『あなたの目覚めはスタンガン』

 やっぱり、幼い子供ほどカワイイ生き物はいない。


 絵本を大事そうに抱えた二歳ほどのよちよち歩きの男の子は恥ずかしそうに

「ありがとうございます」

 と言ってくれた。

「こちらこそ、どういたしまして」

 陰キャな僕でも、どうしてもこういう子には色々やってあげたくなる。

 ちょっと待ってて、と伝え一冊絵本を取ってきて、その子に渡す。

「一冊オマケ」

 その子は少しびっくりしたが、口角を上げ

「ありがとう!」

 と言った。




 そろそろ日が傾くころ。

 移動書店「BOOK MARK」は回っている中では意外と都会と言える土地の公園の噴水の前にいた。

 燃える日に照らされる白に青のラインのバンがカッコよすぎる。

「あの、こんにちは。もうすぐ閉店ですか?」

 車の外に置いている本棚から自分が読む本を選んでいると、後ろから声がかかった。

「え? あ、いらっしゃいませ。大丈夫です、六時まであと十分ほどあります」

 振り返ると、そこにはハート型のサングラスをかけ、黒いダウンコートを着た女性と、その子供らしいピンクのモコモコのアウターを着たポニーテールの女の子。

「ええっと、この子が読みたそうな本……」

 母娘はゆっくりと本棚の絵本コーナーを眺めはじめた。人気の絵本や自分が小さい頃に読んでいた絵本をここには揃えている。

「これ! これがいーい! あたちこれ!」

 二歳くらいだろうか。聞くだけで癒される声。

「分かった、それじゃあこれ、買おう」

「やったー!」

 まるで人形のような笑顔を浮かべ、女の子はピョンピョンと飛び跳ねる。

「それじゃあ、店主さんこれお願いします。それと――」

 ここで、母親は一回言葉を切った。


「私もホラー小説が読みたいんですけど何かオススメないですか?」


「ホラー、ですか」

 まさかこのファンタジーとか読んでそうな若いサングラスの女性がホラー小説と。

「待ってください、最近ハマってるのがあって」

 僕は車内に入り、本が入っているトランクから三冊の同じ本を持ってきた。

「これです。タイトルは『あなたの目覚めはスタンガン』」

「ちょっと見せてください……」

 一冊を手に取り、あらすじを確認したらしい母親は言った。

「じゃあ、これにします」

「はい、了解しました。絵本一点と小説一点で……お値段二千百円になります」

 母親は三千円を出してきた。窓から受け取り、お釣りの九百円を出す。

「ありがとうございました」

 母親に手を引かれ女の子は噴水の向こう、梅の並木の方へ歩いていく。

「バイバーイ!」

 見えなくなるまで、彼女はずっとにこやかに手を振り続けてくれた。

 ――これだから小さい子は。




 僕は車の中に戻り、運転席に腰を下ろした。明日は休みだ。本を売りにめぐる十四の市町村の中では都会の方だから、明日もここにいることにした。

 売上の計算を済ませると再び車を降り、トランクを開けて本棚を解体し、大量の荷物を積み込んでいく。

 その過程で、必ず目にしてしまうのが前の場所で出会ったもの。変な夢を見る元となった、赤い丸の、金色の時計のマークが入ったピンバッチだ。

 あれ以来、あの本——ワンダー・ストアは見ていない。見たらまたおかしなことが起こるのではないかと恐ろしいのだ。

 ――でも。

 ふと思いつく。あの夢が本当だったか、確かめたいのだ。あの日からそうだった。ずっと本当だったかもしれないと疑問を持っていた。内心ではずっともう一度未来に行きたいと思っていたのかもしれない。


 ――やってみるか。


 僕はピンバッチを今度は「あなたの目覚めはスタンガン」に付けてみる。数秒まってからもう一回ペリッと剥がしてみた。


 ――来るぞ!


 思わず目を閉じた。

 だが、いくら待っても、体は何も感じない。目を開けると、噴水が夕焼けをバックに大地を潤しているところだった。




 目が日光を感じ取ってきた。

 けど、今日は休みだ。

「もう少し寝る……」

 ズガン

 ――へ?

 さっき、誰かに殴られなかった? 助手席と運転席のシートベルトにでも当たったのだろうか?

