五話 絶望のクリスマス
突如聴こえた予想外の声に、山田は全身が強張るのを感じた。
「大丈夫だって。なんか夜遅くなるーとか連絡きてたし」
謎の男への疑問に対し、すぐに返答する彼女。
その口調は飄々としており、謎の男とは少なくとも初対面などではないと判断できる。
クローゼットの中にいる不審者からは、彼女の表情は窺えないものの、声の調子からして嘲笑じみた印象を受ける。
「ならいいけどよぉ。ってか、いきなり今日会いたいってどしたん?明日会う約束してたっしょ?俺も予定あんだけど」
「えぇ〜、
どうやら男の名前は和也というらしい。苗字まではわからないが、少なくとも山田の知る名前に和也という人間はいなかった。
はてさて同じ学友かそれとも他校の生徒か。
彼女たちの会話に集中していたところ、突然寝室のドアがガチャリと開けられた。
「っ……」
咄嗟にビクッと肩を揺らすのも束の間、もしバレたら碌でもない事になるのは明白。不審者は何とか声が漏れないよう気を張る。
更に、彼女たちの会話を一言も逃さんと、全ての神経を己の聴覚に集中させる。
「ほら、早くしないと来ちゃうよ?」
「ったくしょうがねぇな」
そういうと、今度は何やらサワサワといった音が鳴り始めた。それはまるで服が擦れるような、そんな音。
「…………」
山田は黙って聴き入る。
「ん……んっ」
「……ふぅ……おらっ、舌出せ」
「もう、焦らないでよ」
どうやら山田の危惧していた最悪の事態は、不幸にも的中してしまったらしい。
不審者の耳に入ってくるのは、粘性の高い水音。それが一体何を示しているのか、流石の童貞も瞬時に理解した。
ピチャピチャ。ピチャピチャ。
数十秒ほど経ったあたりでそれは止んだ。
しかし、それも束の間のこと。
「スイッチ、入っちまったわ」
「ふふ、ほんとすけべなんだから……あんっ」
「
秋穂。まだ自分すら呼んだことのない彼女の下の名前。
彼女が彼を「和也」と呼称していたことからなんとなく予感していたが、まさかとは思わなんだ。
「…………」
都合、童貞のメンタルはボロボロである。
否、ボロッボロである。
これまで友人という関係を一人も持つことが出来なかったぼっち人生。そこに初めて出来た、恋人という名の友人の上位互換。
それが今、偽りだと無慈悲にも童貞の心をラリアット。
「鉢合わせだけはダリィからな、もう◯れるぞ」
「うん、きて」
そこから童貞に待ち受けていたのは、地獄とも言えるような時間だった。
彼女の合図と共におっ始める二人。
それを不運なことから、薄い木の板を一枚挟んだ特等席で聴かされる童貞。
ベッドのギシギシ音が。肉と肉がぶつかり合う音が。粘膜接触の音が。童貞の脳内でハウリング。
あんあん。ぱんぱん。あんぱ◯まん。
一体、彼が何をしたというのか。
童貞はただ、彼女に尽くしてきただけなのに。
童貞はただ、彼女に笑って欲しかっただけなのに。
「……………………」
二人だけの大運動会は一時間半にも及んだ。
その間、童貞はただ体育座りのまま、じっと耐えるのみ。
そして迎えるフィニッシュクリームパイ。
もう童貞は何も思わない。ただ、今日はもう帰りたいと願うばかり。
自分の息子が、ここから出たいと天へと向いているのも気のせいだ。これが鬱勃起なんて、童貞は認めないぞ。
「おっともうこんな時間じゃねぇか。これから約束あるんだった」
「えぇ〜、また他の女でしょ」
「別にいいだろ?お前も似たようなもんだし」
「私は指先一つ触れさせてないんですけどー?」
「そりゃひでぇな。彼氏が可哀想だろ」
以降、山田の悪口をダシにピロートークで盛り上がる二人。しばらく後、やっと部屋を出ていく。
チャンス到来と、山田はスッと音を立てないようクローゼットから飛び出る。逃げるなら今しかない、彼女の顔なんて今は見たくないのが童貞だ。
まさかこの機会、逃してなるものか。
急いで寝室のベランダへと向かう。
ただいまの時刻、午後七時半。もうクリスマスパーティーをする気など甚だない。
たかが三十分で、何食わぬ顔でパーティーできるまで回復するほど、童貞のメンタルは治癒力に長けていない。
幸い、和也という男が出ていくのは例によってマンションの正面エントランス。
こちらのベランダとは正反対に位置するため、エンカウントすることはないだろう。
ベッドの下から隠しておいた荷物を全て手に取り、ベランダの掃き出し窓を開ける。その際、足が悴んでしまい、ぐきりと嫌な方向へ曲がったのは秘密だ。
とことんついていない。
最後に証拠がないかとチラリと部屋へ振り返る。
クローゼットはしまっているし、ベランダも閉じた。鍵は空いているが、そこまで気にしないだろう。
振り返った際、ベッドの中央付近に水で濡れたような跡があった気がするが、盲目なだけだろう。
それよりも今は早く脱出しなくては。
「…………空き巣か俺は」
最高に惨めで皮肉な自虐をかましたところで、地面を見下ろす。
ここはマンション十五階。大体地面までは、四十五メートルほど離れている。
普通に降りたらまず死ぬだろう。しかしながら、山田は気にせず飛び降りた。
命綱も何もせず、ただ重力に身をまかせ垂直に落下。
側から見れば自殺である。
しかしながら、地上まで残り五メートルあたりで山田は空中を蹴って威力を殺した。
その後も二回ほど空中を蹴ったことで、完全に威力は消し飛び、音も立てずに路面へと脚を乗せる。
一体、何故こんな芸当ができるのか、それは本人にしかわからない。もしかしたら本人すらよくわかってないのかもしれない。
「っ……冷たいな」
そういえば靴を履くのを忘れていた。山田は通学用鞄から黒のローファーを取り出す。
雪が降らないからと、一年中ローファーを履き潰す山田だ。そこにはお洒落やローファーへの愛情などは到底ない。
「帰るか…………」
踵を返すと、スマホを取り出す。そして彼女へ今日は行けなくなってしまった旨を伝える。
そして歩き始めたところで頬にポツリ、ひやりとした感触が。
「……?」
疑問に思ったところで、今度は手の甲に、更にまた頬に。ポツリポツリと言ったところで、上を見上げる。
するとどうだろう、真っ白な小さな塊がふわふわと落ちてくるではないか。
「雪か……」
その光景に、本来ならば心を躍らせていたことだろう。まるで綿菓子が降っているようなそれは、今の童貞にはあまりにも冷たいすぎる。
「…………」
そう、今日はクリスマスイブ。この調子なら明日も降るんじゃないだろうか。
「…………」
何故、自分はこんなことをしているのだろう。
何故、自分はこんな思いをしなくてはいけないのだろう。
「……何がクリスマスだ」
彼を迎えたのは。
絶望のホワイトクリスマスだった。
ヤマダ・オブ・シグマ あくらさき駅 @aqula_station
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ヤマダ・オブ・シグマの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます