第42話

 卒業式から一週間ほどが経ち、私たちは先生にお願いして高校の図書室に入れてもらった。

 出入り口から一番離れた児童書の棚に『セレナと闇の魔女』の絵本はひっそりと置かれている。


 絵本を持ち、いつものテーブルに腰掛けると和久井は私の隣に座った。


「まだ慣れないのか?」


「はぁ?」


 照れ隠しで悪態をつくのは悪い癖だ。直したい気持ちはあるが、もう少し時間をいただくとしよう。


「絵本のエンディングはどうなっているのかしら」


「ずっと思ってたけど、話し方がリリーナに引っ張られてるよな」


 それは両親にも指摘された。

 分かっているつもりだが、こっちの方が話しやすいのだから仕方がない。


「……この話し方は嫌い?」


「まさか。俺はどんな白峰だって好きだよ」


 こいつも人のことは言えないだろ。

 昔はこんな歯の浮くようなことは絶対に言わなかったくせに。今では平然と恥ずかしいセリフを言ってのける。

 おかげで一緒に出かけていても恥ずかしいことこの上ない。


めくるわよ」


 ゴクリと唾を飲み込み、絵本の表紙に手をかける。

 隣では同じように絵本を覗き込んでいる和久井が小さく頷いた。


 しばらく続く無言の時間。

 一文、一文読み込みながらページをめくっていく。

 時折、和久井が「おぉ」とか「すげぇ」とつぶやいていたが、そんな彼の声が気にならないくらい集中していた。

 そして、最後のページをめくり終える。


「……よかった」


「あぁ。良かったな、リリーナ……じゃない。白峰」


 彼にジト目を向ける。

 せっかく、感傷に浸っていたのに台無しだ。


 絵本の物語は私たちが以前に読んだ内容ではなくなっていた。


 卒業記念パーティーで出会ったリリーナとラウル王子はお互いに一目惚れしたことになっていた。

 セレナはリリーナに好きな人を打ち明け、二人揃って父であるアッシュスタイン公爵に意見する。

 了承しない父を納得させるためにリリーナはラウル王子を頼り、二人でセレナの想い人探しに奔走する。その想い人とはラウル王子の弟だったのだ。


 リリーナの頼みを聞いたラウル王子は自分の王位継承第1位の座を弟に譲り、アッシュスタイン公爵の首を縦に振らせた。

 世界で1番美しいセレナと次期国王のクリスティアーノは結ばれ、同日に世界で2番目に美しいリリーナと愛のために地位を失ったラウル王子が結ばれた。

 最後のページには笑顔の四人の姿が描かれ、物語はハッピーエンドとなっていた。


「物語を変えてしまってよかったのかしら」


「いいんだよ。ほら、表紙の裏を見てみるといい」


 促されるままに表紙を剥がすとそこにも文字が書かれていた。

 それは作者からのメッセージ。願いや叫びにも近いものだった。


「作者なのに結末に納得していなかった? どういうこと?」


「いいか、白峰。この絵本はこの世で一冊しか存在しない。そして、俺たちが読んだあの物語は作者が無理矢理に完結させた結果なんだよ」


 その説明を聞いてもよく分からない。

 もったいぶらずにはっきりと教えてくれればいいのに。


「そうですよね、先生」


 振り向くと扉を開けた男性教師が立っていた。


「二人とも、もう体調は良いのかな?」


 二つ返事を返すと先生は私たちの前に座り、指を組んだ。


「この絵本の作者は先生だ」


「えぇぇえぇぇぇ!?」


 名探偵ばりに指をさしながら得意げに鼻を鳴らす和久井に驚愕する私。

 先生は微笑み、「まぁ、和久井には教えたからね」と平然と言った。

 それはずるくない?