 ダン

「痛っ!」

 今度ははっきりと頭頂部を捉えられた。

 思わず飛び起き、アイマスクを外す。と――。


 目の前に、スタンガンを持ったクマのぬいぐるみが立っていた。


「え?」

 スタンガンを持ったクマのぬいぐるみと言えば、僕には心当たりがあった。

『あなたの目覚めはスタンガン』だ。

 スタンガンを持ったクマのぬいぐるみが目覚まし時計代わりに殴ってきて、スタンガンを向けてくる。それに対して青年が必死に応戦するというホラー小説。

 何も表情を変えない、目が大きな茶色いクマは何の予告もなく、腹に頭をぶつけてきた。

「グッ」

 しかも、なんと背中には血液らしきもので「雄星起きろ」と書かれてある。

 ――いや、起きてるから……止めてくれっ……。

 刹那、クマは短い足を見事に股間に当ててきやがった。

「ウアアァーーーッ!!」

 どうだっけ。物語ではどうだっけ。肝心な時に内容が思い出せない。

「起きたから! もう起きたから! 止めてくれ! どっか行ってくれー!!」

 全身に汗が湧き出てくる。なんで僕がこんな目に? マズい。このままじゃ死んでしまう……。

 と、ダッシュボードに置いていた小型のスタンガンをクマは取った。

 足から頭までを突き抜けるような悪寒。あれを受けてどれくらいのことになるのか分からないが、とにかくここから逃げなければ……。

 助手席のドアを開けようとする。だが――。

 ――開かない……。

 目の焦点が全く合わない狂ったクマはコチラへドンドンと迫ってくる。

 ――お前の仕業か……。

 いよいよ恐怖で身体がガチガチに固まってきた。


 クマはスタンガンをそっと僕の右の脇に当てた。




 あれもこれも、あのバッチのせいだ。

 未来には行かなかったものの、やはり何かの力があるんだ、あのバッチには。

 僕は夜ご飯をコンビニで買ってから車に乗り、次に行く隣町へ向けてハンドルを切った。

 赤信号に引っかかり、チラリと僕はトランクを見る。

 あのクマのぬいぐるみは堂々とたくさんの本の上に寝転がっている。

 あのスタンガンを当てられてからビビッと痛みが走り、しばらく右腕が動かなかった。今でも正直動きにくいし、動かすのが怖い。

 ――まさか、明日も?

 今日は徹夜をしようかとも考えていると、信号が青になった。


 あれから逃れるにはどうすればいいのだろう。

 スタンガンを当ててから完全に動きを止めた謎のぬいぐるみは降ろそうとしても重くて全く動かなかった。そして、公園のトイレに行って帰ってくるとトランクに座っていて、じっとこっちを見つめてくるのだ。

 殴ってくるのには我慢するとして、スタンガンをどうするか? どうあいつと戦えばいいんだ?

 小説の内容を思い出してみる。

 主人公は普通に戦っても全く歯が立たなかったため、ロープで罠を仕掛けたりしていた。だがそんなものはない。

 ピンバッチを使えば何か解決できるのだろうか?

「もう、寝るのが恐怖でしかない……」

 何か後ろから視線を感じる気がしたが、振り返る気にはどうしてもなれなかった。




 あっちについて、何時間かは耐えた。必死に寝ないようにした。小説を読むなりして。それでも、僕はどうやら睡魔には勝てない体質だった。


 ドン、ドンと段ボールの音が鳴ってる。


 どうしても目を開けたくない。目を開ければとんでもないものを見てしまうことに――と、ズンと僕の腹の上に何かが降ってきた。

「グエッ……」

 思わず、目を開けてしまった。

「ひえぇぇぇ……」

 ゾクッと鳥肌が立ち、身体が強張る。


 刹那、クマのぬいぐるみは僕の頬を往復ビンタしてきた。


 重いし、痛い。しかも、手はこいつに挟まれているから僕は今やられるがまま。

 今度は腹に思いっきりパンチを仕掛けてきた。さらに、足をグリグリ、グリグリとじわりじわりと痛みが神経を伝って脳に届いてくる。もう涙腺がギリギリだ。

 ――もう止めてくれ――。

 と、この瞬間、名案が浮かんだ。自由に動くクマの着ぐるみ大のぬいぐるみ。それなら――。

 クマのぬいぐるみがスタンガンを取りに上体を起こした。その瞬間、大森雄星という陰キャの勇気が恐怖に打ち勝った。

「うおおーっ!!」

 全腹筋を使い、後ろを向いているクマの頭に飛びついた。そして、思いっきり手を上へと上げた。


「あっ……」


 と、さっきまで感情を持たないクマの顔だったのが、一転して美少女の顔となった。


「え……? もしかして、青木あおきさん……?」


 目の前にいたのは、高校時代、ずっと僕に刺すような視線を送ってきた同級生の青木睦子むつこだった――。

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