第41話
重いまぶたを開けると見知った天井ではなかった。
カーテンで囲まれた小部屋。つんと鼻を突くアルコールの香り。
視線を彷徨わせると天井から吊された液体の入ったパックを見つけた。
規則正しい速度で落ちる水滴。そこから伸びる細い管は私の腕へと繋がっていた。
「……病院?」
体を起こそうにも鉛のように重い。
ベッドの上でもがく私に向かって伸びる二本の腕が支えてくれた。
「お父様? お母様?」
「あゆか!」
久々に会った本当の両親に抱き締められると自然に涙が流れた。
私、戻って来たんだ。
「それ、看護師さんにつけてもらったのか?」
父は私の首元を指さしていた。
手で胸元を撫でると指先に何かが触れた。
視線を落とすと手のひらの上にはブルーサファイアのネックレスがあった。
「持って帰ってきちゃった。セレナっ」
ぎゅっと握り締めて、もう会うことのできない妹に想いを馳せる。
その後、医師が診察して、すぐに退院できるだろうと言ってくれた。
すぐにっていつだろう。
そもそも、今日は何年の何月何日なんだろう。
「混乱するわよね。13日間も眠っていたから」
「は?」
卓上カレンダーにはいくつものバツ印が書かれている。
最後のバツ印の隣を見てギョッとした。
「明日、卒業式じゃん!」
◇◆◇◆◇◆
久々の黒髪を整え、制服をきっちりと着る。もう専属のメイドに頼る日々は終わったのだ。
私は彼女たちから習った通りに身支度を終えた。
両親と医師の反対を押し切り、翌日の朝に退院した私はそのまま車で高校へ送ってもらった。
足が重い。教室に着く頃には息切れしていた。
懐かしい面々に迎えられ、またしても瞳が潤んだ。
「あれ、
「あいつも休んでるよ。もう3日になるかな。今日も来るか分かんないね」
担任教師と最後の挨拶を終えて、体育館へ向かう。
最後まで空席だったあいつの席を見つめ教室を出た。
お偉いさんたちの話が長い。立ってるだけでも辛い。
よほど顔色が悪かったのだろう。焦ったクラスメイトに促されて強制的にパイプ椅子に座らされた。
卒業証書を取りに行くのも一苦労だった。階段でつまずきそうになりながらも壇上に昇り、校長先生から「おめでとう」の言葉と一緒に卒業証書を受け取る。
絵本の世界では何も手元に残らなかったから、ちょっと嬉しい。
私も卒業したのだと実感できた。
「
「はい?」
「戻っていいですよ」
感動のあまり壇上で立ち尽くしていた私に困ったような微笑みの向ける校長先生。
振り向くとすでに次の子が階段の前で待機していた。
ごめんね、と口パクして反対側の階段から降りる。
途中、参列していた両親を見つけ、軽く手を振ることができた。
二人の涙ぐむ姿を見て、またしても目頭が熱くなってしまった。
滑らないように配慮されたカーペットの上を歩き、自分の席まで戻る。
異世界の生活に慣れていた私にとって、この世界での普通が実はありがたいことなんだ、と強く思えるようになっていた。
ふぅ、と息を吐くと一気に疲れが襲ってきた。
視線は自然とあいつが座るべき空席のパイプ椅子を追っている。
順番に名前を呼ばれていき、遂にあいつの名字が呼ばれた。
返事はない。
結局、あいつは来なかった。病気なのか、サボりなのか。
それとも、まだ帰ってきていないのか――。
「はい!」
遅れた返事に反射的に立ち上がり、体育館の扉を見つめる。
そこには息を切らしながらレッドカーペットを歩くあいつの姿があった。
乱れた制服と髪を整えながら在校生と保護者席を通り過ぎ、卒業生の間を肩で風を切って歩く。
その堂々とした姿に王子様の面影を重ねてしまった。
やっぱり、あいつがラウル王子だったんだ!
「座った方がいいって。みんな見てるよ」
級友に言われて、ガタンとパイプ椅子を鳴らしながら着席する。
恥ずかしさで茹で上がりそう。でも、そんな感情よりも喜びの方が強かった。
あいつも一緒に帰ってきた。
私たちは『セレナと闇の魔女』の絵本の世界から脱出できたんだ。
そう実感すると感情を抑えられなくなり、声を殺しながら泣きじゃっくった。
卒業式を終え、クラスの女子たちに肩を抱かれながら教室へ移動する途中、友人とじゃれ合うあいつと目が合った。
僅かに目を見開き、あごをしゃっくって何か合図を送っている。
あいつのあごが向いた先には図書室があった。
◇◆◇◆◇◆
図書室に向かうと既にあいつは定位置のテーブルに座っていた。
「人には卒業式をサボるなって言っておきながら自分は遅刻?」
「体が動かなくてな。黙って病院を抜け出してきた」
「はぁ!? 早く戻りなさいよ」
「戻るよ。でも、その前にやることがある」
立ち上がった和久井が近づく。
唾を飲み込んだ音を聞かれていないことを願うばかりだ。
私を見下ろす目はこの図書室で勉強していた頃と何も変わらない。
髪色はワインのような深い赤色でもないし、瞳の色も紫色じゃない。一般的な日本人顔。
それは私も同じだ。
もう金髪碧眼じゃないし、ナイスバディでもない。
和久井はあろうことか片膝をついて、手を差し出した。
ぎこちない動きでやってもヘンテコなだけで、全然様になっていない。
オーラもキラキラ感も全然足りない。
背伸びしているガキにしか見えなかった。
「なにそれ?」
「笑うなよ。俺だって恥ずかしいんだから」
「そんなのやめればいいじゃん」
差し出された手を払い退け、腕を掴んで立ち上がらせる。
やっぱり、和久井はラウル王子の中の人だ。私がそんなものは求めていないことを察することができないらしい。
「王子様じゃなくていい。自分の言葉で伝えなさいよ」
一瞬、驚いた表情を見せた和久井は拍子抜けしたように笑ってから肩の力を抜いた。
「好きだ、
あのとき聞けなかった言葉。やっと聞かせてくれた。
「死ぬまで俺の1番でいてくれ」
告白されるなんて初めての経験でどう返事すればいいのか分からない。
自分の言葉で伝えろ、とは言ったがそれは私にも言えることだった。
結局、上手い返事が思いつかず、彼に抱きつくことで返事の代わりとしてしまった。
「遅いのよ、バカ。最初から1番だったし」
「それなら嬉しいよ」
照れながら見上げると和久井も私を見下ろしていた。
合図したわけでもないのに自然と二人の距離が近づく。
「リリーナと私のファーストキスを奪うなんて罪な人ね」
「そんなことを言ったらラウル王子と俺の唇を奪った白峰だってそうだ」
私たちは無言のまま、手を繋いで教室に戻った。
クラスメイトから冷やかされたのは言うまでもない。
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