「白峰が倒れてから、たまたま……ではないかもしれないけど、図書室にいた和久井に聞かれて話したんだ。聞かれなかったら墓場まで持って行くつもりだった」


 先生は趣味でこの絵本を小説として書いたそうだ。当時の先生は読者受けを狙って急遽、ストーリーを変更したらしい。

 その時は読者に喜んでもらえて嬉しかった。しかし、本当に書きたかったものを書けなかったことをずっと後悔していたらしい。

 それでも唯一、多くの人に認められたこの物語を絵本という形で世に残した。

 この絵も自分で描いたらしく、先生は意外と多才な人だった。

 

 自分の絵本を勤務先の図書室にこっそりと置くなんて度胸があるというか、なんというか。


「放課後、ここで白峰が倒れて。10日後に和久井も倒れて。二人のそばにはこの絵本が落ちていたんだ。本気で焦ったぞ」


「なんで、図書室にいたの?」


 和久井に問いかけるとはっきりと答えた。


「白峰を助けたいと思ったんだよ。なにかヒントはないかって探してたら、この絵本を思い出したんだ。おかげで会えただろ」


「私のこと忘れてたくせに」


 意地悪っぽく言っても和久井は気にした風もなく、「それはお互い様だ」と言って笑った。


「いつ思い出したの?」


「本当に最後の最後だよ。意識が遠のく瞬間に白峰の名前を思い出した」


「そっか」


 絵本に視線を落とし、和久井の方を向くと彼は無言で頷いた。


「先生。これ、どうぞ。納得できるか分かりませんけど読んでみてください」


 怪訝顔で『セレナと闇の魔女』を受け取った先生は無言でページをめくる。

 その手が徐々に早くなっていった。

 目を見開き、鼻息も荒くなっていく。


「これは……」


 勝手にストーリーを変えてしまって怒られないだろうか。

 少し不安になっていると、机の下で和久井が私の手を握った。私も彼の手を握り返す。


「これは俺が本当に書きたかったエンディングだ」


「絵本をお返しします。授業をサボるために図書室に入り浸ってごめんなさい。先生が居てくれたから私は卒業できました。ありがとうございました」


 これは本心だ。

 勉強に挫折した私が駆け込み寺のように図書室を利用した時、問答無用で追い出すようなことをしなかった先生の存在は大きかった。

 先生がいなければ途中で高校に来なくなっていた可能生だってあるし、和久井と勉強するようにならなければ大学進学もできなかっただろう。


「いや。これは白峰に持っていて欲しい。よく頑張ったな、卒業おめでとう」


 私はいつからこんなに泣き虫になってしまったんだろう。

 またしても溢れてくる涙を止められなかった。



◇◆◇◆◇◆



「――こうして世界1の美女であるセレナはクリスティアーノ王子と結ばれ、やがてお妃様となりました。世界で2番目の美女であるリリーナはラウル王子と結ばれました。四人は大人になってからも一緒に住み、仲睦まじく過ごしましたとさ。めでたしめでたし」


 絵本を閉じると同時に玄関の扉が閉まる音が鳴った。


「またその絵本を読んでいたのか?」


「あ、お父さん。おかえりー。だって好きなんだもん」


「おかえりなさい。これで、もう13回目よ」


 呆れ顔の彼の前で私たちの娘は満面の笑みで答えた。


「わたしも1番になりたいな。お母さんも1番になりたかった?」


「そうね。昔はなんでも1番になりたかったけど、それだと途中で疲れちゃうかもしれないわよ。さて、夕飯にしましょうか。今日はハンバーグよ」


「やった! お母さんのハンバーグが1番好き! 2番目はお父さんのチャーハン!」


 思わず、微笑みがこぼれてしまう。

 ここでもまた順位が出てくるなんてね。

 いつになっても順位は私たちの生活に関わってくるのだろう。


「俺にとっての1番はあゆかだよ。愛してる」


「私にとってもそうよ。愛しているわ」


 私たちは二度とセレナとお話することはできない。でも、毎日のように会うことはできる。


 絵本の最後のページに描かれたセレナはネックレスをつけているが、リリーナはネックレスをつけていなかった。

 なぜなら、あの日からずっと私の首元で光り輝いているから。

 

『セレナと闇の魔女』の世界で彼女たちと出会い、様々な経験をしたからこそ、私は幸せだと胸を張って言える。


 私の名前は和久井 あゆか。

 元世界で2番目の美女、リリーナ・アッシュスタインである。

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世界で2番目に美しい女性に転生しました。~妹が世界1の美女で私は悪役の姉~ 桜枕 @sakuramakura

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