緑丘市の話・前
「フワァァァァァ……」
目の前には、一面に広がるビニールハウスの群れ。
そして、そのある一本道にポツンとその車はあった。
「あれ、全部もやしの畑でしょ? すごいですよね、緑丘市。今やっと私たちは起きたのに――え? もう……?」
普段よりも遅い、六時くらいの起床だ。
僕と和花は急いで服を脱ぎ散らかし、いつもの服を着て開店準備を始める。
「そこ、段ボール!」
「分かってます! とりあえず、いつもの段取りで行ったらいいでしょ? 私は本棚作りますから、力仕事は雄星さんのような日本男児が……」
「こんな非力なメガネは日本男児にはならねぇだろうが!」
なんとか、開店準備を終えて、ほっと一息、今読みかけの漫画を開ける。
ここまで、BOOK MARKでは小説と絵本の取り扱いが多かったが、最近の僕のトレンドが『ニューマイヒーロー』という最近大人気の恋愛漫画で、それをキッカケとして一気に漫画を貪るようになったのである。
ブルルルルルルルン……
「え?」
と、バイクの排気音が聞こえる。
僕は本能的に体を固くした。チンピラに絡まれて死にそうになった、あの思い出がフラッシュバックするのだ。
それは和花も同じようで、少し怯えたような表情を黒い三台のバイクに送っている。その後ろからは真っ黒のセダンが走ってくる。車には詳しくないため分からないが、どうやら外車のようだ。
そんなことを言っていると、バイクが車の隣に停車してきた。
色々と言いながら、ヘルメットを外して出てきた顔は――
「えぇ? 市長じゃないですかぁ?!」
隣にいるのは誰か知らないが、ひとまずイケメンなおっさんってことはまず間違いない。芸能人のような、中心が黒で周りが金というツンツンした髪形をしている。
さらにセダンから出てきたのは、恐らく専業の運転手と、十人ほどの可憐な女性たちだった。
「あ、あの、市長……お久しぶり、何ですが……この人たちは……?」
「あぁ、大森さん、この人らはな、『BETELGEUSE*Entertainment Office』のプロデューサーのベテルギウス桜崎さんとグリーンムーン39のみなさんじゃ」
独特の「〇〇じゃ」という喋り方が特徴の市長が言った。
BETELGEUSE*Entertainment Officeってどこかで聞いたことがある。
「BETELGEUSE?!」
和花がずいぶん遅れたリアクションをする。
「知ってるのか?」
「いや、BETELGEUSE*Entertainment Officeって日本を代表するアイドル事務所ですよ?! グリーンムーン39なんか普通ライブもチケット取れないのに……」
和花の目にハートが見える気がする。
「じゃあ、何でこんなところにいるわけなんですか」
「それは、まあこれから……。ところで、今、緑丘市のもやしがバカ売れとるじゃろ?」
「へぇ……」
「なんじゃ、知らんのか?!」
「知りませんでした」
「なぁにぃ?!」
吉本新喜劇にいそうな顔でおどけた顔をされると吹き出してしまいそうになる。
「で、何でなんですか?」
「それはこれを読んでくれたら分かる」
思ったよりも澄んだ声で、初めてベテルギウス桜崎が発言した。同時に、市長がカバンから単行本を一冊出してきた。
「『もやしがライブを包む日』って、これは……?」
「あぁ、ひとまず、これをこれから売ってほしい。試し読みしてもらっても構わん。一冊千二百円だ。用はこれだけだから、まあよろしく。あぁ、そうだ」
桜崎は市長のカバンに手を突っ込み、なにかファイルを取り出す。
「謝礼の、僕とグリーンムーン39の三十九人のメンバーと市長のサイン入り色紙のファイルだ。それじゃあ、またね」
プロデューサーと言ったが、実際にアイドルをしていたのではないかと思うくらいキレイな去り方だった。
緑丘市を去り、次の
「この段ボール、明日から並べます……?」
「どうしようか……。まあ、いいんじゃないか? というか、中身には何冊あった?」
「二十冊ほどはありましたね。完売したら追加発注よろしく、と書いてありました」
「はぁ……。これ、出版社はどうなってるんだ?」
茂野氏出版です、と和花が言う。
もやしと茂野という苗字をかけてるんでしょうね、とも。
ということは、緑丘市の出版社、というか印刷屋の可能性が高い。
「まあ、各自、読んでみるか……?」
「そう、ですね……」
◆◇◆
「どうか、どうか頼む!」
目の前で緑丘市長が机に額を擦りつけんばかりに頭を下げてくる。
「じゃあ、分かりました。とりあえず上に話してみますね……」
「本当かね?」
吉本新喜劇に出ていそうな顔の市長が目をキラキラさせて顔を寄せてくる。
「一回、事務所に持ち帰りま……」
「頼むぞ!!」
――ここまで念押しするか……?
運営会議が始まった。
「それでは、色々と懸案を話し合っていこうと思う。よろしく」
社長のベテルギウス高岡が会議の始まりを告げた。
「それではまずはプロデューサーの桜崎さん、現場の報告などをお願いします」
社長秘書が言う。
「了解しました」
最近のライブの入りやテレビの出演料、タレントの活動再開などの話題を淡々と述べていく。
「ところで……相談があるのですが」
「相談……?」
「あの、実は私、父親が緑丘市の出身でして」
「緑丘……? 続けてください」
「そこで、緑丘市の市長から相談を受けたんです。単刀直入に申しますと、特産品のもやしを一本五十円以上で売るのに協力してくれ、ということです」
「……は?」
「何か、良いアイデアはないでしょうか?」
「……は?」
全員が、呆れている。これは、失敗だったか、と思った時だった。
「それなら、うちのグリーンムーン39を使ってください」
いきなり、女性アイドル担当の八頭身美人、
「どういう方法かは知りませんけど」
「猪瀬……?」
淡々と、まるで言うことをあらかじめ決めていたかのような喋りに誰もが呆然としている。
というか、自分でもビックリしている。
「ええっと、そうだなぁ……じゃあ、ええっと、なんかもやしを持っていったらチケットの割引と、緑丘産もやしへの交換、とかどうでしょう。メンバーによる調理実演や、もやし料理の観客へのふるまいとか……?」
――そんなことして上手くいくのか……?
自分でもそう思っている。と。
「おぉ、面白い。じゃあ、それでやってみよう。じゃあ、次の議題に移ってくれ――」
――え? え? ちょ、待て。採用された?
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