第4話 突然のボーイミーツガールなんてありえない

 立った状態から前屈。両手の平を地面につける。手を交互に動かして、少しずつ足から離す。徐々に体が地面と平行に近くなり、体幹部に強烈な負荷がかかる。


 だがほとんど腹が接地するまでに体を開いても、重力に負けるどころか震えすらなく、ぴたりと手足が接着されたように止まっている。


 見た目より遥かに苦しい運動だ。普段の堂馬なら5秒と保たないはずだが、10秒以上経ったいま、まだ余裕がある。


 そのまま限界を確かめるべく姿勢を維持し。




「なにやっとんじゃあ!」


「おおでんた!」 


 


 妹の華麗な足払いを腕にかまされ、顔から落ちた。




「まったくもう!嫌なことがあるとすぐ鍛錬だ~筋トレだ~でごまかすんだから!」


「ハイ、スイマセン」


「いきなり警察の人からお電話貰って、心臓止まりそうになったんだからね!」


「モウシワケゴザイマセンデシタ」




 結局警察から解放されたのは、午後の9時を回ったあたりで、その後ショートボブの髪を逆立てた稲の怒りの説教をくぐり抜けてと、散々な1日であった。


 しかし今日は日曜、日曜日なのである。失った時間を今こそ取り戻す時。まずは怒り心頭の妹をなだめて、買い物にでも行こう。


 そう思った矢先、玄関のインターフォンが鳴り響いた。




「あれ、誰だろ?」


 稲に心当たりは無いらしい。当然堂馬にも無い。


「む、俺が見てくる」




 面倒は大抵隊列をなして攻め込んでくる。良かろう。ガトリングの前のラストサムライがごとく、片っ端から粉砕してやる。




「はい、どちら様で」




 決然とした表情でがらりと戸を開ける。


 まず目に入ってきたのは腰まで伸びた黒髪。セーラー服を校則通りに着こなし、膝丈のスカートからちらりと覗くふくらはぎは雪のように白く、細い。


 たれ目の優しげな顔は、背筋に定規を入れたような凛とした立ち姿に引き立てられて、優雅かつ清楚な百合の花が思い浮かぶ。




 まあ美少女と言っていい、知らない女だ。


 戸をピシャリと閉めた。




「ちょちょ、待って!待って下さい!まだ一言も喋ってないです!」


「お兄、誰だったの?」


「知らねえ女だ。保険の勧誘員だろうな」


「セーラー服着てたけど」


「なら保険の少年勧誘員だ。国際条約違反だが連中手段を選ばないからな」


「違います!この前お会いしたはずですよね!ほら、木曜日の夜に!あの刀を持っていたのは私です!」


「ああいってるけど?」




 堂馬は無言でこめかみを指差すと、三回回した。




「やっぱり……、ご迷惑ですよね。いきなり切りかかってきて、こりもせずにまた現れるなんて。でも!あの太刀は本当に危ない物なんです。償いは何でもします。どうか……どうか入れてください!」




 何か風向きがおかしなことになってきた。ひょっとして入れてくれるまで動かないとかいうあれだろうか。一体こいつは俺に何の恨みがあるのだ。ああ、ご近所さんの目が。




 まず、戸を開ける。


「あ……ありがとうわぶ!?」


 油断した所に布団をひっかぶせる。


「むー!むー!」


 す巻きにして家に引きずり込む。


 客間に通せば招待完了である。


「ぶはっ!」


「こんにちは」


 こめかみに血管をうかべ、無表情で怒りをあらわす。


 少女、能島風花のうじまふうかが正気の目で見た恩人の、これが初の形相であった。
















 「粗茶ですが」


 稲が湯のみを差し出す。芦屋家の客間は畳敷きなので、全員正座だ。


 「あ、どうもご丁寧に」


 


 稲が女子特有の猫かぶりにてもてなすが、される方の風雅はそれどころではない。


 殴られ、罵声を浴びせられる覚悟はしていた。しかし踏み潰したカメムシを見やるような視線を浴びせられた挙げ句に、お前など知らないと言い切られるのは予想外であった。


 


「ん……まあね、能島さんだったかな?家の門はいつでも開かれているのが取り柄だからね。いつでもくぐってもらっても構わないんだよ?」


「いえ、まずは話を聞いてもらわないことには」


「ふむ、そんなら聞いてみようじゃないか」




 苦節15分、ようやく話が出来るとほっとした様子の風花は、表情を引き締めて話し始める。




「芦屋さん。妖刀の所在を知っていますか?」




 稲が不安そうな面もちで堂馬を見る。


 堂馬はどうしようもねーなこいつ。という目をしつつアメリカンスタイルで肩をすくめた。




「いや!真面目な話なんです!」


「真面目だったら余計に不味いだろうが」


 やはり妹ほど洗練されていないからか、堂馬の化けの皮はあっさり剥がれた。




「え、えっとお兄さん?ひょっとしてあれではないでしょうか?ほら、この前持ってきた黒い刀」


「そう!それです!あれは危険なんです!」


 一方妹は猫をかぶり過ぎて誰だかわからない。あの得体の知れない刀なんて渡しちゃって早いとこ帰って貰おうよ。という気配がありありと滲み出ている。


 仕方なしに買ったばかりの桐箱に入った例の太刀を持ってくる。




「しかしね能島さん。こりゃ確かに貰いもんではあるが、あんたが持ち主って証拠はどこにも無い訳だ。それはどうやって証明するんだ?」


 堂馬の質問にしかし少女は自信満々に答える。


「はい、あれは家伝の宝物でして、といっても銘も無い安物なんですが、銘の代わりにご先祖様の書いた無縁の文字があるはずです」


 正解だ。少なくともあの夜の通り魔は眼前の少女で間違い無いらしい。


「それじゃあ確認してくれ。妹が証人だ」


「ええ!では」




 風花は太刀に手をかけて、客間の一枚板のちゃぶ台を抜きざまに断ち切った。


 湯のみが音を立てて落ち、お茶がこぼれる。




「おおおお俺様が?やすものう!?舐めてんのかこんがきゃあああ!生まれ落ちて、いやさ打ち出されて700年、今の今まで並ぶもの無き大名刀の」




 谷折りに倒れたちゃぶ台に足をかける風雅の右手から、柄頭に手のひらを置き逆の手で鍔元を握って、てこの原理を用いて刀を奪う。


 納刀、収納、向き直る。




「はっ!私は何を」


「うん、帰れ」




 稲はちょっと涙目だ。これ以上好きにさせて置けない。




「い、いえ違うんです!これはこの剣の声が」


「うん分かってる。お前がアカデミー賞ばりの名演をしてまでこいつが欲しいってのは理解出来た。その上で、帰れ」




 こちらも泣きそうな風花が助けを求めるように稲の方を見る。




「お……お大事に?」


「うわぁぁぁん!」




 涙の粒が星屑となって流れ落ちた。涙の主は、家を出てどこかへと走り去っていく。




 堂馬はそれをしばらく眺めて。




「つーかテーブルの弁償はどうしたぁ!待てやこのアマ!」




 刀をひっつかんで追って行く。おのれ、Gショックとテーブルの仇。このままで済ますか。我が家の家庭菜園でロシア農奴ばりの強制労働に就かせねば気が済まん。


 


「おお!インテリゲンツィアー!」


「ああ!お兄がまた妙なことを!結構怒ってる!」




 さあ、戦いだ。刀一つを握りしめ、いざゆかん。


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