ブックカフェ・前
「もしもし、移動書店・BOOK MARKでございます」
和花は張り切った声で受話器を取った。
『ああ、青木さん。お久しぶりです。一か月半ぶりくらいかな?』
「え、ちょちょ、ちょっと待ってください? まさか、この声って……」
和花は頭に一撃を食らったかのようなリアクションをした。
「ん、どうした?」
雄星の声は、彼女の耳には掠りもしていない。
『全然変わらないですね、そういう反応』
「浦賀さん……!」
「ちょ、運転中に立たないでよ、危ないんだから」
助手席から思わず腰を浮かせた和花の肩を押し下げようとした陸玖の声も、受話器に跳ね返されていく。
「えっとね、『海に果てた女』なんですけど、もうね、すごい、バカ売れです。悲劇的なことに在庫があと一冊しかありません」
『そうなんですか? それは嬉しいなぁ』
「BOOK MARKとしても、ポップを作ったり、SNSとかで宣伝してたりしていたので、良かったです」
『いやぁ、本当にありがとうございます。母親と今宮さんの遺志を叶えて下さって。死んでも安心して二人と会えます』
「いやぁそんな」
『おかげさまで、先日『海に果てた女』の出版社さんから連絡が来ましてね。SNSなどで少なからず話題になっているみたいなので再出版しましょう、という運びになったんですよぉ』
「えっ?! ホントに?! やりましたね! おめでとうございますっ!」
「ちょ、うるさいってば、車の中で叫びながら何度も立たないでよ!」
陸玖は目と唇を尖がらせて、助手席のシートを蹴飛ばした。
『まあ、そんなかんなで、せっかく頂いたご縁なので、一つご提案させてくださいませんか?』
「え、え、あ、はい、どうぞ」
和花は途端に緊張した顔持ちになった。
『ぜひ、どこか海辺の町に行かれる際に、一緒にブックカフェをしませんか?』
「……え、あ、はぁ」
ストン、と助手席が空虚な音を鳴らした。
「なんか、鳩が豆鉄砲を食ったみたいな顔してるぞ」
「この人ホントに、グルグル表情変わりますよね。忙しい人だなぁ」
信号で止まってる間に、雄星と陸玖は目を合わせて、やれやれと両手を耳の横あたりに挙げた。
『え、だ、ダメですか? 何かお気に召さないことでも……』
「あ、いぃやいやいやいやいや、そんなわけないじゃないですかぁ。もー、こっちとしては大歓迎ですよ。面白そうじゃないですか、移動書店と水上喫茶が組んでブックカフェなんて。ねぇ?」
和花はニマニマと顔の前で手を縦に振った。
『いや、なら嬉しいんですけれども……』
「日取りいつにします? けいめい丸の上でやるんですか? 本はどんなの持っていきましょう? ポスターとかSNSの告知とかは……」
『ちょ、ちょ待ってくださいね、お客さん来ちゃったので、一回切らせていただきますね。また掛け直します』
「はぁい、待ってまぁす」
明るい声を出しつつも、少し鼻白んだ顔で、和花は受話器を置いた。
「お客さん来たって、電話から逃げるための嘘だったりしない?」
陸玖がぼそりと呟いた。
助手席から後部座席に、ナイフのような目線が飛んでいた。
海には面していないものの、海に注ぐ比較的大きな河口がある、龍鱗市。
店に陸玖を置いて、雄星と和花が船着き場へ出かけてみると、ちょうど彼らのけいめい丸が、幅の広い川の真ん中を遡ってきているところだった。
「目立つなぁ……」
「でも、レトロな感じで可愛くないですか? 赤と白が交互に並んだサンシェードって」
「女子の感覚はどれだけ年とっても分かんない」
そんな話をしているうちに、逆らってくる水を右へ左へ掻き分けるけいめい丸は船着き場にロープを括り付けていた。
タラップで船着き場と船が結ばれると、浦賀と山口の二人が降りてきた。
「どうも、こんにちは」
パーフェクトスマイルで笑顔を振りまきながら浦賀はやってくる。その裏の山口は、相変わらずの厚化粧に似合うぶすっとした顔で、こちらと目も合わせようとしない。
「いやぁすみません、わざわざ」
「いやいや、こちらこそ、貴重なご提案ありがとうございます」
対外的なことは浦賀がやっているのか、彼と雄星はニコニコしながら握手を交わした。
「和花さんもお久しぶりです。また綺麗になったんじゃないですか?」
和花は、目を大きく見開いて、口を大きく開けて、一人時間に取り残されたかのように立ち尽くした。
「え、い、今、和花さんって」
何日も水を飲んでいないかのような掠れた声が出たが、その時には既に、浦賀と雄星は、親しげに話しながらけいめい丸の中へ乗り込んでいった。
「はい、こちらがブレンドコーヒーになります。熱くなっていますのでお気を付け下さいませ」
アニメの声優のような柔らかい声の、身長の低い女性がコーヒーを置いていってくれた。
だが、和花の目は紅茶を飲みながら、メモ帳にペンを走らせ話し込む、柔らかな雰囲気の二人をぼんやりと見つめていた。
「こちらが、季節のショートケーキになります。八月はメロンとプルーンのケーキになっております」
女性と入れ替わり、黒いエプロンの似合う、少し尖った声と眉毛の立った目の男性がケーキを運んできた。
「もちろん、お代は頂きませんので、ごゆっくりお楽しみください」
丁寧な言葉とは裏腹に、どこか意志がここに無いような言葉を残して、男性は、木がメインの昭和純喫茶風の厨房へ戻っていった。
「はあぁあぁ」
和花は唇をちょんと出して頬杖をついた。
その腕の部分に、カサリ、と小さな音が鳴る。
「ん……?」
置いてあるのは、四つに折られた紙。
開けてみると、点画が繋がった細い字で一文、書かれていた。
『マスターのこと、お好きですか?』
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