13
「君、大丈夫?」
目を開ける。そこには知らない人の顔があって、僕を心配する声が聞こえた。
「昨日の夜からここで寝てたの?親御さんに連絡した方がいいんじゃない?」
辺りを見回すと、そこは昨日降りたバスのロータリーだった。真っ赤なオープンカーも停まっている。声の主は駅員のようだった。
一面の銀世界。人通りも少ないながらある。ロータリーの真ん中には時計が立っていて、長針と短針が上下に正反対の方向を向いていた。
座りながら寝ていたベンチに視線を落とすと、そこには彼女のバッグが置かれていた。その中身を見てみようとして、やめた。それをすれば、永遠を壊してしまうような気がした。それに、どうせ重くて持っていくことはできないだろう。
代わりに、つけてあげたぬいぐるみを外して、それを僕のリュックにつけた。
駅員に路線を聞いて、僕は始発のバスに乗って帰路についた。
休日出勤の会社員が数人だけ乗っているバスの中で、僕は携帯で今の状況を確認した。
例の科学者たちの会議は未明に記者会見を開き、一度はほとんど静止した時間が、再び加速し始めたことを発表していた。この揺り戻しは今日の正午には終わり、それ以降は多少の振動はあるものの、概ねいつも通りの時間の流れになるということだった。
一日で世界を揺るがした事件は、一夜にして収束したのだった。
そのことを知ってから人々の顔を見ると、皆一様に力の抜けた表情をしていた。それはすれ違った全員にも言えることだった。
午前中に自宅の隣町に戻ってこれた。世界の果てまで行ったような感覚だったけれど、数時間で移動できる程度の距離だったらしい。世界は広いのか、狭いのか、いまいちよく分からない。
駅前の大通りはすっかり元通りになっていて、多くの車が行き交っていた。昨夜の静けさが夢のようだったけれど、それが夢ではないということを、僕は強く確信していた。
歩道橋を渡り、大通りから少し外れた裏道を通り抜けると、両側を高い建物に挟まれた通りに出た。日中でも薄暗い通りを更に進んで、狭くて急な階段を上る。
乱雑な様子で置かれた看板が目に入ると、それがそこにあることにある種の奇跡を感じた。
建て付けの悪いドアを軋ませながら開けると、煉瓦風の内装の薄暗い店内は、いつもと違う雰囲気だった。見慣れた顔はなく、表通りにいそうなカップルや学生グループが席を埋めていた。
僕は少し不安になってカウンター席の方を見ると、そこだけは立入禁止になっていた。
「あっ、来てくれたんだ」
キッチンの奥の方から、アカネさんが手を拭きながら出てきた。
「この店、休みの日は結構お客さんがいるんですね」
「売上的にはむしろこっちがメインで、平日営業は半分趣味みたいなものよ。楽しいから続けてるけどね」
彼女は笑った。太陽のような、活気のある笑顔だった。
「準備するから、君はいつものところに座って」
「でも、立入禁止って」
「君のために場所を取っておいたの。他のお客さんが近くにいたら、やりにくいでしょう?」
「そんなことまで、すみません」
「あはは、何言ってるの、君はうちの一番のお得意様なんだから。特別よ」
そう言って彼女はキッチンに戻っていった。準備をしに行ったのだろう。
未だかつて空いていなかったことのない席に、昨日と同じように、一昨日と同じように座った。それもやはり奇跡のようなことだと思った。
数分で戻ってきたアカネさんは、大きな土鍋を抱えていた。
「結局、普通に今日は来たね」
「普通じゃないですよ、まだ時間は少し揺らいでいるみたいですから」
「君に言われた通り、食材を発注しておいてよかったよ。だからこれはそのお礼」
アカネさんが客席まで来ると、テーブルの傷の上にガスコンロが置かれ、土鍋が火にかけられた。準備が整うと、彼女はエプロンを外して僕の隣の席に座った。
「あれ、そのぬいぐるみかわいいね。どうしたの?」
アカネさんは僕のリュックを指さした。
「これですか?」
僕はリュックを持ち上げ、ぬいぐるみを優しく抱いた。
「もらったんです」
どこへ行ったって、同じだよ。トバリ。
君がいれば、どこへだって。
世界最後の夜 設楽敏 @Cytarabine
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