み、驚きのあまり口もきけないのをいいことにハンバーグセットとフルーツパフェを頼む。当然ドリンクバー付きで。


 


 「あの、お客様。そちらの刀は」


 「ああ模造刀です。彼女の家が剣術道場で、持って行くことになったんですよ」


 「そうですか。失礼しました」


 「いえいえ」




 店員を適当な言い訳であしらい、ハンバーグを口に運ぶ。美味い。曇り空のうっすらとした光が窓際の席を優しく包む。はて俺は何をしに来たのだったか。




 「おおそうだこのアマ。ちゃぶ台どうすんだ。あれ売ってる所少ないから買うの面倒なんだぞ」




 堂馬の詰問に顔を伏せる。至極当然の話ではあるが、風花にとってみれば今はそれどころではない。なにしろ一家の大黒柱は峠は越したものの未だ意識がもどらず、こういう時頼るはずの師範代は死亡。門人に犯罪者が出たとあっては道場の経営も難しい。


 特に師範代の死は、家族同然の付き合いだっただけに母親も相当に参っている。浅慮であるには違いないが、蔵にあった刀を持ち出して、事態を解決しようとするまでに追い詰められていたのだ。




 「申し訳ありません……。犯人が捕まって事件が終わった後、必ず補償はします」


 「ん?犯人なら昨日ぶっ飛ばしたぞ?」


 「はい!?」


 「剣のなんたるかを知らん頭の悪い畜生だったな。まあ新たなステージに立った俺の敵ではなかった」


 "当たり前だぜ。俺様の斬撃を捌く使い手が俺様の強化を受けたんだ。あんな村正の名の威をかるだけのなまくらが太刀打ち出来るわきゃあない。村正っつってもピンキリだからな。俺様とやりあうんなら籠釣瓶ぐらいでなきゃあ"


 太刀を座席のクッションの間に押し込む。やはり立てかけていると目立つ。


 風花は驚いた様子だったが、おぼろげな記憶からでも堂馬の戦闘力は理解出来る。深く息をして、頭を下げ謝意を示した。




 「それにしたってなんでポン刀なんて欲しがる?ぶっ殺したいんなら猟銃でもってけばいいだろ?」


 「それは……。いや、殺したいわけではないんです。でもあいつと戦ったあなたなら分かるでしょう?あの力は……。常識では測れない。魔には同じ格の魔で対抗するしかないんです」


 私では扱いきれませんでしたけど。と、下がりぎみの眉を更に下げて肩を落とす。




 「馬鹿馬鹿しい」


 「ですよね……。身の程知らずでした」


 「そっちじゃねえよ。妖刀なんてあるはず無いだろ」


 「へ?」


 風花が顔を上げる。堂馬はふてくされた子供のような表情だった。




 「なにが妖刀、化物だ。頭のおかしい糞殺人鬼の言い訳だ。心神喪失だとか不可抗力?醤油一気飲みして死んじまえってんだ。馬鹿がお前を襲って、人を切って、俺にボコされた。それが事実だ。それ以上に大事なものがあるか。目に見えんものがそんなに大事か」


 


 一息に言ったあと、オレンジジュースをあおる。気に入らない。やはり柑橘類は温州みかんに限る。


 ほらよ。と刀をソファーの間から出して、鞘から渡した。




 「い、いいんですか?」


 「よく考えたらいらねえなこれ。邪魔だ」


 "ひどくね!?身体強化は結構活用してただろ!やだよまた蔵に戻るのは!"




 席を立って出口のドアを開ける。からんとベルが鳴った。




 「こんな所でぼさっとしてねえで、親父さんを見舞ってやれ。家族は大事だ。与太話よりずっと」


 "これで終わりと思うなー!俺様を手に取った時から始まってんだ!背中に妖気が漂ってるぞ!俺様の渾名は”無縁”!代々の持ち主は無縁仏となっても俺を放さなかった。直ぐに来るぞ。時は!”




 凸凹の歩道を歩いていく。田舎道は整備が良くない。たまにはニュースでも見よう。事件が落ち着いたら取り立てに行ってやる。




 「あ、あの!待って!」


 「お客様」


 「はい?」


 「お伝票はこちらになります」


 「あ」




















 疲れた。黄昏時、街の中心から外れた道場兼我が家に帰る。剣というのは重い。定寸より5.6寸長いこの太刀なら、だいたい2kgと少々であろう。


 柄に手を触れないように気をつけて運ぶ。


 すぐに帰るべきだった。しかしどうにも動くのが億劫で、日が傾くまで粘ってしまった。


 堂馬の説教を思い出す。そうかもしれない。逃げたかったのだ。現実のドロドロした人間そのものよりも、不可思議の存在に憧れた。


 


 だが、所詮は誰しも現実の住人でしかない。父の意識ももうすぐ戻る。朝帰りした時は母にも心配をかけた。自分が助けるべきだったのに。


 やめよう。太刀を蔵に戻したら、地に足の着いた生活に戻らなければ。




 もうすぐ家だ。庭の杉の木が良い目印になる。影と闇の境目が曖昧になっている。もうすぐ日が沈む。


 スマートフォンが鳴った。画面を見ると母だ。通話のアイコンを押す。




 「お母さん?もうすぐ家だけど」


 『風雅ちゃん?さっきのニュース見た!?』


 焦りを隠せない声。おっとりした母がこうなる理由は一つだろう。


 「ああ、あいつ、もう捕まったんだってね。良かっ」


 『違うの!ううん、捕まったのはそうなんだけど』


 「え?」


 『その、留置場?どこかで拘留されてた所で、殺されたんだって』


 「うそ」




 有り得ない。妖刀がまたなにか?いや、凶器は回収されたはずだし、もう一振りはこの手にある。


 聞き返そうとして、電話が切れた。電波を確かめると、圏外になっている。唐突に気がついた。周囲の家に光が灯っていない。もう影が見えないほど暗い。


 


 ぴたり。雫が落ちて散る音。他の音は不気味なまでに聞こえない。ぼたり。湿った何かがコンクリートに付着する。


 べちゃ。濡れ雑巾が地を打つ音。浅く呼吸しながら振り向く。




 立っていたのは、180cmを超えるがっしりとした大男。知っている、いるはずのない人。




 「おじさん」


 師範代だ。死んだはずの。死んでいる。内臓が縦に割られた腹から溢れ、血が滴っている。


 ばちゃん。皮が落ちた。顔面の皮膚。妖刀を盗んだ男のもの。


 


 「お、をうのおれ。ようとうぐ、あぎざま。ごろす」


 「わ、私だよおじさん。風花」


 「ふかくうはっどらん!」


 聞こえていない。不意打ちで討たれた怨みの余りに、妖気にあてられた魂魄が根の国より這い上がったのだ。むせかえるような血の香。


 大上段に剛刀を構える。妖刀への怨怒。一人の命では治まらない。


 思わず刀をかざす。無駄な抵抗だ。また骸が増える。




 かざされた太刀の、柄を握る手があった。


 空中で回転し、幽鬼の剣と鎬を削る。家屋の屋根より飛び込んだ少年は、着地と共に回転して衝撃を流す。


 天山鳶流、襲狐しゅうこの変形。




 「堂馬さん!」


 「実際ニュースは大事だな。学んだよ」


 こうして魔剣は真の使い手の手に。


 妖刀憎しの怨霊は、破裂した水道管に似た咆哮をあげる。


 「おい、こいつと戦うやるのはいいんだが」


 「はい!」


 「お前んとこの道場の看板、叩き割って薪にしていいか?」


 「そ……それだけはご勘弁を」


 まさかの三連戦で相当にお冠であった。
















 強敵。それは間違いない。肌をひやりとしたものが走る。


 風花は技と速度はあったが、体重差で決定的に剣が軽かった。村正の男は動きにこそ目を見張るものがあったが、剣術というには余りに拙い。


 翻って此度の敵はどうか。先ほどの剣の速度は十分。剛健そのものの肉体は、発展途上の堂馬のそれとは比べるべくもない。憤怒に猛る精神とは裏腹に、技は全身に行き渡り、隙が観じられない。


 


 だが、まともに当たる必要もまたなし。武装は十全である。


 赤いジャケットの懐に手を入れ、それを投げ打った。


 釘を打ち直して作った手裏剣が肩へ飛ぶ。


 しかし、肩に命中したはずの手裏剣は体を通り抜け、隣家の植木に半ばまで埋まった。




 「何!?馬鹿な、通り抜けたとしか見えん」


 ”通り抜けたんだよ!幽鬼なんだから!”


 「通り抜けたんですよ!幽霊ですから!」


 だが幽霊など存在するはずがない。風のような身のこなし。術技は相手が上、小細工は無用。


 ならば勝機は。剣鬼の目を見る。怒りに吹き上がる炎。




 見えたり。




 堂馬の取った構えは、大上段。体躯に勝る敵に対して同じ構え。挑発である。幽鬼の体から青白い火炎。


 ”おい!さすがに不味いぜ。こいつ、上手いぞ”


 「ぎざま。ぎう。ゆるざん」


 無言。間合いを詰める。一足一刀の間合いから、僅かに距離を保つ。曇天に沈む夕日を、地平が飲み尽くした。




 互いに脳天を狙う必殺が、闇に小さな月を灯す。




 幽鬼の剣、堂馬の肩を浅く割った。


 堂馬の太刀、幽鬼の肩口から溝尾まで深々と斬り入れた。




 同程度の剣速を持つ剣客が相打った場合。厚みと反りのある刃がかち合うと、片方は急所を絶ち、片方は外れる現象が起こることがある。


 これを剣術では合撃がっしうちと呼称する。




 重要な事実がある。この状況に置いて、物理的な速度はさして意味がないことだ。


 大事なのは姿勢とタイミング。正しい姿勢で、正確に切り落とす。中心を維持し、体幹を強靭に固める。その力と技が合し打ち、勝る者が残る。


 対手の剣閃は怒りのために僅かに震えていた。




 堂馬はそこに勝機を見た。




 敵の剣の棟に刃を乗せて、刃筋を逸らし、打つ。


 間一髪で勝機を掴んだのは怒りではなく理性であった。




 「まげ……か」


 「怒りに刃を曇らせたな。焼けた鋼で人は切れんさ」


 「そうか……。力に驕り、道の本義を見失ったか。これでは不覚を取るのも無理はない」


 笑う。腹に空いていた穴は消えていた。顔に険はもうない。


 「感謝する。同道の士よ。まだ……精進……しな、け……れ……」


 


 薄れていく。黄昏の影法師のように。




 「おじさん!」


 「風花……。………をせめ……るな…しあわ……せに……ちとは…その……ため……に………」




 闇に溶けた。血の香を微かに残して。




 「おじさん……」


 涙が溢れる。張り詰めた何かが切れた。心の闇は断たれていた。




 「消えただと!?こはいかな術理か?!忍術の一種……いや、心の一法的な、瞬間催眠!?まさか実在したとは」


 堂馬は兵法の術技の奥深さに戦慄を隠せない。




 ”おめえ……。ここまで来ると逆に感心するぜほんと”




 雲の切れ間から、生者を祝福するかのように、月より光明が差した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だが剣が喋るはずがない @aiba_todome

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