ブックカフェ・中
和花はぎょっとして振り向いた。
無論、そこには誰も立ってはいない。
「一体全体いつの間に……?」
「ん、なにこれ」
「ヒッ?!」
椅子ごとガタンと後ずさると、和花の眼球には面白い本を選ぶような目で机の上の紙を覗き込もうとしている雄星が映った。
「あ、ちょまっ!」
ビュッ、と音がするほどの速さで彼女は手を伸ばし、机の上の紙を叩き落とす。
「えっ……?」
和花はしばらく、紙を叩いた状態で静止していた。紙は綺麗に裏返って落ちている。
しかし、机の上の空間には、息も吐けないほどの重い沈黙が降りていた。
「え、あ」
ようやく事態を悟った和花は、こわごわと頭を上げた。
雄星は、いきなりダンジョンに放り込まれた転生者のような顔で彼女と目を合わせた。
「ゆ、雄星さん……」
「いや、あの、こっちも混乱してわけわかんないんだけどさ。今、何をした?」
「え、えっと……」
「こっちから見たら、いきなり台パンしたように見えたんだけどさ」
「え、いや、あの、まあ、ちょっとストレスというか……」
上下の唇を中に巻き込んで、目を泳がせていた和花は、少し余裕を取り戻したように、スラスラと話し出した。
「え、ストレス? いやぁ、やっぱ労働環境もっと改善してかなきゃいけないってことだよね。何、何が気に入らない?」
「いや、お店とか雄星さんは全く関係なくて、ただちょっとなんかね、あれだったんで……」
雄星はまだ何かを言おうとしたところで、それを止めた。
「まあいいや。じゃあ、これ見て」
机の上に乗せられたのは、余白を探すのに苦労するほど文字がびっしりと書かれた、千切られたメモ帳だ。
『会場:淡浪町淡浪ビーチ(海にさんらいず・NEWムーン、陸にBOOK MARK)
日時:九月二十二日、二十三日 両日午前十時から午後五時まで
責任者:大森雄星・山口依里子』
その下に、イベントの計画が書かれている。
『移動書店・BOOK MARK秋のフェア開催、普段の倍の本を販売。
さんらいず・NEWムーンに購入前の本を持っていくと、飲食をすることで購入前の本を読むことが出来る(一人三冊まで可)。さらに、飲食代、本代それぞれ七パーセントオフ。
さんらいず・NEWムーンだけに置いてある本もあり、その本は一人一冊までBOOK MARKで購入可能。
さんらいず・NEWムーンは、十時半、十一時半、一時半、二時半、三時半に三十分間、沿岸部へ出航。海の上でコーヒーと読書を』
「……これを、さっきの時間の間で練り上げたんですか?」
「そうだよ。まあ、結構色々、浦賀さんとかが考えていたのもあるけど、なかなか良くない?」
「良すぎますよ、これは。しかも、二日間開催なんですね」
「そうそう。これから忙しくなる」
「はいっ」
再び、雄星は浦賀と深く話し始めた。
「失礼いたします」
「え、わわわわわっ?! 何?!」
本の雑誌を読んでいた和花は、突然背後から聞こえた声に、ゴツン、と頭を机にぶつけた。
「お客様、お怪我はございませんか?」
「え、あ、あなたにびっくりしたんですけれども……」
ヒィ、ヒィ、ヒィ、と大きく胸を上下させながら、和花は目の前の、黒いエプロンを着たあのウェイトレスに言った。
「それは申し訳ございません」
相手はピクリとも表情を変えずに言った。
「ところで、置手紙は読んでいただけましたでしょうか?」
「お、置手紙って」
「率直に申し上げると、青木様は浦賀オーナーに恋心を抱いておられるのか、ということです」
和花は目を水晶玉のように丸くした。
「え、あれってあなただった……」
まるで無機質な相手の顔をまじまじと、和花は見つめた。
「如何ですか?」
「え、え、あー、まあ、うん、ノーコメントだね、うん、ノーコメノーコメ。記憶にございませんってことよそうそう」
「浦賀オーナーがそれほど魅力的に見えるのでございますね?」
「え、だーかーら、あー、うん、えっとノーコメ」
相手は、元々細く鋭い目をさらに鋭利にして、こちらにずいと顔を寄せた。
「え、な、何ですか」
やがて相手は顔を離して、眉間の皺も解消させた。
「私は、スタッフとして働いている
そう言って、岩黒と名乗った黒エプロンのスタッフは、腹の前に手を重ねて、音も無く去っていった。
「……あれが、いわゆる変態、かな」
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