『未来を映す七つの魔術』

 そうだよ、青木睦子だよ。あんたを殺しに来たのによくそんな間抜けな面してるね。


 私は心の中で毒を吐いた。

「あの、一体どうしたんですか……? なんで僕がこんなことをしてるって知って……? 本をお求めですか……? なんでクマのぬいぐるみになって……?」


「そんなことも分かんないわけ。あんたのせいで妹と家族の精神はぐっちゃぐちゃに潰れちまったんだよ。今でもあの子はずっと怪しい呪文ばっか唱えてて……!」


 オロオロしている高校時代の同級生を見るとますます腹の中が煮えてくる。

「妹……? 青木さんはなんで急に……? 何があったんですか……? 精神がぐちゃぐちゃって……僕なんかそんな酷いことしてましたか……? してるなら謝りますから……教えてくださいよ」

「は……? ふざけないでくれる。あんたが……!」

 ここから先はもはや怒りで声が出なかった。狭い運転席で殴るのもアリだが、何とか理性で押さえつける。

「え……? ホントに分かんないんですけど……」

 だが、雄星は確かに狼狽えていた、というか混乱していた。

 何かとんでもないことをしてしまったのか、って内心思ってるだろ。してるんだよ、あんたは。

 けど、人の心を読むのが私は得意だ。確かに、何も知らなさそうな顔をしている。

「あんた、ホントに自分が何したのか覚えてないのかい?」

 クマの着ぐるみを脱ぎながら私は訊ねた。

「そうですけど……」

「なら良いよ、仕方がない。教えてあげるよ、あんたの極悪非道な行為を」



 ◆◇◆



 確か、それは私が三年の十月の話だった。

 一学年下の和花わかは本を読むのが大好きな、活発でひたすら明るい子だった。丸顔で、かなり男子からも視点を集めていた。


 そんな和花が変わったのは図書室でのことだった。

 たまたま図書室で一緒になった姉妹。

 和花は図書室のカウンターにいる図書委員に声を掛けた。

「何を読んでるんですか?」

「……ああ、これ? 表紙に書いてあると思うけど……」

「『未来を映す七つの魔術』ですか。面白そうなタイトルですね。棚にありますか?」

「ん? あ、あるよ。あっちの方に」

 その図書委員はそれだけ言うとまた紫色の怪しい魔法陣が描かれた本をまた読み始めた。

 ――その物静かな図書委員と言うのが大森雄星だった。


 それから一週間。返却期限となると、結構ハマったのか和花は書店で本を買ってきた。

 それから、彼女は暇があると毎日、紫の表紙を手に取るようになった。

 そして、次の月になると和花は学校にいない間はずっと部屋に籠るようになった。

 ご飯を食べるときに何があったのか聞いてみると

「人の未来を映す人になるから、その勉強」

 と返答が来た。

 時々部屋を覗くと怪しい水晶玉が置いてあったり、これまで会ったアイドルのグッズが無くなっていたりと様々なことが様変わりしていた。

 しかも、時々耳を澄ますと、変な呪文が聞こえてくるようになった。カランコロンという何かが机に転がるような音と一緒に。


 ある日、思い切ってご飯を早く食べて部屋を覗くと、その本が机の真ん中に置いてあり、周りにはサイコロみたいなものやいくつかの水晶玉、紫色のタオルなどなど、様々なオカルトグッズが置いてあった。

 クローゼットには紫の衣装ばかりが並んでいた。

 ――何かがあったな。

 未来を映す魔術ってなんだ? いったい誰が書いた本なのか? 

 そして、なんで和花はここまで変わってしまったのか? なにが愛くるしい妹をここまで変えたのか?

 そんなの決まってる。

 ――大森雄星がこの本を勧めたからだ。


 彼女がおかしな黒魔術かなにかにハマってしまって、家族総出で様々な作戦を試みた。

 本を取り上げてみたり部屋の模様替えをしたり。オカルトグッズを没収したり大好きなアイスを毎日買ってあげたり。

 それでも、彼女は何も変わらない。むしろ、ますます家族に対する不信が高まったのか、食事の時でさえも自分の部屋から一寸も出ないようになっていた。


 高校を卒業するころには成績はクラスでダントツ最下位。高三の時は学校にもあまり行かなくなってたし。

 行くときには全員に魔法をかけられたい人いる? とか未来を良い物にしたい人は私がやってあげるから! とか色々声かけていたらしい。

 その本を書いたカナウミライという人はこれまで様々なオカルトに関する本を書いているらしい。魔法の使い方とかいう本も書いてた。

 どれも、あなたの未来を幸せにするとかそういうキャッチコピーが付いていたが、今の和花を見てそんなもの当てにならない。


 一人暮らしを始めた和花からはもう何の連絡も届かなくなった。

 家族親戚友達みんな心配して家を訪ねるのだが、ことごとく居留守を使われたらしい。

 愛する妹を憂いて私はアパートの一室に乗り込んだ。泥棒が使うような針金で鍵を開けて。

 和花はその時外出しているようだった。

 なんと、靴は一つもなかった。つまり、和花は靴一足で暮らしているということ。

 さらに、キッチンもボロボロだし、風呂場は無く、トイレからは悪臭がした。

 かなり貧乏な生活らしい。

 寝室を覗いてみると、ベッドも布団もなく、ただ毛布一つが雑にあるだけ。何より気になったのは赤い魔法陣がドアに描かれていて、紫色のカーテン、さらに大量のオカルトグッズ。そして、スマホが一台無造作に小さな机に置いてある。

