追憶 喪失令嬢は邂逅する

 御伽噺なんてものは大概、子供をしつけるための言い訳である。それはユリシーズも例外ではない。とどのつまりあの物語も怠け者になるなとか、復讐は良くないとか、そう言った意味合いを含んでいたのだろう。


 それでは一体いつから、御伽噺は真実になってしまったのだろう。……いや。いつだなんて、そんなものは明白だ。メイリア・シルヴァリオが薬を作った。物語はここから始まる。


 当時メイリアは、シューベルトからある命を受けていた。「新種の花を調べてほしい」と、植物学者である彼女は胸を躍らせていたものだ。その努力の末、花から一つの薬が出来上がる。


 創傷治癒に造血作用、更に他の薬物とは比にならない多幸感の獲得。中々どうして危険なものだが、使い方次第では聖薬にもなる。研究を重ねたメイリアは、ついに至適用量を見つけ出す。これなら実用できそうだと、彼女は鼻歌交じりに皇帝へと報告した。


 そして月日は流れ、臨床試験が始まる。開発者であるメイリアは参加出来なかったが、毎日届く報告書を穴が開くまで見つめていた。しかし、現実は非情かな。試験中に盗難に遭い、計画は頓挫してしまった。メイリアは悲しみ、けれど同時に考えた。もし薬を悪用されてしまえば、死人が出るかも知れない。そのためにも解毒薬を作ろうと、彼女は再び研究に明け暮れた。


 事態が一変したのは、臨床試験が中断されてひと月経った後のことだ。


 その日は長旅から軍が帰還し、一つの地を占領したという報せに国中が盛り上がっていた。そして騎士の一人が、記者に対してこう言ったのだ。「今回の戦いに勝てたのは、新しい薬があったから」と。しかし取るに足らない一言は歓声の渦に呑まれ、記事の端にも載らなかった。


 それから帝国軍は、目覚ましい進化を遂げ始める。ユリシーズの再来とまで謳われた彼だったが、それは強さのみに言及されたことではない。物語同様、共に戦ってきた騎士たちが次々に亡くなったのである。


 医師の数が足りないからと、検死にはメイリアも参加した。死因について誰も彼もが音を上げる中、彼女だけは分かってしまった。──これは正しく、あの薬が原因だと。


 創傷治癒に造血作用。これは裏を返せば、細胞分裂の速度を上げていることに他ならない。分裂寿命は限りあるもの。それを超えれば、あとは死を待つのみ。開発者であるメイリアだからこそ気付けたことだった。しかし同時に、ある疑問が生まれてしまう。


 これらの作用はすべて、中毒域で発現するもの。そしてその量を知る者は、彼女を含め数人しか知り得ないことだ。メイリアは居ても立っても居られず、シューベルトに詰め寄った。


 当時、二人の間でどのような会話が行われたのか。帰宅したメイリアが口を開くことはなかった。だがその日を境に、彼女は殊更ことさら研究へと没頭した。しかし解毒薬は完成することなく、彼女は軍に捕まった。


 メイリアと共に父も連行されたが、彼だけは数日後に釈放された。しかし、待っていたのは娘との平穏な日々ではなく、貴族たちによる断頭会だった。その結果シルヴァリオ家は土地を追われ、世間から隔絶された暮らしを強いられる。これらがすべてシューベルトの仕業と知ったのは、もう少し後になってのことだった。


 ユースティアが第二皇子──アリステラ・ルーク・レンブラントと邂逅したのは、十二の時だった。光り輝くシルバーホワイトに、絶海を思わせる深い碧眼。下界に降りた天使は侍女一人を引き連れ、如何にもお忍びという風貌でやって来た。


「メイリア・シルヴァリオは生きています」


「辛うじてではありますが」紅茶をすすり、何食わぬ顔で皇子は言う。固まる父娘を他所に、話は淡々と進んで行く。


「先の戦争で、ロータスの有用性は十分に証明されました。ですが同時に、多くの死人を出した薬でもあります。実用するためには少々難がある」


 そのためにも解毒薬が必要である、と。理解出来ない思考ではなかった。着地点は異なるものの、目的はメイリアと一致している。それでは何故、彼女を捕らえる必要があったのか。


「父は製造ラインを独占したかったんです。そうすれば軍事だけではなく、交易にだって利用出来ますから」


「じゃ、じゃあ妻は……それを知ったから……?」


「ご想像通り拒否しました。だからこそ、生きているんですよ」


 絞りだしたような父の言葉を、皇子は冷たく払いのける。その態度に怒りさえ超えてしまったようで、父はただただ青ざめるだけだった。だが、ユースティアは違う。


「失礼ですが、皇子さま。そんなことを伝えるためだけに、わざわざいらっしゃったのですか?」


「……もしかして、君がユースティア?」


「聞いていたより似てないね」砕けた口調ではあったが、相変わらず温度のない声音だった。そして上から下までユースティアを見回すと、


「復讐に興味はある?」


 返ってきたのは答えではなく、新たな質問だった。これには流石のユースティアも面食らう。思わず生返事をすれば、皇子は顎に手を当てた。


「僕は一度、この国を潰さなきゃいけない。出来れば徹底的に、完膚なきまでに」


「……それはまた、壮大な夢物語なことで」


「僕は立場上、表立って動くことが出来ない」


 どうやら返事を求めている訳ではないようだ。大人しく口を噤めば、皇子は初めて笑顔を見せる。


「でも今を逃せば、もう二度とチャンスは来ない気がする。だから今日、ここに来た」


「要は傀儡になれと?」


「いや、あくまでも君の意志でやるんだ。それが復讐ってものだからね」


 随分と含みのある言い方である。どういう意味かと問いただしたかったが、皇子は笑みを浮かべるだけだった。計画を聞いて尻込みするような覚悟は不要らしい。


 尋常ではない空気を察してか、俯いたままだった父も顔を上げた。揺れる瞳は皇子ではなく愛娘を映している。それぞれの視線を受けながら、ユースティアは瞼を閉じた。そして数分思案した後、開かれていく視界と共に答えを返す。


「──分かりました。その話、お受けしましょう」


 皇子はただ頷く。さも確信していたかのような態度だが、事実その通りだった。父は不安そうに見つめていたけれど、口を挟むようなことはしなかった。その優しさに甘え、彼女は続ける。


「ですが一つ、条件があります。私も命を賭けるのです、貴方もそれ相応の見返りを下さい」


「へぇ、例えば?」


 領地。富。地位。若しくは、これまで失ったものの全て。この人ならきっと、どんなものでも用意してくれるだろう。


 しかし、そんなものには目もくれず、


「アリステラ、貴方自身をください」


 すべてが燃えて無くなるのなら、最期に残るものがいい。


 共犯者として当然のことを要求したつもりだったのだが、皇子は驚いたように目をしばたたかせた。それから肩を揺らし、耐えきれないと言わんばかりに腹を抱える。


 皇子は一頻ひとしきり笑うと、溜まった涙を拭った。


「いいよ。喜んで君のものになろう、。僕にとっての幸せは、君と共にあるものだから」


 かくして契約は結ばれた。皇子の──アリステラの言葉が、翡翠の瞳に火を灯す。


 あの日からずっと、誰よりも貴方のために。ユースティア・シルヴァリオの炎は、絶えず燃え続けている。

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復讐令嬢は断頭台で踊る 七芝夕雨 @you-748

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