第28話

「はあ……どうしてあんなこと言ったんだろ……紫の特性は冷静だったはずなのに」

 観光名所らしき建物の屋上でルルは髪を風になびかせ、手すりに両腕を乗せて独り言ちていた。

「喧嘩ですか、ルル嬢?」

 背後から優男の声がする。振り返れば目隠しをした白髪の青年。

 茶色の杖を片手に彼は姿勢良くそこに立っていた。

「どうしてここに居るの、ルーカス」

 数刻前まで森に居た彼がわざわざルルを探し出せるはずがない。そしてルルのその予想は当たっていた。

「ここは私が気に入っている場所ですから。少々登るのが大変ですがね」

「……景色も見えないのに?」

 屋上からは明るい町並みが一望できる。だがルーカスはその目隠しで視界を閉ざされている。とはいえそれを直接本人に伝えたことは配慮に欠けていただろう。ルルの今の荒んだ心を表していた。

「いいえ、見えてますよ。何度も幼い頃にここから視た景色は……私の心の中にひっそりと残っています」

「そう……ごめん。言い方が悪かった」

「いえいえ、ご心配なく。今は私よりも貴女の方が困っていそうですし」

 二人の間で沈黙が流れる。しばし考えたあと彼女はおもむろに切り出した。

「混乱している彼を置いてきた。何もできなかった。彼に関係のない怒りをぶつけてしまった」

 独白か贖罪か、彼女は懺悔する罪人つみびとのように言葉を紡ぎ出した。

「私は、私は……! 紫なのに……彼に声をかけることもできてない……っ」

 悔しさに唇を噛み締め、涙が目の端から溢れる。手すりを力一杯握り締め、筋が手の甲に浮かぶ。

 彼は彼女の思いを黙って聞いていた。そしてゆっくりと床を杖で叩き、

「私にはあなた方の間で何があったのか知る由もありませんが、これだけはわかります」

 と、言って再度杖で床を叩く。

「あなたは一つ間違えた」

 微かに残る観光客を背景に彼は顔を少し上にして。

「拒絶は思考の停止。断絶は学びを生まない。ある偉人が仰った言葉です。一生の友達も、一生の家族も、一生の恋人も、一度突き放してしまえば関係の修復は甚だ難しい」

 ルルは黙ってその話に耳を傾ける。

「心のどこかでは誰もが誰かと一緒に居たいと思っている。私も目の見えぬ仲間が欲しかった。だけどそんな簡単に出会えるものじゃなかった。貴女にはまだ線が残っている。歪んでしまったが途切れることない線が」

「…………」

「戻りなさい、貴女を信じてくれている人の元へ。また笑い合うことはできるでしょう」

 失った人は戻らない。されど今を生きる人には何度だって会える。何度だって言葉を交わせることができる。だから──

「ありがとう、ルーカス。おかげで元気が出たよ」

 人は前に進むことができる。

 振り返った彼女の顔は落ち着きを見せて不安を感じさせないものだった。

 もはや迷いはない。混乱もない。冷静沈着そのものとして、彼女は空気を胸一杯に吸い込んだ。



 ♢♢♢



 鳥は自由だとよく言われる。

 人間が持たぬ翼を鳥は有するからか。

 ならば海を悠々と泳ぐ魚は?

 彼らにはひれがある。

 地を掘る土竜もぐらは?

 彼らにはどこまでも鋭い爪がある。

 だが自由の象徴とは呼ばれないし思われない。その答えは酷く単純で明快だ。


 人間は魚にも土竜にもなれない。それでも泳ぐことも掘ることもできる。

 対する鳥の芸当は人間には不可能だ。生身で飛ぶことは絶対にできない。

 ではその常識の外れにあるこの世界はどうなるだろう。人間は飛べる。というより落ちない。

 すなわち鳥は自由の象徴ではなくなるのだ。人間は自由のものさしを持たなくなり、あるのは閉塞感と孤独のみ。有限大の世界は他の世界の人間には窮屈に感じるかもしれない。

 実際グノスィもその弊害を患っていた。狭く濁り、混乱と災禍が立て続けに起こる世界の弊害が。

 湿気と熱気で息苦しくなるように、常に不安を掻き立てられる。

 沸き立つ感情に支配される。些細な理由で感情が刺激される。不快さはいつまで経っても消えてくれない。

「誰か……誰か助けてくれ……」

 情けなくか細い声でそらから周囲を見渡しながら彼は嘆いた。


 ──鳥籠の中の鳥のようだ。何をするにも自由なはずなのに、何かに縛りつけられたように体は言うことを聞かない。頭の中はぐちゃぐちゃで、麻薬中毒に陥っているように安寧を求める感覚。


 救いはあるのか。永遠と続く苦慮。

 心の安穏のために、彼はまた小瓶から一粒の錠剤を取り出した。

 喉元過ぎれば精神は徐々に安定した。一時的な効果しかもたらさないが。

「いかがお過ごしでしょう、青様?」

「ネスティか……」

 地上から上昇してきたネスティが淑女じみた仕草で礼をとる。


「最低な気分だよ」

 まさしく今は何をする気にもなれない。目元の隈はいつからあるだろう。

 それぐらい精神に負担がかかっているということだ。

「では、どうでしょう。ここで一つ、私と亀を捕まえに行きませんか?」

「亀……?」

 不審な言動に思わず片眉が持ち上がる。

「浦島が注意した子供にでもなるのかい?」

 流石にこの例はわからないと承知の上だが言わざるを得なかった。

「? よくわかりませんが私では少し力が足りないので力を貸してもらえないでしょうか」

 穏やかに微笑を携え、ネスティは首を傾げて丁寧に尋ねた。

「そんなに亀が欲しいの?」

 苦笑混じりに彼は彼女の願いを受け入れる。

「それでは付いてきてください」

 彼女は城とは真逆の方向へ歩き出す。

 

 そして場所を移って船着き場。

「急過ぎない? もう少し説明が欲しいんだけど」

 ネスティは船に乗って別の島へ行くと言っている。亀なんてそこら中にいそうなものなのに、とグノスィは彼女をきな臭く感じ始めていた。

「そうですね……これから行く場所は月兎島げっとじま。我が国の領土の一つです」

 彼女はその島で現在起こっていることを事細かく説明した。

亀獣人テラピアンの【暴れん坊】は小休止を頻繁に取りながら戦闘を行っているそうです。武隊も応戦しているそうですが、あまり効果は見通せず……」

「わかった。もういい。行けばいいんだろ?」

 説明が欲しいとは言ったが詳細な説明は求めていない。今も命が散っているならば尚更。

「ありがとうございます。あなたはどうするのですか?」

 彼女は礼をしたあと、近くにある積荷へ目を向ける。

「……」

 ──そこから出てきたのはルルだった。そっと顔を出してやや上目遣いでこちらを見ている。

 仲間にしてほしそうな目でこちらを見ている。いや、それは違うか。

「私も行く」

 端的に彼女は言った。青と緑の輝きが二人を貫き、気迫が見て取れた。

「人手は欲しいので助かります。これは大会の前哨戦ですが、全力で戦ってください」

「「わかった」」

 三人は船に乗り込む。行先は北東の島、動物の名を冠する月兎島。目標は【暴れん坊】。

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