 と、ガチャッと音がした。

「あれ? むっちゃん? 何でいるの……」

 ガラガラと言う音と共に魔法陣が真っ二つに割れ、紫一色のドレスに金色の時計のマークのペンダントを付け、ものすごい白くて痩せた妹がギョッとした顔で立っていた。



 ◆◇◆



「それから色々苦労した。もうどうにかしようと様々なことを試した。でも、ダメだった……和花と家族、親戚……妹に関わる全ての人間の精神がぐちゃぐちゃになった」

「え……そんなことが? あの本で? 青木さんの妹さんが? そんなことが……大丈夫なんですか、今は」

「そんなわけないじゃない!」

 謝ろうともせず、ただ狼狽えている犯人の姿に思わず激昂してしまった。だが、もうこんな自分に歯止めは効かない。というか、歯止めをかける必要がない。

「一昨日の夕方、小さい子とサングラス掛けた女が来たでしょ? あれは私の親戚。彼女たちもあんたのことを恨んでいる。青木家にとって、あんたは悪魔なの。愛されて育ってきた和花をこんなことに変えてしまった悪魔……!」

「え……」

「あの本を知って、私はこれをやろうと思ったの。それであんたのことを時々見張ってた。それでこの本を勧めるだろうなぁと思って行かせた。結果見事に的中。私は着ぐるみを着てあんたを脅すことにした。最後はナイフであんたを刺すつもりだった。なのに、剥がされちまってさ。挙句の果てに覚えてないし、全部言っても謝ろうともしない。あんたみたいなクズ人間が生きてるだけで私はむしゃくしゃするんだよ!」

 もう、限界が来た。

「もう死んでくれる?」

「え……なんで、僕はそんなことはしてない……勧めたわけじゃないし、僕があの本を書いたわけじゃない……」

 正論だが、それは百も承知。それでも、怒りのはけ口はこいつしかいない。


「あの……本当に妹さんは魔法を学ぼうとしているんでしょうか?」


「どういうことっ?」

 そうに決まってるじゃないか。あんなことになって、タイトルも魔術だし。

「ちょっと、本を見てください」

 雄星は運転席から降りて、トランクの段ボールから紫のカバーの魔法陣が書かれた本を取ってきた。

「読んでみてください」

 まだ彼は口をパクパクしていた。このままじゃ殺されかねないと思ってるんだろう。

 こんなの中身は魔法の使い方とか書いてあるに決まってる。


 ――読んでみると、それは間違いだということに気づいた。

 この本は、ホロスコープや手相など様々な占いの本だった。作者のカナウミライ曰く、占いは自分の未来の指針になるという。そして、その未来の指針を素敵な魔術のようだと表現していた。

「それでも、あんたのせいで妹がこうなってるのは変わらない。後半には占い師になるにはこうすればいいとか書いてあるんだろう? 元々占いなんかインチキじゃんか。そんなもので稼げるはずもない。あの子は作者とあんたに洗脳されてんだ。そんな人をその気にさせるだけの“魔法”が……」


「そんなんじゃないよ!」


 と、急に声がした。ドスの効いた私の声とは違い、高めの声。

「……何でここにいるの?」

 和花はピンク色のスカートに水色の長袖Tシャツを着て、後部座席の窓からコチラを覗いていた。

祐子ゆうこさんに教えてもらった」

 クソッ、いとこなんかに頼るんじゃなかった。

「あんた、いつもの服装じゃないね。どうしたの?」

「ミライ先生に教えてもらったから、極意。あの占いはインチキなんかかじゃない。その気にさせるための物じゃない。全部当たらないかもしれないけど、それでも……」

 泣きそうな顔で精いっぱいこっちを睨みつける妹。

「雄星さんから教えてもらったんだから。感謝してるの」

「え? え?」

 金魚のように口をパクパクさせ、瞬きを繰り返しながら見ていた雄星はただ驚いている。

「確かに今は貧乏だけど、それでも私のおかげで幸せになったって言う感想はいっぱいもらってる。確かに、勝手に占い師のことを勘違いして変なことした過去もあったよ。それでも、私は魔法で人を幸せにしたいのっ……」

 和花は魂で全てを言い切った。

 その魂の叫びは、私の心に張った氷を打ち砕いてくれたような気がした。

「……分かった。勘違いしてたみたいね。それは謝る。けど私はあんまり占いとか好きじゃないから」

 妹のくせに、いいような口利きやがって。

 私はフンッ、と吐き捨てて車を降りた。

「お金なら少しは送ってあげる。あんたの好きなことをすればいい。ただ、姉を心配させないで」

 ここまでの話的に、真っすぐに応援メッセージを送れる場面じゃない。これくらいのことでも結構頑張った方だ。

 だが、彼女はえ? と言った後、こう返してきた。


「好きな事させてもらうけど、お金はいらないよ。雄星さんと一緒にやっていくから」


「え?」

 雄星は姉妹の話に安心していた顔だったが、目を見開いて言った。

 私の方は、もはや言葉が出なかった。

 ――は? この悪魔……いや、私の同級生と一緒にっ?

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