第29話
グノスィらが島を出て数日後。
国王は今日も大量の紙束と格闘していた。
「──以上で報告を終わります」
「っ退がれ」
人の出入り激しく、給仕だけでなく兵士らも訪れていた。昼食を挟む時間さえない。
それはひとえに国王が他人に仕事を任せないことによるせいかもしれない。
「少しご休憩なさってはいかがでしょう、陛下?」
「私もそうしたいのは山々だが今は本当に無理だ。仕事をさせてくれ」
給仕の心配もよそに国王は仕事を続ける。給仕はこれ以上は仕事の邪魔になると判断し後ろへ下がろうとした、そのとき──。
バリン
窓ガラスを突き破ってパーカー姿の男が飛び込んできた。
「おい、クソジジイ。どういうことだこれは?」
リッチは怒りに満ち満ちた様子で歯をむき出しにしていた。
給仕は慌てて国王の前に躍り出て決死の覚悟を決めた顔で守ろうとする。
「お前に用はねえ」
揺らぎの中へ消えるとリッチは国王の背後へと立っていた。
リッチは国王の胸ぐらをつかみ壁に押しつける。急いで駆け寄った給仕は足蹴りで反対側の壁に飛ばされた。
「どういう…ことだ、とは…何、だ?」
首が詰まって喋りにくそうに国王は問う。いきなりわけもわからず怒りをぶつけられているのだ。それも無理はない。
「わからねえか? 本当にわからねえのか?!」
リッチの胸ぐらをつかむ力が怒りに比例して強くなる。目つきは鋭く、前髪に隠れた額には青筋が刻まれている。
「テメエはいっつも俺の邪魔をするなあ? あのときも今も!」
「だから…何の話だ?!」
叫ぶリッチに国王も叫び返す。
「青と紫、それに白もいねえ。この状況がどういうことか本当にわかってねえのか?」
腕から力が抜け落ちて国王の体が解放される。
「ああ、それなら月兎島へ向かわせた。【暴れん坊】が出現したからな」
国王の添えられた言葉にも全く反応せず、リッチは激情の嵐を収めない。
「俺が言いてえのはどこに行ったかじゃねえ。誰と行ったか、だ」
「ネスティにグノスィを連れ添わせたのは私だが……別に問題が起こるような組み合わせでもあるまい?」
「青の特性を……もう忘れたか?」
「覚えてるさ……混乱、だろう?」
「それはどんな特性だ?」
はあ、と息を吐いてリッチは頭を掻く。国王は未だ状況が掴めずにいたが、
「────!」
彼の言葉に冷水を浴びせられた感覚に陥る。途端に国王は青ざめ、口を震わせる。
「ああそうだよ! やっと思い出したか? わざわざあいつを遠ざけたのにテメエときたら最悪の組み合わせにしやがって! もし能力が開花したら……俺にも手がつけられねえのに」
「だ、だが……たかが状態異常ではないか」
滑舌も悪くなり、しどろもどろに声を上げる国王。しかしもうこれ以上の説明は時間の無駄と判断し、
「認知症かよ、巫山戯んな。後は自分で考えろ」
リッチは突き破った窓から跳躍し、高速でひたすらに北上する。
「まっ──!」
国王は呼び止めようとするが、その声ももはや届かぬ遥か彼方へ進んでいた。
最後に見えたリッチの表情は酷く焦っているように思われた。
♢♢♢
船で2日、到着した月兎島は荒れ果てていた。薙ぎ払われて胴体が無理に引き千切られた死体。押し潰された木々。相撲の電車道のように島の斜面には引きずった跡が残っていた。
そして最後に島の中心に
「聞いていた話と違うじゃないか?」
山に似ているがそれは現在休止中の生き物であった。
全長は十メートルを優に超えていた。情報に誤りがあったのだ。だが報告は僅か数日前。つまりそれは──
「成長しているのか、この短時間で?」
この予想が正しい場合、それすなわち討伐の難易度が高まるということ。ネスティは必至に国王へ連絡をしているようだが状況は芳しくないようだ。
「ルル、ここで約束したことは守れるか?」
「……私はもう迷わない。だから、いいよ。グノスィの言う通りにする」
ルルとはここまでの船旅で言葉を交わして仲直りした。元の状態まで戻ることはなかったが、代わりに一つ約束を交わしていた。それは背を向けないこと。敵からも、味方からも。
もうあんなことはごめんだ。そしてここからは生き残るために全力を尽くそう。
「申し訳ありません。陛下と連絡がつきませんでした……」
「それなら現地の人に聞こう。どこにいるかはまだわからないけど」
国際指名手配犯とやらの強さは推し量れない。だが少なくとも自分よりは遥かに強いと確信できた。頑強さ、リーチ、攻撃手段といった頭脳以外に優れる部分が多すぎる。
現在、暴れん坊は就寝していた。巨大な甲羅の内部へ体を引っ込ませ光を遮っている。
兎にも角にも情報を手に入れるために行動しなければならない。
三人は深刻な空気の中、麓に足を踏み入れた。
「こ、これは……!」
荒れ地を進んでいくと、幾ばくかの広さがある場所に出た。地面は石畳で野戦病院の如く怪我人が並べられていた。強烈な血の臭いとともに。
「なんて、酷いことを……!」
ネスティが怒りの声を上げる。白い布を顔に被せられた人体が端に寄せられていく様子を見て手が震えていた。グノスィは呆然とその姿を見ていた。状況を飲み込めなかった。
ただ、どうして【暴れん坊】がこの街を襲撃したのかまるでわからなかったからだ。人を殺すことに躊躇のないことに。理解ができなかった。故に──
「ネスティ、怪我人は頼んだ」
彼の頭は混乱へと
──理解? できなくてもいい。だが不愉快だ。幼い子供が白布を纏う父に縋り付く姿は。恋人に涙する彼ら彼女らのその姿は。
救いようがない。その一言が彼の心を支配した。その時、彼の頭の片隅にノイズが走った。
「ちょっと待て……? ルル、この島の名前、なんて言ったっけ?」
「月兎島でしょ?」
「じゃあ最初に【暴れん坊】が出現したのは?」
「聞いてないけど……」
グノスィは大変なことに気づいてしまった。気づかないほうが良かったことに。
──なんてことを! 【暴れん坊】は絶対にここで倒さなければ。最初は話半分にしか聞いていなかったから忘れていた。この事実が、この事実が正しいとすれば……。
「あれは大罪を背負う者だ」
この数日後、すなわちリッチが王の居城に侵入する直前の一報にて、国王は知ることになる。
茅舎島、壊滅。
Re Start 高崎 朧 @kemon
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